M-反撃と悲しみと
赤月が陽動を引き受けてくれた。彼女がそんな役目を負ってくれたのも、僕らとの約束を信じてくれたから。だから裏切るわけにはいかない。地下室に進入し、久世さんを探す僕と成瀬。だが、そこに金広と桃瀬が現れ、対峙する。絶対に通さないという彼らと、何が何でも君達を越えると宣言する僕。激突した思いの果ての結末とは。
紅蓮の刃をぐるりと回しながら金広が滑るように駆け、突進する。
真っ赤な残像が網膜を焼き、反応が遅れ回避を始めようと思った瞬間には彼が目の前にいた。
一切の慈悲のない目で僕を見据え――【廻刃】の牙が僕を襲う。
一步も動くことが出来ない筈の身体は、だが何かの力により後方に引っ張られた。
胴に触手が巻き付いていて、見ると成瀬の左腕が触手に変化していて炎の刃から僕を助けていた。
僅かに届かず空を切る【廻刃】。獰猛に燃える音が聞こえ、紙一重で躱したにも関わらず、その熱は肌を焼いていた。
攻撃を外され明らかな苛立ちが浮かぶ金広。そんな彼に向かって成瀬は右手をかざし、力を放った。
目を疑う程大出力の【キネシス】の波が金広を襲う。
桁違いの濁流に、だが彼は慌てることもなく【廻刃】を再度振るう。回転する赤き刃が成瀬の【キネシス】の尖端を削り斬り。
すかさず、その綻びに左手をかざした。
「【キネシス】」
力と力が激突した。
本来であれば比べるまでもない絶望的な力の差であったが、金広のそうした迅速な対応により、中から割かれた【キネシス】は彼を呑み込むには至らなかった。
邪魔立てをする不遜な男を見やる金広。
成瀬は、もう一度彼に力をぶつけようと腕を振るおうとするが――。
金広の背後の、桃瀬が手をかざしていた。
「成瀬!」
鋭く彼の名を叫ぶ。
「【ウェイズ】」
それに気付いた成瀬は素早くその場から転がるようにして離れた。
直後、彼が立っていた空間が膨張し、破裂した。
短い爆発音と共に大量の空気が叩きつけられる。
なんとか直撃を免れた成瀬。立ち上がり、僕の近くまで来て桃瀬を見やる。
「……あれが、悠々子か」
「彼女は爆発の【ウェイズ】を使う。起点指定型で、空間の座標を中心に爆発させるんだ」
「おしゃべりですかー、悠長ですねー」
彼女らの能力については成瀬に伝えていたが、実際こうして立ち向かうとその凶悪さがありありと感じられる。
近距離から中距離まで、金広の炎は猛威を振るい僕らを追い詰める。
彼から距離を取ろうとしても、桃瀬が控えている以上安全圏など無く、この部屋すべてが死線だ。
愚直に二人を相手取っても勝算は低く、戦闘が硬直した後、焼き切られるか爆ぜ殺されるかがオチだ。
だから僕は。
「――行くよ、成瀬」
「ああ」
意を決する僕を、冷たい目で見る金広と桃瀬。
「桃瀬」
僕は、彼女に向かって、呼びかけた。
首を傾げる桃瀬。
「悪いけど、君を封じさせてもらう」
「……はぁ?」
「【バイオス】」
訝しんだ彼女は、その後驚愕に目を見開く。
なぜなら、見る見る間に僕の全身が黒く染まり、天に向かって大量の煙を吐き出していたからだ。
否。僕に出せるのはちっぽけな虫だけであり、そんな異能は無い。
然るに此れは小さな虫の大群だった。
僕はありったけの力を振り絞り、出せるだけの大量の虫を産みだした。
蚊虻蝿蛾蝶蝉蚋蟷螂甲虫鍬形虫蜻蛉飛蝗。
数多くの虫共が宙を舞い、地を這い、黒いシルエットで部屋を満たしていく。
不快な羽音が響く。彼らは我が物顔であっという間に空間に居座り、視界は小さな虫で一杯になった。
「【ウェイズ】!」
金広が虫達を燃やす。虫が燃え、焦げる嫌な臭いがした。
その一撃で多くが殺されたが――だが僕が生み出す虫はその損失を補って余りある。
「……ウジ、悪あがきと嫌がらせは止めな。こんな虫で一体どうしようと言うんだ――」
「てめえ」
金広の怒りを上回る、憎悪の籠もった声で桃瀬が呟いた。
彼女は僕に手をかざす。
「【ウェイズ】」
爆発する瞬間まで見えない筈の彼女の力は。
