E-どうして君はそんなに弱いの?
バイト先で、不当な扱いを受けながらも、氏家は何も言わず耐えていた。先輩のミスをなすりつけられ、雑用を強要されるもそれに従う氏家。その道中で見かけた月光会の賑やかな勧誘――見かけた後ろ姿は、幻、なのだろうか。
「氏家くんはどうしてそんなに弱いの?」
ある日の記憶だ。
いつもみたいに、金広に連れ出され、殴られ、金を盗られて。
久世さんが遅れてやって来て、そんなことを聞いてきた。
僕は俯いて、地面を見ていた。
「……どうして、って言われても」
「腕力とか、外見のことじゃないの。ここのこと」
とんとん、と胸を叩く久世さん。
「やり返してやろうとか、最後まで足掻いてやろうとか、そう思うことはないの?」
耳が痛かった。
夕陽を背にして、真っ直ぐに立つ彼女は、まるで輝く女神のようでもあって。
僕のような男は、反論することすら許されない。
「氏家くん。ほんの少し、ほんの少しだけでいいの。この学園じゃ、自分しか頼りにならないんだよ? 勇気、出せないかな?」
しゃがみ込んで、僕の目を覗きこんでくる。
泥だらけの僕は、そんなありがたい話よりも、すぐ目の前の白い太腿に目を奪われて、何も考えられなくなる。
どう返事するべきなのか、分からなかったから。
「久世さん……は」
慌てるようにして、話題を逸らす。
「どうして、僕なんかに、構おうとするの……?」
彼女は、一瞬、辛そうに目を細めて。
「……なんでかなぁ」
胸から、銀色の塊を取り出した。
ここらへんでは見かけない、珍しいものだった。
「それは……?」
「懐中時計。今やフィジホンがあるからね。時計、しかもこんな年代物持ってる人なんて、そういないかもね」
長い指でチェーンをつまみ、愛おしげにそれを眺める久世さん。
「約束、だね」
「え?」
「強いて言うなら、約束。おばあちゃんとの、約束、だね」
そして、彼女は。
鈍く光るチェーンと一緒に、手を絡ませてきて。
「だから、氏家くんも約束。毎日少しずつでいいから、勇気を持って」
触れた手の、柔らかさに、心臓がおかしなくらい鼓動を速くして。
壊れてしまいそうになったから、僕は曖昧に頷きながら、意識しないようにと考えた。
久世さんは、満足気に頷いて、僕を立たせる。
陽が壁の向こう側へと沈んでいく。
夜は嫌いだけれど、この時間だけは、とても大切だと思った。
…………………………
バイトが終わり、宿場へと帰る途中で突如得体の知れない息苦しさに襲われた。
それが【キネシス】で全身を締められているのだとようやく気付いた時、力が動いて、そのまま建物の裏まで引っ張られた。
固い地面に打ち付けられ、【キネシス】が解除される。
恐る恐る見上げると、いつもの二人がそこにいた。
「サンキュ、イッシー」
「ウジ、てめえって奴は卑怯者だなぁ」
石動は僕の髪を強く掴み、ニイッと醜く笑う。
困惑していた。
いつもなら、みすず寮の前で張っていて、そこから裏に連れて行かれるのが普通だった。
建物の隅とは言え、宿場まで遠く、人通りの多い学舎前で襲われるなんて、今までに無いことだった。
更に、おかしなことに。
金広が。手を突き出して。
「寄越せ。マネーカード」
そう要求してきた。
僕は酷く混乱する。
「ちょ……ちょっと、待って……」
冷たい笑顔を貼り付ける彼らに、僕は上擦る声で問いかける。
「つ、ついこの前……渡した、ばっかりじゃないか……。な、なんで今、マネーカード」
金広は、手をかざして。
「【炎熱槍】」
その瞬間、紅蓮の炎が現れたかと思うと急激に一点に収束し――赤熱しながら回転する槍へと、瞬時に形を整え。
