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Undercurrent  作者: HIMMEL
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第4話『ある雨の日に』②

 靴を履き替え学校を出ようとしたところで、メールが届いた。差出人は初音からで、いわく

『お兄ちゃんもう帰った? 私たちお兄ちゃんの教室でお喋りしてるから、寄って行って。ど

うせだし一緒に帰ろうよ』

とのことだった。微妙にタイミングが合ったようで何よりだ。

 上履きに履き直すと生徒が疎らの校内を歩く。廊下は雨なのに省エネのためなのか照明が点

いておらず、薄暗い。一方でエアコンはまだ動いているらしく、扉が開けっ放しの教室からひ

んやりとした空気が流れてくる。ちらりと見たが、中には誰も居なかった。

 釈然としない気分で自分の教室にたどり着くとカラカラと横開きの扉を開けた。中に居たの

は見知った三人に加えて、同じクラスの男子が数名ほど。ただし、彼らとは残念なことに反り

が合いそうにない。ちょうど、帰るところなのか荷物をまとめると騒々しく騒ぎながら出て行

った。

「こんなところで何やってるんだ?」

 談笑していた内の一人、メールを寄越してきた初音に問いかける。

「何って。委員会が終わるの待ってたんだけど、手持ち無沙汰だから、皆とここでおしゃべり

していたの」

「何か用でもあったのか?」

 ふと疑問が湧いてくる。委員会の時は遅くなるから先に帰っていて構わないって言っておい

たのに。

「私は特に無いけど、碧羽さんが折角だから待ってようって言うから」

 クラスの誰かの席に座って頬杖をついた初音が笑う。

「私も特に無いけど、初音ちゃんが何かお話でもしてようかって言うから」

 自分の席に陣取ったひびきが頷きながら応えた。

「私だっていつも佑馬に用事があるってわけじゃないのよ? でも、ひびきちゃんが付き合っ

てくれるっていうからお言葉に甘えちゃおうかなって」

 一人だけ行儀悪く、誰かの机の上に腰掛けた碧羽が視線を泳がせながら呟いた。

「物の見事に自主性がないだろ、お前ら」

 聞かされた俺は呆れ半分だった。何で女子って何かとつけてつるみたがるんだろう。

「そんなことないって。碧羽ちゃんなんかさっきまで宿題やってたし。私、感心したもん。少

し見習おうかなって思っちゃった」

「私、家じゃ全然勉強しないから。どうしても気が散ってしまうのよ。ふらふらと誘惑に負け

て、ネットしたり本を読んだりであっというまに時間が過ぎてしまうよね」

 恥ずかしそうに碧羽が俯いた。そもそも、こいつの部屋には勉強机がない。

「それにしては、お前って成績良いよな?」

 こっちはいつも試験前が修羅場だっていうのに、余裕しゃくしゃくな態度が気にかかってい

た。何か秘策があるなら、伝授願いたいものだ。

「何でって言われてもね。授業を集中して聞いて、課題を卒なくこなしているだけだよ」

「佑馬はしょっちゅう寝てるからでしょ。私に言わせれば、あんな授業態度でそれだけの点を

取ってこられるのがむしろ不思議なくらいだよ」

 返す言葉もございません。

「お兄ちゃんってそんなにしょっちゅう寝てるの?」

 眉根を寄せた初音がひびきに尋ねる。

「今日は6時限中4時限は船を漕いでたんじゃない? 残りの2コマだってきっと上の空よ」

 ひびきがわざとらしくコソコソと初音に耳打ちしている。残念だが聞こえてるぞ、そこ。

「失礼だな、ひびき。俺はそこまで酷くないぞ」

「じゃあ、実際のところはどうなの?」

 ふふんと俺は胸を張る。

「寝てたのは古文と世界史の2コマだけだ」

「威張って言うことじゃないでしょ。起きているのが当然なんだから」

「夜更かしのしすぎで睡眠不足なの?」

 不思議に思った碧羽が首を傾げている。

「何でだろう? 実は学校が嫌いだからなのかもな。勉強するのはそこまで苦じゃないし」

 それを聞いたひびきと初音が顔を合わせる。

「色々と納得したわ」

 ひびきが一つため息を吐いた。

「ええ? 学校楽しいのに。特に最近」

 口じゃそんなこと言ってるけど、碧羽も実は学校が嫌いなんだろと思ったが、機嫌が良さそ

うなので口に出すのは止めておくことにする。


* * *


「お兄ちゃん、何か春香先輩を怒らせるようなことしたでしょう? いつもはふんわりとした

大人のお姉さんって感じの印象があるから全然想像が付かないよ」

 ふと気になって、先ほどの委員会でのやり取りを3人に話してみた。

「そうそう、また居眠りしてたとか」

「いや、あの人の前で同じ轍を踏んだ日には窓から外へ放り出されそうだからそれはない」

「さすがにそれはかわいそうだから、燃えないごみ捨て場に捨てられるかもね。佑馬って可愛

げがないけど、リサイクルしたら少しはマシになるかもしれないし」

 ひびきよ、それは洒落で言っているのか?

