I-僕の罪
残酷な真実をどう受け止めたらいいのだろうか。強くなれと誰かは言う。乗り越えることにこそ真価があると誰かが言う。だが乗り越えられず、真っ逆さまに落ちていく者はどうすればいいのだろうか。所詮は他人事だから、誰も僕の痛みを分かってはくれない。
「寄生貴族が」
廊下を歩いていると、すれ違いさまに呟かれる。
振り返ると、禄に喋ったことも無いようなA級様と仲間たちが、くすくすと笑いながら私を見下していた。
有名私立学校という狭い庭で、精一杯強がる有象無象達だ。
胸の底から沸き立つような激情に駆られるが、ぐっと堪える。
そもそも彼らからすれば、本当に有象無象なのは私になるのだろう。高位の者に媚へつらわなければ、自分の足で歩けないようなB級。まさに典型の弱者。
だからこそ、慰めのようにそうやって小馬鹿にして、上からの景色を楽しんでいる。
取り合うだけ無駄な労力だ。
視線を落として、私は何も言わずにその場を去る。
寄生貴族。
悔しいけれど、その言葉に間違いはない。
久世の家はB級に昇格することができた。
それもそうだろう。あれだけ菱木家に貢献したのだから。
「やぁやぁ晴佳! 久しいね」
私達は奴隷だ。
深々と頭を下げる父を無視して、要次郎は私の髪を撫でる。
そしておもむろに彼は私の頬を叩いた。
肉を打つ高い音が響くが、誰も一言も発しない。
「……どうしてすぐに返事ができないのかな? うん? 君達は今誰を相手にしているのか理解しているのかい?」
くだらない彼の戯れだ。
本気で怒っているわけではない。こうして下々の人間を苛立たせ、鬱屈させて楽しんでいるだけなのだ。
「よ、要次郎様! 大変申し訳ございません。これも、私の教育が至らぬばかりに……」
「ほ、ほ、ほ。要次郎。それくらいにしておきなさい。忠実な下僕を甚振るではないよ」
嗄れた声と共に、老人がエントランスに入ってきた。
漆黒の羽織りを着て、かつんかつんと、杖をつき、数名の黒服を引き連れてやってくる。
彼は、やんわりと要次郎を制止する。
……この男こそが、私達の主であり、王だった。
世界に名だたる大企業アスバデン製薬、会長。
菱木鴉樹仁。
家族はこの男に尽くし。この男のために狂わされた。
「爺様」
「人は人。如何しても粗相はしてしまうもの。ならば肝要なのは、次、同じ過ちを繰り返さぬことじゃ。……違うかのぉ」
く、く、く。と笑っているが。
目の底の光はやけに鈍く。汗をかく父を容易く貫いていた。
「は、はい! 無論本日の祝典では、是非とも精一杯皆々様を楽しませて頂かせ……!」
頬はまだ、ひりひりと傷んでいた。
要次郎も既に私に興味を失くしたようで、会長の言動を観察している。
鴉樹仁は、こうしてさらりと恐怖を植え付け、もう失敗はしないという確約と共に弱みを握った。
怪物め。
「ほ、ほ、ほ。B級昇格の記念式典……。久しいのぉ。ここまで登り詰めた者は、今日そうそういるものではないからのぉ。期待しておるよ」
そう笑いながら、会長と要次郎はホールの中へと消えていく。
その背中に向かって、父はいつまでも頭を垂れていた。
娘を傷付けた相手に一言も文句を言わない父に、激高するほど私は子供じゃないし、わからず屋でもない。
「晴佳……。俺達は、やっとここまできたんだ。だけどまだまだ気は抜けない。苦労させるだろうけど、頑張っていこう」
父は私の手を握って、力強く励ます。
久世家は、以前まではよくある平凡なC級だった。
父の会社もそこそこ上手く行っていて、不自由の無い生活を営んでいた。
だけどある日。アスバデンに買収されて。
上の景色を見せられた。
