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Undercurrent  作者: HIMMEL
18/23

第4話『ある雨の日に』①

  朝から降り続いている雨は夕方になっても止む気配をみせなかった。

 職員棟3階の総務委員会室の窓から外の様子を眺める。部活に所属していなければ、委員会の仕事にも携わっていない生徒たちが早々と下校しているのが見えた。色とりどりの傘の花が開いている。

 視線を感じて振り返ると、我らが総務委員長の神野春香先輩が眉間に皺を寄せて俺を睨めつ

けている。大型テーブルの上にはどこから摘んできたのか、青みがかった紫色の紫陽花の花が

象牙色の一輪挿しの花瓶に生けられている。

「どうかしましたか? 春香先輩」

 彼女は苗字で呼ばれるのを嫌がる。理由はよく知らないが「じんの」という語感に何か問題

でもあるのかもしれない。例えば『ジンの先輩』だと、飲兵衛みたいだから嫌だとか。

「佑馬君? ちょっとお茶が温いんですけど。淹れ直してくれませんか?」

 若干険のこもった声で俺に指示を下す。何か気に障るようなことをしただろうか、その表情

は珍しく渋い。心当たりが全然無いような、十分有りすぎるような複雑な気分になるのが「居

るだけ委員」の悲しいところだ。

「すみません、すぐ淹れてきます」

 飲み差しのお茶の入った湯呑みを受け取る。半分くらい残ったお茶はまだ十分熱かった。首

を傾げると、先輩が小さく咳払いをする。こういうときは逆らわないのが吉だ。

 手早く湯呑みをすすぎながら、お茶っ葉は先程のものと同じで良いかと尋ねる。それで良い

と、ぞんざいな返事が返ってきた。

 本日のオーダーはほうじ茶だった。元々茶の成分が出にくい分、高温で抽出するのがポイン

トだ。まず、急須にお湯だけを入れて温める。その間に茶こしに茶葉を測り入れる。次に、急

須に入ったお湯を捨てて、茶こしをセットする。後はお湯を注いで30秒ほど滲出させればい

い。一人分なので濃さに不満が出ることはないはずだが。

「どうぞ」

 おずおずと春香先輩の席に淹れたてのほうじ茶を置いた。先輩が読みかけの資料を適当にテ

ーブルの上に置くと、黙礼して湯呑みに口を付ける。一口だけ飲むと、顔を上げて傍らに立つ

俺を半秒ほど凝視した。緊張の一瞬。

「まぁ、いいでしょう」

 そのまま音も立てずにお茶を啜る。その仕草は思いの外かわいらしい。

 他の委員の連中は揃って知らん顔を決め込んでいた。先輩のお茶へのこだわりは一家言どこ

ろか軽く十家言はあるからだ。触らぬ神野に祟りなし。

「せっかくだったら湯呑みも温めてくださいね」

 チクリとご指摘を頂いた。見てないふりして、きっちり観察していたらしい。

 この俺が彼女のお茶汲み係を拝命した原因は4月まで遡る。クラスのくじ引きで運悪く総務

委員になった俺は気の進まないまま、最初の定例会に出席した。

 まず、委員長自ら仕事内容について説明する。次に各委員の自己紹介、役割分担と注意事項

の伝達を経て、質疑応答の後散会という流れだった。

 春香先輩の説明は決して下手ではない。声も可愛いし、もう少し楽しい話なら聞き惚れてい

たところだったと思う。ホワイトボードを背に滔々と話す春香先輩の声はまるで子守唄のよう

で、いつの間にか机に突っ伏していた。

 あの時の春香先輩の憤怒で真っ赤に染まった顔は未だに忘れられない。俺を揺り起こした彼

女は、こう告げたのだ。

『あなた、私が話している前で眠るなんて見上げた根性をお持ちのようですね。とても気に入

ったわ。私は追従と保身に汲々としたイエスマンなんかに興味はないのです。体制に歯向かう

だけしか能のない勇者様もお断りですけど。見どころがある、あなたには特別に良い仕事を与

えますから、頑張ってくださいね』

 その仕事がお茶汲みとは。何が特別に良いかと思えば、給仕する俺にもお茶とお菓子が支給

される点か。彼女が持ってくるのは、なるほど一級品ばかりだった。右も左も分からない俺に

お茶の種類と淹れ方を根気強くレクチャーしてくれた辺り、リーダーの素質は疑いようもなく

あるらしい。

「最近の佑馬君は優しくなくなりました」

 ボソリと春香先輩が呟く。彼女は怒っているというよりも拗ねているようだった。定例会の

他にも、ワーキングランチ的な集まりで一緒になったことはあったが、何が変わったのか心当

たりが見つからない。

「そ、そんなことないですけど」

 慌てて否定するが、原因が分からない以上その場しのぎな返答なのは否めない。

