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Undercurrent  作者: HIMMEL
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第1話『出会い』⑥

『本当に大丈夫?怪我とかしてない?』

 初音の狼狽した声が電話口から伝わってくる。あまりに帰りが遅いので一言電話しなければ

ならないのだが、電話するからには理由を説明しなければならない。ありのままを正直に話す

のは少し憚られたので大幅に改変しておいた。

『スケボーに乗っていたら止まれなくなって、滑って転んで、そのまま川に落ちました』

というのはさすがに嘘くさかったかもしれないが、一応信じてくれたらしい。

「大丈夫だよ。ちょっと擦りむいた程度で済んだから。うん、心配ないって。なるべく早く買

えるから。それじゃあ」

 半ば強引に話を切り上げる。ここは病院の正面玄関だ。夜とはいえ、客待ちのタクシーが車

寄せに何台も停まっているのは意外だった。救急車で担ぎ込まれた患者に付き添ってきた家族

が目当てなんだろう。コイン式乾燥機のお陰で服があらかた乾いている俺はともかく、碧羽が

病院衣のままでバスに乗るのは少々マズい。

 聞けば碧羽は荷物を学校においたまま彷徨っていたらしく、所持金は小銭入れに入っている

分だけだという。男の甲斐性(?)で出してやるしかないか。財布の中身を確認して十分な所持

金があることは確認済み。ズボンのポケットには元々何も入れない方なので、服が汚れてしま

ったことを除けば、大してダメージは受けていない。

「待った?」

 後ろを振り返ると、おずおずと碧羽が立っている。

「そうでもないよ。家に電話してたし」

 持っていたスマートフォンを碧羽に振ってみせた。

「早く帰って来なさい、って怒られたでしょ」

「大丈夫だよ。そんなに子供扱いされる歳でもないし、それに両親は居ない」

「あ……」

 ごめんなさい……消え入りそうな声で碧羽が謝る。

「別に深刻な意味じゃないぞ。仕事で居ないってことだから」

「ううん、それでもごめんなさい」

 ペコリと碧羽が頭を下げる。

「こんなところで立ち話するのも何だし、とりあえず家に帰ろう」

「優しいのね」

 意外な言葉を後ろから投げられて、俺は肩をすくめた。振り返らないまま答えてやる。

「触れて欲しくなさそうだから、触らないだけだよ。愚痴が言いたいなら聞く。嬉しい事があ

ったなら一緒に喜んでやる。だから」

「だから?」

「少しは小森のことも話してくれよ。無理にとは言わないから」

「そういうところが優しいんだよ」

 停まっているタクシーの窓ガラスを叩いてドアを開けてもらう。レディーファーストという

ことで、碧羽を先に乗り込ませる。制服の入った紙袋を後部座席の奥に押し込むと、そのまま

身体を滑り込ませた。その後から俺も乗り込む。

* * *


「どちらまで行きましょう?」

 病院の構内から出る手前で運転手が行き先を訪ねてくる。碧羽が告げた住所は学校からそこ

まで離れていない住宅地のものだった。ここからだと所要時間10分位だろうか。

 窓の外に流れるのは見慣れない景色。位置的には、いつも乗っているモノレールの線路とさ

ほど離れていなくて不思議な気分になる。日常から数歩裏路地に踏み入ったような感じ。

 ちらっと横目で見ると、碧羽は前を向いて座っていた。気がついた碧羽がちらっと視線をこ

ちらに投げると、はにかんだように微笑む。バツが悪いのでそっぽを向く。

「お嬢ちゃんのその格好は病院から脱走してきたの?」

 運転手が可笑しそうに口を開いた。

