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Undercurrent  作者: HIMMEL
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第3話『スイート メディスン』⑤

 土曜日の午後ということもあって、モノレールはそれなりに混んでいる。大半の乗客が終点

の御蔵駅まで乗るのではないかと思われた。いつもは終点の一つ手前で降りる俺も含めて。

 車内で小さい子供が騒いで、母親に叱られている。俺も小さい頃はあんな風に粗相をして、

母親の手を煩わせていたのだろうか。ろくに記憶に残ってはいないが。

 いつもの10分間が今日は長く感じる。ぼーっと車窓を眺めて時間をつぶす。街中を縫うよう

に走っているせいで、特に面白いものは見当たらないが気晴らしにはなるだろう。眼下の車道で信号待ちをしている車の列を追い抜いていくのを見ていると、少し優越感を覚えた。

 御蔵駅に到着する直前に、碧羽と行ったクレープ屋の窓が視界をよぎる。俺と碧羽が座って

いた席には今、誰が座っているのだろう。喧嘩してないといいけど。

 電車を降りるとコンコース内の自販機で缶のブラックコーヒーを買う。握ると硬く、スチー

ル缶で出来ているのが分かる。いつかだったか、碧羽の頭に投げつけてしまったことを思い出

した。あのときはアルミ缶だったけど。

 駅ビルにあるレコード店に足を伸ばす。売っているのはCDが大半なのにレコード店という

名前に違和感を覚える。他にもDVDとかブルーレイとかあるだろうし。レコードなんて一部のマニアにしか聞かないだろう。そうでなければDJとか……あのDJゲームの回転する部分がレ

コードだったな。ビートを刻むマニアがここに一人。

 店内を見渡す。ジャズの棚は奥の方にあるらしい。探すのはビル・エヴァンスでアルファベ

ットだとBで始まる、と。見つけた。有名所なのか棚は大きめに割り当てられている。

 ビル・エヴァンスが活動したのは1956年から亡くなった1980年の間だ。キャリアの最初の

5年間にリバーサイドというレコード会社から発売された4枚のアルバムは特に『リバーサイド

4部作』と呼ばれている。それらは『ポートレイト・イン・ジャズ』『エクスプロネーションズ』『ワルツ・フォー・デビー』『サンデー・アット・ヴィレッジヴァンガード』という。

その内の後半の2枚は1961年に同日録音された。ところが、その直後にトリオを組んでいたメンバーの一人スコット・ラファロが交通事故で急死し彼らは活動停止を余儀なくされた。ビ

