表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Undercurrent  作者: HIMMEL
2/23

第1話『出会い』②

 家路に付いたのは結局20時前だった。駅前のゲームセンターに立ち寄って、何回か音楽ゲームで遊んだ後、商業ビルに入居している書店で小説と参考書を購入した。モノレールは帰宅する人々で混み合っていたが首尾よく座席を確保する。

 車体の振動に身を委ねながら、思い返すのは今日のこと。というか主に小森碧羽のことを。脳内フォルダから彼女の笑顔を呼び出すと、顔がにやけてくる。傍から見たら相当危ない奴に見えることだろう。

 あいつって何気にスタイルが良いんだよな。出てるとこ出てるというか。性格も良いし、引

く手数多なのは間違いないだろう。俺に声をかけたのも何かの気まぐれだったのかも知れない

じゃないか。あいつから見た俺はきっと大勢いる友達の中の一人にしか過ぎないのだ。

 軽く頭を振る。車内には同じ学生やらサラリーマンのおじさんが大勢乗っている。彼らもそ

れぞれに嬉しいことやら悲しいことを抱えて生きているのだろう。何が面白いのか、しきりに

笑っている女子大生のグループでも。

 考えてみれば、俺は誰かにとって特別な一人になれるだろうか。誰でも良いなら他人はいくらでもいる。他の誰かじゃ替えられない強い関係を家族以外の相手と作ることができたら、それはどんなにか幸せなことだろう。そしてその相手が小森だったら。

 何となく手持ち無沙汰になって、柄もなく参考書を袋から出して開いてみる。パラパラとペ

ージを捲ってため息を吐く。化学はやっぱり苦手だ。有機化学のややこしさときたら。一緒に

買った小説を人前で開くのは気が引けたので、大人しく座っていることにする。たった10分とはいえ、何もしないでいるには長いのは確かなんだが。

 いくらか空いてきたところで中学時代に親しかった奴に会った。こんなときでも勉強かと茶

化されたので、試験が近いんだから当たり前だろと返しておいた。ついでに何でスケボー持ってんの、とも聞かれたがそちらは適当にお茶を濁す。やっぱり変なのだろうか。小森――せめてここの中くらい呼び捨てにしてもいい――碧羽にも笑われてしまったし。


* * *


「ただいま」

「お帰りなさい、ゆまくん。遅かったね」

 我が家の扉を開けると妹の初音が出迎えてくれた。いつものおさげ髪は解かれ、後ろにゴムで縛られている。いつもの部屋着の上からエプロンを付けているのを見ると夕飯の支度をしていたのだろう。いい匂いが漂ってくる。

 浅野家は俺、妹の初音、父の佑太郎の3人家族である。母の清音は俺達がまだ幼かった頃に

他界していて、男手一つで育てられた。最近は仕事が忙しいらしく、家を空けていることも多

いのだが。研究領域については生物系だということ以外よくは知らない。

「ああ。委員会に顔を出した後、寄り道してきたから」

「そうなんだ。あの可愛い女の子と?」

「そんなんじゃないって、あいつとはたまたま知り合いになっただけだよ」

 リビングに入って荷物を下ろすと、グラスを台所から持ってきて冷蔵庫の麦茶を注ぐ。ソフ

ァーに腰を下ろし、それを一気に飲み干せば人心地ついた気分になる。

「というか見てたのかよ。人が悪い」

「だって。図書室で本を読んでたら、ゆまくんが鼻の下を伸ばしながら女の子と入ってきたの

が見えたから、ちょっと跡付けてみようかなって思うのが人情でしょ?」

「どんな人情だよ、それ」

「ゆまくんに彼女さんが出来たなら、私もちゃんとしておかないと恥ずかしいじゃない。それ

で家に来るのはいつ? デートの約束とかは……」

 初音の頭頂部をペシッと叩いて遮ってやる。

「いや、まだ何も始まってないから」

 あいつがこのリビングでくつろいでいる図なんて想像もできない。直接話したのもあれが初めてだし。

「ゆまくんは甲斐性がないなぁ。あ、ご飯出来てるよ。今日はおろしハンバーグにしてみた

の。いつでも食べられるから」

「ああ、いつもサンキューな」

 実質二人暮らしの我が家では必然的に家事を分担することになる。週2回は俺もひびきの指導の下、台所に立っている。凝ったものは作れないけど初、音いわく味は悪くはないらしい。

「家族でしょ、当たり前だよ」

 薄々気づいてはいたけど、初音は微妙に機嫌が悪い。普段はお兄ちゃん呼びだしな。碧羽と

の関係は内心では面白くないのかもしれない。どう転んでも家族は家族だろうと思うのだが、

年頃の女の子の気持ちは複雑怪奇だ。パタパタとスリッパを鳴らして初音が自室に引き込むのを見やると、行儀悪く寝転がったソファーから緩慢な動作で身を起こした。ついでに俺も着替

