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Undercurrent  作者: HIMMEL
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第1話『出会い』③

 目覚ましが朝を告げる。

 朝はどうにも好きになれない。今は6月だからまだマシなものの、冬場のピーンと張り詰め

た空気は特に苦手なのだ。

 時計の針は午前7時を指している。すぐには起き上がらずに、枕元に置いてあったスマートフォンを弄っていると足元に何かの重みを感じた。

「おはよう」

 正体は飼い猫のタカだった。目が合うと一声小さく鳴いて、そっぽを向かれる。あくびをし

ている辺り、こいつも無理矢理起こされたのだろう。日中はケージに入れている分、朝晩は自

由に歩き回らせている。先に起きた初音が俺の部屋に放り込んでいったらしい。

観念して起き上がると、制服に着替えることにする。カーテンを開けて、天気を窺う。どんよ

りと曇っていて、いかにも梅雨らしい。予報は晴れで、降水確率は30%。傘を持っていく必要

はないだろう。

 教科書を見繕って鞄に放り込むと、猫と共に階下に降りる。台所では初音が朝食を作ってい

た。制服の上からエプロンを付けて、作っているのはスパニッシュオムレツらしい。フライパ

ンから皿に移されると、食欲をそそるかぐわしい匂いが広がる。

「タカちゃんにお兄ちゃんも。おはよう」

 猫が初音の足元に駆け寄ってじゃれる。家族の中で一番懐いているのが初音なのだ。

「おはよう、初音」

「すぐにできるから、先にタカちゃんにご飯あげておいてね」

「へいへい」

 戸棚からキャットフードの袋を取り出して適量を餌皿に盛り付けてやると、まっしぐらに駆

け寄ってきた。回数は朝晩の2回で朝は俺、晩は初音が与えることになっている。

 その毛並みは初音に毎日ブラッシングされているお陰で滑らかだ。猫にしては珍しく、水浴

びを嫌がらないということもある。白猫の彼が我が家の一員になって既に5年。普段は聞き分

けの良い初音がわがままを言った稀有な出来事だったと思う。

 ローテーブルの上に置いてあった朝刊を流し読みしていると、気になる記事を幾つか見つける。その内の一つを読んでいると、タカが膝の上に乗ろうとしてきたので軽く追い払う。

 初音のお呼びがかかる。本日のメニューは件のスパニッシュオムレツに作りおきの野菜サラ

ダ、トーストが2枚。コーヒーメーカーから淹れたてのキリマンジャロをカップに注ぐと席に

ついた。

「いただきまーす!!」

「いただきます」

 二人で唱和する。初音の料理の腕は母親ゆずりだと親父が言っていた。それでも、最初は失

敗してばかりだったけど。相変わらず玉子焼きか目玉焼きしか作れない俺とは随分な差だ。テ

ンプレから抜け出せないのがいかにも俺らしい。

「お兄ちゃん、今日の放課後って何か予定がある?」

「んー、何もなかったと思うけど」

「それじゃあ、買い出しに付き合って」

「ああ、昨日言ってた店か。駅前だったっけ?」

 マンゴーのやりとりを思い出す。

「そうそう。チラシ見てたらお肉が安かったから、ついでに色々買っちゃおうかなって」

「じゃあ、今日は焼肉かステーキだな」

「お肉が豪勢な野菜炒めというのもありじゃない?」

「その手があったか」

「じゃあ、決まりだね」

 両手を合わせて、初音が笑う。こいつはいつまで経ってもお兄ちゃん子なんだよな。母親が

亡くなって、父親も何かとつけて不在なこともあるし。少なくとも高校卒業するまでは、この

ノリでやっていくのだろう。それから先のことは漠然としたイメージしかないけど。2年先の

未来が今は随分と遠いように感じられる。

 少し覚めたコーヒーを飲み干すと、空いた皿を流し台へと持っていく。初音はまだ食べてい

るらしい。洗える分からさっさと洗ってしまおう。朝の時間には千金の価値がある。

 食べ終わったのか、初音はタカとじゃれて遊んでいる。その様子に苦笑しながら初音の皿を下げる。どんなに背伸びしても初音は16歳の女の子なんだよな。賑やかな声がリビングから聞

