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Undercurrent  作者: HIMMEL
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第1話『出会い』⑤

 終礼が終わると同時に、教室内に生徒たちの賑やかな歓声が湧き起こった。

 もっとも、これからの予定が夕食の買い出しで、週末の予定が皆無の俺には関係のない話な

のだが。大人しく積んでいるゲームと本を崩していることにしよう。

「ひびき、初音に買い物に付き合えって言われてるから先に帰ってていいぞ」

 使わない教科書をロッカーにまとめて放り込んで、最小限の荷物をまとめながら幼馴染に告げる。いつもよりも身軽な鞄は萎んだ風船みたいで少し間抜けに見えた。

「御蔵駅でしょ? 私も寄りたいところあるから途中まで一緒に付き合うよ」

「そうか。じゃあ俺トイレ行ってくるから、後で昇降口で待ち合わせしようぜ」

 さすがのひびきとて男子トイレまでは付いて来れまい。昼休みに気まずい別れ方をしてしまったせいで、碧羽がその後どうしているか気になっていた。午後の授業はサボったらしい。メールは送っても反応は無し。電話かけてみようか。

「はいはい。それじゃあ、初音ちゃんと待ってるから」

 無言で手だけ振ると鞄を担いで教室を出た。隣の教室を横目で見る。居るわけないか。

 辻褄合わせの為にその足で男子トイレに入る。奥の窓際に立って、碧羽に電話をかける。出

たのは留守番電話サービスセンターだった。

「小森か。浅野だけど、さっきは無神経なこと言ってごめん。許してくれなんて甘ったるいこ

とは言わない。誰にも踏み込まれたくない事情ってものがあるよな。俺にだってあるよ。いつ

かお前やひびきとかに話して笑い話にできたらいいな、ってのが山ほどな。急に居なくなって

気になったから、電話したんだ。良かったら折り返し電話してください」

 余計なことを話しすぎた気もする。あまり長居するのも不自然なので、とりあえずはひびき

達と合流することにする。

 下校時間ということもあって賑わっている階段を降りていると、スマートフォンがメール着

信を告げる。相手は碧羽で本文は涙の絵文字付きで一言『ばか!!』だった。

 即時に返信する。

『本当にごめん。今度パンケーキでもクレープでも好きなのを奢ってやるから』

 その内、碧羽に頭が上がらなくなるような気がする。その時はその時だな。

  昇降口にはひびきと初音が待っていた。

「待たせたな。さあ行こうか」

「掃除当番だったからいま来たとこ」と初音。

「スケボーは無しね。佑馬は良いかもしれないけど、周りの注目を浴びて結構恥ずかしいんだ

から」と嘆息するひびき。

「わかったよ。仕方ないな」

 口先だけは不承不承に従う。誰かと並んで歩くのは意外と悪くない。

 

* * *


 途中までは朝歩いてきた道を逆戻りする。そのままモノレールに乗らずに、いつも降りる駅から線路沿いを家とは反対方向に歩いていった先に御蔵駅はある。徒歩で10分弱くらいか。