「神野先輩は今日に限って体調が悪かったのよ。表に出すのは感心しないけどね」

 意味深な笑みを浮かべながら、碧羽が横から口を挟んできた。

「いや、特に身体がダルそうとかそういうわけじゃなく、単純に機嫌が悪いみたいだった」

「じゃあ、理由はわからないね。大したことないなら、明日にはケロッとしてるでしょ。それよりも、春香先輩って絵を描いてたなんて知らなかったな」

 ひびきが気になっていたのは、むしろ別なところにあったようだ。

「春香先輩の友達の人が言ってたけど、結構上手いらしい」

「あの人って実利的な仕事の方が向いていると思ってたから意外だね。いかにもやり手って感

じだし。絵を描くのも確かに一つの職業なんだけど、あの人のイメージに合わない気がする」

「どちらかと言うと、経営者になりたがるタイプではあるよな」

 普段の彼女の行状や言動が思い浮かんで、俺は頷く。

「そうそう。人は何にでもなれるって言うけど、実際には向き不向きとか才能の有無って結構

問題になるからね」

「でも、本人は画力がないって言ってたんだよな」

「謙遜しているだけかもしれないし、あんまり当てにはならないよ。穿った見方をすれば、嘘

を吐いている可能性だってあるわけだし」

「絵の話だけど」

 黙って聞いていた碧羽が口を開いた。

「私、知ってる。ひびきちゃんの言う通り、イメージと名前が一致しないから気付けずにいた

けど。中学時代に何かのコンクールで優秀賞を取っていたと思う。得意なのは風景画だけど、人物画もそれなりに上手いんじゃないかな」

 思わぬ方向から、情報が出てきた。

「それって本当なの? 碧羽ちゃん」

 ひびきが碧羽に向かって尋ねる。

「うん。皆、あの人のことを下の名前で呼ぶから気付きにくいけど」

「じゃあ、春香先輩の黒歴史なのか。道理で苗字で呼ばれるのを嫌がるわけだ」

「黒歴史って言い方はさすがに失礼だけど、苗字ってその人の第一印象を決める要素の一つで

はあるよね」

 ひびきがやんわりと俺を窘める。

「春香先輩の絵かぁ。一度見てみたいけど、こっそり見たら失礼かな」

 初音は興味津々のようだった。絵が好きというより、単純に好奇心からだろう。

「不特定多数の人の前に露出するのは元から覚悟の上でしょ。あの人はそんな細かいことを気

にしたりしないと思う」

「碧羽さんは見たことあるの?」

「パンフレットに載っていた写真で、だけどね。絵には詳しくないから気の利いたことは言え

ないけど、癪なことに色合いとタッチが私好みだった」

「どんな絵?」

「えっとね、場所が何処かまでは分からないけど夕暮れに染まるカルスト台地で、石灰岩が墓

標じみた感じで立ち並んでいるの。綺麗なようで、どこかおどろおどろしくある不思議な絵だ

ったよ」

「カルスト台地といえば、御蔵の南の方にでっかいのがあったな」

「さすがに特定するのは難しいけど、中学生の足で行ける範囲内ではあるよね。でも、よく覚

えてたね、碧羽ちゃん」

「どことなく死の匂いがしたから。といっても普段お葬式とかで目にするのじゃなく、もっと

荒々しい自然むき出しな感じのね。私が見たのは中2のときだから、当時の先輩は中3だね」

 草の匂いがぷんぷんする、と碧羽が言う。俺には全く理解できない感覚だった。

「でも、先輩って可愛らしい絵をちょこちょこ描いている人だし、イメージが違いすぎるんだ

よな」

 今日の定例会で貰ったレジュメに描かれた挿絵を3人に見せた。

「まぁ、女の子ならこの程度は普通な気もするけど。それにしても、この犬結構可愛いね」