あんなにも絢爛な世界に魅せられない人はいない。
父は簡単に籠絡され、菱木家への忠誠を誓った。
詳しいことはわからないけれど。父はきっと主の為に様々な悪いことをして、様々な媚を売って、様々な人を裏切ったのだろう。
その成果が、B級であり、巨人に群がる寄生虫という称号だった。
「……ごめん、私、薬飲まなきゃだから」
私は、ぱっと手をほどく。
気まずそうに突っ立てる父をすり抜けて、トイレへと向かった。
「強くなりなさい」
おばあちゃんは、口癖のように、だけど染みわたるように優しく、そう言って私の頭を撫でてくれる。
「強さの意味を知りなさい。それは、暴力や狂気とは違うもののです。わかりますか?」
「……ごめんなさい。……おばあちゃん、私、私」
ぽろぽろと大粒の涙を流す私を見ながら、おばあちゃんはにっこりと微笑んでくれた。
「貴女が謝ることでは無いのですよ。だから、もう泣くのをよしなさい」
「……だって、だって、私、なんにもできなくて……悔しくて!」
どれだけ涙を流しても、枯れることはなく。
いっそこのまま体中の水が全部無くなって、死んでしまえばいいと思った。
「――晴佳。今の貴女は、ちっぽけで、まだ何者でもありません。だけど、その有り様はとても美しい。そのことは、ずっと、大切にしていなさい」
碧い目のおばあちゃんは、どこまでも優しかった。
それは、例え。こんなにも多くの重機が、寄ってたかって。
目の前でおばあちゃんの家を、壊していたしても。
「郊外の老人ホームなので、これからはきっと簡単には会えなくなるでしょう。だから晴佳、無理をしないように」
「お父さんは馬鹿だ! おばあちゃんは、ずっとずっとこの家で暮らしたかった……。そんなの皆知っていた! なのにあいつは! この土地を勝手に菱木に売った!」
もう、どう取り繕えばいいのかわからなかった。
もう父は人ではなかった。
ただただ主人の命令に従う、間抜けな犬だった。
おばあちゃんさえ騙して、裏切って、平然とできるくらいに、落ちていた。
「絶対に許せない……! こんなの、こんなのって……!」
「私はもう長くはありません」
隣の老婆は、そんな言葉を突きつけた。
私は、喉が詰まったみたいに、何も喋れなくなって、息苦しくなった。
「こんなことになってしまって、勿論残念ですし、悔やんでもいます。もっとここで暮らしていたかった。もっと晴佳と沢山話したかった。しかし、人生とは斯くも悲しいものですね」
「……おばあ」
「だけれどね。こんな機会が無ければ、晴佳にこれを託そうとも思わなかった」
と、彼女は。
手提げ袋から、銀色の何かを取り出し、私に差し出した。
「……これは」
「懐中時計といいます。まだあの人が生きていた頃、海外で買ってもらったものですよ。これは、私の宝物で、ずっと身に付けていました」
おばあちゃんは、包み込むように、その時計を私の手に置いた。
「これには私の魂が篭っています。くじけそうな時、見失った時、この時計に願ってください。まだまだ弱い貴女の力になるでしょう。……これはそういうものですよ」
時計は固くて、太陽の光を反射していて。
私とおばあちゃんの掌の温度で、ほのかに暖かかった。
「こうして何かが終わるからこそ、私も何かを託すことができる。そうやって小さな喜びを見つけられることが、私の強さです」
お腹に響くような、重機の作業音。
大きな音と共に崩れる家屋。
その前で、私は、じっと手の上にあるものを見ていた。
「晴佳。あなたもそんな強さを見つけられたらば、と。私はそう願います」
温い涙でぐしょぐしょになった顔を、拭う。