こえてくる。でも、四つん這いになって猫を追いかける妹の図というのはどうかと思う。楽し

そうで結構なんだけど。

「私のお皿洗ってくれて、ありがとうね」

 一しきり遊んで満足したのか、初音に抱えられたタカが目を細めて笑ったような表情をつく

る。頭を撫でられるとゴロゴロと気持ちよさそうに鳴いた。

「別にいいけど、相変わらず仲が良いよな」

「うん、こんなにかわいいんだもん」

 ギューッと強く抱きしめて、頬ずりするのはさすがにどうかと思う。うっかり絞め殺してしまったら笑えないだろ。

「でも、帰ってくるまではお別れだね」

 初音が名残惜しそうにリビングの隅置いてあったケージにタカを入れてやると、タカは大人

しく中に納まった。昼は日当たりの良いリビングで過ごし、夜は初音と一緒に眠るのだ。

「えへへ、先に洗面台使うね」

 そして、照れくさそうにリビングから出て行った。時間がかかるのは目に見えているので、

リビングに言ってテレビを点ける。チャンネルを変えて、スポーツコーナーをやっている局を

選ぶ。贔屓のサッカーチームは相変わらずパッとしない。画面右上の時計は午前7時45分を示

していた。


* * *


「あのときの三枝さんの台詞が良かったね」

「そうそう『君だけは絶対に離さない』って抱きしめられて耳元で囁かれるなんてシチュって一回やってみたいんだよ」

「ああいうドラマチックな展開って実際にあったら違和感があるんだけど、劇中だと全然そん

なこと感じさせないから不思議」

「製作者の仕掛けだって分かってても、やっぱり惹かれちゃうんだよね」

「それができるから、プロなのかも。お話作るのって簡単そうだけど、結構難しいんだね」

 前を歩く二人は先ほどから延々とドラマの話をしている。事の発端は何だっただろう。確

か、こんど封切りの映画の広告をモノレールの車内で見てからだった気がする。

 スケボーでちょっと離れる、追いつくを繰り返していると蚊帳の外に居るのがいや増しになったようだ。御蔵城を右手に臨むこの道は朝でも意外と人通りは多くない。

「今度DVD貸してあげるね」

「本当? ありがとうお姉ちゃん」

「かわいい妹の頼みだもん。うちにも姉妹がいたらよかったのにっていつも思うよ」

「じゃあ、またお姉ちゃんの家の子になろうかな」

「そうだよ。せっかく高校も同じになったんだし、また泊りにおいでよ」

「じゃあ、テスト明けとか」

「いつでも大歓迎だよ」

 本当に実の姉妹のように仲の良い二人だ。

「どうしたの? 急に黙りこんじゃって」

 不意にひびきが水を向けてきた。

「私が取られちゃうからヤキモチ……焼いてたとか?」

「なにそれ。佑馬のくせにカワイイじゃない。でも、仕方ないのよ。佑馬は初音ちゃんみたい

に女の子じゃないし、弄りがいがあるほど髪も長くないんだから」

「別にヤキモチなんかやいてない」

「お兄ちゃん声が震えてるよ」

「俺のことは良いんだ。どうせ橋の下で拾われてきた子なん……って無視かよ!!」

 自販機の陰にしゃがみ込んで寂しいアピールをしてみるも、華麗にスルーされていた。男の

ツンデレってどうしてこんなに見苦しいんだか。ノロノロと立ち上がって気分直しに缶コーヒーを買うことにする。

 それを一息に飲み干して、芝生の上にあるスチールのゴミ箱に無造作に放り込んだのが運の

尽き。痛恨のコントロールミスで思いの外遠くへ飛んでいった空き缶は、タイミング悪く歩いてきた碧羽の額にコツンと当たる。

「小森っごめん!!」

 慌てて駆け寄って行く。碧羽が足元に転がっていた空き缶をしげしげと見つめている。

「浅野くん……」

「空から空き缶が降ってきたんだけど、これって?」

「そこのゴミ箱に3ポイントシュート決めようとして失敗したんだ」

 びっと指先で示す。網目模様のゴミ箱はバスケットボールのゴールに見えなくもない。

「はぁ……」

「普段は入るんだけど、何か手元が狂ってしまったというか」

「別にいいよ、そんなの。浅野くんに会えたし。いつもこの時間に来るの?」

