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Undercurrent  作者: HIMMEL
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第2話『インタープレイ』③

 今日も全ての授業が終わった。普段は憂鬱な月曜日がいつもより短く感じられたのは、きっ

と碧羽のせいだ。朝から事あるごとに俺に絡んできた彼女は、きっと帰宅するまで付いてくる

だろう。拗ねたときの顔を思い浮かべて内心苦笑する。

「まだ帰らないの? 佑馬」

 ひびきがいつものように声をかけてきた。クラスメイトと談笑しているた彼女はすっかり帰り支度を整えていたらしい。

「帰る。これからどうしようか?」

「今日は真っ直ぐ帰ろうかな。傘持ってきてないし。夕方から雨が降るなんて聞いていない

よ。そういえば、佑馬はちゃっかり傘を持ってきてたよね」

 窓の外から見える空には梅雨時特有のどんよりとした雲が立ち込めていている。朝はあんな

に晴れていたのに。

「起きたら、すぐ天気予報を見るのが習慣だからな。降水確率40%以上なら傘を持って出る」

「私は降水確率40%しかないから持ってこなかったのに」

「それは慢心というものだよ、ひびき君」

 必要な教科書やノートを鞄に詰め込むと、パンパンとまではいかないまでも結構な量の重さ

になった。

「佑馬の癖に偉そうに。でも、言っていることは一理あるよね」

「とりあえず出ようぜ。ここでグダグダしててもしかたがない」

 教室の隅にある傘立てから自分の傘を持ってくる。同じこと考えた奴はあまり居ないらし

く、挿してあるのはせいぜい5本くらいといったところか。ビニール傘を買えば済む話だろう

が、すぐに壊れる脆弱な構造とか張り付いて開かないストレスとかを考えると長い目で見ると

コストパフォマンスが低いんじゃないだろうか。備えあれば憂いなし。

 二人で連れ立って教室を出たところで予想通り碧羽に捕まった。

「佑馬はもう帰っちゃうの?」

「何だ? お前は何か用事があるのか? 天気悪くなるしさっさと帰った方がいいぞ」

「折りたたみ傘なら持ってるよ。用事はあるといえば、あったけど佑馬と一緒に帰る方が全然

マシだから別にいいよ」

 鞄から小ぶりな花柄のついたピンク色の折りたたみ傘を取り出して振ってみせる。

「用事があるなら済ませてくればいいのに」

 ボソリとひびきが呟く。不機嫌の理由はやはり碧羽か。

「ううん、全然大したことじゃないから」

「そうじゃなくて、どうしてあなたが一緒に付いてくるの? って言ってるの」

「私が佑馬と帰っちゃいけないの? ひびきちゃんは一緒に帰るのに」

 碧羽が首を傾げて、ひびきを見つめる。

「ダメ。私の方が先に佑馬と約束したんだから」

 ひびきが珍しく食い下がる。朝から溜まっていた鬱憤が溢れ出してきたようだ。

「まあ、落ち着けひびき。こいつは別に悪いやつじゃないんだ、話せばわかるから。朝、家に

居たのは朝ごはんが食べたかったからなんだよ。な? 碧羽」

 噴火しない内にひびきをなだめすかす。碧羽の方をちらっと窺うと、唇を片方だけ釣り上げ

て笑ったように見えた。なぜか両手を胸元で組むと、恥ずかしそうに碧羽が話し始める。

「佑馬は何を勘違いしているのかな? 私が朝ごはんも作れないダメ女だなんて思ってたん

だ? わざわざ学校とは真反対の方角にある佑馬の家に朝から押しかけて、したい事がご飯を

食べるだけだとでも思ったの? いっぱいイチャイチャしたかったからに決っているでしょ」

「え?」

 ひびきがポカンと口を開けたかと思うと、睨んだような目で俺を見た。廊下に居た生徒たち

も何事かと思って聞く耳を立てている。

「ねぇ、聞いて? ひびきちゃん。抱いてくれている時の彼はがっしりしているけど意外と柔

らかかったの。でも、筋肉の軋みが伝わってきた時はちょっとドキッとしちゃった」

「いきなり何を言い出すの?」

 ひびきは突然のことで困惑しているようだった。

「私をソファーの上に押し倒すと彼は、ザラザラした舌で私のことを蕩けるまで舐め回して、

熱いキスをくれたの。後はもう、野となれ山となれ。どうなったのかは分かるよね?」

 碧羽の顔がほんのりと赤く染まる。オーディエンスのヤジと口笛が聞こえてくるし、これで

はいい見世物だ。

「人前でそんな話をするなんて、どういうつもり?」

 抑え気味の声でひびきが問う。まさに一触即発とはこのことだろう。

「彼の声は素敵なテノールで、背中を撫でてあげるとかわいい声でにゃあにゃあ鳴いて……あ

らあら何をそんなに怒っているのかな? ひびきちゃんは。私、佑馬の家の猫と遊んでいた話