私は、初めてちゃんとおばあちゃんの目を見て。
頷いた。
それを受け、おばあちゃんは嬉しそうに微笑む。
「元気で、過ごして下さい。私は、いつでも貴女の味方です」
「……うん」
そうだ。決めた。
私は決めた。
あいつらに復讐してやる。
こんなことをして、気に留めることもなくへらへらとしているあいつらに。
思い知らせてやる。
必ず。必ず必ず必ず。どんな手を使ってでも。後悔させてやる。
この決意こそが、私の強さで。
おばあちゃんとの約束だ。
ぎゅっと、時計をきつく握った。
涙はいつまでも止まらなくて。
私とおばあちゃんは、いつまでも。
思い出の家が壊されていくのを、眺めていた。
アスバデン製薬が開発した「アレイオン」は見事に力を発揮した。
幼少期から服用すれば六法のいずれかに覚醒することができるとのことだったが、まあ当然だろう。
あの日から副作用も恐れずに、何錠も何錠も飲んだのだから。
私を実験体としていた研究部も、この成果には驚いていた。
【テレパス】と【ポーツ】を発現したのは意外だったが、一つは隠すことにした。
菱木を油断させておき、土壇場での切り札とするつもりだったからだ。
そして無事『御舟』へと入学することができた。
菱木は「月光会」なんて巫山戯たものを作っていた。
早速、金広と石動という下らない取り巻きからのアプローチを受ける。
とてもしつこく、不快だったので、断った。
だけど二人は、夜でも私を呼び出し、力尽くで連れて行こうとする。
どうしようかと悩んでいると。
突然。
無数の虫が飛んできて。
そして少年と目が合って。
悪魔のような計画を、思いついた。
二人の無意識下に、氏家くんのことを刷り込む。
また、私は実は菱木家に関係のあるものと明かし、牽制をしておく。
菱木は四年生になっていて、忙しい学園生活を送っていた。だから、大昔の下僕に構うことも無く、それに貧弱な【テレパス】に興味なんて無いようで、ほとんど無視をされていた。
氏家くんが死ねば。
氏家くんが殺されれば。
二人の弱みを握って、手駒にして。
まずは月光会から崩していく。
氏家くんをけしかけ励まし宥め罵倒すれば、いずれ成就するだろう。
間違うはずがない。そうだこれでいい。これでいいんだ。
何かが壊れていくような気がしたが、それに気付く余裕なんてあるはずもなかった。
……………………
「うわなんじゃこりゃくっせえ!」
「汚え奴だなあ、おいおい」
数名の男子生徒が、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら姿を現した。
彼らの目の前には、みすず寮の裏の茂みに。
燃え果てた虫の死骸が大量に散らばり悪臭を放っていた。
草むらを踏みしめようとすると、昆虫が潰れる嫌な感触が足裏から伝わるようで、ぶつくさと文句を言っている。
この不快な空間に、わざわざ踏み入る彼らの目的は――それらの中心で横たわる、ちっぽけな人間にあった。
「こんなところに飛ばされやがって……異臭騒ぎがなけりゃあ、もうちょっと手間取ってたかもなぁ、ウジ」
先頭に立つ男、石動陽太は、下卑た笑いを浮かべながら、僕に近付いてきた。
彼らは同じようにして、マントを羽織っていた。月のマークを基にした「月光会」のメンバーであることを示す紋章が刻まれている。
「とっくに日が昇ってるっていうのに、まだ逃げて無えとは……呑気にもほどがあるんじゃねえの」
石動と月光会の仲間は、にやにやとしながら僕を取り囲んだ。
「それじゃあ今からテメエを殺す。テメエみたいな小物、放っといてもいいんだが、まあ保険だとよ」
