G-アンダーグラウンド
僕は戦う決心をした。いつまでも逃げていたから、あの子に迷惑をかけた。もうそんな後悔はしたくない。虫の能力で二人の行く先を知ることはできた。だったらもう、やることは一つしか無い。そうだろう、エイリアン。そうして皆、なにかを掴んでいったんだろう?
食堂や購買部のあるゾーンの近くには、野球場やグランドがあり、自然とそれらを囲うようにして部活や同好会のルームが並ぶ。
そうした、部活動の拠点となる地域を総称して「部活棟」と呼ぶ。
大きな力を持っている部活は、比例するように建物も立派なものを所持することができ、その逆も然りだ。
僕がたどり着いたのは、弱い方の建物だった。
倉庫ほどの大きさしかなく、窓もひび割れていて、ところどころに汚れが染み付いている、みすぼらしい建物だった。
一体どこの団体が所有しているのもなのか、さっぱりわからないくらい、打ち捨てられたような襤褸小屋。
後ろにある、異様に豪奢な棟と比べると、一層悲壮感が滲み出している。
月の下、僕はそれを前にしている。
暗い色のジャージと、真夜中の闇が融和している。
おそらく、ここへ来るまで誰かに目撃されることは無かっただろう。
今から僕は、この中へ侵入する。
どうして二人がここへ来ていたのか、懐中時計がどこにあるのかもわからないけれども。
やる、と僕は決心した。
だから、前に進まなきゃいけないだけだ。
「【バイオス】」
首筋から、小さな蚊を産みだした。
蚊は羽を震わせ、割れた窓の中へ入っていく。
まずは、偵察。
蚊が部屋の中を一通り見終わるまで、とりあえず待機だ。
覗いた感じだと、中に人がいる様子は無いが、万が一がある。
気持ちはかつてなく熱く、昂奮しているが、失敗すると元も子もない。
慎重に、慎重に行かなければ。
窓の下でしゃがみ、じっと虫の帰還を待つ……。
「なーにしてるのー?」
背後から声をかけられた。
息が止まる。
肩に手を置かれ、もう一度。
「ねーえー?」
叫びそうになるのを必死に堪え、振り返る。
そこには、くるくると巻いた髪に、柔らかな肉体を制服で包んでいる女生徒――桃瀬悠々子が、立っていた。
目の前に張り出された乳房が、ぼよよんと揺れた。
「も、桃瀬さん? えと、ど、どうしてこんなところに」
尻餅を付いたような格好で、僕は彼女を見上げていた。
桃瀬さんは、下唇に指を当て「うーん」と呟いた。
「えーとね、さっきまでね、ラクロス部で切れちゃったメッシュ直してたらね。なんか怪しい人影がこっちの方来たから、あやしいなーって。で、気になって見に来たら、あれま、氏家くんじゃないですか」
みたいな? と大きな目を僕に向け、説明する桃瀬さん。
……まさか見られていたとは思っていなかった。
明かりの灯いていたルームはないと思っていたのだが、見落としていたのか。
「ていうかねー」
そんなことを考えていると、桃瀬さんが。
「氏家くんはこんなとこでなにしてるの?」
そう尋ねてきた。
当然の質問だったが、僕は固まった。
なにか、嘘をついて誤魔化すか。
そう思ったが、咄嗟に言い訳が思いつくはずもない。
桃瀬さんは、胸を持ち上げるようにして腕を組み、訝しげな視線を送っている。
どうする、どうする、どうする。
こんなところで躓いてはいけない。
全ては、久世さんの為に――。
僕は、意を決して。
「……久世さんの」
「うん?」
「時計を、取り戻しにきた」
本当のことを話すことにした。
あの時、金広と石動に襲われ、久世さんが巻き込まれてしまったこと。
僕は償いとけじめの為に、ここまで来たということを。
久世さんと桃瀬さんは、いつも一緒にいる。
親友の彼女ならば、きっとこの話に共感してくれる。そういう賭けだった。
「……へえ、あのときそんなことが」
話し終えると、驚いたように目を開いた。
「今がチャンスなんだ。お願いだ、桃瀬さん、どうか、見逃して欲しい」
「……むむむ」
僕は懇願する。
ここで騒がれたりすると、全てが終わってしまう。
僕はイジメられたままで、久世さんは宝物を奪われたままだ。
お願いだ。どうか、君を、信じさせてくれ――。
そんな祈りの後、彼女は。
「うん」
そう頷いた。
僕は胸をなでおろす。
「……ありがとう、わかってくれて。それじゃあ、僕は今から」
「わたしも行く」
決然と、桃瀬悠々子はそう言い切った。
僕はしばらく意味を理解できずにいた。
「……桃瀬さん?」
「きっとわたしもいたほうがいいと思う。そのほうが時計も早く見つかるでしょ」
「そ、それはそうかもしれないけど」
「それに、人知れず誰かのために働くって、ヒーローみたいでかっこいじゃん!」
わざわざ巻き込まれることもない、そう窘めようとすると。
「わたしも晴佳の友達なんだよ」
桃瀬さんは、強い表情で言った。
「それだけじゃ駄目?」
ずい、と身を寄せて主張してくる。