「いえ、貧血を起こして橋から川に落ちてしまったんです。ちょうどお友達が近くに居て、飛

び込んで助けてくれたので良かったんですけど、大事だったら大変だって救急車に乗せらてし

まって。幸い何ともなかったんで良かったです」

 説明を聞いた俺は怪訝そうに碧羽を見る。ピンと立てた人差し指を唇に当てられる。

「そりゃあ、災難だったね。でも、何でまた橋の上になんか居たんだい?」

「たまには黄昏れたくなる時もありますので」

 少し恥ずかしそうに碧羽が続ける。

「お年頃ってやつだな。そういえば、今日は夕日が綺麗だった」

「お城の近くに央街橋ってあるじゃないですか。その橋の真ん中がお気に入りの場所なんで

す。学校帰りに寄り道したくなったときには、近くのコーヒー屋さんで飲み物買って、ぼーっ

と通り過ぎる人や車を眺めているんです。それが、考えをまとめたいときの私のおまじない」

 笑うところではないのかもしれないが、思わず笑ってしまった。

「何かおかしかった? 浅野くん」

 碧羽が首を傾げている。

「ごめんごめん、意外と暗い奴だったんだなって思って。小森ってもっと周りの人間に囲まれ

て華やかなイメージがあったからさ。一人で居ることも多いんだな」

「一人で居るのってそんなに変かな? 元々成績以外に取り柄がないから、進んで友達になり

たがる人ってあんまり居ないし。自分のことは結局、最後は自分で何とかするしかないでし

ょ。だったら、孤独でいることもそんなに悪いことじゃないじゃない」

 最後の方は消え入りそうな声だった。少なくとも俺には碧羽はとても魅力的な子に見える。

可愛らしい声とか、何気ない手振りとか、ちょっと怒った時の憮然とした顔とか。

「小森の言うことは正しいんだけどさ、孤独慣れしてしまうと肝心なときに誰かの助けが呼べ

なくて詰んでしまうよ。人間一人ができる事って意外と多くないし」

「例えば?」

「小森がお気に入りのコーヒー屋に行ったら、運悪く客席が混んでました。天気は雨なので、外で黄昏れることも出来ません」

 お道化たように俺は答えた。

「傘を差せばいいじゃない」

「じゃあ風が強かったとしたら? しかも冬の寒い時期だったりとかで」

「……それってちょっとズルくない?」

 少し呆れた碧羽の顔が一瞬だけ街灯に照らされる。

「そうか? でも、あり得ない話じゃないだろ。実際そういう日ってあるし」

 勝ち誇ったように俺は告げる。

「そんなときに代わりに列に並んでくれる奴が居たら便利だと思わないか? 小森は席を確保

して待っててくれればそれでいい」

「ついでに奢りだったら悪くないかも」

「えっ!? じゃあその時限定でってことで」

「さすがにお嬢ちゃんの方が一枚上手だったな。さあ、着いたよ」

 黙って俺達のやり取りを聞いていた運転手に言われて窓に視線を向けると、そこは比較的築

年数の浅いワンルームマンションだった。


* * *


「お邪魔します」

 碧羽の部屋はマンションの4Fの端にあった。ワンルームということは一人で住んでいるとい

うことになるのだが。事情を聞きそびれたまま、誘われるがままに初めて異性の部屋に踏み入

れた。子供の頃ひびきの部屋に入ったことはあったが、あれはノーカウントだろう。

 靴を脱いで室内に入る。碧羽が電灯を点けると、シックな印象の室内が姿を現した。キッチンは清潔に片付けられ、頻繁に料理をするのか調味料類もひと通り揃っている。奥を見やると向かって右手にテレビと白いチェスト、ノートパソコンが乗ったローテーブルを挟んで、左手に一人用のソファが置いてある。ベッドは更に奥の窓際に置かれていた。窓にはベージュ色の遮光カーテンが引かれていて、窓の外の景色を伺うことは出来ない。