僕の手の甲を貫いた。
肉が焦げ朽ち骨が崩れ驚くほど簡単に炎の槍は僕の肉を抉り燃やした。
ひどく遅れてやってくる、激痛。
「――ッッァァァァ――」
痛みを誤魔化そうと叫ぼうとしたが、なにかの力が首と肺を締めて声を出させない。
痛いという電気信号が身体中を駆け巡って逃げ場がなくて血管の中を弾けて跳ね返って幾度幾度幾度幾度幾度幾度幾度反射して目を血走らせて涙まで出てきて息すら出来ずにだんだん意識がぼんやりと手放してしまいたくて。
「イッシー、殺しちゃうよ」
金広の指示と共に【キネシス】が解かれて大量の酸素が喉に雪崩れ込んでくる。
空気の海に溺れそうになり、涎を吐き飛ばしながら、とにかく呼吸を整えた。
「ウジてめえ叫んだりしてみ――クハハハハハハハ! な、なんだその情けねえ顔! ヒャハハハハハハ!」
「こらこらイッシー。静かに静かに。それにウジ。君は腐っても【バイオス】だろう。それくらいの傷で全く情けない……ククッ。いや、にしても、僕は悲しいよ」
二つ持ちは大仰な仕草で髪を掻きあげ、嘆いた。
「分かるかい? 君の罪の正体が?」
「……僕の、罪」
殴られて。
締められて。
燃やされて。
貫かれて。
焦がされて。
吹き飛ばされて。
奪われて。
罵倒されて。
笑われて。
嫌われて。
また、殴られて。
僕の、罪?
――氏家くんはどうしてそんなに弱いの?
そんなものが、あるのなら。
どうか、教えて欲しい。
「嘘を、ついたね」
彼は、そう、僕に言った。
「……嘘?」
「言ったよね? 君に傷付けられた治療費、月払い、とりあえずある分、って」
それまで、へらへらと巫山戯ていた金広は、突然。
冷たい顔になって。
「マネーカードを出せ。本命のやつだよ。ダミーだなんて舐めたことしやがって」
這い蹲る僕を見下ろしながら、そう命令した。
……え。
本命の、マネーカード。
……なんで、知って……。
革靴が頬にめり込んだ、
口の中を切って、鉄の味が広がる。
「ど、こ、に隠してあるのかなぁ。まさか部屋とか? いや、どうせ買い物とかはしなきゃいけないんだ。バレないと思って持ってる可能性が高い」
あれは、今まで働いてきて、贅沢とかも我慢して、本当に必死貯めていったお金が入っていて。
「おかしいとは思ってたんだけどね。さてさて……うーんやっぱ触りたくない!アハハハハ! イッシー!」
再び【キネシス】に締め付けられる。隅々まで全身を弄り、調べられる。
なすがままにされても、僕は呆然としているしかなかった。
どうして、どうしてよりにもよって、こいつらに、バレてしまったんだ。
どうして。
そして。
「あ? 靴底に切れ込み? あぁなるほど! 金広! こいつ、靴の中に隠してるぜ!」
「宝を地べたに隠す、か。泥を啜る下流ならではの発想だね。これは一本盗られた、アハハハ。【ウェイズ】」
右足の靴に火がついて、ゴムが溶けた。
黒く爛れ、ぽっかりと穴の空いた靴底から覗くのは……僕のマネーカード。
すぐさまそれは【キネシス】で引き抜かれ、金広の手に渡る。
ぱんぱんとカードをはたき、汚れを落とす金広。
動作認証で中身を走査し、その金額に「おおっ」と喜びを露わにした。
「あっはっはっは! いやーよくもここまでしこしこしこしこ貯めてくれたねぇ。しばらくは豪遊できそうだよ!」
「おお! こりゃすげえや! お前やればできるじゃないか! ギャハハハハ!」
なんだこれ。
なんの悪夢だ。
覚めてくれ。
夢なら今すぐ覚めてくれ。お願いだなぁ頼むよ勘弁してくれよ。
夢じゃないというのなら。
これが現実なのなら。
誰か。