「お姉ちゃんは服を見に行くんだって」

 初音が器用に後ろ向きで歩きながら、にこやかな笑顔を向けてくる。

「ほら、来週の土曜日からセールが始まるから目ぼしいのを見ておきたくて」

「意外とひびきって衣装持ちなんだよな」

「意外でもないよ。女の子って可愛い物を来られるのが良いところだけど、流行が過ぎるのが

早いのが難点なんだよ」

「その代わり男の人よりも安めに買えたりするけどね。まぁ、数揃えると結局変わらなくなっ

ちゃいそうだけど」

 初音が付け加えて説明してくれる。

「んー、俺は特に考えてないけどな。だらしない格好にならなければそれでいいって感じ。人

混みに揉まれなくてもネット通販で買えるし」

「試着してみないと似合うかどうか分からないんだよ。あと生地の肌触りも触ってみて初めて

分かる部分ってあると思うんだ」

「私は新しい浴衣が欲しいかな。お祭や花火に着ていくの」

 初音がくるっと一回転する。制服のスカートが花を咲かせたようにふわりと舞い上がった。

「花火かぁ……ちょうど一ヶ月後だったね」

「楽しみだよね」

「また髪結んであげるね、初音ちゃん」

 市役所の前を過ぎると大きな橋が見えてくる。この町の中心部を流れる村崎川には、この橋を含め何本もの橋が平行して掛けられていた。

 何となく下流の方向に視線をやった俺はギョッとした。この橋の一つ下流の橋――央街橋と呼ばれている――の真ん中辺りに碧羽が立っていた。ここからは100mほどの距離があるのだ

が直感でわかった。

 俯いていた碧羽と視線が合う。向こうも俺のことが分かったのだろう、手を振っているのが

見える。先ほどのやり取りがまるで嘘のようだった。

 様子がおかしいと思ったのは、碧羽が欄干に身を乗り出しているのが見えたからだ。何をやっているんだ? あいつ。そこを乗り越えてしまったって……どこにもいけないのに。

 まるでスローモーションの映像を見ているようだった。碧羽は真っ逆さまに川に落ちた。

「碧羽!!」

 どうしてこうなったのか、考えるのは後回しだ。こんなときに頼りになるのは理屈よりも行動なのだ。スケボーを始めて1年と数カ月、今までのダラダラした滑りが嘘みたいな速度で央街橋へと突っ走る。ひびきと初音が信号の向こうを歩いているのが見えた。そこから直進せずに左へ曲がる。運命の分かれ道なんてものはきっと、こんな些細なことから始まるのかもしれない。決して少なくはない人通りの歩道を避け、車道へ降りる。

 先刻まで居た橋が遠くに見えた。ほんの数十秒がこれほど長く感じたことはない。野次馬が集まってきているのか、人だかりができていた。

 碧羽はバシャバシャと水面で藻掻いている。恐らくは碧羽の身長では足がそこに付かないのだろう。水深は約2mくらいといったところか。今、この間にも碧羽の身体は川に流されよう

としている。

 橋の欄干にスケボーを立てかけて鞄を下に置く。幸い泳ぎは得意だ。欄干を乗り越えて向こう側に降りる。大きく息を吸い込むとそのまま俺は川に飛び込んだ。

 川の水は思ったよりも冷たいが凍えてしまうほどではない。西に傾いた太陽が何くわぬ顔で水面をキラキラと照らしている。自然はどこまでも人間と没交渉らしい。

 平泳ぎで腕を無闇矢鱈と振り回している碧羽に後ろから近寄る。濡れそぼった服が重くて仕

方がない。まずは落ち着かせないと。バタバタと足掻いている碧羽を押さえつけてやる。

「まったく何をやってるんだよ」

「パパ」

 一瞬目の前が真っ暗になったような気がした。

「パパ帰ってきてくれたの? きっと迎えに来てくれるって思ってた。碧羽が良い子にしてた

から、あんな女とは別れてくれたんだよね。これで、また昔通りに一緒に暮らせるね。ママが

死んじゃったは残念だけど、碧羽とパパでまた元通りやっていこうよ」

 女の子に手を上げるのは躊躇われたものの、状況が状況なだけにしかたあるまい。力加減に気をつけて碧羽の頬を2回張る。

「誰がお前の父親だよ!? 俺だよ、浅野だ。頭がおかしくなってるのか!?」

 泣きじゃくる碧羽を強引に引っ張って岸に向かって泳ぎ出す。条件が悪かったら二人揃って

土左衛門になっていてもおかしくないところだ。特に今は梅雨時だし、雨が続けば当然水かさの量も増える。砂が混じって濁った水が流れているのは目にしたのは一度や二度じゃない。