 ふふっと碧羽が笑顔を浮かべると、陰鬱な曇り空に太陽が射し込んでいるように見えた。

「今日は少し早い方だな。モノレールの時間次第だし、日によっては10分位は遅いかも」

「そうなんだ。じゃあ、このくらいの時間に来れば一緒に学校に行ける……のかな?」

「大抵の場合は連れがいるけどな」

「誰か一緒に行く人が居るの?」

 碧羽の表情が少しだけ翳る。

「妹と近所に住んでいるヤツだけどな」

「女の子?」

 初音が実は男だったらちょっとしたホラーだから、ひびきのことを言っているのだろう。

「女だけど幼馴染だし、別に特別な関係じゃないよ」

「幼馴染って良いじゃない。浅野くんのこと何でも分かってそうだもの」

「そんなもんかな?」

「そんなもんだよ。良いことも悪いことも一緒に分かち合える人って居ないから」

 どういうつもりか、碧羽が右手を差し伸べてくる。それを軽くいなすと碧羽に先立って歩き

始めた。小学生じゃあるまいし「あおばちゃんとおててつなぐ」とか恥ずかしすぎだろう。

 元の道に戻って程なくすると警察署前の交差点に出る。そこから右に曲がったところが学校だ。先に行っているあいつらは既に着いているだろう。

「今日はスケボーに乗らないの?」

「いや……なんとなく」

 勿体無い気がしたからとは言えない。あと一緒に歩いてみて、意外に碧羽は歩くのが遅いと分かったということもある。

 校門まで来たところで見慣れた二人が待っていることに気づいた。二人揃って目を丸くして

いる。先ほどの空き缶を投げつけられた碧羽と似たような顔で何となくデジャブを感じた。

「遅かったじゃない、ゆまくん。私ずっと待ってたんだよ? 今まで何やってたの?」

 いつものお下げ髪を揺らして初音が近づいくると、強引に俺の腕を組もうとする。少し胸が当たっているけど気にしていないのは、兄妹の気安さゆえか。

「あの……あなたって妹さんですよね?」

 たじろいだ様子で碧羽が尋ねてくる。リボンの色で学年を区別しているから、先ほどの話と

合わせると一目瞭然。突っ込みどころを的確に掴んでくれて助かるよ。

「私、血が繋がっているなんて一言も言った覚えがないんですけど」

 どこから覚えてきたのか、初音がさり気なく重大発言をする。

「ちょっと待て。俺も聞いてないから」

 さすがに聞き捨てならないので、突っ込みを入れる。なんでやねん。

「私、ゆまくんと一緒に寝たんだから」

 初音は何気に演技が上手い。何も知らない人から見たら、あっさりと騙されてしまうに違い

ない。週にドラマを何本も見ているのは伊達じゃないらしい。

「えっ!?」

 驚いた碧羽が俺の顔をじっと見つめる。

「それは子供の頃の話だろうが」

 初音の頭をペシンと叩いてやった。

「あはは、悪ふざけが過ぎちゃいましたね。初めまして、ゆまくんの妹の浅野初音と言いま

す。ちゃんと正真正銘の妹なのでご心配なく」

「初音ちゃんはねドラマの真似がしてみたかっただけなんだよ。ついでに佑馬をドッキリさせ

てやろうって話してたんだよね」

「ねー」

 一人冷静なひびきが謎解きをしてみせるが、皆まで言うな。

「そうだったんだ。私は小森碧羽と言います。よろしくね、初音ちゃん」

「私は若宮ひびきだよ。よろしく碧羽ちゃん」

 碧羽が二人と握手を交わす。初顔合わせは辛うじて良好に終わったようだ。

 一人だけ一年生の初音は教室が1階だから、昇降口で別れて俺達は自分の教室を目指す。隣

の教室で碧羽とも別れると、いつもの教室に入る。

 見知った連中に適当な挨拶を投げて、自分の席に座ると担任が来る前にスマートフォンを引

っ張りだした。画面にメール着信が何件かあったことが表示される。その内の一件が初音からだった。

『さっき私がお兄ちゃんの恋人だって行った時の碧羽ちゃんの表情が面白かった。妹だって知

った時の安心した顔はお兄ちゃんにも見せてあげたかったよ』

 初音はどうも、俺と碧羽が仲良くなることを快く思っていないらしい。

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