えてくることにする。


 テーブルの上には件のおろしハンバーグに野菜サラダ、味噌汁が添えられている。茶碗にご飯をよそうと俺は自分の席に付いた。

「お兄ちゃん熱いお茶淹れようか?」

「……いや遠慮しておく」

 昼間の出来事が脳裏に蘇る。初音は無言で頷くと自分の分だけ緑茶を淹れた。

「それじゃあ、いただきます」

「いただきます」

 テーブルの向いの席に座ると、初音が手を合わせる。夕食はできる限り一緒に食べようというのが、我が家のというより初音の方針だ。もちろん毎日というわけにもいかないけど。そういうときでも、ちゃんと連絡くらいはして欲しいらしい。

「親父は今日も仕事なんだっけ」

「ちょくちょく着替えを取りに帰ってくるとは言ってたけどね。自分の研究もあるし、ちょうど時期的に試験の問題も作らないといけないだろうから」

「あ、そっか」

 例えば、試験の問題を俺が盗み見して、大学の学生に幾らかで売り払うというような事例を起きるのを避けたいのだろう。頼まれてもやらないけど。

「私達も試験あるよね」

「嫌なこと思い出させるな。忘れていたいのに」

「でも仕方ないよ。学生なんだし」

 初音が苦笑しながら俺を見る。先ほどと打って変わって髪を下ろすと、兄の俺でもドキリとするほど大人びて見えた。

「ご飯を食べている時くらい楽しい話題にしようぜ。カステルくんさんの持っている鉛筆の硬度とか」

「それは楽しいのかな。カステルくんさんって、ネズミの国の住人に似たあの子だよね」

「ネズミーと一緒にすんな。カステルくんさんは種族カステルくんさんなんだぞ」

「そうだね」

 苦笑している初音。反応に困っているのがありありと見て取れた。

「ねぇ」

「ん?」

「ご飯って朝昼晩の3回しか食べないわけじゃない」

「おやつと夜食を抜けているよな」

「それを言い出したらキリがないよ。とにかく回数に限りがあるのは確かだよね」

「まぁ、そうだな」

「限られた中で何を食べるだろう、誰と食べるだろうって真剣に考えてしまうの」

「悪かった。今度から早く帰ることにする」

 壁の時計は9時半を指そうとしている。

「委員会で遅くなるのは仕方ないよ。でも……」

「でも?」

「できるだけ早く帰ってきてね」


* * *


 食事が終わって、洗い物をしていると玄関で呼び鈴が鳴る。こんな時間に我が家を訪ねてく

る人物の心当りは一人しか居ない。

 応対するために玄関に出ると立っていたのはひびきだった。

「おう。こんな時間にどうしたんだ?」

 ひびきが持っていた皿をドンと差し出してくる。

「スイカ切ったんだけど、結構大きくて余っちゃったの。よかったら食べない?」

「いただくよ。ノートも返したいし、ちょっと上がって行けよ」

「うん、そうしようかな」

 リビングでは初音が録画しておいたドラマを見入っていた。その眼差しは真剣そのものだ。

「ヤッホー初音ちゃん。スイカ持ってきたんだけど食べない?」

「あ、お姉ちゃん。後で食後のデザートが欲しいと思ってたんだ」

 初音が画面から振り返って、ソファーから立ち上がる。

「もう一回見てたの?」

「ううん、ご飯食べてたから」

「タイミングが悪かった?」

「そんなことないよ。そうだ安かったからマンゴー買ってあるの、お返しで持って行って」

 初音がゴソゴソと冷蔵庫の野菜室を漁っている。放り出してあった鞄からノートを取り出し

てひびきに返す。

「いつも助かる」

「どういたしまして」

 リビングのローテーブルに盛られたスイカと競演するように、小ぶりながらしっかり甘いマ

ンゴーの皿が置かれる。

「マンゴーって結構高いイメージが有ったけど、意外に安いんだね」

 感嘆の声をひびきが上げる。

「御蔵駅の地下のスーパーでたまたま見つけたの。味が微妙だったらどうしようかと思ったけ

ど、普通に美味しくて驚いたよ」

 何か所帯染みた二人だな。我が家の家計を握っているのは初音なので分からなくもないが。

「このスイカも結構甘いぞ」

「お父さんがお中元に貰ったやつだからね」

「おいしいね、お姉ちゃん」

 ひびきに頭を撫でられて、初音が目を細める。それはまるで猫みたいで。

「そういえばタカはどうしたんだ? さっきから姿が見えないけど」

「タカちゃんなら眠っちゃったよ。お兄ちゃんが帰ってくるまで一緒に遊んであげてたんだけど、疲れちゃったんだね」

