第1話『出会い』④
退屈な午前中の授業を4時間分やり過ごして迎えた昼休み。いつものごとく俺はひびきと弁当を突いていた。男友達に乏しい俺と違いひびきと食べたがる女子は何人も居る。今日も例によって同じクラスの女子(悪いが名前は忘れた)が同席している。困ったことに男子よりも女子の方が馬が合うので、勝手に呼んでる『ひびきコネクション』は有難いとは思うのだが。
「昨日もねメールも電話も何回もしたのに何にも反応してくれないの。先週まではむっちゃラブラブだったんだよ? これって酷くない? もしかしたら他に好きな子ができたとか? 不
満なところがあったなら、言ってくれれば直すのに」
聞きたくない話を食事中に振ってくる神経に問題が合るんじゃないだろうか。内心に止めつ
つ、俺は自分の弁当を頬張る。本日のメニューは筍ごはん、朝食のついでに作ったスパニッシュ玉子焼き、タコさんのウィンナー、ミニトマト、ブロッコリー、冷凍食品の唐揚げにミートボールだ。味は俺が千羽鶴を折って付ける。これが本当の折り紙付き。
「週末は一緒にご飯食べて勉強も見てくれるって言ってたのに!!」
「カレシの方にも何か事情があったんだって。もしかしたら風邪で寝込んでいるとか、研究が
忙しいかもしれないでしょ」
「それでも音沙汰ないのはおかしいし。あたしのこと飽きちゃったのかも」
ペットボトルの水を一口含んで、涙目で項垂れる某女子。ひびきも困った様子だった。
「佑馬も聞いてばっかりいないで。何か気の利いたこと言ってあげてよ」
そこで俺に振るか。気の利いたことと言われても。
「最後に会ったのはいつだ?」
不承不承に口を開く。心底性に合わないんだけどな。
「先週の日曜日だよ」
「その時、何か変わったことがなかったか? 些細な事でもいいから」
唇に手を当ててしばし某女子が考える。そして、おもむろに口を開いた。
「変わったことといえば……先週病院に行ったって言ってた」
「病院? どこか具合が悪かったとか?」
ひびきも興味を示したらしい。
「ううん、お見舞いに行ったの。彼のおじいちゃん、風邪をこじらせて入院したんだって。詳
しくは聞かなかったけど肺炎か何かなのかも」
「この時期急に寒くなるから、体調崩しちゃう人多いよね。佑馬も昔はしょっちゅう病気して
たもんね」
「ひびきちゃんと浅野くんってそんなに昔からの付き合いだったの?」
某女子が目を瞬かせて尋ねた。
「いわゆる腐れ縁みたいなもんだ」
「いわゆる腐れ縁みたいなものよ」
珍しく綺麗にハモった。普段はカレイとヒラメのような仲なのに。
「病院って市内にあるの?」
「御蔵駅から少し離れているけど、そんなに遠くはないよ」
某女子が名前を挙げた病院は地域では比較的大規模な総合病院だった。幸いにも一度も世話
になったことはないが。
病院……風邪……肺炎……。何故か我が家の飼い猫が唐突に思い浮かんだ。
「何となく察しが付いたような付かないような」
「変なことでも思いついた?」
「何ですか」
二人揃ってこっちを見るな。
「その彼は肺炎を患った爺さんの病院に見舞いに行ったんだよな」
「そうだけど?」
「それで?」
ここから先はあまり自身はないのだんだけどな。
「お見舞いに行った先の病院で重大な病気を貰ってきたんだ。それは隔離しなければならない
ほど重大な疾患で、もしかしたら死んでしまうかもしれない」
「縁起でもないことを言わないで」
俺は軽く片手を上げて制止する。まぁ最後まで聞け。
「医療技術のめざましい進歩により伝染病のほとんどは治せるような病気に変わったんだ。バ
タバタ死んでしまうようなの重いのは根絶されたけど、たまに思い出したように現れるのがあるだろ」
「それって何ですか?」
某女子が首を傾げる。
「肺結核だよ」
一瞬の沈黙が三人の間に降りる。それを破ったのはひびきだった。
「おじいちゃんから結核が感染ったんだったら、真っ先におじいちゃんを隔離しないといけな
いじゃないの」