僕の頭上で飛び回る虫達が、膨張する見えない球に押し出され、そこだけぽっかりと丸いスペースが出来上がり。
こうして容易く避けられるようになった。
急いでしゃがむ。そして頭の上で爆発がおき、虫がばらばらに弾けた。
桃瀬はその様子を見て……恐ろしくゆっくりと、彼女の髪にしがみつく飛蝗を握り。
「ばかにしているの、かな」
潰した。体液が桃瀬の柔らかい手を染める。
――そう。
――起点指定型である以上、なにかで空間を満たされれば不可視の攻撃も丸裸になり。
――直接物体を爆発させることもできるが、肉体が膨張するとすぐに反応できる。食らったから分かる。その座標から外れれば簡単に避けることができる。
――この作戦で、桃瀬を無力化させる。そこまではいい。
――重要なのは、ここから。
「いやいやいやいや」
彼女は、くつくつと喉を鳴らし、笑い。
首を振っていた。
「こんなにむかついたの、初めてだよ。氏家くん。わたしの【ウェイズ】がさぁ」
マントの内側から、透明の液体が入った瓶を取り出した。
「こんなんで封じられたなんて、思いあがられちゃ困るよ……!」
左右の手に一つずつ。その瓶はゆっくりと回転しながら投擲され。
「【ウェイズ】」
中の液体が盛り上がり硝子に罅が入った。
――まずい。
腕で顔を覆いながら後方に飛び退る。
直後爆音が轟いた。
熱風と燃え散る薬品の臭い。叩きつけられた衝撃波は僕を地に跪かせた。
「あははは! 隠し芸【大爆薬】! わたしの爆発を甘く見たね!」
「――シェリー! 貴様、僕まで巻き込むつもりか……」
非難する金広の声に、悠々と笑う桃瀬。だが煙が晴れ、僕らの姿を確認するとまた苦々しい顔になった。
僕を庇うようにして、成瀬が前に立っていた。
手を触手に変え【キネシス】の壁で爆発を防いでいる。
桃瀬の【ウェイズ】はあくまでも空間を膨張、拡散させるに過ぎない。だからこその隠し芸であり、攻撃力を補うための道具だったが。
こうも迅速に対応されると、不意を打つ一撃は望めない。
舌打ちし、嫌悪感を露わにする。
「――二つ持ちかー……。成瀬くん、だっけ? 厄介で、うざったいなぁ」
爆発により、殆どの虫が死滅した。そこを埋めようと【バイオス】を発動させようとする。
「させないよ」
桃瀬がまたマントの内側から瓶を取り出した。
それは先ほどのよりも細長く――試験管のような形状だった。
両手の指の股に挟み、総じて六つの爆薬。
「レオン! とりあえず、あのうざったいのを殺しちゃおうか」
「指示をするな一つ持ち」
【廻刃】の尖端を僕らに向け、金広が駆ける。
それに対応しようと成瀬が構えるが、彼の両脇に向かって試験管が投げ込まれる。
「成瀬!」
金広を迎撃するか、爆発に備えるかの二択を強いられた成瀬は……僕の叫びに応え、両手を試験管の方に向けた。
幾つかの容器が見えない力で包まれ、座標からずらす。
だがそんな隙を見逃してくれるはずもなく。
ぼう、と焔が靡き。
金広が振り下ろす【廻刃】の炎が成瀬を斬り裂いた。
回避はしていたが、それでもダメージは重い。
苦悶の表情で痛みを耐える成瀬。触手を金広に向けて振るうが、【廻刃】を取り回し、二つの刃で簡単に防がれる。
「それは悪手だよ」
全ての爆薬を処理しきれず、宙を舞う試験管が破裂し、瞬時に赤い火を吹いた。
さっきよりも威力は低いが、それでも強烈な一撃。僕でも耐えられて一発くらいだ。
【キネシス】での防御も間に合わず、成瀬は地を転がる。
彼を捨て置き、金広の目が僕を向く。
手で【廻刃】を弄び、無駄の無い手順で斬りつける。
螺旋を描く劫火は過たず僕の命を刈り取るだろう。
二択を間違え、いや……そもそもここへ突入してきたという、どうしようもなく愚かな決断をした僕らを嘲笑するように、彼は少しの躊躇もなく、凶刃を振るう。
まともに食らえば必死の攻撃。故に金広の表情は優越と確信に満ちていて。
だからこそ僕は。
言っただろう?