「害虫駆除だな、ヒャハハハハ」
「しかし流石【バイオス】っすね。もう傷が塞がってらあ」
「よーし、じゃあまず誰からやる? やりたい奴がいれば譲るぜ」
「あれ? 石動さんがやんないんすか」
「やだよ。気持ち悪い」
下らない冗談で、げらげらと彼らは笑った。
「【ウェイズ】」
中の一人が力を放ち、突風が吹く。為す術もなく僕は飛ばされた。
「【キネシス】」
不可視の針が何本も肉に食い込む。
「バ、バ、【バイオス】!」
男の右腕が大蛇の如く盛り上がり、振り抜かれた一撃が僕の胸板を砕いた。
「【キネシス】」
そして、石動がいつもみたいに僕を締め付け、空中に浮かべる。
「……ウジ、テメエ、死んでんのか? どうして悲鳴の一つも上げねえ」
虚仮にされているといった表情で、彼は問いただす。
どうでもいい質問だったので答える。
「……殺してよ」
「あ?」
「早く殺してくれよ。僕はすぐに死にたいんだよ」
それだけのことだ。
生存本能が勝手に僕を修復してしまったけれど、もう全てがどうでもいい。このまま放っていかれても餓死するだけだし拷問されたとしても後に死ぬだけだしできるのであれば苦しまずに殺してくれればそれが一番だ。
どうでもいいんだ。
全部。
なにもかもが。
「……そうかよ。ケッ、張り合いが無え。飽き飽きだよ。お前ら、手出すな」
再度、石動は、僕に手を構え。
「こいつは俺が殺してやる」
そうだそれでいい。
所詮僕は、こんな人生で――。
そうやって、いつも通り諦めた時。
「あのぉ、すみません」
突如、謎の声がした。
全員驚き、そちらを向くと。
そこには、薄く青い、搬入業者のツナギを着た誰かが、所在無さげに立っていて。
「ちょっと、聞きたいことがあるのですが……」
男はこんなところで、恥ずかしそうに言った。
誰しもが面食らい、言葉をなくす。
あまりにも場違いで、正気じゃない。
「……んだ、テメエは」
ようやく石動が口を開いた。
「見て分からねえのか? 取り込み中だ。さっさとどっか行け。それとも何か? テメエも死にたがりのお友達か?」
凄み、脅し、とにかくここから去らせようとする。
そんな石動の恫喝を前に、男は、困ったように頭を掻きながら。
「いやぁ。すみません。ちょっとした確認だけなので……」
そう言って、指を伸ばし。
「あれなんですけど」
「は? あれ?」
「あれは則明だよね」
そう問うた。一瞬、則明という名前に一同きょとんとし。
それが僕のことだとわかると、緊張感を高めた。
「ノリアキ? ああ? だったらどうするって言うんだよ――」
「決まってるさ。僕は彼を」
その男は。
悠然たる笑みで持って。
「助けにきた」
そう言い切った。
ぐっと、腕を振りかぶる。
その動作で一気に辺りの空気は緊迫する。
「テメエらァ!」
「【キネ――「【ウェイ――
応対しようと石動達は男に向かって手を構えるが。
遅い。
男が振り抜いた腕からは見たことないほどの大量の【キネシス】が彼らに襲いかかる。
津波の如く男共を飲み込み、もみくちゃにし、ばらばらに飛ばす。
力の余波が、僕の髪を散らす。
圧倒的だった。
たった一撃。
それだけで『御舟』へと集められたエリート達の大半が立てなくなって。
「……テメエ!」
這々の体で、石動が起き上がり、獰猛な瞳で男を睨みつける。
そんな敵意すら真正面からさらりと受け流し、男は、笑って。
「ごめんね」
手をかざし、小さな雷撃を放った。
轟音が響き、遅れて全身から煙を吹き上げながら、石動がどさりと草むらに倒れた。
容易く【キネシス】と【ウェイズ】を操り、彼らを無力化した。
こんな人間が街にいるのか?