「何か飲む? 日本茶からプーアルティーまでひと通り揃ってるけど」

「じゃあコーヒーにしようかな」

 頷いた碧羽がてきぱきとコーヒーを淹れ始めた。ドリッパーにフィルターをセットし、計量

スプーンで粉を一杯分入れると電気ポットから少量のお湯を注ぐ。十分に蒸らした上で更にお

湯が注がれると盆に乗せて、俺に持ってきてくれた。良い豆を使っているらしく淹れたてのコ

ーヒーの芳醇な香りが室内に漂うが、豆の種類までは分からない。一口啜るとキリマンジャロ

らしいことは分かった。同じ豆でも淹れる人間によって味は変わるが、碧羽の淹れ方は上手な

方だろう。

「連れてきておいて勝手なんだけど、シャワー浴びてきてもいい?」

 何でもない日ならドキッとするシチュエーションなのだろうけど。

「いいよ。その嵐が去った後の髪の毛はさすがに正視できないし」

「はっきり言ってくれるんだから。実際、間違ってないんだけどね。浅野くんも浴びてく?」

「今日は遠慮しておくよ。小森が興奮して襲い掛かってきたら困るしな」

「それ男の子が言う台詞じゃないよ。10分で済ませるから待っててね」

 浴室のドアを開けながら碧羽が笑う。

「というか俺が変なことしないか、とか考えないのか?」

「変なこと?」

 目を丸くして一瞬考えこむ碧羽。合点がいったのかポンっと手を叩いて

「ああ!! 大丈夫。浅野くんはそういうことする人じゃないって信じてるから。それに……」

「それに?」

「その時は……その時かな」

 意味深な笑みを浮かべると、今度こそ浴室の中へと消えていった。ゴソゴソという衣擦れの

音は、程なく水が流れる音に変わる。あの中では碧羽が一糸まとわぬ姿で水を浴びているのだ

と思うと少しだけ落ち着かない気分になってきた。

 改めて部屋を見回す。意外と本を読むらしく、テレビ台兼本棚には、教科書や参考書に混じ

って文庫本が数十冊納まっている。ジャンルは純文学からミステリーまで多岐にわたる。ロー

テーブルの上には自然科学系の新書が何冊か積まれていた。生物学に量子物理学……自然科学

にも少なからず興味はあるらしい。

 何となく手持ち無沙汰なのでスマートフォンを取り出して、レースゲームを始めた。スボ

ーで爆走した時もそうだったが、スピードは人間にとって麻薬らしい。ゲームの中とはいって

も、高速で走る車を操っていると至高の高揚感が得られる。高速道路をスピード違反を承知で突っ走りたくなる大人の気持ちが、今だけはよく分かる。

 首尾よく1レースを1位で勝ち抜けたところで、碧羽が浴室から出てきた。薄紫色のもこもこ

した生地のガウンを纏った彼女は、普段学校で見る時よりも艶っぽく見えた。長い髪は括られ

て、その上からタオルが巻かれている。

「待たせてごめんね、浅野くん。私の話ちゃんと聞いてくれる?」

 真剣な面持ちで碧羽が話し始めた。


* * *


「一人暮らしだなんて驚いでしょ?」

 オレンジジュースの入ったグラスを片手に碧羽がベッドの上に腰掛ける。一段低いラグの上に座っていると、碧羽の手入れされたつま先が妙に気になって仕方ない。そのソファ使ってくれてもいいのに、と碧羽が苦笑する。

「本当に一人だとは思わなかった。俺らの歳なら、不在がちでも親がいるのが普通だろ」

「じゃあ、我が家は普通じゃなかったのかな。元々両親が共働きで家を留守にすることが多くて、小さい頃は伯母さんの家でお世話になることが多かったの。私が高校に上がってすぐの

頃、母親が交通事故に遭って死んじゃったんだ。さいわい賠償金は支払われたんだけど、問題はそこからよ。父はそれなりに地位のある人なんだけど、元々別に女が居たのね。母が死ぬや

