L-突入
赤月鈴寧は久世さんの親友だ。僕らは彼女に強力を求めるが、剛直な態度で突っぱねようとする。だが僕はもう引くわけにはいかない。命はいらないということを、言葉じゃなく態度で示した。そして成瀬は約束する。「必ず帰ってくる」と。彼女が提示した、とてもシンプルな作戦。月光会との戦いが、始まる。
どうも体調がおかしいな、と赤月鈴寧は訝しんだ。
ぴんと伸ばした小指を覗き込みながら、彼女は首を傾げた。
不思議な熱を持っているのだ。
思い当たるフシなんて一つしか無いが、それにしてもおかしな変化だった。
その小さな温度が、掌に伝わり、そこから腕に胸に全身に広がっていって、何故だか妙に心地よかった。
――必ず帰って来て、話しをしよう。
カッコつけやがって。
嫌な奴だ。
「あ、ええと、すみません。入部希望の方ですか? すみません、今マスターが立て込んでるみたいで、できれば後日また来て欲しいんですが……」
声がかかったので、顔を上げる。
そこには、洋館を悪趣味に着飾ったような月光会の本部があって。
正面口前に佇んでいたリーダー格のような男が、実に申し訳無さそうにそう言ってきた。
ちらりと見渡すと、いつもよりも多くの団員が正面を固めている。
お揃いのマントに身を包んで、にこにこと眩しい笑顔を向けている。
鈴寧は、彼らを一瞥するだけで、感じ取った。
――雑魚ばっかりね。
「雑魚ばっかりね」
「はい?」
やれやれと、溜息をつきながら、腕を組む。
「あなた、ここのリーダー?」
「あ、私ですか? そうですね、一応、新入部員などの管理を任されておりますが――」
「赤月鈴寧」
彼女は自ら名乗った。
その名を聞き、それまで朗らかな笑顔を崩さなかった男が。
目を見開き、あんぐりと口を空けた。
「あ、赤月……って、その」
「ここを潰しに来た」
鈴寧は――笑っていた。
口の端を愉快げに歪め、ゆっくりと腕を解いていく。
ざわりと、彼女の胸の奥が騒いだ。
「き、緊急事態! お前ら、今直ぐこいつを取り押さえ――」
遅い。
「【キネシス】」
「ヒョッ」
鈴寧の目が赤く光り、力を放った瞬間。
男は無惨にもひしゃげた。
全身余すところ無く圧迫され、身体が等しい倍率で縮小されてしまった。
目から血の涙を流し、ばたりと地面に倒れる。
事も無げに人間を圧縮せしめた鬼女は、そんな憐れな姿をさも無関心な表情で見ていた。
「囲め!」
と、気が付けば。
鈴寧をぐるりと取り囲むようにして、その場にいた団員達が集結していた。
全員、手を女に向け、臨戦体勢を崩さない。
赤い目の魔女は、それらを横目で見やった。
「……愚かな雌犬だ」
その輪の外から、低い声を響かせながら、男が入ってくる。
この男も同じく、団員の証であるマントを羽織っているが――他の者とは明らかに雰囲気が違った。
まず頭髪が一切ない。水鏡の如く真夏の日差しをきらりと跳ね返している。
そして何よりも常軌を逸しているのがその体格であった。
二mは優に超える偉丈夫であり、袖から覗く腕は鋼のように引き締まっている。
男が中央へ進み出ると、団員達は、皆示し合わせたように、静かに手を降ろした。
岩石のような顔面は周囲を否応も無く威圧し、中央の白い目でじろりと足元の女を見下ろす。
赤い目の女は、負けじとこちらを睨み返していた。
偉丈夫は、鼻を鳴らして首を振る。
「赤月鈴寧。聞いておるぞ。ミハエル様が直々に指名された要注意人物だ。まあ、あの方に「要注意」などと用心されることは名誉なことだとは思うが」
男は、不敵な笑みを浮かべる。
「ハハハ! こんな小娘だとは思わなんだわ! ――いやいや失敬。私は女を丁重に扱うことを信条としているのでね。謝るのならば見逃してやってもいいと考えておったが」
ひょいと屈み、むんずと何かを掴んで掲げた。
男が片手に掴むは……先ほどのひしゃげたリーダーだった。
「これはやり過ぎだ。おめおめと返すわけにはいかんくなってしまった。……だがまぁ、チャンスをやろう」
持ち上げたリーダーを、男は無碍に放り捨てた。
その腕を前方に構える。
土を踏み、腰を落とし大きく息を吸った。
清凛な闘気が、男の全身から満ち満ちていく。
「【超能拳法】二之型――“落葉”申し訳ないが、私は二つ持ちの中でも努力を惜しまなかった方でね。【バイオス】と【キネシス】を組み合わせた超常の拳は、今や森羅万象を砕くまでに至った。……ククク、いい目だ。その負けん気に免じ、私との決闘を許可しよう」