助けてくれ。
「……ん?」
そう願った時、背後に。じゃり、と。
足音がした。
振り向かなくても、分かった。
彼女は、いつでも。
こういう時に、来てくれる。
僕のヒーロー――いや、女神で。
「……あ、んた……達」
そんな彼女に、こいつらはいつも慌てふためいていて。
「やぁ。やぁやぁ。ずいぶんと遅い登場じゃないか」
「……っ」
だけど、何故か。この日は全てがおかしかった。
久世さんの声は、いつもほどの力がこもっていなくて。
金広と石動は、余裕そうににやにやと笑っていた。
「さてさてウジくん。ここからがショーの本番だよ。よぉくご覧じて、アハハハハ!」
手を広げて、挑発するように彼女に近付く。
「さて! 久世晴佳さん、これからどうするね? いつもみたいに強く僕らを糾すかい? アッハハハハ! いいよやってみなよ! その途端君を灼熱の槍で貫くけれどね!」
そんな脅しに屈するような、弱い久世さんではない。
「……お願い、金広くん。……お願い、止めて、あげて」
はずだった。
首だけ捻って、彼女を見る。
手が小刻みに震えていて、瞳の底が暗かった。
その様子に、手を叩いて笑う二人。
「アーハハハハハハハハハ! ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ! クク……! クハハハハハハハハハ! こりゃあいい催し物だ! ほうらウジ、よおく見とくんだよ……これが、もうひとつ。君の」
金広は、僕の顎を掴んで、無理矢理久世さんの方へ向ける。
そして石動が、思いっきり振りかぶって。
「……あ……」
「ん?」
「……や、やめて……彼女に……手を……」
「はいどうぞ」
拳を撃った。
衝撃波が放たれ。その先には久世さんがいて。
彼女はどうすることもできずに。腹に力をもろに受けて。
「――かは」
倒れた。
金広が、耳元で囁く。
「これが、君の、弱さの罪だよ」
なんだ?
なにがどうなっているんだ。
どうして突然、こんな、いろいろ、壊れて。
いや、全部分かってたことなんだ。
イジメられて助けられて説教されてまた元に戻って、そんな危ういバランスがいつまでも続くなんて夢を見てしまっていた僕の罪だ。
分かっていたはずなのに。目を瞑っていた。
その結果、ようやく見えた景色は。
更なる地獄でしかなかった。
「ん、なんだこりゃ?」
力を放った石動が、地面に転がる銀色の何かを見つけ、拾い上げる。
「丸っこい……銀の……見たこと無えな」
「懐中時計だよイッシー。まあ骨董品以上の価値はないけど……」
金広は、懐中時計と、それを困惑の目で見つめる久世さんの様子を眺めて。
「これは貰って行くね」
「……か、金広くん! 待って!」
「これまでの迷惑料さ。まぁまぁ、返さないつもりはないから。質みたいなものかな。これが欲しかったら見合うお金を持ってきてね」
「……あなた……!」
「どうするって」
金広は、またあの冷たい表情で、久世さんに向かって手をかざした。
「弁えなよ下郎。僕はこれで許してやろうって言ってんだよ。それ以上なにを贅沢言いたいんだい」
彼の周りを守護するように、炎の槍が幾つも出現した。
尖端は彼女の脚と胸と頭と肩と腋と腹に向けられている。
久世さんは、ぎゅっと唇を噛んで、目を閉じた。
「いじらしいねえ。ま、とりあえずこんなものかな。……クククク。大満足だったよ。じゃ、行こっか、イッシー」
そしてこいつらは表の通りに出ようと歩き出し。
「明日からはこんなもんじゃ済まねえぞ、ウジ」
金広がそう言って。
この悲劇は終わった。
何故彼らは突如態度を変えたのか。