「そんなことあります。ご自分の胸に手を当てて、よく考えておいてくださいね。ともかく、

時間なので今月の定例会を始めましょう」

 パンパンと手を叩く。言いたいことを言うだけ言って逃げる態度は春香先輩らしくないと思

った。今日は、間違っても寝てはいけない。


* * *


 胃がキリキリ痛んだ50分間が終わりを告げた。他の委員達も安堵の声を漏らす。不機嫌なが

ら、時間通りに会を纏めてみせた春香先輩には思わず畏敬の念を覚えてしまう。

 総務委員会は生徒会長が任命する総務委員長とその麾下の各クラスから選出された総務委員

から構成される。副委員長は新年度の開始時に2年の委員の中から選出されることになってい

た。今年の副委員長は3組の女子が務めている。地味な印象だが、仕事は卒なくこなす辺り次

期委員長にそのままスライドされてもおかしくはないだろう。

 主な仕事は各専門委員会や生徒会、職員会との連携を図り、円滑な任務執行に資すること。

実際には生徒会直下の何でも屋と言ったほうが手っ取り早いだろう。本来なら各行事毎「○○

実行委員会」なる組織を立ち上げるところを統括して一つの組織に纏めた組織とも言える。イ

ベントを楽しみたい大多数の生徒たちから貧乏くじ扱いされるのは必然だった。

 本日のテーマは各ブロックの応援席で使うパネルの進捗状況について。この学校の体育祭は

赤・白・黄・青の4ブロックの対抗戦で行われ、1ブロックは一学年8クラスからランダムに

選んだ2クラスを3学年分の合計6クラスから構成される。

 いくら何でも屋集団とて一芸に秀でている奴は少ない。必然的にデザイン担当は美術部に所

属している人間か趣味でイラストを描いている人間に白羽の矢が立つことになる。総務委員は

進捗状況の監督と必要な資材の調達、その他製作に関わる細々とした雑用を担う。実際には有

志を募って、もっと大掛かりな作業になるだろうと思われた。

 もっとも実際に製作するのは休みが明けてからで、今日は上がってきたデザイン案について

ブロック長の三年生が簡潔にプレゼンし、それに対する委員長からの意見と修正案の提示が主

だった。二番目の発表は黄ブロックでデザインは龍をイメージしたものだ。

 そこから問題は発生する。奇しくも次の青ブロックが提示したデザイン案も同じく龍をイメ

ージしたものだったからだ。デザイン案はオリジナリティのあること、他ブロックとモチーフ

が重複しないことが鉄則となる。

 以下回想。

「連絡不足があった点について今更追求しても仕方ありません。両者協議の上で解決策を提示

するように」

 ため息混じりに春香先輩が指示を下す。とはいえ、デザイン案を練り直すにはそれなりに時

間がかかる。無論両者とも譲る気配はなく、意見の応酬は5分ほど続いた。こういうシチュエ

ーションで展開されるるのは言わずもがな手前勝手な論理であり、事態の自然な収拾など望む

べくもない。

「後腐れなく解決する方法があるにはありますけど、聞いてみます?」

 仕方なし、とばかりに春香先輩が調整案を提示した。二人のブロック長(どちらも男だ)は救

いの神野が現れたとばかりに春香先輩を仰ぎ見る。

「技術的な巧拙が明らかなら話は簡単だったんですけど。どちらも甲乙付けがたいですね。い

いですか? 私がこれからコイントスをします。表が出れば青ブロック、裏が出れば黃ブロッ

クの案を採用としましょう」

 ブラウスの胸ポケットから用意よく銀色のコインを取り出す。ただ、先輩が出す案にしては

どこか投げやりな気がしなくもない。当然ブロック長の二人も困惑した表情を見せる。

「ご不満なら定期的に開いている昼食会にも足を運んでくださいね。一応、参加は任意ですけ

ど、あなた達はそれなりに責任を帯びた立場でしょう?」

 至極もっともな指摘にぐうの音も出ない。だったら、せめてじゃんけんで勝敗を決めさせて

くれということで、三回勝負の末に黄ブロックが勝利した。決め手はチョキだった。

「青ブロックのリテイクについては私も直接意見を出させてもらいます」

 春香先輩が一言言い添える。原則贔屓はしない、という建前とはいえ残り時間は少ない。

「というか、春香って意外と絵が上手いんだよね。滅多に人前では見せないけど」

 春香先輩と同じ三年生の委員の女子が軽口を叩く。今、俺が手にしているレジュメにも隅に

小さくデフォルメされた犬の絵が描かれている。細々とした絵を描く女子は多いので、今まで

気にも留めなかったが。

「まとめ役の私が特定のブロックに過度な干渉をするのは考えものです。それに、私には大勢

の人たちの前に露出できるほどの画力はありませんし。今回は青ブロックの進捗状況に深刻な

