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Undercurrent  作者: HIMMEL
12/23

第3話『スイート メディスン』①

 金曜日の放課後。返ってきた期末試験の答案に一喜一憂した今週も、あとはウィニングラン

するのを残すのみとなっていた。

 当たり前のことを当たり前にやっていれば怒らない。放任か、そうでないのか判断つきかね

る父、浅野佑太郎の審査基準は幸いにもクリアしていた。ちなみにその基準は総点の75%以

上だったりする。この先出会いそうな「真顔で無理難題を要求する大人」の尖兵がヤツなのだ

ろう。妹の初音はともかく、一緒につるんでいる若宮ひびきの成績まで釣られて伸びてしまう

辺りその業は果てしなく深い。

 ともあれ、終わったことは忘れよう。今日も糞親父殿の帰りは遅く、夕食当番は初音だ。出

来る限り、寄り道して帰ることにする。20時までに帰れば初音のご機嫌も取れるだろう。

 ひびきは同じクラスの女子たち数名と黄色い声を上げながら何やら話し合っている。漏れ聞

いたところによると、皆で「お疲れ会」を催すらしい。言わずもがな男子禁制である。

 俺はといえば。野太い声がこだまする「男子会」に参加するはずもなく、そそくさと帰宅す

することにする。そもそも、そんな気味の悪い会合は元よりない……あんのかよ。クラスの覇

権を握っているグループが主催らしい。知るかそんなもん。

 ひびきにひと声かけて教室を出る。行き先はどこにしよう。ゲームセンターに本屋、CD屋

も覗こうか。陰キャラには陰キャラの生き方がある。淫獣……じゃなかった陰充バンザイ。

 軽い足取りで教室を出ると、あえて隣のクラスの小森碧羽の教室とは反対方向に歩き出す。今日の俺は誰にも止められない。どうせ、あいつも外面は良いから女子会にお呼ばれだろ。