 ひとしきりプリントを見回すとひびきが初音に渡した。

「あまりに早熟なせいで才能が早い内に頭打ちになってしまう人って確かにいるけど、あの人

は違いそう。上手くは言えないけど、実際なんでもできる人だし。というかこの走り書きの字

が間違っているから。『パネルの設宮』って何?」

 何気に目ざとい初音から、碧羽の手に渡る。

「本当に間違ってるし。その時は中2病でもこじらせてたのかな。あの女のイメージに似合わ

ない絵だこと」

 さりげなく毒を吐いた碧羽から俺の手元にレジュメが戻ってきた。癪なので鞄から筆箱を取

り出して、そそくさとチョンチョンを2つ書き足した。

「でも、あの人って高校に入ってからは美術部には所属してないよね。絵が上手いのに話題に

も上がらないなんて。何か理由でもあるのかな」

 初音がギシギシと椅子を後ろに傾ける。

「そういえば、地雷を踏んだとか何とか言っていたような」

「地雷? 時々、地面を掘っていると出てくるアレ?」

 ひびきが不思議そうな顔をする。この街には戦時中軍事工廠があったせいで、そういう物騒

な品々が工事現場から思い出したように顔を出す。

「そっちの地雷じゃなくて、これは例えね。触れてほしくない話題に触れてしまうこと。誰に

だって秘密とか閉まっておきたい気持ちとかあるでしょう? でも、地雷って言い方はネガテ

ィブなイメージしか湧かないんだよね。今は言えなくてもいつか言える大切な気持ちとか、逆

に言ってほしくないけど言ってくれると長い目で見たら自分の為になる言葉ってあると思う」

「碧羽っていかにも文系って感じだよな。触れてほしくない、か。春香先輩は絵を描かなくなったんじゃなく、描けなくなったのかもしれないのか」

 碧羽が頷く。

「冷血人間のあの人にも実は人間らしい心があるのよ。でなきゃ、あんな絵は描けない」

 何気に失礼な言い方が気になったが一理はあるだろう。

「悲しい思い出があるのかもしれないね。あんまり詮索したら良くないかも」

「春香先輩が話したくなるまで、そっとしておいてあげようよ」

 初音が浮かない顔をしていた。相手の領分に土足で踏み入るのは躊躇われるのだろう。

「人にはそれぞれ事情があるからね。もう遅いし帰ろうか」

 初音の頭を撫でながらひびきが言った。壁の時計は6時半を指していた。


* * *


 自室に引きこむなり、制服のままベッドに転がり込んだ。投げ出してあった、週刊漫画雑誌

の今週号に手を伸ばすとパラパラと捲る。先々週から掲載されている新連載が意外に自分好み

なのだが、そこそこ有名な漫画家が描いているから10週で完結にはならないだろうと思う。

元々そんな柄でもないのに惰性で買い続けているだけなので気を揉むのもおかしな話だけど。

 春香先輩と知り合って3ヶ月、思えば委員会以外では彼女と接点は殆ど無かった。相手は年

上でしかも受験生なので、気安く声をかけるのが憚られたこともある。9月の中旬の体育祭が

終われば、彼女も委員長を引退してしまう。何だかんだでお世話になったのは確かだし、今の

うちに何かお礼をしておかないと不義理ではないだろうか。

 とはいっても、具体的に何をすればいいのか皆目思いつかないのも事実だった。誰かに相談

したほうが手っ取り早いかもしれない。ある程度の選択肢を用意しておく必要はあるけど。

 漫画雑誌を放り出す。不思議なことに春香先輩のことで思い浮かぶのは、出したお茶を笑顔

で受け取るときの少しはにかんだような笑顔ばかりだった。


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