K-友達
僕はようやく前へと歩くことができた。壁の外からやって来た成瀬に、ここの世界での知識を与える。彼の異常すぎる力について、どれほど丁寧に説明したって、伝えきれるものではない。だけど、そんなことに怯えている場合じゃない。もう僕は、見失わない。
風が私の髪を撫でた。
気にせず、目の前をじっと睨む。
大量の【キネシス】で光を屈折させ、即席のレンズを作る。
そこには、ある棟の正面玄関が映っている。
解像度が低く、ぼやけた風景が緩慢に動いていた。
顔までは分からないが、着ている服くらいは、わかる。
小奇麗な『御舟』の制服に。
馬鹿みたいに同じ模様のマントを羽織っている。
「月光会……」
私がいながら、情けない。
晴佳は間違いなくあそこに囚われている。なんとしてでも救いに行かなきゃいけない。
しかし、晴佳がいるということは、同時に“月”もいるということであり――。
やはり、兄様の力を借りなければならないのか。
だが、いくら親族と言えど「傭兵」の貸しはでかい。ならばどうする? お父様か? いや時間が掛かり過ぎるし、私の力になってくれるとは限らない……。
……まあ、まずはそんなことより、か。
私は、溜息をついて、呼んだ。
「ねえ」
しばらくして、観念したように、屋上の扉が開く。
強張った表情で現れたのは――いじめられっ子の氏家則明。
そして、隣に立つのは、見知らぬ男子生徒だった。
まあ誰だって、興味無いけれど。
「ここ、女子寮なんだけど? 今なら騒がないであげるから出てってくれない?」
こんなバカに構ってるってだけでもどかしい。
そもそもをただせば、こいつが原因で晴佳が囚われたようなものだ。
勝手なもので、だんだん腸が煮えくり返ってくるので、顔すら見たくない。
再び、レンズの光景を監視する。
「……赤月、さん」
とっくに出てったもんだと思ってた男から、名前を呼ばれた。
無視しても、きっとこの調子で呼んでくるだろう。
私は、怒りを抑えながら、肩越しに彼を睨んだ。
「聞こえなかった? 私は今忙しい。私はあんたが嫌い。喋りかけないで顔を見せないで。どう? 満足?」
「力を、貸して欲しいんだ」
このアホは何を言ってるんだろうか。
そんな緊張した顔で。言うことだけは大きくて。誰が原因でこうなったのか、分かってって言ってるんだったらお笑いだ。
いや笑えやしない。
「……どういうつもり、かな」
また、びゅうと強い風が吹いた。
「秋桜寮」の屋上は、酷く寒い殺気で溢れた。
「ジョーダンで言っちゃったんだったらそう言いな。あのね、私は今とても怒ってる。弱虫のあんたのせいで、晴佳がどうなってるかわかってる? そしてまた「足を引っ張らせてください」だって? 今ここで殺してやったっていいんだよ。氏家、てめえにできることは、部屋の隅に蹲ってがくがく震えてることだ」
ざわり、と胸の奥が騒いで。
身体中の【キネシス】が溢れた。
髪の毛が浮き上がり、目が赤く変色していくのがわかる。
異貌と化したこの姿を見て、びびらなかった奴なんかいない。
氏家、あんたは「赤月の家」を舐めすぎた。
骨の髄まで恐怖を擦り込んでやろう。
鬼の姿で、氏家に近付く。
それで慄いて逃げてくれればよかった。
だがこいつは。
あろうことか、この私に向かって。
一步前へと踏み出した。
「は?」
「……赤月。悪いけど、僕はここからどかない」
彼は、手を伸ばして。
また一步、私に近付いた。
「誰が悪くたっていい。僕が弱くてもいい。ただ、久世さんを助けたいんだ。彼女の味方は、赤月。もうあと君しかいない。お願いだ――この手を取ってくれ」
「は、はあ!? なにアンタ? キモいんだけど!? いいから消え失せろ!」
「君の力が必要だ。赤月が手を握ってくれるまで、僕はどこにも行けない」
また一步。
どの口がそんな偉そうなことを言うんだよ……!
どうせ、私が何にもできないとでも高を括ってるんだろうが。
「――寄んなっつってんだろ虫野郎!」
手を振るう。
【キネシス】の刃や波が、氏家の近くの床や柵を砕く。
石礫が彼の頬を切り裂いた。
だが、氏家は歩みを止めない。
また一步。しっかりとコンクリートに踏み下ろし、距離を縮める。
「桃瀬さんは、久世さんの友達じゃなかった。楽しそうに笑い合っていた思い出が、全部嘘だなんて思いたくない。……だけど、君も嘘だったのか?」
――悠々子に近付かないほうがいいよ。
――やばい匂いがする。
忠告したけど、晴佳は。困ったように笑って。
――でも、なんだかんだで、今は楽しいし。
「……あんたに」
この男は。
触れていはいけない部分に触れやがった。
「私らの、何がわかるって言うんだよォ!」
目の前が真っ赤に染まって。
唐突な激情に駆られ、全神経が自動で一番効率のいい殺し方を選び。
気付けば腕は振り上げた後で。
【キネシス】の凶刃は真っ直ぐに、氏家へと吸い込まれ――
あ。
殺しちゃった。
血飛沫が飛び散り汚い内臓が零れる、はずだった。
超常の力が牙を向ける寸前に、私と氏家との間に入った男が、それを阻止していた。
腕を、触手の如く蠢く物体に変質させて。
【キネシス】の膜を張って、私の全力の攻撃を見事に防いでいた。
擦過による熱で、しゅうしゅうと煙を昇らせているが――死んでなんかいない。
「え……?」
事態が飲み込めなかった。
赤月家が三女、この赤月鈴寧の【キネシス】を。
やすやすと防ぎきる……だって?