胸の前に二つの腕を置き、低く落とした腰は引き絞られた弓矢であった。
彼の構えは、完成されていた。
さながら高名な芸術家が手ずから完成させた彫刻品のようであり、まるで隙が見当たらない。
「もし私に打ち勝つようなことがあれば、ここからの逃亡を許そう。勿論彼らにも手出しはさせない。その代わりといってはなんだが……私は女性には優しいが、勝負となれば容赦はできないのでね。全力で行かせてもらう」
不遜とも言える男の口調だったが、その言葉に嘘は無い。
対峙するだけで理解できる、圧倒的な力量。これまで積んできた努力と技倆の分厚さこそが、彼の力量として表れていた。
鈴寧は動かない。それもそうだろう。こんなにも濃厚な闘気に当てられ、動ける筈もない。
「エルド様……!」
その場を囲む団員から、不服げな声が漏れた。
が、エルドと呼ばれた男のあまりに鋭い眼差しを見ると、その不満も彼の厚みの中に飲まれてしまう。
曰く「邪魔立てをするな」
誰が言うでもなく、無言の圧力はそう語っていた。
じゃり、と。地面を踏みしめ間合いを調節するエルド。
「“破魔鋼拳”のエルド――いざ尋常に」
研ぎ澄まされた刃物の如く。エルドの台詞は身を引き裂くようで。
足腰の筋肉が盛り上がった刹那。
「――魔を砕かん!」
猛虎のような勢いで持って、眼前のか弱き獲物を狩らんと飛びかかる――。
「あれ?」
はずだった。
筋肉は依然盛り上がっている。
【バイオス】も身に纏う【キネシス】も正常に作動している。
にも関わらず。
男はその場から一步も動くことが叶わないでいた。
「あれ? あれ? あれ?」
何度も何度も。足を動かそうと腕を振るおうと藻掻いてみるが……まるで身体が動かない。
じたばたと全身を震わせようとしても、まるで力が入らないみたいであり。
先ほどのまでの威勢を猛虎と称するならば今は籠の中の猫であった。
その様子に、団員達もどよめく。
「な、な、なんだこれは! 面妖な術を……貴様! 一体何を……!」
この牢獄から逃げようとエルドは顔を真赤にして藻掻くが、状況はまるで変わらない。
対し、目の前に立つ赤目の女は。
とても暇そうに爪を弄っていた。
「おい! 貴様! 赤月鈴寧! これは一体如何なる技を……!」
自分の身体は全く動かない。
この剛健な肉体を止めるとなると、そういう暗示を受けたとしか考えられない。
ということは、つまり。
この女は【キネシス】と【テレパス】の二つ持ちである可能性が高いということか……。
……舐めた真似を!
その優れた【キネシス】と我が拳の血肉沸き踊る決闘を期待していたのにも関わらず。
この女は【テレパス】なぞという邪法でもって聖なる戦いを穢した。
エルドは、そう思考した後、かつてない怒りへと至った。
「おい! お前たち!」
その美しい構えのまま、エルドは咆哮する。
「感応妨害機構を使え!」
団員達は顔を見合わせる。
【テレパス】の効能を阻害する装置を使えとのお達しだが、ついさっきまで「邪魔するな」と勇んでもいたので、どうすればいいのか分からなかった。
「いいから!」
エルドの「いいから」に後押しされ、慌てて一人の団員がマントの内側からエレメンタルジャミングを取り出し、スイッチを押す。
不快な高音が響いた。
――これで万全。
エルドはニヤリとほくそ笑んだ。
「さてさて。味な小細工をしてくれたようだが……勝負はここからだ、お嬢さん。もう私は己自身を止められそうにない。弾みで殺してしまうかもしれんが、まあ無事生きていることを祈っているよ」
再び闘気を充填させる。
そうさこれで万全。下手な小細工などいらぬ。
脚に力を込め、目標を狙う。
「それでは、赤月」
じゃり、と。地面を強く踏み。
「さよならだ!」
もう一度全身全霊を持って、女へと飛びかかる――。
「あれ?」
だが。男は二度も。
その場から動くことが出来なかった。
「……アハハ。はい面白かった」
爪を見ていた鈴寧が、その目で。
爛と光らせ、エルドを覗いた。
その途端。男の肌という肌から、冷たい汗が流れる。
「……なんだこれは。て、【テレパス】では無いのか!? だから私は動けなくて……」
無駄だと本能で理解しつつも、男は藻掻きながら鈴寧に抗議をするが、全身が壁に包まれたようでまるで動かな――。
壁のような?
