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4.


「暁隊長さま……か」

 会議を終え、皆が解散した後も会議室に残っていた俺に、同じように椅子に腰かけたままぼんやりと天井を見上げるエマさんが、小さく呟いた。

「…………まあ、そりゃあ悪くないんだろうけどさ」

 台詞の割に、エマさんの口調は不満げだ。どうしてだろうか。

「いや、暁が隊長になるのに不満は無いよ。……というか、冷静に考えて、今一番適任なのは、アイツしか居ないと思う。……でもなぁ」

「……何か思うところがあるんですか?」

「アイツには、カリスマがない。参謀にはなれても代表にはなれないタイプだ。だから、皆がアイツに着いていくかって聞かれると……どうかな」

 エマさんの言葉は、冷酷で。だけど、確かに真実でもあった。無言で彼女の言葉に聞き入る俺に、エマさんはだけどと言葉を続ける。

「だけど、今のまま放置もできない。このままじゃこの街は解散だ。……実際、既に何も告げずに去っていく奴も結構いる。2人や3人じゃない。この辺で一辺纏めておかないと、本当に――この街は、終わる」

 はぁ。と大きく息を吐いて、エマさんは視線を落とした。「……そもそもさ」そして、小さく笑みを浮かべて、懐かしむように口を開く。

「……そもそも、この街ってさ、夢みたいな場所だったわけ。桃源郷っていうの? このご時世に、殆ど誰かに攻められることもない。アタシたちみたいな若者が、強者に怯えることもなく、大人に従う事もなく、自由に生きることが出来る。――そんな、世界」

 そこで一度言葉を切ると、彼女は眉を顰め、辛そうに台詞を続ける。

「でも……アタシたちをまとめたのも、望んだのも、導いたのも、……全部アオだ。この街は、この世界は、アオの世界と言っていい。みんな、この街が好きというよりも、アイツの事が好きだから、ここに居たのかもしれない。……だからさ、」

 …………だから。

「……もしかしたら。アオが死んだ時からさ……この街は、終わっちゃってたのかもしれないね……」

 諦観と、覚悟と、ほんの少しの悲しみを含んだ声で、エマさんは呟いた。

 …………終わる。

 この街が……終わる。

 そうなったら、ここに居る皆はどうするのだろう。暁やエマさんはともかく、浪川さんは、美月は――青野は?

 もしも本当に――この街から出て行かなければならなくなった時……俺は、どうすればいいのだろうか。彼女と……青野の傍に居続けることが、出来るだろうか。

 …………答えは、出ない。

「……まあ、未だアイツがリーダーをやると、決まったわけでもないんだけどな」

 そうなのだ。流石にこんな重要な事を、俺達の独断で決めるわけにもいかない。だから暁は今、街中を巡って賛同を得ている筈である。

「けど、多分明日には決まるんだろうね。……逆に、これで暁がリーダーになれなかったら、それこそこの街の終わりだよ。他に適任者なんて、居ないんだから」

「…………そうですね」

 俺が呟くと、エマさんは頭を上げて、ジトっとした瞳で僕を見つめた。

「……何ですか?」

「いや。アンタがもうちょっと成長してくれてたら、アタシはアンタを隊長に推しても、良かったと思ってさ」

「な…………」

 何を言い出すんだろう、この人は……。

 俺が……リーダー? 考えるまでもなく無理だ。青野や美月みたいな、女の子一人守れない俺に、一体どうして、街一つ率いる資格があると思うのか。

「だから、前にも言ったろ? アンタ、アオに似てるんだ。そうやって、周りの人間に気を配れる。リーダーの素質としては、十分だと思うけどね」

 もっとも、そうは言っても、やっぱり今の俺は未熟者で。リーダーなんて任せられないけれど。と、エマさんは笑う。

「ホントは、成長したアンタの足りない所を暁が補ってくれたりすると、良かったのかもしれないけどね。……まあ、無理か。アンタら、仲悪いもんね」

「…………別に、仲が悪いわけじゃ……」

 ただ、あっちの方が勝手に僕俺を嫌っているだけで……。俺は……まあ、嫌いだけど。

「まあ良いさ。ま、とりあえずアタシは、アイツが隊長をする事に関しては、別に不満は無いさ。……アオの後釜として比べられるのは大変だろうけど。今のこの街に、アイツほど的確な指示をくだせる奴は、居ないだろうからね」

