エピローグ-『御舟』へと
そして夜は明けた。悪夢衝動は解散し、秒ヶ崎は殺されてしまう。全てのごたごたが片付いた朝に、僕は旅立つことになる。失われた自分を求めて。
朝日が街を眩しく照らしていた。
人々は眠りから覚め、今日も忙しそうに行き交っている。
スーツ姿の男達は、そんな光溢れる「表」から、日陰が多い「裏」に来ていた。
彼らの先頭には、季節外れのコートを着た男。そして彼らはある廃墟を目の前にしていた。
それは、土橋組直下の中規模族、悪夢衝動の巣であった。
「室田さん」
スーツの男が、先頭のコートへと語りかけた。
室田と呼ばれた男は、微笑みながら手を挙げる。
「これはこれは、御代木さん。昨晩はお忙しかったようで」
室田達の前には、隻腕の男が立っていた。
片腕で煙草を吸いながら、こちらに敵意を向けている。
「朝っぱらから気分の悪い顔を見ちまった」
「ははは。我々警察にそんな軽口を叩けるのもあなたくらいですよ」
室田は、コートのポケットから紙を取り出し、突きつけた。
「捜査令状です。あなたの巣に連続通り魔容疑の少年が匿われているという情報がありましたので。勿論ご協力していただけますよね?」
あくまでのにこにこと微笑んで語りかける室田。
御代木は、ご印籠の如く彼が掲げている紙を見やると、とてもつまらなさそうに言った。
「帰れ」
「あらあら。正式な令状ですよ? それを断るなんてお勧めいたしませんが……」
「偽物だ」
ぎろりと睨み言い放つ。
「正式な令状なのなら何故お前の指紋しか付いていない? どうしても入りたいというのならばお前の上司に確認してやるが」
スーツの男達はどよめいた。
室田は笑みを湛えながらも、御代木から目線を外さない。
「“超獣”御代木……。いやはや凄い目だ。ここから指紋まで見えるとは」
「「裏」と「表」の住み分けを忘れたあんたでもあるまい。今日は大人しく帰ってくれねえかな。まあ、喧嘩がしたいっていうんなら」
そして彼は殺意を叩きつけた。
スーツ達はその空気に反応し、それぞれの獲物を構えようとするが――
室田が静かに、たしなめた。
「……ふふ。いいでしょう。大事な部下だ。殺されたくはない。今回はあなたの顔を立てて、帰るとしましょうか」
「……二度と来るな」
そして御代木は背を向け、廃墟に入っていった。
たったそれだけのやり取りだったが、濃密な重圧が渦巻いていた。
それらから解き放たれた男達の身体から、思い出したように冷や汗が流れる。
「む、室田さん」
「絶対に敵に回してはならない人間がいる、ということですよ。今回は残念でしたが、まあまた巡りあう機会もあるでしょう」
その言葉に、全員が頷いた。
室田達は、名残惜しそうに廃墟を見ながら、来た道を戻っていった。
…………………………
「ああ、そうか。そこで働くか。うん、こっちは大丈夫だ。……心配すんなって、悪くはされねえよ。それじゃ」
真一郎は、耳に当てていた手を離し、通話を終えた。
「これで、一応全員落ち着く所に落ち着いた。なんとかなったよ」
巣の中で、彼女はやり遂げた表情で、ため息を吐いた。
「おつかれ」
「ああ。ったく疲れたってもんじゃねえぜ」
グキグキと首を鳴らす真一郎。
そんな彼女の様子を見て、僕は微笑んだ。
そう。昨夜の戦いが終わり、真一郎が総長となって、解散させた。
内々の不始末は処理される。
しかし解散したことによって、彼らはもう組とはなんの関係もない人物だ。手出しができない。
「まあ俺まで逃げるわけにはいかねえけどな。勝手に解散だなんてやっちまって、落としまえをつけなきゃいけねえ。御代木さんに、死ぬまでコキ使うなんて言われたよ」
笑いながら、彼女はそううそぶいた。
ちらりと、窓を見る。
「来たぞ、成瀬。多分あれがお前の言ってたコートのやつだな。室田っていう、有名な刑事だ」
僕は、昨晩彼女に全てを話していた。
記憶が無いこと、何者かに追われていること。
じゃあ全夜さんの使いって嘘かボケェェェエエエエエと首を締められたりしがた。
「御代木さんが引き止めてくれてる。行くんならさっさと行った方がいい」
神妙な真一郎の声。僕は、彼女に尋ねた。
「真一郎は、僕がその、連続通り魔の犯人だとは思わないの?」
真一郎は、珍しいものでも見たかのように。
「あったりまえだろ。テメエはそんな奴じゃねえさ」
さも当然のように答えた。
それだけで、僕はなにか救われたような気持ちになった。
「……ありがとう」
「探しに行くんだろ? 自分の記憶を」
「うん。なんで僕はあそこで目覚めて、記憶が無いのか。それって、とっても重要なことだと思うから」
僕は、今着ている制服を見た。
赤を基調としたズボンに、ベスト。胸のところには紋章のようなものが刻まれている。
「成瀬が持っていたものが、その折れたIDカードと謎の白いカード。『御舟』の制服に超能力」
真一郎は、僕を見た。
「本当に行くのか?」
僕は、頷いた。
「カードも折れて、顔写真がわからないから僕が本当に「成瀬祐城」っていう人間なのかどうかも分からない。……でもそこに行けば」
「……何かがわかるかもしれない」
「真一郎。お願いだ。『御舟』ってとこのこと、教えてくれないか」
じっと、彼女の瞳を見つめた。
彼女は、観念したようにため息をついた。
「『御舟』ってのは……学園のことだ。街の中央にある、『国立御舟総合研究学園』の略だよ」
「学園……」
「だけどな、そこはただの学校じゃねえ。あそこは」
真一郎は、ぎゅっと拳を握った。
「超能力者の学園だ」
僕は目を丸くした。
「超能力に覚醒した人間を集めて怪しい研究に明け暮れてる。御代木さんもそこ出身だし……前の喧嘩の時に全夜さんが覚醒しちまって、連れて行かれた」
「でも「裏」には手が出しにくいんじゃ」
「『御舟』は別だ。あれはあらゆる力の頂点にある。組だって、全夜さんを引き渡すしかなかったんだよ」
「表」も「裏」も合わせて呑み込む学園。
僕はそこの制服を着ていた。
これは、一体……?