違う、そんなわけはない。
分かっている。
こんな出鱈目な力を持っていて。こんな壁の中まで助けにくる奴なんて、一人しかいない。
そいつは、ゆっくりと帽子を脱ぎ、素顔を晒した。
黒髪の下に、意志の籠もった瞳。
ツナギを脱ぎ捨てて行くと、そこから『御舟』の制服が現れる。
初めて見たが、確信することができた。
その男は――エイリアンは、僕に近付いてきて。
手を差し伸べた。
「僕の名前は、成瀬祐城。則明、君の味方だよ」
だけど、もう。
遅すぎるんだよ。
僕はエイリアン――成瀬から、目を逸らした。
「……何をしに、来たんだよ」
何も掴めなかった手で、草を握る。
「何で邪魔をするんだよ……。余計なことしないでくれよ。僕は死にたかったんだ。もう生きていたってしょうがないじゃないか……弱虫はどこまで行っても弱虫で、だったら必死になって生きる意味なんてないだろう!」
風景がぼやける。
頬に温かい雫が、流れていく。
「なあ成瀬。信じていた人に裏切られて、希望もなにも全部切り捨てられて、そんな人間にどうしろって言うんだい? 僕は誰も救えなかった。僕はちっぽけだ。僕は、僕の罪を、精算しなきゃいけない。違うのかよ!」
こいつにぶつけたって、どうしようもないのに。そんなこと、わかっているのに。
全てを吐き出さなくては気が済まなかった。
「久世さんは泣いていた。僕が弱かったから、絶望してい泣いていた。裏切られた相手すら悲しませる男だよ、僕は! ……さあ、もういいだろう。記憶を探しに来たんだろう? じゃあ僕みたいな弱い奴に構ってる場合じゃないだろう。……どっか行けよ!」
僕は全てを否定した。折角差し伸べてくれる手を、払いのけて、また、裏切られて、裏切ってしまうのが怖かったから、拒否をして。
僕は結局、そういう弱虫だった。
僕の罪。これが罰なのか。
とにかくすべてが、どうでもよかった。
成瀬は、僕の叫びをじっと聞いていて。
そして、口を開いた。
「――確かに、則明は弱い」
しゃがんで、僕と同じ位置で、喋る。
「則明は、誰よりも弱い。だからこうやって苦しむし、誰かに攻撃されたりする」
「……そうだよ。わかってるじゃないか! 【キネシス】や【ウェイズ】【ポーツ】【テレパス】! ははっ! こんなに力を使える君には、絶対に分からないだろう!」
「わからないよ」
成瀬は首を振って。
「――だからこそ。誰よりも弱い則明だからこそ、他の弱い者の気持ちがわかるんじゃなかったのかい」
そう、言った。
「常に誰かを思って、常に誰かを傷付けないようにして。それって君が、弱い人を理解していたからこその結果じゃなかったのか。則明、それを君自身で忘れてどうするんだよ!」
「うるさい! もう……黙って……!」
「則明!」
鋭く僕の名を呼んで。
彼は胸ぐらを掴んだ。
「確かに辛いことがあっただろう! 確かに耐えられない事件だっただろう! だからって自分を見失って、勝手に諦めて。そうじゃないだろう!」
「うるさい! うるさいうるさい!」
「則明! 君が見た、彼女の涙は、どうだったんだ!」
――もう二度と、会わないで。
「その涙は、弱い涙じゃなかったのか!」
――さよなら。
「それが分からない君だったのか? 則明、君の罪は、自分で自分の罪を探していることだ! 違うだろう! そんな下らない自虐より、もっとやることがあるだろう!」
――氏家くん。
浮かんだ風景で。彼女は。
僕の名を呼んで、笑っていて。
「則明!」
「…………ぃよ」
「……うん」
「救いたい……救いたいよ……でも、どうすりゃいいんだよ……。あいつらは強い。僕は弱い。久世さんはもう来るなと言っていた。どうしようもないじゃないか……どうしたって僕は、僕は無力じゃないか……なあ、成瀬、僕……僕は、どうすればいいんだよぉ」
思えば、僕はこの時、初めて。
誰かに縋ったのだろう。
成瀬は、にっこりと、微笑んで。
「そのために僕は来た」
胸ぐらを掴んでいた手をほどき、再び僕に差し出す。
「友達を救えもしない自分なんて探していない。則明。僕は君の剣だ。どう使うかは――自分で決めてくれ」
傷だらけで、泥だらけで。
気味が悪いなんて蔑まれた、この掌で。
僕は、震えながら。
「……成瀬」
ぼだぼだと、汚い涙を流しながら。
「……お願いだ」
――だから、氏家くんも。
「僕に、ほんの少しの、力をくれよ」
「――心得た」
掴んだ手が、久世さんの心に、繋がっていればいいと思った。