「寄越せ!」
そうねだり、僕の手に。
【キネシス】で包まれた試験管が吸い込まれた。
驚愕する金広。
地に伏せる成瀬は――おそらく笑っているだろう。
炎の剣はもう止められやせず。
僕はその刃へ。
手の爆薬を放り投げた。
眩い閃光が飛散し、爆発した。
「……ウジィィィイ」
隠し切れない怒りで震える金広。
後ろに下がった彼は、煤に塗れ、肌が火傷で爛れていた。
「お前……こ、こんな屈辱は産まれて始めてだ……! 殺してやる……惨たらしく人としての尊厳を踏みにじり呪いながら殺してやる……!」
「……言っただろ、金広」
男の怨嗟を受け止めながら、僕は焦げた皮膚を虫に変化させ、傷を塞いでいく。
至近距離の衝撃は想像以上で、傷は治せても痛みはいくら経っても弱まらない。気を抜けば倒れてしまいそうなダメージだったが。
僕は、今まで、怯え、慄き、なすがままだった相手に向かって。真っ直ぐに。
「僕は、死んでもいいんだって」
そう、言葉をぶつけた。
ぎりぎりと、ここまで聞こえる程、強く歯軋りをする二つ持ち。
ごっそりと一部が欠け、機能しなくなった【廻刃】を放り捨てる。
「もう手段なんて選ばないよ……怒らせた相手が悪かったんだ、君は。そこの二つ持ち諸共、この地下で殺してやる」
彼は手をかざす。
「【炎熱槍】」
現れたのは、僕の手を貫いた炎の槍。
金広を囲むように浮かび、獄炎の兵は主人の命を従順に待つ。
「シェリー……貴様はもう余計なことをするな」
自らの武器を逆に利用され、呆然としている桃瀬。
もう新たな爆薬を出すこともせず、彼女は力無い腕を上げ、手を構える。
胸を斬り裂かれた成瀬も、【バイオス】での応急処置が済み、彼らに対する。
「則明……」
僕は頷く。
限界を超えてもまだやらなきゃいけない。動かない頭で虫の行動を制御し。
無数に散らばる死骸を踏みしめ、金広が間合いを取り。
桃瀬が、少なくなった虫の隙を探し、爆発を起こそうと探って。
成瀬が触手を広げ、僕を守護してくれていて。
「……死にさらせ下流共がァ!」
そして金広が叫び、近付いた。
その瞬間。
僕の首筋に一匹の蚊がとまり、吸収された。
「成瀬!」
そして僕は指をさし、大声で。
「あの左奥の壁の向こうに久世さんがいる!」
腰を捻り、大きく両手を振りかぶった成瀬は。
出しうる限りの【キネシス】を。
僕が指差す壁に向かって撃った。
暴力的な力が一点に集約され、耐えられるはずもなく。
罅割れ、亀裂が広がり、みしみしと悲鳴を上げて、砕けた。
「……お前……」
金広が、ただただ呆れ、驚き、呟く。
「……ああやって、威勢のいいことを言ってたのも、挑発していたのも、無駄に虫を出していたのも全部……」
ぽっかりと開いた穴。そこからは血の臭いがした。
「偽物……。久世を探しているのを、悟られないため……?」
どこに彼女が囚われているか分からなかった。もっと遠いところに幽閉されているかもしれなかった。
だけど、この地下室がそう広大な構造だとは思えなかった。だからそこに賭けた。
結果として、こうして道ができた。
あの扉の廊下からぐるりと迂回しなければあの部屋には入れなかったのだろう。狭い地下に苦心して作った隠し部屋だったのだろうが。
こうすれば意味は無い。
「……行かせるか!」
金広が立ちはだかる。炎の槍を浮かべて。
だが己の不利をも悟っているようだった。
それまでの、ただただ相手を殺すことだけを考えておけばいい勝負は終わり。