「そうですか」

「そうさ」

 そう答えて、エマさんは再び天井を仰いだ。どうやら話は終わりらしい。

 俺は、無言で彼女に一礼すると、踵を返して会議室の外に出た。


 会議室を出て、一階に下りた俺を迎えたのは、箱を被っていない青野だった。彼女は、その美麗な顔立ちを隠す事もなく晒して、階段の下に立ち尽くしている。

「青野? どうしたのさ、一体」

「…………別に」

 俺の問い掛けに、青野がふいと顔をそらす。それだけで白く柔らかい髪が、ふわりと風を含んで広がった。

 ……改めてみると、やっぱり美少女だよなぁ、青野。何気ない挙動ですら、思わず目が行ってしまう。

「…………なに?」

「いや、なんでもないよ」

 流石に、見惚れてたなんて、言えないしなぁ……。適当に誤魔化して階段を下り、彼女と同じ高さまで降りてから向き直った。

「箱、被るのやめたんだ」

「うん」

「そっか」

 頷いて答える青野に、それだけ返す。俺には、彼女がどうして箱を被っていたのか知らない。だから、彼女がそれを捨てたことが、どんな意味を持つのかもわからない。

 …………でも、多分それは、良い事だったのだろうと、彼女の横顔を見ながら、俺は思った。

「…………明は」

「…………ん?」

「明、何か心配な事、ある、みたい」

 彼女は、とんっと僕の前に一歩足を踏み込むと、俺の顔を下から覗き込んでくる。

「え……えっと…………」

 俺は視線をそらしながら頬を掻いて、言葉を濁した。……何度も言うけど、青野は本当に美少女で。それはもう、今までに俺が見た事なんて一度もないくらいの美少女で。

 そんな彼女に、この至近距離で、顔を見つめられる……なんてのは、そりゃあ多分、俺じゃなくても動揺するだろう。多分。

「……じゃなくて。その、これからのこと。……青野はどう思ってるのかなって」

「どう」

 はて。と首を傾げる青野。……その仕草は、正直反則的だと思います。

「だから……暁が隊長になって……っての。青野はどう思ってるのかなって」

「わたし、別に」

 青野は普段と変わらぬ様子で呟き、更に言葉を続けた。

「それに、暁だし」

「…………暁だと良いの?」

 俺の問い掛けに、青野は再びこくりと頷く。

「暁、頼りになるから」

 ……どうやら暁は、随分と青野に信じてもらっているようだ。その短い答えだけで、青野がどれだけ暁の事を信頼しているのかが分かった。

「…………むぅ」

 何故だろう。なんだか、妙に胸がモヤモヤする。これまで青野の世話をしていたのが暁。という事を思えば、青野が暁の事を信用しているのも、なんらおかしくないというのに。

「……あー……その。なんだ」

「……………………?」

「好きなの? 暁のこと」

 ……って、何を聞いてるんだ俺は……!

 駄目だ……何故か青野を相手にすると、どうしてか、平静を装えなくなる……。

「えっと……今のは……」

「わりと、好き」

 誤魔化すより先に、青野はさらっと答えた。しかも割とって……。

「…………ちなみに俺は」

「……わりと、嫌い」

 ……ですよねー。

 結構リアルに傷付いたぞ、今の……。

「…………でも」

 俺が肩を落とし、辛辣な事実に打ちひしがれていると、青野は視線を横に向け、その長い髪をいじりながら、小さく呟いた。

「でもまぁ……たまに、頼りにならないわけじゃない」

「……………………」

 予想外の台詞に、俺は顔を上げた。

 ……青野から。

 あの青野から、こんな台詞が出るなんて……!