遅延が生じる恐れがあったので仕方なく」

「はいはい、分かったから。あんまりムキにならないの春香」

「もう」

 口をへの字に曲げる春香先輩が新鮮に映る。いつもの年上然とした姿を見慣れていると気づ

かないが、結局彼女は一つ違いなのだ。妹の初音が大人っぽく見えるのと逆に、春香先輩が子

供っぽく見えても何ら不思議はないはずなのに。

「何が可笑しいのかしら? 佑馬くん」

 普段見られない先輩の一面を垣間見たとはいえ、言いがかりな気がするような。

「いえ、なんでもありません」

「春香、後輩君に八つ当たりするのは良くないでしょ?」

「そもそも、香月が妙なことを言ったのが」

 春香先輩が食い下がる。

「はいはい、ごめんごめん。地雷踏んづけてしまったのは悪かったから」

 拝むように謝る上級生。先月の定例会では顔を見なかったから忘れかけていたが、名前は萩

原香月さんだ。肩にかからない程度のショートヘアと中性的な顔立ちがボーイッシュな印象を

与える。身長は165センチくらいだろうか、並ぶと春香先輩よりは頭ひとつ高い。一見優等生

タイプの春香先輩とは対照的に陽気で悪ふざけするのが好きそうなタイプの人だった。

「ほら、君も。ニヤニヤしてたのは確かでしょ」

「すみませんでした」

 釈然としないながらも謝罪する。自分の顔は自分では分からないしな。

「ごめんなさい。少しナーバスになっていたみたい。それでは続けましょう。次は」

 わざとらしく咳払いを一つすると、春香先輩は会議を進行させる。それでも、諍いの後の嫌

な空気はジメジメした湿気のように室内に漂っていた。

 回想ここまで。

 腕を上に伸ばして背伸びすると、テーブルの上に広げていたレジュメと筆記用具を片付け

にかかる。ふと先程のやりとりが気になった。配布された紙片の一枚目の右隅に描かれたイラ

ストをじっくりと観察する。お尻を上げて伏せのポーズを取った犬が視線を左に向けている。

素人目にもちょこっと描きにしては上手だと思われた。

 何気なく視線を上げると、春香先輩と不意に目線が合った。その刹那、気まずそうに目を逸

らされる。何となく勝った気分。取って食うのは、度胸がないので謹んで辞退申し上げよう。

 デイバッグを担いで委員会室を出る。廊下側の窓から外を伺うと、相変わらず降り続いてい

るのが分かる。ピチャピチャと雨音が煩い。

「さっきは悪かったね。あたしのせいで」

 背丈は俺とさほど変わらない香月先輩に謝られた。

「いえ、何てことはないです。でも、何で春香先輩は気を悪くしたんですか?」

 香月先輩が肩をすくめる。

「さあ? あいつらしくはないと思うんだけど、意外と見栄っ張りだから、ちょっとボロが出

てしまってムキになったんじゃないかな。絵の腕は確かに良いんだけどね」

「レジュメにも落書きみたいなの描いてましたよね。結構可愛い動物の絵を」

「落書きとはいえ気合は入ってるんだよ、あれ。パソコンからわざわざ一旦プリントアウトし

た用紙に肉筆の一発描きでしたためて、印刷室で人数分刷ってるんだよ。何回も手伝ってるか

らね」

「香月先輩と春香先輩って意外と仲良いんですね」

 素朴な疑問を投げかける。意外と? と小さく独りごちて香月先輩が答えた。

「付き合いそのものは小学生からだけど、ずっとベッタリってわけでもないよ。中学時代なん

かむしろ疎遠だったし。あいつの妥協しない姿勢はご立派なんだけどね」

「絵が云々というのも、つまるところ本質はプライドにあるんですか?」

「ただの、だったら良かったんだけどね。何せあいつの家は」

 香月先輩がピタリと口を噤む。話している俺たちの横を書類の束を抱えた春香先輩が通り過

ぎたからだ。ちらりと振り返って俺に一瞥を寄越すと、無言ですたすたと歩いて行った。

「余計なこと言ってしまったかな。親友のご機嫌を損ねるのもつまらないし、また今度ね」

 香月先輩が肩をすくめて話を切り上げると、委員会室に引き込んでいく。

「そういえば、香月先輩のクラスって何ブロックでしたっけ?」

 俺のクラスは赤ブロックだ。雄々しく羽を広げる朱雀をイメージしたデザインを自称鳥好き

の美術部員の女子が提案し、ふたつ返事で採用された。結構カッコよくて、女にしておくのは

勿体無い、と不用意な発言をしたブロック長が盛大にひんしゅくを買っていた。

「ん? 青ブロックだよ。これからどうしようか?」

 あはは、と乾いた笑みを振り返った香月先輩が浮かべた。


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