「おもしろいとは思うけど、それはちょっと論理が飛躍し過ぎかも。あたしね結構ミステリー読む方だから。そういえば、彼にも勧めることがあるんだけどうっかりネタをばらしちゃって気まずくなったことがあったな。最近読んだのなんてまさか犯人が……いけないいけない」
そりゃマズいでしょうお嬢さん。相手によっては本気で憤慨すると思うんだが。
「少しは落ち着いたみたいね。佑馬の推理はあんまりだけど、本当に深刻な事情があるのかもしれないし、もう少し様子を見てみたら?」
「そうそう。口に出すのも恥ずかしい事情があるのかもしれないしな」
どんな事情よ、それとひびきが突っ込む。ガラス瓶を踏み潰したら破片が靴を貫通してに刺さったとか。小学生レベルのヘマをいい年した大人がやってしまうのはよくあることさ。
「うん、そうする。ありがとうひびきちゃん。あとついでだから、浅野くんも」
女子同士で抱き合う行動の謎こそ誰か解いて……くれなくてもいいか。眼福だし。
「ところでさ」
某女子に向き合ってかねてからのもう一つの疑問を口にする。
「お前って名前何だっけ?」
二人が顔見合わせ合う。
「ひびきちゃん、浅野くんって結構イケてると思ったけど実はデリカシーなかったりする?」
「それは思っても口にしちゃダメだよ、美幸ちゃん。長年の頭痛の種なんだから」
呆れたひびきがふるふると首を振った。
* * *
昼休みで賑わう校内を購買に向かって歩きながら、俺は先程のことを思い返していた。好き
な人に素っ気ない素振りを見せると存外女子は狼狽するらしい。昨夜親父も似たような事を言
っていたではないか。
だったら碧羽に対してはどうだろう? どういう反応をするか予想もつかなかった。軽く受け流されたら、それはそれで悲しいものがあるし。俺はどのように思われているのだろう。
ぼんやりと考えていると、学食の方から碧羽が歩いてくるのが見えた。はっと一瞬驚いた顔
をした後、にこやかに笑って俺に向けて手を振ってくる。気恥ずかしいこともあって、軽く受
け流して右に折れる。購買はその先にあるのだ。
「何で無視するの」
追いかけてきた碧羽に後ろから背中をポカポカ叩かれた。あまり痛くはないけど。
「何でもなにも、購買にジュースを買いに行きたかったんだよ」
「それじゃあ私もジュース買う」
口をへの字に曲げると、碧羽がスカートのポケットから小銭入れを取り出した。
「別にいいけど。お前って昼飯学食なのか? あそこ結構混むだろ」
「別に慣れてるから平気。本日のB定食は鯖の味噌煮でした」
「A定食だと脂っぽいメニュー多いからな。あれは男向けだ」
「たまには頼むこともあるけどね。唐揚げが美味しいんだ。私の大好物」
「奇遇だな。今日の弁当のおかずは唐揚げだったぞ。冷凍食品の」
「いかにもお弁当って感じだよね」
「学食の唐揚げも多分冷凍食品だぞ。業務用のだろうけど」
「同じ冷凍食品でも、こっちは美味しいから良いの」
自販機の前で駄弁っているのも迷惑なのでさっさとジュースを選ぶことにする。ひびきのは適当にラテ系にするとして、俺のは炭酸でいいか。千円札を入れてボタンを押す。
「せっかくだから奢ってやろう。何がいい?」
取り出し口からラテを取り出すと碧羽に尋ねた。
「いいの? それじゃあね。な・に・し・よ・う・か・な」
腕を後ろに組んで身体を揺らしながら碧羽が品定めをする。おもむろにボタンを押したのは
「それじゃあ、浅野くんごちになります」
「一番高いお茶を選んでくるとか。実は腹黒だろお前」
「仕方ないよね。女子たるもの健康には日頃から気をつけないといけないから」
くすくす笑いながら冷たいペットボトルを頬に押し付けられる。
「別に良いけどな。俺はこれにする」
「果汁全然入ってないけど果物味ってどうかと思う。それはオレンジ味が至高でしょ」
「はぁ? グレープ味が究極にきまっているだろ。アルコールの入っていないワインみたいで
良いんじゃないか」
いくら碧羽でも聞き捨てならない言説に思わず反論してしまう。
