J-「星付き」
そして彼は現れた。ずたぼろにされ、今にも殺されるところだった僕を。絶対的なパワーでもって、颯爽と助けた。僕は弱音を吐く。どうして死なせてくれなかったのだと。成瀬は言う。君の罪はそんなところに無いんだと。手を差し伸べた彼は言う。「僕は君の剣だ」と。初めて掴む力は、全て。君が為に。
「やっほー! ねえねえあなたさっき入学したばっかでしょ? わたしもこないだ入ってきたんだー。これから五年、仲良くしようよー」
入学して早々、妙に豊満な身体の女生徒が話しかけてきた。
『御舟』は覚醒した者を片っ端から放り込んでいくので、入学式といったものはない。
指示された建物がわからず、きょろきょろとしていると、この子が話しかけてきた。
「ねえねえ、あなたお名前はなんてゆうのー? わたし? わたしは桃瀬悠々子でー」
「近付かないで」
冷たく、そう言い放った。
きょとんとする桃瀬さん。
「菱木の家の使いでしょ。そういう嘘はやめて」
そうやって、笑顔の下に悪意を隠して、近付いてきて。
とにかく腹ただしかった。
私はそのまま、立ち去ろうとすると。
桃瀬さんが、下唇に指を当てて、んーと声を出し。
「その態度は良くないよー」
足が止まる。
目の前の桃瀬さんは、首を傾げて。
「嘘でもいいから仲良くしよ。じゃないとー、下手すりゃ殺されるよー」
にへっと笑った。
「よろしくね、はるるん」
……………………
目を覚ますと、そこは薄暗い部屋だった。
微かに臭うのは、こびりついた血と体液の残滓。
身動ぎすると、腕の鎖がじゃらんと鳴った。
「【ウェイズ】」
と、誰かが囁くと。
ぱぱぱぱ、と、小刻みな爆発が起きた。
床に落ちるのは、小さな蚊や蝿。
「……しつこいやつだよねー、ほんとに」
手を降ろしたのは――見間違える筈もない。
彼女は、こちらを見ると、えへっと笑った。
「おはよー」
桃瀬悠々子は、なんとも場違いな笑顔で、挨拶をした。
「あー、あんま動かないほうがいいよ。悪さできないように、がちがちに止めてるからさ」
試しに指を曲げようとするけど、鉄板みたいなものに挟まれていて、見事に動かせない。
しかもご丁寧に「鉛」を使ってくれているから、【ポーツ】で逃げようなんて望みは一縷も無い。
「わたしさー。はるるんはもっと頭のいい子だと思ってた。だけど馬鹿だったね。ひし……ミハエルさんの名前勝手に使ってさー。レオンとブラートをいいようにしてたんでしょ?」
似合わないマントに着せられた悠々子は、飽きられような溜息をはいた。
「結局ばれちゃって、折檻されてさ。そんで氏家くんに邪魔されるわ、裏目裏目だね。まあ、もしこの後、生きてたらまたよろしくね」
おどけながら、ひらひらと手を振る。
何か言い返そうとした、その時。不愉快な鼻歌が聞こえた。
台車を走らせるような音と共に、それはだんだん近付いてくる。
ドヴォルザークの「新世界より」
そんな気障な口笛を吹くのは、一人しかいない。
痛々しい軋みを上げ、前の扉が開いた。
そこには当然のように菱木がいて――彼が押している台車には、様々な用途に使われるであろう器具が鎮座していた。
「やぁやぁ! 晴佳、ご機嫌麗しいかな? すまないね、少し準備に手間取ってしまったよ。だってね、これは「月光会」にとって、とても重要な案件だ。失敗してしまったら、勿体無いじゃないか」
気持ちよさそうにぺらぺらと喋る菱木要次郎。隣であれほどへらへらしていた悠々子も、彼の前では恭しく頭を垂れている。
「ああシェリー。頭を上げな。引き続きここでの警護を頼むよ」
「――はい」