「全寮制でもあり、生徒達のことは厳しく管理している。裏返せば潜入は困難ということだ」
「……うん」
「気をつけろよ成瀬。あそこにいる奴らは化物だ。御代木さんクラスの能力者がごろごろいる」
そんな修羅の住む学園に、僕は忍び込もうとしている。
満足な記憶も、知識も、仲間もなく。
だけど僕は、歩みを止めてはならない。
そんな気がした。
「まあ真一郎の言う通りだ」
声がして、振り向くとそこには御代木がいた。
「とりあえずやつらは追っ払った。いつまでもいられたら迷惑だ。とっとと出て行け」
「み、御代木さん! そんな言い方――!」
そして彼は、ちいさなカバンを僕に投げて寄越した。
「え、ええと、これは」
「迷惑料だ。うちの馬鹿がやっちまったからな。受け取れ」
中を開くと、水や食料や毛布、それに袋に入っていたの分厚い紙幣――
「こ、こんなにいいんですか」
「はした金だ。喚くほどのもんでもねえ」
彼はそっけなく、そう言った。
巣から出て、僕は「表」側へと出た。
大きな建物が幾つも並び、道路には大量の車が忙しそうに行き交っている。
「成瀬」
真一郎が僕に呼びかけた。
「全夜さんによろしくな」
「うん」
僕は笑顔で頷いた。
「またこっち来いよ。冷凍ピザでも出してやるよ」
「ははっ、なんだそれ」
そんな軽口を叩き合っていると、真一郎が頬を掻きながら。
「成瀬」
「うん?」
「……ありがとな」
手を、差し出した。
僕は彼女の手を握った。
「ううん、こっちこそ」
「成瀬。この大通りを真っすぐ行くと、標識がある。それに従えば『御舟』に着く」
「はい。ありがとうございます」
僕はお辞儀をした。
そして、進むべき道を見る。
果てしない夜の闇に包まれていた街は、日の光を浴びて。
全体を灰色に輝かせていた。
僕は歩き出した。
自分を見つけるために。
「成瀬ぇ!」
真一郎が叫び、振り向くと。
大きく手を振っていた。
「根性入れていけよぉ!」
僕は手を振り返した。
太陽の下、灰色の彼女は、とても美しく見えた。
…………………………
「……行ったな」
「……はい」
御代木は、小さくなる成瀬の背中を見て、呟いた。
「全持ち……。真一郎、あの餓鬼は何者だぁ?」
「……俺も、二つ持ちや三つ持ちの噂は聞いています」
「【バイオス】【キネシス】【テレパス】【ウェイズ】【ポーツ】。これら六法を二つ使えるだけで天才と持て囃され、三つ使える者は最高の地位を保証される。……あのガキは昨晩、全て使っていやがった。異常だ」
「御代木さん……」
「しかも室田に、あの黒い髑髏の野郎……。お陰で秒ヶ崎がどこから【A】なんて仕入れてやがったのかわからなくなっちまった。成瀬を中心にして異様な事件が起こりすぎる。何者なんだ」
「教えなくて、よかったんですか」
「……わからん。だが直知るだろう、自分自身の行き過ぎた力に」
そして、御代木は真一郎を見た。
「【A】の副作用は」
「……飲んだのはちょっとだけだったので。副作用は特にですが」
「また中毒に戻っちまうか」
そう問われ、真一郎は首をふる。
「いや、我慢しますよ。それが俺の戦いですから」
二度と薬は使わないという己のルールを破り。
もっと別の大切なものを守ることを決めた彼女は。
実に晴ればれとした表情で空を見上げた。
そんな真一郎の肩に手を置き。
「帰るぞ。今日からしこたま働かせてやる。……だがまあ、その前に飯だな」
「……はい」
そして彼らは帰っていく。
闇の住人は、表の光をたっぷり浴びて。
だけど少し眩しすぎたから。
闇と光の狭間へと。
灰色の街は、今日も忙しい。