「うわぁイケないんだー。浅野くんってワ・イ・ンなんか飲んでるんだ」
「学校社会的に死んでしまうからやめてください。というか、モノの例えに決まっているだろう。あんまり素直なのも困りモノだぞお嬢さん」
悪役っぽく凄んでみせる。
「その顔あんまり怖くない。そういえば、最初に買ったラテは? 誰の分?」
「ああ。それはひびきにやる分だよ。朝、校門で妹と一緒に居ただろ」
「あの子は同じクラス?」
「いわゆる腐れ縁ってやつだけどな」
似たような事をさっきも言ったな、と思いつつジュースをチビリと飲む。喉が炭酸でピリピ
リするのが心地よい。
「お風呂とトイレ以外はずっと一緒とか」
手を口元当てて可笑しそうに碧羽が笑う。
「さすがにそこまではない。登下校と昼飯が一緒なくらいだ」
「でも一緒にご飯食べてくれる人が居るっていいじゃない。羨ましいよ」
ふとここで一つ疑問。碧羽って俺を含め他人を引き寄せる引力を持っている娘だと思ってた
んだが。もしかして……。
「小森ってさ実はぼっちだったりする? 昼飯も一人で食べてるとか」
かわいらしく両手でお茶を飲んでた碧羽が一瞬凍りつく。
「そ、そんなことないって。お昼はクラスの子3人で食べてたし」
「慌てて否定するところが怪しいよな。というか顔がひきつってるぞ」
半分嘘だけど。
「浅野くんのイジワル」
「ゴメンナサイ」
素直に謝っておくことにする。
「別にいいけどね。半分は当たってるから。お昼はちゃんと一緒に食べる子居るからね。そうじゃなくて」
少し寂しそうな表情を浮かべながら碧羽が告げる。
「うちの家族ってさ、ちょっと特殊だから。家に帰っても誰もいないの」
「それって?」
「さっきのは失言。ちゃんと家族は健在だし、仲睦まじく暮らしているんだから」
碧羽にしては歯切れの悪い言葉に、碧羽のぼっち疑惑は更に深まった。ただ、学校で孤立し
ているようには俺が知るかぎり見えなかった。
「何か問題でも抱えているのか? 俺じゃ上手く言えないけど、ひびきも居るし」
ふるふると碧羽が首を振る。
「今はまだ話したくない。お茶ありがとね」
ボトルのキャップを閉めると碧羽はそそくさと走り去っていってしまった。人付き合いが薄
いのは俺も変わらない。罪悪感がチクチクと胸を突いた。許してくれるといいんだけど。
ひびきにあげるはずだったラテはすっかり温くなってしまっていた。
* * *
「ただいま」
隣の教室を覗いても碧羽はまだ戻ってきていない様子だった。嘆息混じりに自分の教室に入
ると、ひびきと、ジュースを買う道中で名前を思い出した中谷美幸が待っていた。
「おかえり。どこで道草食ってたの?」
「ちょっと自分の至らなさを反省してた」
買ってきたラテをひびきに渡す。
「何これ?」
「何となくおみやげ」
「はぁ……。それよりさ」
傍らの中谷に視線を送る。中谷は何やら嬉しそうな顔をしていた。
「さっき浅野くんが話してたじゃない。肺結核がどうのって話」
「ああ、あれね。実は当てずっぽうかつインチキなんだ」
「インチキ?」
中谷が首を傾げる。
「今朝新聞を読んでたら、市内の病院で結核の集団感染の問題の記事が出ててさ。結核って小説の中の病気だと思ってたけど、今でもしっかり流行っているんだなって思ったんだ。それで、そのとき猫に邪魔されたから覚えてた」
「それでも当たっちゃうんだからすごいよ」
謙遜でも何でもなく本当に当てずっぽうだったんだが。
「すんげーツンデレだけどな。餌をあげると懐いてくるけど、普段はあんまり」
ひびきがそれを受けて説明を加える。
「美幸ちゃんの彼氏本当に隔離入院してるんだって。幸いに症状は軽いから週明けには出て来
られるみたいなんだけどね。しばらくは通院しないといけないみたいだけど」
「携帯も持ち込めないから超退屈だって言ってた」
「そういえば、家族とか看護師さんに伝言を頼む方法もあっただろうに」
中谷がクスッと笑う。
「私たちのこと彼氏の家族には内緒なんだ。照れくさいんだって」