乳房が迫ってきて、僕は慌てて目を逸らした。
その先には彼女の大きな目。
なにかを決断した人間の瞳だった。
少し前の、僕のような。
それを否定することなんて、できない。
「……わかった」
僕は、ため息をつきながら、了承した。
「もしかしたら君にも危害が及ぶかもしれない。そしたらとにかく、逃げてくれ。それが条件だ」
「うん、約束」
す、と小指を突き出す。
僕も、同じように小指を出し、彼女の指と絡めた。
とりあえず、なんとかなったようだ。
「じゃーちゃっちゃと突入しよっか!」
早速も早速、堂々と正面のドアから普通に入ろうとする桃瀬さん。
僕は慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと待って。今中の様子を伺ってるから」
「んー? 中?」
訝しげな顔になり、窓へと身を寄せた。
丁度、しゃがんでいる僕の目の前に、彼女のたわわな胸が接近するような形になる。
「曇っててよく見えないけど……多分大丈夫じゃないの?」
「い、いや、その、中に偵察虫を送ってるから……」
顔が全体的に赤熱しているのが分かる。
桃瀬さんは、きょとんと首を傾げた。
「ていさつちゅう?」
「うん、ちょっと待ってて」
そして窓の割れ目に手を伸ばす。
するとその上に先ほど放った蚊が戻ってきた。
ぐにゃぐにゃになり、皮膚に吸い込まれる。
その光景を、息を呑んで見ている彼女。
目を閉じ、中の情報を確認する。
「……うん。薄暗くて、誰もいない。狭い部屋だ。だけど……妙な跡がある。鍵が、かかってる」
ふう、と息を吐きながら、目を開いた。
「そんなものかな。さてと、じゃあどうやって侵入するかだけど……」
「へえー! すごいすごい!」
真剣に考えている傍で、彼女ははしゃいでいた。
「それで中の様子が分かるんだ! へー、すごい力だねぇ!」
「……いや、そんなこと」
こんな気味の悪い力を、すごいすごいと喜んでくれた。
「あーもしかしてー。それで女子のお着替えとか覗いてたんじゃないのー?」
胸を隠し、悪戯っぽい表情で責めてくる桃瀬さん。
「いやいやいや! そんなことしないから! 本当に!」
「ほんとかなー」
そんななんでもないやり取りだけで、すごく救われたような気になった。
「……さて、じゃあどうやって入るかだけど」
「中に誰もいなかったんでしょ?」
と、慎重に考える僕に対し。
この人は普通にドアノブに手をかけて。
「じゃ、行こうよ」
回した。するとガキンなんて音が響いて、軋みを上げながら扉が開いた。
「ひ、開いたの?」
「うん。早く早くー」
ぴょんぴょんと跳ねながら部屋に入っていった。
虫の記憶だと、確かに鍵はかかっていたはずだ。
どうしてああも、いとも簡単に開いたのか。
なにか、彼女の力を使ったのだろうか。
……いや、考えても仕方ない。
今は、とにかく前へ進まなければ。
僕は、桃瀬さんの後を追うようにして、部屋に入った。
部屋を調べたが、久世さんの時計は無かった。
そもそも、ここには何もない。
壊れかけの椅子とテーブル、あとぼろぼろの教科書の並んだ棚があるだけだった。
ここを使った形跡がまるでない。本当に、どこの団体が持っているのだろうか。
「みつからないねー」
んー、と困ったような表情になる桃瀬さん。
「……確かにあいつらは、ここに来ていたんだ、けど」
虫を戻している間に、寮に帰ったのか?
だが長い間ここにとどまっていたのは間違いない。しかもこんな深夜だから、また寮に帰るというのも少し変だ。
なんだろう、何かが、全体的に……おかしい。
そんな、妙な違和感に襲われていると、桃瀬さんが声を上げた。
「あ! 氏家くん氏家くん! ここ! ここ見てよ!」
指をさしながらわあわあと騒ぐ桃瀬さん。
求められるがままにそちらを見ると――。
棚が置いていある床に、妙な跡があった。
まるで、この棚を幾度もスライドしてついたような傷が残っている。
棚を、スライド。
――だけど……妙な跡がある。
虫が見たのは、これだったのか。
「ねえ、氏家くん、これって」
僕は頷く。そして、恐る恐る棚を掴んで。
思いっきり横へずらした。
すると、棚の下には、ぽっかりと大きな穴が空いていた。
いや、それは穴というより。
地下へと続く階段だった。
「……これは」
「氏家くん」
間違いない。
確たる根拠があるわけではなかったけれど、僕は確信した。
あの二人は、この下に入っていった。
……なんのために?
「行こうよ! 晴佳のためにも!」
桃瀬さんが自らを奮い立たせるように、声をかけた。
疑心暗鬼になっていた、僕の心を晴らしてくれる。
……そうだ、僕は進まなくちゃいけない。
この先に、何があろうとも。
「行こう。桃瀬さん」
穴に近付くと、そこにはハシゴが掛けられていた。
僕は足をかけ、地の底へと降りて行った。