 気持ち悪くなったのか碧羽が嘔吐し出したので、背中を擦ってやる。濡鼠になった彼女の髪

に艶やかさよりも、憐れみを覚えた。いつもは人形みたいに綺麗な顔もすっかり汚れてグチャグチャになっていたけど、意識して見ないことにする。

 難儀しながら岸に辿り着くと、通行人が呼んだのか救急車が待ち構えていた。少し離れた場

所には消防の車も停まっている。救急隊員とレスキュー隊が駆け寄ってくる。

「半分混乱してますけど意識はあります」

 わかった、と頷くと救急隊員が介抱にかかる。幸い、医師の診察を受ける必要があるもの

の、その日の内に帰れるだろうということだった。

 20代くらいの若い巡査に事情を尋ねられたが、ひと通り経緯を話すとすぐに開放された。高校生の悪ふざけに構っているほど暇じゃないのか、空気を読んでくれたのか。ついでなので、彼に頼んで置き去りにした荷物を持ってきてもらう。鞄の中に入れていたスマートフォンのデ

ィスプレイにメールと電話があったことが大量に表示されている。目についた妙なものを撮影

して送りつけてきている。その空気の読めなさが、今はある種の救いだった。

 救急車に同乗を許されたので、碧羽と共に乗り込む。受け入れ先はここからさほど離れてい

ない総合病院だという。ハッチバックが閉じられると、サイレンを鳴らすしながら走り出し

た。カーテンの隙間からフロントガラス越しに外をうかがう。信号を無視し、車を次々と追い

越していくのは不謹慎にも新鮮に感じられた。


* * *


 病院の処置室の前に設えられた長椅子にはガムテープで補修が施されている。

 時間は午後7時を過ぎていた。碧羽がここに運び込まれてから小一時間が経過している。診

察した医師によれば、幸い大事はないのでしばらく休んだら帰って良いとのことだった。問題

があれば再度来院するように、と言っていた。これは職業上お決まりの文句なのだろう。

 頭に浮かぶのは、家族の話題を振られるの嫌がった昼休みのこと。きっとそれは碧羽にとって悲しい思い出だったに違いない。普段碧羽はどのような暮らしをしているのだろう。母親が亡くなっているのは浅野家と同じだが、不在がちでも父親が健在なのがどれだけ有難いかが分

かる。碧羽と父親の再婚した相手とは仲が悪いらしい。友達がいるのが最後の救いだとした

ら、俺には何が出来るだろう。くだらない話で盛り上がるとか、一緒に食事するとか、無力な

自分でも出来る事があれば教えて欲しかった。

 どんなに小奇麗な内装をしていても、病院特有の陰鬱な空気は好きになれない。ノロノロと

立ち上がると、外来時間の終わったせいで薄暗い廊下を抜けてロビーに向う。面会時間は20時

までなのでロビーは対照的に明るかった。

 喫煙所の前に自動販売機を見つける。碧羽が飲んでいたあのお茶、どんな味がするんだろ

う。小銭を投入して、碧羽の分と合わせて2本購入する。他人との接点を作る第一歩は些細な

ことから始まる。そんなにお茶が飲みたいなら、俺が手ずから淹れてやったっていい。こちとら、あの柔らかドS委員長に鍛えられているんだ。そのくらいお茶の子さいさいだ。

 いくらか軽い足取りで戻ってくると、先ほどまで俺が座っていた長椅子に碧羽が腰掛けていた。さすがに濡れた制服をもう一度着せるわけにはいかなかったのだろう。入院患者用の薄緑色の病院衣を着せられていた。薄手の生地から碧羽の身体のラインが普段よりも意識される。

「付き添いの友人が居るから待っていろ、って言うから誰かと思ったら」

 これ以上ないほど、バツの悪そうな面持ちで碧羽が俺を睨んでいた。

「思ったより元気そうで良かったよ」

 苦笑しながら、持っていたお茶を差し出した。

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