どうして僕の本命のカードのことを知っていたのか。
僕には何も理解できなかったが。
とにかく、今は。
「……久世さん」
僕は、這いずるようにして、彼女に近付い
「近寄らないで」
拒絶された。
建物と木の陰が僕らを覆い、なんだか辺りは暗かった。
「……私が馬鹿だった」
痛めた腹を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる久世さん。
「あなたになんか、関わったから」
今
なんて
「もうなにもしないで」
あいつらみたいに、彼女は僕を見下ろしていて。
あの、女神のようなほほ笑みも。
仮面が剥がれたように、後悔と憎しみに彩られた表情になっていて。
「私に近付かないで。……さようなら、氏家くん。もう、これっきりだね」
久世さんの頬に涙が一筋流れた。
初めて見る、彼女の悲壮な姿に僕は圧倒されるしかなかった。
そうして、どれくらいの時間が経っていたのだろう。
遠くから声が聞こえてきた。それがだんだん近付いてきて。
「晴佳!」
そう叫びながら、女生徒が飛び込んできた。
息を切らし、長い髪をもみくちゃにして、やってきたのは。
「……鈴寧」
「こんなところに……どったの? 大丈夫? あぁ、もういい、いいからとりあえず帰ろ」
「ちょぉっとー、鈴ちゃん置いてかないでってー」
「……チッ、悠々子、来やがったのか」
「えーなにその言い方酷いんですけどー」
赤月鈴寧と桃瀬悠々子がやってきて、わらわらと久世さんを気付かい、肩を貸し、慰めている。
僕はまだ、倒れたままで。
赤月が、その時初めて僕に気付いたみたいで。目があったと思うと。
「なんだこいつ気持ち悪い」
そう吐き捨て、彼女達も、ここから立ち去っていった。
右手の甲を見る。
炎によって刳り抜かれ、ぽっかりと丸い穴が空いていたその手では。
なにも掴めなくて。
「……【バイオス】」
穴を埋めるように、傷口から虫が湧きだし、穴を埋めると、すぐに虫を肉に戻した。
手を握って開いて。その度に痛みが走る。
応急処置をすると、僕はそのままみすず寮へとよろよろ歩いた。
さっき、なにが起こったのだろうか。
理解ができない。
――あなたになんか/
したくない。
――/関わらなければ
止めてくれ。
おもいださせないでくれ。
なんでもいい。
なんでもいいから、この地獄を、少しだけ。
忘れさせてくれ。
部屋に戻ると、小倉がPDAでニュースサイトを見て、興奮しながら長岡に話しかけていた。
僕がどれだけ傷だらけになろうと、彼らに関心はない。
「すげえな、こんなの何年ぶりだ? もしかしたらこれからすげえことが起きるかもよ!」
「ただの悪戯でしょう……そんなの、直に犯人は見つかって、厳っ重に注意されますよ」
なにやら騒いでいるが、僕はそんなのに構う余裕は無かった。
二段ベッドに登る。もう、なんでもいい、とにかく今日は、早く寝たい。
彼らはPDAをテーブルに広げ、議論を交わしている。
ハシゴを登り切って、布団に入ろうとすると、下が見えた。
そこには。
大きな見出し。
「衝撃! 御舟学園への宣戦布告か? 謎のメッセージ!」
そして、くっきりとした写真が載せられていた。
壁に大きく、真っ黒に焦げ付けられた。
「A」
という、文字。
「十三年前にも、こういう事件があってだね、その時ほどアングラスレの盛り上がりようったらなかったんだぞ!」
「結局全部空振りだったじゃないですか。ていうかそん時先輩幾つですか?」
――僕がいるという証拠をなんとか見せるから!
頭の中の、「ALIEN」
そいつは、本当に、いた。




