表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Undercurrent  作者: HIMMEL
15/23

第3話『スイート メディスン』④

 土曜日の午前中、俺はウダウダとゲームで遊んで時間を潰していた。いつもよりも凡ミスが

目立つのか、スコアは増えないしミスカウントも減らない。DJゲームの曲数の多さに嫌気して

家庭用ソフトと専用コントローラーを買っておいてよかった。これがゲームセンターなら、あっという間に千円札が数枚溶けていたところだ。もっとも、早々に匙を投げているか。

 昨日の一件を思い出す。碧羽と別れた後、家に帰り着いたのは9時前だった。夕飯を用意し

て待っていた初音の機嫌がさほど悪くはなかったのが幸いだった。理由はよくわからないが、

何か良いことでもあったのだろう。こちらもラッキーだったと思うことにする。

 コントローラーを手放すと、ベッドの上に仰向けになる。頭に浮かぶのは碧羽と父親の関

係。口ではあんなこと言ってても、本当は元の家で暮らしたいんじゃないかと考えてみる。川

に落ちた時の一時的な幼児退行は薬の影響とはいえ、本心ではないか? 昨日の少し気まずい

別れを思い出して、軽くブルーな気分になった。

 寝返りを打つ。あいつは今頃、何をしているだろう。枕元のスマートフォンを手に取ると、

碧羽にメールを送る。不用意に電話を掛けると、鬱陶しがられそうだし。

『昨日は本当にごめん。良かったら昼からでもどこか外に遊びに行かないか? 休みだからっ

て、家の中に閉じこもっているのは体に悪いし。偉そうに俺が言えたことでもないけど。希望

があったら連絡してください』

 文面が硬くならないように適度に絵文字を交えて送信する。他人に気を使う感覚が鬱陶しく

も新鮮な感じがした。今まで、どれだけ交友関係が狭かったんだ。

 何となく手持ち無沙汰なので、寝転がったままスマートフォンを弄る。目ぼしいゲームアプ

リを見つけたのでダウンロードし、プレイする。有料なら金返せと言いたくなるほどつまらな

いので心中で憤慨する。音楽ゲームだからってホイホイ釣られるのも考えものか。碧羽からの

返信はまだ届かない。


* * *


 何か飲む物が欲しくなったので、階下に降りる。親父がソファーに座って新聞を読んでい

た。不景気な表情を見ると、昨日あの後何かあったのだろうか。猫のタカがその横に座って、

朝っぱらから惰眠を貪っている。少々羨ましくても、寝た猫は起こさないに限る。

 冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出すと、氷の入ったグラスになみなみと注ぐ。

こぼれないように一口飲んで自室まで戻ることにする。リビングには居づらいし。

「つまらんな」

 寝ぐせも直さない45歳の男が大儀にローテーブルに置いてあった煙草に手を伸ばす。丸みを

帯びた形状の銀色のライターで火を点けようとする。

「お父さん、煙草は庭で吸うって約束だったでしょ」

 それを見つけた初音に窘められている。気まずそうにタバコをしまう45歳。

「悪い悪い、つい仕事場に居る時の癖でな。昔から初音と母さんには敵わないな」

 ポンと右手の平を初音の頭に乗せると、掃き出し窓から庭へ出ていこうとして振り返る。

「何だ、佑馬も居たのか。お前も一本どうだ?」

「お兄ちゃんは私と一歳しか違わないんだけど。まだ17歳だよ」

「そういえば、そうだったな。早いようで、意外と遅いもんだ。お前たち20歳を過ぎたら俺に

言えな。とびっきりの酒をプレゼントしてやるから」

 片手を挙げると、今度こそ庭へ出ていった。外は晴れているが、それなりに風が吹いている

せいで気温ほどは暑いと感じない。

 子供の年齢を覚えている気は毛頭ないのか、この人。掃除機を抱えた初音も苦笑している。

「掃除しているのか? 手伝うぞ」

 持っていたオレンジジュースを飲み干すとローテーブルの上に置いた。こいつばかりに家事

をやらせるのも忍びない。

「ありがとうお兄ちゃん。じゃあ、私が掃除機を掛けたところから、雑巾がけしてくれる? 