いなや、その女と再婚してしまってね。私から見れば姉と呼んでもいいくらい、若い人を母親

だなんて呼べるわけないでしょ? 喧々諤々の末に、私は言ったの。『そんな女とは暮らせな

い。私のことは放っといて』って。半分脅しのつもりだったんだけど、父親は悪い意味で無邪

気だったのね。母親が残してくれたお金を持って私は家を出た。そんなに多くもない額だった

から、大学の学費を払って残りを生活費に充てたら無くなっちゃうと思う」

 高校卒業したらアルバイトしないと、と碧羽が呟く。第一印象に反して彼女は昔から孤立し

がちだったようだ。

「碧羽は両親を……父親を恨んでる?」

 小さくかぶりを振って碧羽が答える。

「恨んでなんかいないわ。だって、二人には二人の事情があったんだから。現に私はこうして

一人でも暮らしていけてるんだから。理解はしているの。納得出来ないってだけ。父親は私の

ことを愛してはいなかった。母親の付属品でしかなかったのよ。私は父親の声とか、仕草と

か、タバコの臭いとか好きだったのに」

「俺の声って碧羽の父親似だったのか」

「私、浅野くんの声は浅野くんの声で好きよ。さすがに比較する次元が違うよ」

 うつむきがちな碧羽が面を上げた。

「浅野くんはどんな気持ちで私を助けてくれたの? 私は本音を言えば、あのとき死んでしまったとしたらそれは運命だったと思うの。あなたは私の運命を変えてくれた。だから聞かせて。あなたは、あの時どういう気持だったのか」

 それは愚問だと、俺は思った。昼間のやり取りから漠然と分かっていたんだ。

「小森のことを放っておけないと思ったからだよ。馴れ馴れしいくせに、自分の本音は明かそ

うとしないし、その上行動が意味不明なんだから。うちのタカと一緒で首輪を付けてないと危なっかしい」

「タカ?」

「家で飼っている猫だよ。あいつはオスだし、俺よりも初音に懐いているけど」

 参ったなぁ猫と同レベルだったんだ、と碧羽が唇を尖らせて複雑な顔を見せる。その顔を見たことがある奴が、あの学校でどれくらい居るだろう。少しだけ優越感に浸る。

「今日は失敗しちゃったんだ。咳がひどいと咳止め薬を飲むでしょ。中学生の頃にね、うっか

り所要の3倍の量を飲んじゃったことがあったの。そのとき気付いたんだ、そうすると陰鬱に

沈んだ気持ちを吹き飛ばしてくれるんだって。母親を亡くすまで、本当にどうしようもないと

き限定でそんな愚かな遊びをしてたんだけど、独り立ちしたとき身体に悪いからスッパリやめ

ようと思ってたの。結局止められてないんだけどね。ちょうど母親が死んで一年経つから感傷

的になっちゃったんだよ」

 オーバードーズ。言葉だけは聞いたことがある。どうしようもない鬱屈した感情の捌け口を

求める自傷行為の一つだったと思う。最悪の場合、死に至ることもある。

「あんまり溜め込んでいると身体に悪いぞ。その、薬をドカ飲みするのも止めなよ。小森はも

う少し他人に頼った方が良いよ」

「そうだね」

 少し考え込んでから、再び碧羽が口を開く。

「じゃあ、どこまでなら浅野くんのこと信じてもいいのかな?」

「そんなこと聞くまでもないだろ。約束しよう」

「約束?」

 意を決して俺は自分の決意を碧羽に表明する。

「俺はお前の力になる。だから碧羽も塞ぎこんでないで、気が向いた時で良いから俺と一緒に

遊ぼう。何なら勉強に付き合ったっていい。駅前に美味いもの食いに行くのも悪くないな」

 碧羽が目を見張った表情をしているのが分かる。

「それじゃあ、私と浅野くんの関係を何と呼んだらいいのかな」

「好きにすればいいよ。友達でも共犯でも同盟でも」

 さすがに恋人は高望みだな、と思いつつ適当に人間同士の紐帯の名称を挙げる。

「同盟がいい」

「良いよ。よく考えると、口に出したら恥ずかしいな」

「自分で思いついたくせに」

 碧羽が小指を差し出してくる。指切りしようということか。

「それじゃあ、指きりげんまん」

 楽しそうな碧羽の調子に俺も合わせる。

「嘘吐いたら」

「針千本のーます」

 最後のフレーズは異口同音で

「指切った!!」

 あまりの子供っぽさに二人で笑い合った。

「ところでさ、さっき碧羽って呼び捨てで呼んだよね。私も下の名前で呼んで良い?」

「他の人の前で呼ばれると誤解されそうだけどな。いいよ」

「ありがとう。佑馬」

 少し照れくさそうに碧羽が俺を呼ぶ。俺と碧羽の関係はここから始まった。

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