をしていただけなんだけど。もしかして変な想像しちゃった?」

 タカに会いたかったー、と碧羽が歌う。ひびきは怒りと羞恥で顔が真っ赤になっていた。

「そんな紛らわしい言い方をするからでしょ!」

「そう怒るなってひびき。こいつは初対面の相手でもストレートに正眼から斬りかかってくるような奴なんだから、気にするな」

「佑馬はどっちの味方なの?」

 碧羽のターゲットが俺に変わる。

「どっちもだし、どっちでもないな。とにかく誰とでも仲良くしないと駄目だろ。昼休みの時

も思ってたけど、初対面の相手に突っかかっていくのやめろよ。そんなんだから、周りから浮

いた扱いされて、ぼっちになるんだろうが」

 さすがに見かねたので碧羽に教育的指導をする。黙っていればお嬢様然として可愛らしいの

に、どうして性格に難があるんだか。しかも腹黒だし。

「碧羽ちゃん、普通に友達居たような」

 解散しつつあったギャラリーの中に居た大人しそうな女子からご指摘を頂く。まじかよ。

「さっきの聞いた? ひびきちゃん。人をぼっち扱いする佑馬って酷いよね。いいもん、私は

ひびきちゃんと帰るから。残念ですが、ぼっちなのは佑馬の方なのでした」

 くすくすと意地の悪い笑みを浮かべる碧羽。一方のひびきは何がなんだかわからず唖然とし

た様子だった。こいつの支離滅裂な行動は今に始まったことじゃない。

「まぁ、私は心が広いから佑馬も付いてきてもいいけどね」

 そもそも帰る方向が違うだろ、という俺の突っ込みは碧羽に華麗に無視された。


* * *


 聞けば、初音はクラスの友達と用があるらしい。実はぼっちなのは俺なのか? スマートフ

ォンを鞄に仕舞うとため息を一つ吐く。試験前ゆえに部活は休み。下校していく生徒たちを見

ていると、暗澹とした気分になった。同性の友達はやっぱり苦手だ。男らしさに対する抵抗が

あるわけじゃないのだが。

 トイレに行くというひびきと、図書室に本を返しに行くという碧羽を待ちながら空を見上げ

る。西から張り出してきた雲が絶え間なく流れていく。風はそこまで強くはない。

「お待たせ。前もって決めてたけど目移りしちゃって」

 長い髪をたなびかせて碧羽がやって来た。小走りで来たのか息が少し弾んでいる。

「そういえば、碧羽は本好きだったな。何を借りたんだ? 言いたくないなら無理して言わな

くてもいいけど」

「試験前だから一冊だけ。サガンの『悲しみよこんにちは』っていうの。あんまり本って持っ

ておけないから、よっぽど欲しい本以外は図書室頼みになっちゃうけどね」

 碧羽が鞄から取り出して、やや色褪せた薄手の文庫本を見せてくれた。受け取って、裏に書

いてあるあらすじを読む。主人公の少女が父親と避暑に出かけた先で出会った男と恋をする。

ところが父親には再婚相手が居て……。碧羽と境遇の似たこの主人公はどうなるんだろう。

「まぁ碧羽が好きそうな話だよな」

 大した感想が言えずに碧羽に返した。どんなに無関心でも娘にとって父親は父親なのだろ

う。普段は本心をおくびにも出さない碧羽に胸が痛んだ。あの日は何事もなく帰宅し、翌日の

土曜日は碧羽の頼みで閉まっている学校から碧羽の鞄を救い出し、病院に行って診察料を支払

いに行くのに付き合った。その間もずっと普段通りに振る舞ってみせた。

「やっぱり少女趣味っぽい? でも、こういうノリが楽しめるのは今だけだと思うの。いつ死

んじゃうか誰にもわからないんだし、今やれることを今やらないと」

「縁起でもないことを言うなよ」

「ちょっと失言だったかも。ごめんなさい」

 知らず険しい顔をしていたのか、碧羽がしおらしく謝る。

「だから、佑馬も今しかできない試験勉強をやりましょう」

 お道化たように碧羽が笑う。先ほどの発言を冗談にして無しにしてしまいたいかのように。

「お前が俺を引き留めようとした理由ってそれなのか?」

「同盟関係だなんだっていっても、ちゃんとした理由を付けないと付き合ってくれる佑馬に悪

いじゃない。佑馬にだって自分がやりたい事はあるでしょ?」

 背後にまわった碧羽が俺の襟足を引っ張る。

「ごめん。週番の娘に付き合って戸締まりと日誌書き手伝ってた」

 浮かない顔でひびきが戻ってきた。

「でも、収穫はあったかな。今度の数学の試験、章末問題の3つ目を捻ったのが出るよ」

「いくら袖の下を積んだんだ?」

「ううん、ちらっと見えただけ」

 チラリズムの神よ感謝します。その問題は初見で詰んだから印象に残っていた。

「なんか小説の中のスパイごっこみたい」

 横で聞いていた碧羽がはしゃぐ。残念だがうちの担任はお前のクラスの担当じゃないぞ。

「そんな大それたもんじゃないよ。どうせやるんだったら、隠し撮りとかもっと派手にやらな