ル・エヴァンスは悲嘆に暮れたという。

 何枚か手に取って見ていると、気になるジャケット写真のものが目についた。白い服を着た

女性が水中に沈む不気味な構図。題名は『アンダーカレント』とあった。ケースを裏返すと録

音した日付、参加したメンバーと担当した楽器が記されている。そこにはスコット・ラファロ

の名前だけがなかった。

 碧羽が勧めてくれたのは『ポートレイト・イン・ジャズ』だった。それに加えて『アンダー

カレント』も一緒にレジまで持っていく。いわばジャケ買いだ。親父に貰った野口さん2枚と

わずかの小銭と引き換えに商品を受け取る。とかく、小遣いが少ない身分には輸入盤はありが

たい。

 レコード店を出ると同じフロアにある書店も覗く。こちらには特にこれといった目的もなか

ったので立ち読みするだけに留めておいた。ファッション雑誌をパラパラと捲る。5メートル

左で男女二人が何やら雑誌を見ながら話し合っていた。女のほうがちらっとこちらを見てすぐ

に視線を戻す。笑い合う二人。振り向き厨が鬱陶しがられる理由が今なら分かる。読んでいた

雑誌を棚に戻すと店を出た。

 南口から御蔵駅を出るとモノレールで来た方向へ歩き出す。雑多の商店街を歩いて、昨日碧

羽と行った店とは違うゲームセンターに入った。鼠に似たカステル君がマスコットの音楽ゲー

ムはそこにも置いてある。メンバーズカードをかざして認証した後で、100円玉を筐体に放り

込む。手馴しに1ミスでフルコンボしそこなった曲に再挑戦してみるか。

『クリア』

 リザルトを前に固まる。この程度の曲で10回コンボを切った上にスコアがボロボロって、何

かの冗談だろうと思う。試しに頬をつねってみるが、それが現実にしてリアルだった。

 適度なレベルの曲を2曲目に選ぶ。これならイケるだろう。スコアも比較的出やすいし、腕

鳴らしには調度良いはずだ。評価も以前プレイした時に『AAA』取っている。

『クリア』

 筐体の音声が虚しく響く。確かにクリアはしたが、評価が『A』とは酷すぎる。

 調子が思わしくないので、そのまま無難な曲を最後に選んで終わらせた。アーケードゲーム

の難点は終わりたくても、終われないところだと思う。逆に終わりたくなくても、終わってし

まうが。まるで何かの暗喩に思えた。このまま続けても金の無駄なのですごすごと店を出る。

 日差しよけに商店街のアーケードの下を歩きながら考える。元はといえば碧羽のせいだ。馴

れ馴れしいくせに、今日に限って無反応だし。あいつは居ると少し疎ましいけど、居なければ

居ないで何か物足りない。例えて言えば、からあげにかかっていないレモンのようなもんだ。

 気が進まないけど、碧羽の家を訪ねてみることにしよう。手ぶらで行くのも何だから、何か

手土産を持って行かないと。洋菓子店にはあまり詳しくないので、御蔵駅まで戻ることにす

る。目指すのは地下の食品売り場だ。


* * *


 ケーキを入れる紙箱をぶら下げて、いつもの道を歩く。傾きかけの太陽が燦々と照りつける

が、海から吹き付けてくる風が心地よい。

 村崎川の橋を渡ったところで、図書館の横の公園に入る。このまま道沿いを歩いて、いつも

の信号で曲がるよりも公園の中を斜めに通り抜けてしまった方が、碧羽の家へは近道になるこ

とに気づいたのだ。ピタゴラスの定理から、直角三角形の斜辺の長さは残りの2辺の和よりも

常に短くなるから。逆に学校に行く碧羽が散歩気分で回り道するにもお誂え向きだと思えた。

 グラウンドでは野球帽を被った小さい女の子が父親とキャッチボールをしていて、微笑まし

い気分になる。ケーキの箱を持っていなければ、袋に入れてきたスケボーに乗って走り抜けら

れるのに。区役所の横をすり抜けて公園を出ると、碧羽の部屋はもう、目と鼻の先だった。

 エントランスで部屋番号を押してインターホンを鳴らす。よく考えたら、出かけている可能

性もあったのだった。そのときは大人しく引き上げよう。

『はい……誰?』

 どこか寝ぼけたような声で碧羽が応答に出た。

「俺だよ。どこか具合でも悪いのか? ケーキ買ってきたんだけど食えないんだったら」

『佑馬? えっ……ちょっと。ちょっと待ってて』

 何をやってるんだろう。待てと言われたので、とりあえず待つことにする。ちょうど居住者

らしき20代の女性が帰ってきて、不審者を見るような視線を浴びせかけながら中へ入っていっ

た。残念だが、まだ事案を起こしてない。もっとも起こす気もないが。

 5分ほどして、スマートフォンが鳴る。相手は碧羽から。

『ごめん、もう一回鳴らして。鍵開けるから』

 仰せのとおりにもう一度鳴らすと、入って来るようにと言われた。エレベーターで4階の碧

羽の部屋を目指す。玄関先のインターホンを鳴らすと碧羽が扉を開いた。

「女の子の部屋にアポなしで突撃するなんて」

 ダブっとしたスエットに丈の短めなジャージの碧羽がこぼす。いつもは綺麗な髪もボサボサ

でおざなりにヘアゴムで一括りで束ねられて肩から垂らされている。寝起きなのか、顔色は若

干悪いように見えた。

「いちおう、メールは送ってたんだけど。電話のほうが良かったか?」

「え? そうなの? ……本当だごめん」

 ローテーブルに置かれたスマートフォンを確認しながら碧羽が謝る。

「寝てたのか?」

 惰眠をむさぼるタカを思い出す。寝た子は起こすなと言っても、もう3時過ぎだしな。

「うん。珍しく朝起きれなくて。うつらうつらしたり、目が覚めたりを繰り返してたの。きっ

と、佑馬のネボスケが感染ったのね」

「人を三年寝太郎みたいに言うな。ちゃんと起きてる時は起きてるし、今日だって午前中は初

音に付き合って家の掃除してたんだぞ」

「だって、そういうイメージが強いんだもん。人徳でしょ」

 碧羽がふてくされ気味に頬を膨らませる。

「ちょっと、待ってて。髪を梳かしてくるから」

 徐ろに縛っていたゴムを解くと長い髪がパサリと広がった。洗面所に入っていく碧羽の後ろ姿は、今限定で使い古しの黒モップみたいに見えた。無論、口には出さないけど。

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