「……だけど、許したわけじゃない、から。勘違い、しないで」

「…………はい」

 ……まあ、そうだよな。俺だって、そう簡単に許されるとは思っていないし、許されても、困る。

 俺はこれから……彼女に一生を掛けてでも、償わなければいけない。

 ……青野を頼むと言われたあの日から。それはもう、俺にとって、生きる目的となっていた。

 だから…………。

「青野……これからも、よろしく」

「……………………」

 青野は、返事もなく、ふいと顔を逸らすと、髪を揺らして踵を返し、廊下を歩いていってしまった。

 ……相変わらずマイペースというか。単に俺が嫌われているだけなのかもしれないけれど。

 ……でも、それで良いさ。こうして、彼女と共に過ごしていけば、きっと、何時かは――



「こんにちは。お兄さんは居るかな?」

 昼過ぎ、俺が自分の部屋に居ると、数回のノックと共に、美月の声が部屋の外から聞こえた。

「美月? 良いよ。どうぞ」

 答えると、しばらくの間を置いてから、控えめに扉が開き、その隙間から美月が小さく顔を出す。そんな彼女の様子が妙に可愛らしくて、俺は苦笑しながら手招きをする。

「そんなに遠慮しなくても良いよ。どうぞ」

「お、お邪魔します…………」

 遠慮しなくてもいいといったのに、美月は戸を開け、靴を脱いで畳の上に上がると、彼女らしからぬ大人しさで、ちょこんと俺の前に正座する。

「……………………?」

「……あ、あのですね、お兄さん……」

 首を傾げる俺に、美月は姿勢を正して俺を見つめると、そのまま頭を下げた。

「き、昨日はありがとうございましたっ!」

「……………………」

 突然の事に、硬直する。一体また、どうしてこの娘は俺に頭なんて下げているのか。……いや、というか。

「……俺にお礼を言うのは筋違いだぜ。昨日頑張ってくれたのは、青野と……暁だ」

 俺は、何もしてない。あれだけ息巻いておきながら、結局銃を撃つことすら、出来なかった。

「だから、俺は何もしてないから、礼なんて言われる筋合いはないのさ」

「そんなことない!」

 唐突に顔を上げて大声を出す美月に面喰らうと、彼女はサッと顔を朱に染めて俯くと、小さな声で呟く。

「そ……そんなこと、ないから」

「そ、そう……いや、うん……ありがとう…………」

 ……こんな反応をされると、俺まで恥ずかしくなってくる。僕は俯く美月を見ながら頬を掻くと、一度息を吐いて、美月に向き直った。

「ねえ、美月。肩の調子はどう?」

「は、はいっ! ……え、あ、う、うん……。その、弾は抜けてたし……しばらくは動かせないけど……えっと……特に問題は、ない……と、思う……うん」

「そっか…………」

 その言葉を聞いて、俺は安堵の息を漏らした。昨日からずっと心配していたので、何ともないのなら、……本当に良かった。

 彼女が何も問題ないのを確認してから、俺はエマさんや青野に問い掛けた質問を、彼女にもする。

「ねえ、美月。君はもう、今日の話は聞いた?」

「今日の? ……えっと」

「暁が、隊長になるって話」

 俺の台詞に、美月はああと呟いた後、こくりと頷く。

「丁度会議が終わったくらい? 暁くんが来て、言ってったよ。それがどうしたの?」

 なるほど。最初に美月の所に行ったわけか。今日中に街中の賛同を集めてくると言っていたのは、どうやら嘘ではないらしい。

「それで、美月は何て答えたんだ?」

「えっと、別に良いんじゃないって。今までだって暁くんが指示を出してたんだし。変わらないと思ったんだけど……あの、なんかまずかった……?」

「いいや…………」

 不安そうに聞いてくる美月に、俺は苦笑しながら首を横に振ると、彼女の頭にぽんと手を置いた。

「わ、ひゃ……っ!?」

 まあ、とりあえずこの娘が無事で、良かった。それだけは、暁に礼を言わなければ。あの時アイツが駆けつけなければ、俺達は全員、あの場でやられていた事だろう。