これからは、穿たれた本丸を守ることをも考慮しなくてはならない、防衛戦と成り果てた。
……いや。違う。
もうそんな次元ではなくなってしまった。
「……やぁやぁ。手荒い迎えだね」
僕と成瀬が、文字通り命がけで開いた穴から。
漆黒が滲むような、妙に響く声で笑いながら。
「……殺しておけ、と指示をしたつもりだったのだが。これは一体どういうことなのかな」
瓦礫を蹴飛ばし、黒い空間には爛々と輝く瞳が二つ浮かび。
「ねぇ、レオン、シェリー」
仄暗い部屋の底から。
金色の髪、白い外套、狂気に彩られた目。
右手の刻印を晒しながら。
十一人の「星付き」が一人“月”、人々が“月の毒”と畏れる。
菱木要次郎が、現れた。
彼の問いに、誰も答えられない。
金広も、桃瀬も、顔色を青く染め、目すらまともに合わせられない。
「僕は信頼していたんだよ。レオン。有望な人員だと思っていたが……どうした? まさか僕が間違っていたのか」
「……ぁ、いえ、その、も、もうすぐ……」
「君は主と話す時にも矛を突きつけるのかい?」
はっとして、慌てて【炎熱槍】を消す。
菱木はゆっくりと彼に近付き、にっこりと笑った。
恐る恐る、金広は菱木を見上げる。
腹を蹴られた。
長い足から繰り出される蹴りは、彼の膝を折り苦しませるには十分過ぎた。
「なんだいこのザマは……虫だのウジだの散々見下していたじゃないか。それに苦戦する君は一体何者だ?」
「がぁッ……ち、違うんです……ミハエル様。仲間を連れてきたみたいで、あ、あの男が二つ持ちで……」
蹲る金広を足蹴にしていた菱木は、ぎょろりと首を捻り。
こちらを見た。
「知らない顔だね。あんな二つ持ちがいたっけなぁ。ねえ、氏家くん。そいつは誰だい?」
問いかける菱木要次郎。だが、僕は。
そんな彼の質問に答える余裕なんてなかった。
壊れた壁の奥。
立ち込める血潮の臭いの先には。
久世さんが、鎖で繋がれていて。
「……んだ」
「ん? なにか言ったか氏家?」
「……なんだ、あれは……久世さん……の、あれは」
「あれ? いやいやそのまんまだよ」
彼女は、目を閉じぐったりとしていて。
「【ポーツ】と【テレパス】の二つ持ちなんてレア中のレアだからね。これからいくらでも生産できるように晴佳は生かしておかないといけない。だから緻密な人体のパーツの中でも、最も無駄な部位を選んであげたんだ」
ここの光が差し込み、はっきりと見える。
彼女の上半身には粗末な布がかけられているだけで、その下は裸であり。
「アスバデンの止血剤をたんまり使ってあげたんだけれど。早いとこ【バイオス】の団員に塞いで貰わないといけないね」
その下は赤黒い肉が露出していて、見るだけで喪失感が広がっていって。
「お陰でいい素材が集められたよ。顧客も喜ぶだろうさ、純度が高くできるからね。なんたって」
彼女の――久世さんの――僕の好きな人の、身体の、中心についてるはずの。
「両方の乳房を切り取ったんだ。上手く精製できないはずがない」
二つの胸の膨らみが、無くなっていた。
自分でも分からない。
その感情に名前が付けられない。
後悔とも激情とも不甲斐なさとも喪失感とも失意とも悲哀とも無感情とも、違う。
何だ、これは。
叫ぼうと思った。何か声に出してこの気持ちを発散させなければ壊れると思った。
だけど僕は何も出来なかった。
何も。
なにも。
なにも。
「ま、あとは仕上げだけだね。あれだけの血と肉があれば、すぐにでも」
そして菱木は、嬉しそうに。
「【A-ドラッグ】を作れるよ」
そう続けた。