二つ持ち? いやこれはもっと異常なやつだ。
目の前のあり得ない現象の整理が追いつかない。
そんな中、その男は。
氏家の手を取り
つかつかとこちらに向かって歩いてきた。
やっと気付いた時にはもう遅く。
そいつは、私の手をがっしり握った。
力強く、でもしなやかでもあって、ほのかに温かい男の子の手だ。
「――ってえ? いや、ちょ! あ、あんた勝手に私の手を!」
「約束だね」
「は!? ……あ」
じたばたしていると、いつの間にか私の手は。
無理矢理、氏家の手と握手をしていた。
「赤月が手を握ってくれるまで、っていう約束だよね。これで無事、利害が一致したってことでいいのかな」
「……おい!」
そいつは、小さく首を傾げた。
「そう則明が言った時、君は特に否定しなかったよね。僕はよくわからないけど、君は約束を反故にして平気なタチなのか?」
「約束って、そんなんした覚えなんてない――つうか、あんたは誰なの!?」
「あっ……そうか、ごめん。僕は成瀬祐城」
「そうじゃないわよ! ああもう、狂わされる! とりあえず、この手を放して!」
「赤月」
ぎゃあぎゃあと騒いでいると。
氏家が、震える声で、だけどしっかりと。
「成瀬の力はわかっただろう? 僕らは久世さんを救いたいという思いで一致している。久世さんは僕の命に変えても連れ戻す。……それじゃあ、駄目かい」
私は、黙ってこいつの目を見た。
昨日まで、あれほど弱くて、情けなくて、気持ち悪い男だったけど。
今の彼は、目の奥に、小さな炎が揺らいでいて。
「……命に、変えても」
氏家の言葉を、もう一度繰り返す。
握っていた手を、勢い良く振りほどく。
振り返って、柵にもたれ掛かり、月光会の方を見やる。
「……私はさ」
どうして私は、こんな話をしているのだろう。
「自分の中に鬼を飼ってる。開発の度に同級生がキャーキャー悲鳴上げて、全員ビビってた。家柄に惹かれて寄ってくる子もいたけど、結局はすぐに他の、優しい権力者のところへ移っていった。だから、そんなもんだと思って、色々諦めてた時に、晴佳に会った」
――私が怖くないの?
女子特有の裏切りに出会っていて。
多分、その時の私は、冷たく濁った目で、晴佳を睨んでいたと思う。
だけど晴佳は、笑い飛ばすみたいにして。
――なんで? そんな可愛いのに。
きょとんとしていて。
怖がらせてやろうと、鬼の姿になって。
――下手すりゃあんたも、死ぬよ。
赤い目の、莫大な念量の【キネシス】を見て、晴佳は。
くすくす笑いながら。
――命がけの友情っていうのも、悪く無いね。
こんなのは、誰にも語る必要もない話。
同情されたいのか? 理解されたいのか?
「……いや、止めよう」
なんでもいい。
晴佳を救うっていう事実さえあれば、誰が、とか。何で、とか。
そういうんじゃ、なかった。
「あんたが何者とか、とりあえず今はいい」
利害の一致、か。
「……晴佳を助けにいく」
そう、呟いた。
その途端、二人は顔を見合わせ、表情が喜びに満ちていく。
「そ、それじゃあ、早速作戦なんだけど」
「作戦?」
氏家の呑気な言葉を聞いて、思わず私は笑ってしまった。
「そんなのいらないわ! あはははは! 簡単なことなのに!」
「……簡単?」
「離れに隠し階段があるのは知ってる? ――そう。それじゃあ良かった。話が早い」
私は、妖艶な笑みを浮かべ。
「じゃあ、善は急げね」
簡単に、それからの行動を話し合った。
「それじゃあ、健闘を」
あとは私のやるべきことをやるだけ。
さっさと別れようと思い、階段を降りようとすると。
「赤月」
成瀬が私の肩を掴んだ。
また邪魔をしてくる彼を、じろりと睨む。
「……なによ」
「忘れ物だ」
彼は、す、と。
小指を伸ばした。
「は?」
「約束だ」
成瀬は、にっこりと笑い。
「必ず帰って来て、話しをしよう。そういう約束だ」
「……は、はあ!?」
不覚にも。
成瀬の、謎の自信に溢れた、端正な顔とセットで見ると。
この不意打ちに、どぎまぎしてしまって。
「ば、ばかじゃないの!?」
思わず、そう言ってしまって。
耳まで赤くなってきたのがわかってきて。
「赤月?」
「……ッ! ほら! もう! これでいいんでしょ!」
無理矢理小指を絡め、ぎゅっときつく握って、離した。
そして、成瀬に指を突きつけて。
「成瀬祐城! 私はあなたに興味があります。あんまり深くは聞かなかったけど、その力はおかしい。だから、帰ってきてちゃんと話を聞かせなさい! 以上!」
そう言い捨てて、私は階段を降り、【キネシス】で扉をばたんと締めた。