いと。そうでなきゃ、夜の職員室に忍びこむとか」

 労多くして功少なしと、ひびきが嘆息した。


* * *


 いつもの帰り道をいつもと違ったメンバーで歩く。警察署の前の信号を直進して歩いて行っ

た先に碧羽の部屋がある。遠回りでも誰かと帰るのが嬉しいのか、先頭を歩く碧羽の機嫌は心

なしか良いように見えた。

「それで、二人はいつの間に親しくなったの?」

 ひびきが前を歩く碧羽の背中に問いかける。

「初めて話したのは先週の木曜日だよ。それから色々あって現在に至るんだけど」

 碧羽が振り返る。初音の後ろ歩きは名人級だから良いとして、こいつがやっているのを見る

と何か危なっかしい。

「話を端折り過ぎだよ。色々って何が色々なの?」

「ごめんごめん。金曜日に佑馬が川に落ちたことがあったでしょ。それで、泣いてベソかいて

いたところを見つけて家に連れて帰ったのが事の始まりかな。佑馬って意外と危なっかしいと

ころあるから、ちゃんとリード付けて繋いでおかないとって思ったの」

 相変わらず口達者の奴、と感心する。嘘を吐かせてこいつの右に出る奴なんて居ないだろ

う。正確にはつくり話を考えるのが上手いのだが。

「それは初音ちゃんに聞いたけど」

 ひびきが考え込む。そして口を開いた。

「この先の村崎川で金曜日の夕方に女の人が落ちたんだって。それが誰かまでは分からないけ

ど、助けに行った男の子がうちの学校の生徒だそうなんだけど。携帯で撮った動画がアップ

ロードされていたから見たんだけど、もしかして」

「川に落ちるなんてよくあることよ。よっぽどぼんやりしている人が多かったのかも」

「そうだよね。画質があんまり良くなかったし、距離も遠くて川で誰かがもがいているのしか

分からなかったから、聞きそびれてたんだけど」

「そうそう、スケボーで滑って川に落ちるなんて間抜けは佑馬以外にはいないって」

「怪我がなかったから良かったけど、気をつけてね。危ないことをしたらダメだからね」

 曇らせた表情で俺の顔をひびきが見つめる。碧羽は俺にウィンクを投げかける。腹黒なだけ

じゃなく、たぬきだとは思わなかった。

 村崎川の橋を渡った先に、比較的大きな受験予備校が建っている。その窓には時節柄夏期講

習のポスターがベタベタと貼ってあった。来年の今頃は受験生なのだ。今やれることを今やら

ないと、という先ほどの碧羽の言葉を思い出す。

 気がつけばいつものモノレール駅が見えた。ここで碧羽とはお別れなのだが。

「そういえば、碧羽ちゃんって家はどこなの?」

 ひびきが碧羽に尋ねる。元々、俺たちに付いて遠回りしてきたのだ。このまま、一人で帰す

のは忍びなく思われた。何か名案はないものか。

「本当は家は別の方角にあるの。今日はちょっと駅の方に用事があったから」

 これは勿論嘘。いや実は本当にそうなのかもしれないけど。

「そっか、じゃあここでお別れね。変なことを口走り出した時はどうしようかと思ったけど、

私たち案外仲良くなれそうかも。じゃあ、」

「俺、ドーナッツ食べに行きたい」

 ひびきの言葉を遮るように俺は思いつきを口にする。碧羽ほど弁が立たないけど、脳みその

普段使いなれてない部分をフル活用して考えるんだ。

「ドーナッツ?」

 普段の俺らしくない押しの強さにひびきが呆気にとられている。

「そうそう。俺ってさ実は最近ドーナツ中毒なんだよ。許されるなら三度の飯がドーナッツでもいいくらいで。とにかく俺は皆でドーナッツが食べたいんだ」

 俺の言いたいことが伝われ、碧羽。

「そ、そうそう。いいよねドーナッツ。ポン・デ・リングを一年分食べられたら、私死んでも

いいわ。フレンチクルーラーでもいいけど」

 言いたいことは碧羽に伝わったらしい。アドリブは苦手なのか、普段より3割くらい大根水増しの演技ながら碧羽が同調する。さすがは同盟国ならぬ同盟人。察しが早くて助かるよ。

「じゃあご自由に。私は帰るけど」

 ひびきはそのままモノレールの駅へと向かおうとする。

「何を聞いてたんだ? ひびき。俺は『みんなで』って言ったんだ。もちろん、お前だって頭

数に入ってるんだぞ。一緒に来い」

「何で?」

「そうそう何でなの?」

 ひびきは疑問符を浮かべながら、碧羽は喜色満面の笑みを浮かべながら俺に問う。ならば答

えようじゃないか。

「俺、一度でいいからミスドで女の子を侍らせて試験勉強してみたかったんだ!!」

 一瞬、その場の空気が凍りついたような気がした。欲望をストレートに出しすぎたのがマズかったか。そういうノリはキャラに合わないからやめて、とひびきに大真面目に諭された。

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