「……どこに行くのかな?」

 数歩歩いたところで担いでいたデイバッグを掴まれる。肩越しに振り返ると、黒髪を振り乱

した血みどろ修羅が恨めしい顔で立っていた、だったら怖いよな。

「何だよ、碧羽。どこにも何も、帰るんだよ。お前はどうせ誰かと約束があるんだろ。俺たち

今は別の道を歩こうとも、いつかまた巡り合えるさ」

「ちゃんと6時限目寝てた? 睡眠不足だったらもう少し寝てても良いけど。第一、出来る限

り一緒に居ようって言い出したのは佑馬の方でしょ? 同盟なの忘れたの?」

 碧羽は少し怒っているようだった。頭一つ低い位置から、しかめ面で俺を見上げている。

「別に忘れてなんかないけど。お前もどうせ、ひびきみたいに女ばかりでつるんでどこか行く

んだろ? 男の俺にそんな中へ飛び込めと?」

「それはそれで面白そうだけどね。残念だけど、うちのクラスはそういうの全然無いよ」

 くすくすと碧羽が笑う。

「へぇ、文系なのに意外だな」

「偏見だよ。静かに本を読みたい文系の人だって居るでしょ? 悪く言えば覇気が低いよね」

「それはそうだけど。じゃあ、今日のお前はフリーなのか」

 碧羽が両腕を広げて、キラキラしたオーラを振りまく。

「せっかくだから一緒に遊びに行かない?」

 上機嫌な様子で碧羽が提案した。

「でも、噂になったら恥ずかしいし」

「それ男の子が言う台詞じゃないから。面白く無いし、無理してボケようとしなくていいの」

「……はい」

 今に碧羽に頭が上がらなくなるんじゃないだろうか。ただでさえ、うちの家系は女が幅を利

かせているのに。恐ろしい。

「第一、遊びに行くっていってもな。言っとくけど、俺はそういうネタには疎いぞ」

「そうだね。とりあえず、普段佑馬が行くところと私が行くところを廻ってみようか」

 人差し指を一本立てて碧羽が提案する。とりあえず話し込んでいても仕方ないか。

「どちらにしても、向う先は御蔵駅だな」

「それじゃあ、行きましょう」

 夕暮れに照らされた廊下を碧羽が軽やかに歩き出す。

 絹のようにしっとりとした黒髪、白いブラウスから伸びる細い腕、灰色チェックのスカート

から生えたしなやかな脚。俺は不意に彼女の後ろ姿に魅入られてしまっていた。

「どうしたの? はやく来て」

 振り返った碧羽の声を聞いて、我に返った。

「悪い、今行く」

 俺は小走りで駆け出した。


 * * *


 いつもの道を碧羽と二人で歩く。警察署の角を曲がって、城址公園の前を通り、村崎川にか

かる橋を渡る。その橋の上で碧羽が不意に立ち止まった。

「あれから二週間が経つんだね」

 央街橋の方向を碧羽が見やる。橋の真ん中の出っ張った部分に銅像が建っている。そこが、

あのとき碧羽が居た場所だ。

「長いようで短いんだな。あのときは本当にどうしようかと思ったぞ」

 俺は率直な感想を述べる。

「助けてくれてありがとうね」

 二人揃って欄干にもたれ掛かる。車やトラックがひっきりなしに行き交っている。お馴染み

のカラーリングの路線バスがそれに混じる。

「何はともあれ、無事でよかった」

 嬉しそうに碧羽が笑う。海からの涼しい風に吹かれて碧羽の髪がたなびていた。

「あの橋を通るたびに、私あの時の佑馬のこと思い出すから。ずっとずっと忘れないから」

 俺は一つ嘆息を吐く。

「辛いことがあったなら、忘れてもいいんだぞ。それに、俺にも責任の一端はあるんだし。あまり気にしなくていいから」

「でも、私は覚えておきたいの。良いことも悪いこともひっくるめて」

「それじゃあ、お気の召すままに」

「湿っぽい話をしてごめんね。遊びに行くところだったのに」

 ワイシャツの袖を碧羽が引っ張る。

「まぁ、あんまり長居したくなるほど楽しい場所でもないし」

 肩をすくめると、俺は歩き出した。いつの間にか前後が逆転しているような気がする。後ろ

を付いて来る碧羽は何を思っているのだろう。そんな下らない発想が思い浮かんだ。

 上機嫌に碧羽が鼻歌を唄う。曲調から察するにお気に入りのジャズ曲なのだろう。何かで聞

いたこともあったような気がしたけど。確か古い映画だったような。

「そういえば、折角だし一枚CDを買おうと思うんだけど、何かお勧めなのないか?」

「CDって何のCD?」

「ジャズのだよ」

「へぇ、佑馬ってジャズを聞くようになったんだ?」

 碧羽の声がいつもより僅かに弾む。

「試しに一枚買ってみようと思ってさ」

「難しい質問だね。好きな楽器とか、気に入った演奏家の人とか居る?」

 普段あまり気にしていない事を聞かれ、しばし考えこむ。普段遊んでいる音楽ゲームにもジ

ャズっぽい曲は少なからずあったはずなんだが。

「じゃあピアノ。でも、どちらかといえばクラシック寄りよりなんだよな」

「クラシック派なの?」

「特に強いこだわりはないぞ。ピアノが聴ければ」

 碧羽と俺のクラシックに対する認識には相当ズレがありそうなので、お茶を濁す。

「じゃあセロニアス・モンクとか。人となりも演奏も色々変わってるって言われている人だけ

ど、先入観なしに聞いたら案外すんなり入り込めるんじゃないかな」

「まず、その言葉で先入観がついたんだが」

「そう言わずに機会があったら聞いてみてよ。じゃあ、私が好きでかつ佑馬も楽しめそうなの

を選んでみようかな」

 ちょうど、前の信号が赤なので立ち止まる。目の不自由な人を誘導する鳥の音が鳴り終わっ

ているので、すぐに青になるだろう。

「じゃあビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』で」

「それが碧羽のお勧めなのか?」

「うん。ビル・エヴァンスにはとりわけ評価の高いアルバムが4枚あるんだけど、それから一

枚を佑馬のために選ぶならこれかなって。本当はどれから入っても楽しめるんだけどね」

「じゃあ、後でCD屋にも寄ってみよう」

 いつものモノレールの駅から左に曲がると、遠巻きに御蔵駅の駅ビルが見えた。


* * *


「その手の動きは絶対おかしいって」

 音楽ゲームをプレイするのを横から見ていた碧羽が笑い転げる。ここは通りから一本入った

場所にあるゲームセンターだ。俺が遊んでいる音楽ゲーム機が6台背中合わせに並んでいる。