 タカとは我が家で買ってある猫のことだ。初音が昔拾ってきた猫で年齢は7歳くらいらし

い。オスだからなのか、俺よりも初音によく懐いている。餌を上げると少しは構ってくれるの

を見ると随分と現金な性格らしい。命名したの俺だぞ、猫よ。

「ついつい長居しちゃったね。二人ともお風呂まだなんでしょう」

 壁の時計は気づけば23時過ぎだった。

「初音が先に入ってしまいなよ。片付けは俺がやっておくから」

 ローテーブルの上の皿を片付けにかかる。

「私はおいとまするよ。マンゴーありがとうね」

 俺のノートを脇に抱え、初音が寄越したマンゴーを手にするとひびきは玄関へ向かう。

「それじゃあ、また明日」

「おやすみなさいお姉ちゃん」

「おやすみ、ひびき」

 バタンと扉が閉じるとなんとも言えない寂しげな雰囲気が玄関先に漂う。

「……お風呂入ってくるよ」

「ああ、洗い物済ませておくわ」

 二人で頷き合うと、奥へと引き込んでいった。


* * *


 「はぁ……」

 スマートフォンのアプリゲームに飽きた俺はベッドの上に倒れこんだ。天井の模様を見つめていると目が変になりそうなので、仰向けから横向きの姿勢になる。

 スマートフォンの電話帳には碧羽の電話番号とメールアドレスが登録されている。別れ際に

彼女と交換したものだ。一種の社交辞令のような気がするのは考え過ぎなのだろうか。

 買ってきた小説が思いの外興味をそそらなかったので、風呂にでも入ろうかと思ったところ

で着信音が鳴り響いた。届いたのはメールで送り主はひびきだった。

 メールに記載された動画サイトのリンクを押すと、動画が再生される。変な顔した犬が、これまた変な顔で爆睡しているのだが、飼い主らしき人物が揺すってもくすぐっても一向に起き

る気配を見せない。犬用の骨型のおやつを鼻先でちらつかせてやると、パッと目をさますのだが、意地悪な飼い主は咄嗟に隠してしまい与えようとしない。キャンキャン吠える犬を笑う声

が響く。動画のタイトルは「美味しい餌にご用心」心中を見透かされているようで、癪なので

今度こそ風呂に入ろうと決める。

 階下に降りると、風呂あがりで濡れた髪のままの初音と遭遇した。石鹸とシャンプーの混じったいい匂いが鼻をくすぐる。

「お風呂開いたよ。お兄ちゃん」

「何飲んでんだ?それ」

 グラスに入った褐色の液体を指さして問う。詰まった氷がカランと音を立てて揺れている。

「アイスココアだよ。お兄ちゃんも飲むなら台所の戸棚にココアの粉が入っているから」

「へいへい」

「作るときはまずお湯で粉を捏ねてペースト状にしないとダメだからね」

「そうしないと、どうなるんだ?」

「えっと……なんかブツブツした気持ちの悪い液体が出来るの。ちょっとトラウマ」

「精神的ブラクラみたいなもんか」

「実感を伴っているから気持ち悪さは当社比で3割増しだよ」

「比較したくないな、それ」

「あはは」

 不意に玄関の扉が開く音がする。親愛なる父上殿のご帰宅のようだった。二人して玄関先まで出迎える。

「お帰りなさい」

「お帰り」

「ああ……ただいま。何とか仕事が一段落した。出世したって何が変わるというわけでもない

な。働けど働けど我が暮らし楽にならざりってやつか」

「お疲れ様お父さん。ご飯冷蔵庫に入っているけど、温めようか?」

「いや、良いよ。お前たち明日も学校だろ。早く寝ないと」

「俺は風呂に入るところだった」

「それじゃあ、無理しないでねお父さん。おやすみなさい」

 おう、と軽く手を挙げて父親が応える。

「おやすみ」

 初音の部屋の扉がパタンと閉まったところで、ふと父親に尋ねてみる。

「なあ親父」

「何だ」

 リビングに座って冷蔵庫から持ってきた缶ビールを美味そうに呷る父がこちらを向いて応える。

「妙に馴れ馴れしい女の対処法ってどうしたらいいと思う?」

「はぁ?」

 怪訝そうな反応されるのは想定内なのだが。

「それはお前、あれだ。素っ気ない素振りを取ってみて、それでも食らいついてくるなら本物で、そうでないならただのポーズだろうな。何? 言い寄られるの? 佑馬のくせにいっちょ前になったじゃないか」

 ほろ酔い気分の上機嫌で父が笑う。ペタペタ触られるのは少し気持ちが悪いんだが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