「ま、特にやることなんて無いだろうけどね。外では二つ持ち君が守りを固めてくれているからね。全く、他の奴らと言えば、無情にも帰省してしまうんだからなぁ」
台車の上の、メスや鋏を、丁寧にアルコールで殺菌している。
ライトを灯し、磨いた器具を覗きこんでは、その輝きに満足し、トレイに放り込む。
交響曲が、室内で反響して、耳に刺さる、
「さてさて」
一通りチェックし終わった菱木が、私に向き直った。
「こちらは万全だ。時間も惜しいからね。それじゃあ、晴佳」
鋭い器具達を携え、彼は、にたりと残忍な笑みを浮かべ。
「覚悟はいいかな?」
私は、彼には答えず。
「……悠々子」
「うーん?」
ちょこんと首を傾げる悠々子。私は、彼女に。
「私とあなたって、友達?」
そう聞いた。
悠々子はいつもの癖で唇に手を当てて。
「友達っていうかー」
うーん、とひと悩みしたあと。
「お目付け役?」
そう言った。
……………………
「……本当に何も知らないのかい?」
僕は再度、成瀬を問い質した。
答えは、沈黙と首肯。呆れというか、恐怖というか、複雑な心境が渦巻き、目眩を起こしそうになる。
「本当に記憶が無いんだね……。幼稚園児ですら知ってるようなことだけど。でも、だから誰もわざわざ教えようとはしなかったんだろうか」
成瀬は、気恥ずかしそうに頭を掻いた。
何から説明すればわかってくれるだろうか。
彼が、どれほど常軌を逸した存在であるかということを。
「――まず、世間で超能力と呼ばれている力は、ここでは「六法」と呼ばれ、区分されている」
「六?」
オウム返しに呟く成瀬に、僕は頷く。
「【バイオス】は身体をコントロール、強化する。【テレパス】では、簡単に言えば精神に干渉することができる。【キネシス】は不可視の力場を発生、制御し、【ポーツ】は空間や移動を司る。【ウェイズ】は……ややこしい定義があるんだが、まあエネルギーを発生させるものと考えてくれて構わない。ここまではいいかい?」
みすず寮の屋上で、給水塔の陰に隠れながら僕らは講義を続けた。
「これら六法に目覚められるのは、十代から二十代の間で、全体の三割ほどが覚醒できると言われている。稀に高齢の人が覚醒したりするけど、まあそれはいいとして。そこでだ」
成瀬の、端正な顔をじっと見ながら。
「その三割の中でも、六法の内二つを扱えるのは二割もいない。彼らは無条件でレベルⅡ待遇になり、天才と囃される。人類のたった五%が二つ持ちと呼ばれ恐れられているんだ。わかるかい、その意味が」
「五%……」
彼は、己の手を、じっと見つめた。
「二つ持ちが、上限かい?」
「……いや」
質問に首を振る。
「勿論その上もいる。三つ持ちはほぼ最高クラスのレベルⅢを与えられ、実力も軽く二つ持ちを超えるが……いいかい? 二つ持ちですら「天才」なんだ。三つ持ちなんて、もうなんて称えればいいのかわからないさ。人数も極端に少なくて、この『御舟』にだって三人……いや、二人しかいない。生徒会長と、「星付き」様さ」
そこまできて、やっと言うことができる。
「成瀬。よりにもよって君はそれを全部持ってるんだ。全持ちなんて……お伽話でしか聞いたことがない。なあ、それには、どういう意味があるんだい?」
【テレパス】で語りかけてきた時、どうしても信じられなかったのに、それがあった。
さっきの圧倒的な念量だってそうだ。技術は拙かったが、潜在的なパワーだけで全員を圧倒していた。
自分でもわからないほどの力。そして細い糸を手繰り寄せ、導かれるようにこの学園へ来たという事実。
待ち構える答えは、どんな怪物の姿をしているのだろう。
「……怖くなったかい?」
そんなことを考えていると、成瀬が尋ねてきた。