「えー、普通だけどな」

 自分の手をしげしげと見る。取り立てて綺麗でもなく、鍛えられてゴツゴツとしてわけでも

い。何の面白みもない自分の手。よく見れば右手の薬指の爪が欠けていた。普段、あまり意識

しないけどタッチパネルって案外硬いんだよな。

「全然普通じゃないよ。何を食べると、そんな反射神経が身につくの?」

「普通に練習していたら。言っとけど俺はそんなに上手いほうじゃないぞ」

 難易度11段階中の9段目がやっと卒なく捌けるようになった程度だ。上には上がある。

「マジですか」

 碧羽が目を丸くした。半分呆れているようにも見えたが。

「じゃあ、折角だし私もやってみる」

 碧羽が真新しい革の小銭入れから100円玉を取り出すと俺の右隣の筐体に投入する。先代は

川に落ちた時にご臨終したらしい。革製品に水は不倶戴天の敵だしな。

 一応のルールを説明しておこう。基本は画面の判定ラインと降ってきた玉が合わさったとこ

ろでタッチすれば得点が入る。勿論、タイミング次第でその値は変化する。音を伸ばすところ

は押しっぱなし、タタタタと連続してフレーズが鳴るときは音の通りに続けて叩けば良い。判

定ラインの上側に表示された円をタッチしなければいけないこともあるので注意が必要だ。

「じゃあ対戦してみようか。俺はハンデとして左手一本でやるよ」

「メンバーカードは……持ってないとして、『店内で対戦する』を選べばいいの?」

「そうそう」

 画面に曲一覧が現れた。適当に難易度順で並び替える。

「1プレイ3ステージ制だから、碧羽から先に選んでいいぞ。数字が難易度で、同じ難易度でも

譜面の種類で細かく変わる。もっとも、結構いい加減な付け方されてることもあるけど」

「へぇ、じゃあこれ」

 碧羽が選んだのは3人組のグループのJポップの曲だった。ボーカルは女性が務めている。

「というか、それミディアムで良いのか?」

「え? 佑馬と同じのだから選んだんだけど」

 きょとんとした顔で碧羽が俺を見る。極端な高難易度でもないし、適度に歯ごたえがあっていいか。スピーカーから曲が流れ出す。

 初心者の碧羽相手に本気を出すのも大人気なかろうと思いながらも、まじめにプレイする。

画面の真ん中に表示されているスコアは拮抗している、と思ったところであっさりと抜かれて

しまった。元々スコアが出やすい曲とはいえ、こやつめなかなかやりおる。結局。スコアがわ

ずかに足らずに競り負けてしまった。

「あのあのあのあの……碧羽さん、もしかして経験者だったりしますか?」

「なに? その『あのあのあの』っていうの。今日初めてやってみたんだけど」

 碧羽が軽く顔をしかめながら答える。

「それにしては上手過ぎだろ」

「そうなのかな。私って実はセンスがあるのかも」

 得意気に碧羽が少し胸を張って微笑む。片手一本とはいえちょっと悔しい。

「じゃあ、次は俺が選ぶ番な。難易度はさっきのくらいでちょうど良いか?」

「うん。退屈じゃないけど、難しくもない感じで調度良かった」

「それじゃあ」

 俺は思案する。勉強でもスポーツでも問わず何かを修めようとする時、才能の有無が厳然と

した差となることを否定できない。少なくとも今の俺が碧羽の優位に立てる条件があるとした

ら予備知識だろう。それなら……。

「何? 緑茶の飲み過ぎで和風にでも目覚めたの?」

 碧羽にジトッとした目で見られる。そういう反応は正直予想外なんだが。

「いや、特に他意はないぞ」

 必死にポーカーフェイスを作る。選んだのは「さくらさくら霞か雲か」という歌詞でお馴染

みの唄をアレンジした一曲だ。開幕早々スコアが拮抗する。ここまでは予想通りだから良い。

「何……?」

 碧羽が戸惑った声を上げる。この曲にちょっとした仕掛けがしてあって、曲の途中でテンポが急速に落ちるのだ。もっとも、俺も予め知っていただけでプレイするのはこれが初めてだと

一言弁解しておこう。意図したとおり、ここでスコアを巻き返す。そして曲のテンポが再加速

する。ただし加速前よりもスピードは速い。意外なことに食らいついてくる碧羽。単純なリズ

ム感は彼女の方が良いのかもしれない。スコア差が詰まる。詰まったところでどうということ

はないのだが、最後で再び下がるテンポ。結局、このステージは俺が取った。

「今のはズルいでしょ。佑馬って経験者だし、絶対知ってたって」

「いや、決してそんなことないぞ」

 乾いた笑みを浮かべて誤魔化す。碧羽の視線がチクチクと痛かった。

「これで一対一ね。そうだ、佑馬。負けたほうが罰ゲームを受けるのってのはどう?」

 イタズラを思いついた子供のような顔で碧羽が提案する。

「罰ゲーム? 負けた方が買った方のつま先を舐めるとかか?」

「何それ? 変態っぽい」

 碧羽が嫌そうな顔をする。いつぞやに見た、碧羽の白いつま先が変に印象に残っていたから

なのだが。まぁ、半分未満は冗談だよ。

「負けたほうがカフェで奢るっていうのは?」

「いいだろう。じゃあ曲を選べよ。制限はレベル7までなら良いぜ」

「えーと、じゃあ題名が気に入ったこれね」

 碧羽の「あお」を名前に戴くその曲は難易度の割には難しいということで評判だった。俺の

今の地力だと、片手で捌くのは厳しい。

「そうなの? さっき佑馬がズルをしたからお返しね。……もしも佑馬が勝ったら『本当のワ

タシ』を見せちゃおうかな。頑張ってね、佑馬」

 妙に艶っぽい声を出す碧羽に思わず胸がドキッとした。待て、これは一種の心理戦だ。

 予想通り開幕からつらい譜面が降ってくる。隣の碧羽も何やら必死で指を動かしているよう

だが、正直気にしている余裕はない。スコアは僅かに俺がリードしている。もはや意地と意地

とのぶつかり合いだ。

「理論的にはあり得るけど、引き分けなんて初めて見た」

 リザルト画面を前に俺は呆然となった。結局1勝1敗1分で勝敗はつかず。

「もう一回勝負してみよっか?」

 疲れ知らずなのか碧羽がはしゃいでいる。結局じゃんけんで勝敗を決めることになり、3分

の1の無慈悲な確率で俺が勝利した。


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