そして男は、更なる汗を流すことになる。
まさか。
「……こ、これは……まさか」
鈴寧は、とても興味が無さそうに、男の様子を眺めていた。
このべったりとした、超高密度の海に投げ込まれたような感覚。
あの男をひしゃげさせた力。
「これは全て――全て」
そんな馬鹿な。あり得ない。
人を、しかも筋骨隆々たる我が肉体を余すところなく包んで、しかも身動ぎさえさせない程の念量の。
「【キネシス】で私を包んで……?」
至極単純な話。小細工でもなんでもなく、ただ力が余っていたから全て飲み込んだだけ。
馬鹿な。そんな話があるだろうか。
包むだけなら簡単だ。【キネシス】ホルダーならば誰にだってできる。
だが一指すら満足に動かせぬほどの、ここまで濃厚な念量となると――異常。
「お、お前らァ!」
もうなりふりなんて構ってられなかった。
エルドは思いっきり叫び、者共に指示を飛ばす。
「い、今直ぐこの悪魔を攻撃しろォ! いいから! 早くしないと間に合わないぞォ!」
その必死の形相に、団員は訝しげながらも、再び手を構えようとするが――。
手が上がらない。
誰しもが、その現状に愕然とし。エルドの顔面は蒼白となった。
「全団員を包むほどの【キネシス】……?」
エルドだけならばいざ知らず。
この魔女は全員拘束せしめるほど力を、いとも簡単に披露した。
莫大だとか、膨大だとか、そういういレベルでは無かった。
大海の如く尽きないチカラ。
【テレパス】だとか小細工だとか、そういう次元ではなかった。
遥か向こう側にいる存在が、戯れに力無き者と遊んでいるだけだった。
向かい合った時点で負けていた。
どれほど自信に溢れた拳でも、振るえなければ意味が無い。
「……悪いけどさぁ」
見ると、鈴寧の長い髪は不可視の力で持ち上がり。
瞳は鮮血で染め上げたかのように真っ赤に染まっていて。
その姿は、神話に登場する悪神のそれであった。
「楽しいんだけど、あんまり遊んでる暇は無いから」
「き、貴様らぁ! なんとかせんかァ! 【テレパス】でも【ポーツ】でも【バイオス】でもなんでもいい! 奴を、あの化け物を止めんか――」
特記能力者。要注意人物。ブラックリスト。危険な存在。悪魔化物魔女。
そんな名誉を背後に従え、女は、にっこりと凄絶な笑みを浮かべ。
真っ直ぐに手を伸ばした。
見えない球を握っているかのようであり。
開かれた手は今にも閉じようとしていて――。
「止めてくれえええええええ!」
「さよならだ」
ぐっと。
虚空を握りしめた。
と同時に。
彼女の三百六十度に展開していた者達は、一斉に。
「クギュ」
バキンと骨を折り。
圧迫されひしゃげ、宙に浮かびながら目から赤い涙を流した。
「……さてと」
そして彼女は、実に面倒臭そうに正面口を見やる。
「月光会」の中から、口々に何かを叫び合いながら、団員達がわらわらと出てきたのだ。
彼女は、ふうと溜息を吐く。
【キネシス】を解除し、浮かせていた者達を地面に落とした。
敵の援軍を見やりながら、彼女はそっと、小指を触る。
私の使命は、とりあえず。
ここで思いっきり暴れること。
それでいいのよね、成瀬、氏家。
そうだ。とっても簡単な話なのだ。
こうして雑魚と遊んでいるだけで、あの二人が晴佳を助けてくれるという、簡単なお話。
しかし彼らを信じていいのか。このまま先行して中に突入するべきではないのか。
……いや。私の【キネシス】と“月の毒”は相性が悪い。
それに、あいつは。
小指は、まだ、ほのかに温かく。
私に約束したんだし。
そして彼女は、敵共を睨み、笑った。
「さあ来なよ……。遊んであげる。晴佳の痛みを、思い知るといい」
……………………
「あ、赤月鈴寧が!?」「ああ、今本部がヤバイらしい。とにかく増援だ! ミハエル様のお手を煩わせるな!」「行くぞ!」
そんな慌ただしい会話の後、離れを固めていた団員達は本部の方へ駆け、去っていった。
「……行ったようだ」
「みたいだね」
偵察虫を吸収し、そう伝えると、成瀬は頷いた。
近くの木陰で、僕らはボロ小屋に人員がいなくなったことを確認する。
赤月の陽動は上手くいっているみたいだ。あの様子だと、しばらく戻ってこれないとは思うが。
「何時戻ってくるか分からない。突入するなら今だ」
「……則明」
「入って前にある本棚をずらせば、本部へと通じる隠し通路が現れる。多分、緊急事用の脱出路なんだろうけど……ははっ、逃げなきゃならないようなことなんて、何をしているんだろうね」
「則明!」
成瀬の強い声に、僕は我に返った。
気が付くと、彼は僕の手を握っていて。
震える僕に寄り添ってくれていた。
「……ごめん。その、やっぱり、少し、怖くて」
あの小屋を見るだけで、思い出す。
桃瀬さん。地下通路。金広。石動。久世さん。菱木。裏切り。炎。爆発。貫かれ嘲笑われ壊され裏切られ裏切られ裏切られ。
止まれ。止まれ止まれ止まれ。
こんなところでビビってる場合じゃないんだ。震えるな。
止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ!