僕は、「いいや」と答える。
「……剣を恐れようなんて、しないよ」
僕の答えに、成瀬は満足したみたいで、笑った。
「敵の事を知りたい」
それから、細々とした基礎的な情報を伝えると。
成瀬の方からそう申し入れてきた。
「「星付き」っていうのは、どういう奴らなんだ」
「……そうだね」
その時、一瞬だけ、菱木の顔が浮かんで。
嫌な汗が滲んだ。
「能力者の学園ということもあって、迅速な対応を取る為にも、この壁の中では超法規的な措置が認められている。特に今みたいな自治期間だと、生徒会が中心になって生徒を管轄する、っていうのは言ったよね」
頷く成瀬。
「生徒会は、さっきも言ったけど三つ持ちの会長を筆頭に、副会長、書記、会計、庶務の四天王が周りを固めている。また、その下にある委員会も同様で、三つ持ちとはいかないけれど、強力な委員長達が目を光らせている」
そこまで喋り、一息。
「それらはとても強い権力だ。言い換えれば凄く狭い世界での独裁が可能だったんだ。一昔前は、自由に会話することすらできない前時代的な世界だったらしい。だから生徒達は、生徒会に対抗する存在として「星」を創った」
聞いた話でしかないが、『御舟』ならば誰しもが知っている物語。
かつて、横暴を極めた生徒会と、それらに最後まで抗った十一人の勇者。
「天体になぞらえた名を冠する彼らは、激しい闘争の末に様々な特権を与えられた。始まりは、虐げられる生徒を守る為にあったものだけど――今はもう、そんな大義は失われてしまっている。星の名は、学内政治の道具に成り下がってしまった」
十一の「星付き」即ち
“水星”
“金星”
“地球”
“火星”
“木星”
“土星”
“天王星”
“海王星”
“冥王星”
“太陽”
そして――“月”
「決闘や後継によって代々「星」の輝きは後世に受け継がれていく。……だけど、彼らが照らすのは己の領域だけだ」
「星付き」が擁する数々の組織を想像し、身震いする。
「彼らは生徒会と同じ力を持っている。……僕らはその中で、最も狡猾で獰猛な「星」に挑まなくてはならない」
曰く“月の毒”
「月光会」が創りだした数々の利権は、単純な力以外で、多くの人々を鎖で繋ぐ。
そんな輩に、僕らは挑まなくてはならない。
そこまで話し終えたところで、学内に放っていた虫達が戻ってきた。
だが、放った時より数が少ない。
肌に下ろし、吸収する。
雑然とした情報が脳内で撹拌され、少しずつ整理していく。
「……やっぱり、菱木は月光会にいる。いつも以上の人員が、正面を守っている。離れの方もそうだ……。地下室の偵察中はみんなやられてしまったから、地下にいるんだろう。……どうしようか」
全持ちの成瀬に頼り、正面から突破するか?
いや、いくらなんでもリスクが高すぎる。それに、そんな正体不明の戦力が現れたとなったら、菱木が場所を移すかもしれない。
僕を追いやって、油断している今が好機。相手に危機を抱かせず、できるだけ隠密に、俊敏に侵入しないといけない。
夜まで待つか――いや、今こうしてる間にも、久世さんがどんな目にあってるかわからない。やるんなら、すぐにでも行動をしなければ……。
そうやって、僕が悶々と悩んでいると。
それまで、黙って僕の講義を聞いていた成瀬が、口を開いた。
「……仲間がいるな」
「え?」
「なあ、則明。この物語には、まだ一人、出てきてない奴がいるよね」
そんな持って回った言い回しで、彼はにやりとほくそ笑む。
あと一人……?
「星付き」を相手取って、僕らの味方になってくれる人物なんて……。
考えて。
その人が思い浮かび。
「あ」
なんて、情けない声が出た。