雑巾は固く絞って、ささっと拭いてくれるだけでいいから」

「へいへい」

 どの道、暇を持て余していたので黙々とフローリングに、わずかに湿めっぽい雑巾をかけ

る。普段タカが闊歩する床は猫の毛が落ちていることが多い。

「初音は大人になりたいと思うか?」

 昨日の碧羽とのやり取りを思い出して、初音にも水を向ける。

「どうしたの? 藪から棒に」

 掃除機をかける手を止めた初音が俺を不思議そうに見つめる。

「いや、さっき親父の言っていたことが何となく気になったから」

「お酒や煙草を飲みたいだけなら、別に飲んだって構わないでしょ。その結果、成長が止まっ

たり、病気に罹ってもちゃんと受け入れたり、煙草の火の不始末で火事を起こしても責任取れ

ればだけど。逆にいい大人でも自分の非を頑なに認めない人って居るわけだし」

「つまり?」

「年齢はあくまでも客観的な目安でしかなくて、ある程度の年齢を重ねれば、後は大人らしく

振る舞おうとすることが大事だってこと。それができないから、子供扱いされるわけで」

 俺やひびきの後ろを付いてきてばかりだと思っていた初音が急に大人びて見えた。

「『あの子は年の割にはませている』とか、『いい年して大人げない奴だ』っていうでしょ」

「to do or to beか」

「それ『ハムレット』の台詞かと思ったけど、ちょっと違うよね」

「あいにくだが、シェイクスピアは読んだことがない。戯曲は苦手なんだ」

「読んでみると意外と面白いけどね。戯曲」

 ここでシェイクスピアと言わない辺り、こいつはシェイクスピアが嫌いなんじゃないかと思

った。一応、ちゃんと読んでいる辺り『食って嫌い』なんだろうが。

「じゃあ、今度ワインを買ってお前と一本開けようか。つまみは何がいい?」

「無難にチーズかクラッカーとか? たぶん、お店の人が売ってくれないと思うけど、お父さ

んに頼めば用意してくれそう。ついでだから、お姉ちゃんと碧羽さんも混ぜて盛り上がろう」

 悪戯っぽく初音が笑う。こういう話題に生真面目に応じてくる辺り、あの父親にしてこの初

音ありなのだろうか。妹の日々健やかな成長を願っていた兄としては、複雑な心境になる。

「初音、お前が酒を飲むなんてやめてくれ。お兄ちゃん悲しいから」

 思わず初音の細い肩をがしっと掴んで嘆願する。4年後、髪を染めてビールを呷る大学生の

初音なんて想像もつかなかった。

「最初に話を振ってきたのはお兄ちゃんの方でしょ」

 驚いた初音にやんわりと手を離される。顔が若干ひきつっていた。

「月の満ちかけと同じで、寝てても大人になるし、起きてても簡単にはならないから大丈夫」

 碧羽は昨日の月を半人前と呼んでいた。朔望によれば約一週間後に満月を迎える。その後は

再び欠けながら新月に戻るのを繰り返す運命だ。輪廻転生が本当かどうかは知らないけど。

「昼ごはんはお父さんが作るって言ってたから、早く終わらせちゃおう」

「そうだな」

 俺は軽く肩をすくめた。途中から初音が水周りを片付けるというので、掃除機もついでに担

当する。柄にもなく念入りに仕事をしたこともあって、ピカピカに磨きのかかった床に心が打

ち震えてしまった。一仕事終えた時の達成感は意外と悪くない。


 * * *


「俺が冷やし中華を食べたかったので、冷やし中華にしてみた。異論は?」

 言葉と裏腹に綺麗に盛りつけられた皿が3人前テーブルの上に並ぶ。

「いや、ないけど」

「うん、ないね」

 二人揃って答えた。いかにも夏といった感じがして悪くない。

「よろしい、それじゃあ食ってよし。いただきます」

 いくら料理好きとはいえ、麺を打つところから始めると日が暮れてしまうので市販品だが、

タレは自作である。しかもわざわざ2種類。親父は香味だれ、初音はしょうゆだれを掛けて食

べている。俺は香味だれを選んだ。きゅうりが多めに盛りつけられているのは、嫌がらせだろ

う。目を覚ましたのか、タカも隅で餌を食べている。

「お兄ちゃんは、昼から予定があるんだっけ?」

 麺をたぐる手を止めて初音が尋ねる。

「ああ、ちょっと御蔵駅の方まで買い物に。何か用事があるなら、ついでに済ませてくるぞ」

「何だ、なにか欲しいものでもあるのか?」

 ズルズルと麺を啜ると、横から親父が尋ねてきた。

「あるって言ったら、金をくれるのか?」

 大盛りきゅうりの腹いせで訊いてみた。訊くだけならタダ、沈黙の金よりマネーの金だ。

「やらん。どうせ下らないもんばっかり買うんだろ」

 ご説ごもっともなので反論できない。

「いや、CDだよ。ちょっとジャズに目覚めたから聴いてみようかなって思って」

「ほう、佑馬のくせに偉そうに。それで、当てはあるのか?」

「一応は。ビル・エヴァンスのなんだけど」

「エヴァンスね。優美な曲調を選んでくるのが佑馬らしいな。しかしどうせジャズを聞くな

ら、もっとサックスとかトランペットが前面に出てくるのを聞いたらどうだ。マイルスとか」

「親父ってジャズ詳しかったっけ?」

「何、ちょっとかじった程度だ。相手と話題を合わせるのに、必要に迫られてな」

「どうせ、発端は女なんだろ」

「お母さんってジャズ好きだったの?」

 ここで母親を思いつく辺り、初音はまだうぶで安心する。気をつけろ、こいつは本物の淫獣

だぞ。言葉を交わしただけで、次の瞬間には孕んででもおかしくないんだからな。

「そうだったら、楽しい話なんだが。残念なことに男だ。学生の頃、親友だった」

「だった?」

「いけ好かないおっさんになってしまったからな。その点は俺も人のことを言えないが。大人

になると何事も単純にいかなくて嫌になる」

 父親が麺を箸で絡めとると一息で啜る。ちゃんと噛もうぜ。

「ま、あいつはレコードで集めていたがな。ジャケットが大きい方が良いとか下らない理由

で。手入れとか針の交換とか何かと面倒だし、損な性分だと思っていたんだが」

 親父が言葉を切る。

「初めての一枚くらいなら、親らしく出してやろう。で、いくらするんだ?」

 予め調べておいた価格を伝える。意外と安いんだなと独りごちて、財布から野口さんを2枚

抜くと俺に寄越してきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