止まれ!
「……怖いのは仕方がない」
呼吸を荒くする僕に、成瀬は。
更に強く、手を握ってくれた。
「則明。だけどね、それは弱さじゃない。約束すら守れないのが弱さだ。もう一度、よく考えてくれればいい。君が嫌う弱さを」
何故だか。彼の言葉は心に染みこんできて。
僕はゆっくりと、肺の濁った空気を吐き出した。
そして、決意の籠もった目で、成瀬を見返す。
「行こう」
不思議と、震えは、止まっていた。
小屋の中はもぬけの殻だった。
ここまでの無防備さは、僕がここの存在を知っていることなんて、放ってかれているということなんだろう。
なめやがって。
僕は素早く棚をスライドさせ、階段を出現させた。
もう一度、誰もいないことを確認し、地下へと下っていく。
降りた先は、同じ薄暗い通路だった。
遥か地上の方から、わあわあと騒ぎ立てる声が聞こえる。
赤月が気を引いてくれている内に、早く。
僕と成瀬は通路を走り、両側の扉を確認していく。
しかし、どこにも人のいる気配はない。
そのまま進んで行くと――あの突き当りまで辿り着く。
ここまでは誰もいなかった。となると、いるとすれば。
僕は思い切り、扉を開けた。
僕を拷問させたあの部屋は、だが誰もいなかった。
無機質な電灯がついていて……奥の扉を照らしている。
あの向こうに、久世さんが。
僕らは、そこへ行こうと一步踏み出した。
が、そこに。
中央の扉が、蹴破られ。
目の前に、憤怒の形相で僕らを見下ろす。
金広がいた。
「……この騒ぎはお前か」
彼の手にはクラフト【廻刃】
目は怒りの火が揺らめいている。
だが――僕はもう、ひるんでいる暇なんてなかった。
「……金広」
「ウジィ……。ほんっっっとうに、君は愚かだ。助かった命を再び放り投げようとしている。……仲間を得たようだが、それで君に何ができる? もう全て遅いさ」
「僕は」
虫ケラのように扱い。
殴って、蹴って、燃やして、奪って。
そんな何者かになりたくないと思っていた。傲慢で強欲な人間になりたくないと思っていた。そんな王なんてごめんだと思っていた。何も選びたくなかった。
だけど。もう。今は違う。
常に僕の上にいた男に、立ち向かうように。
「君を超えて、彼女を救いに行く」
「ハッ! この期に及んで戯言か! ……僕には君が理解できないよ。気でも狂っているのかい? 殺していいとのお達しだ! 本気だよ。お前みたいな弱者幾ら殺したってうじゃうじゃどこでも湧いてくるんだ! ぶっ殺すよ、ウジ」
灼熱のような殺意を叩きつけられたが。
僕は、真っ直ぐに受けて。
「死んでも、いい」
彼の、後ろを指さして。
「あの子を助けられるなら」
答えを返した。
恫喝が効かないとなるみて、金広は肩を竦めた。
「だ、そうだよ。どうするね、シェリー」
そして、背後から現れたたのは。
「んー、そうだねー」
月光会のマントを羽織った、桃瀬悠々子。
その惚けた口調とは裏腹に。
彼女は手を、僕らに向けていて。
「ま。殺しちゃえばあの世で考えも変わるでしょ」
そう、冷たく言い放った。
いつでも容赦なく、その力は僕らを吹き飛ばさんとしていたが。
くつくつと。
成瀬が笑い。
「桃瀬さん、だっけ。それは名案だ。けどね」
首を傾げる桃瀬に対し彼は。
「それをさせない為に、僕がいる」
そう言って、拳を振りかぶった。
「……あなた誰ですかぁ?」
不快感を露わにしながらも、彼女の手は僕らに向いていて。
金広は、手の武器に力を注いだ。
「【双炎槍】」
【廻刃】を起動し、とぐろを巻く炎が刃を成した。。
誰しもを寄せ付けぬ圧倒的な熱に、僕は踏みとどまる。
……ここで倒れるわけには、いかない。
この地の底にて。
僕らは互いを睨み、向かい合い、力をぶつけ合い。
己が信念を貫き通す為に。
今。
思いが。
激突する。