 ……しかし、どうしてアイツはあの場にやって来たのだろうか。単に街を警備するだけなら、指揮官を兼任しているアイツが単独であんな外れにまで来る必要はないだろうに。

「あ……あの……い、何時まで撫でて……」

「あ、ああ……ゴメン…………」

 気がつけば、無意識の内にずっと美月の頭を撫でまわしていたらしい。思春期の少女に軽率に触れ過ぎていたか、美月の顔は真っ赤になっている。

「あ…………」

 慌てて手を放すと、美月は小さく声を上げて、少し残念そうな顔をした。……何でだろう。女心は良く分からない。

「あ……あの……それでね、お兄さん!」

「ん? なに……?」

 美月は、はぁと息を吐くと、赤く染まった顔のまま、俺へと目を向ける。

「あたしはさ……この街のエースなわけですよ」

「うん」

「皆があたしを頼ってて、あたしもそれに答えてる」

「…………うん」

「でも……だから、あたしが頼れる人は、そう居なくて……お姉ちゃんとかも……忙しそうだから……無茶言えないし……」

「………………………」

 そこまで聞いて、なんとなく、美月の言おうとしている事が、分かったような気がする。俺は黙ったまま、彼女の台詞の続きを聞く。

「だから……さ……もしも、お兄さんが良ければ……だけど……その……暇な時とか……」

 ……まあ、そりゃこの年代までずっと戦ってきたんだもんな。

 誰にも甘えることなく、一人で戦い続けてきたんだ。……そりゃあ、誰かに甘えたいと思うことだって、あるだろう。

 赤く染まった顔を俯け、こちらには聞こえない声でぼそぼそと続きを話す美月に、俺は息を吐いて苦笑して、言った。

「……まあ、俺なんかで良ければ、幾らでも頼りなよ。美月に頼られるのは、俺も嬉しいしさ」

 俺なんかが頼りになるとは思えないけどね。なんて軽口を叩くと、顔を上げた美月は一瞬で顔を綻ばせ、俺の胸に飛び込んでくる。

「う……わ……! ちょ……っ!?」

「えへ、えへへー…………」

 うわぁこの娘可愛い……ではなく!

 美月はふやけた笑顔のまま俺の胸に顔を埋めると、そのままぐりぐりと猫がマーキングするみたいにシャツに擦りつける。

「ちょっと……美月さん? ……美月? さ、さすがにこれは不味いんじゃないかと……」

 まずい。本人は単に甘えているだけなのだろうし、実際それ以上の意味は無いし、俺だってそんな気持ちは万に一つも神に誓ってありえないのだけど、もしも今の光景を誰かに見られてしまったらまず間違いなく勘違いされるであろう格好であってそうなった場合俺はもう法律なんて殆ど意味をなしてないにもかかわらず最低の犯罪者のレッテルを押され――っていうか微妙に部屋の扉開いてるし! ヤバい、このままじゃ誰かに覗かれたりしたら本当に……。

「……………………」

「…………あ」

 ……何故か。扉から半身だけ出した青野が、片方だけ見える無機質な瞳で、俺の事をじっと見つめていた。……無表情自体は普段と変わらないのに、今の青野の顔はむちゃくちゃ怖く見えるのは、何故だろう……。

「…………違うんだ」

 その呟きが聞こえたのか否か。美月は、扉に隠れた半身側から、激しく見覚えのある段ボール箱を持ち出すと、俺が見ている前で――被った。

「――――って、あぁ……!?」

 折角、被らないようになったのに……!?

「ちょっと……! あ、み、美月……! もう良いだろ? そろそろ離れてくれない……?」

 背中をぽんぽんと叩きながら、出来るだけ優しい口調で美月に告げる。

 ……しかし、美月は、不満げに唇を尖らせると、再び顔を強くシャツに押し付けて、

「むぅ……まーだー」

 ――ああもう、可愛いなこの娘!

「……………………」

「って、待ったそこ! 箱被ったままフェードアウトしていかないで! ああもう……! なんでこんなことに……!?」

 ……結局この後、美月を引きはがし、青野を再び箱から出すのに、1時間以上の時間を要した。

 いや、本当に。なんでこんなことに……。



 騒動も治まった頃、俺は一人、医務室の扉を叩く。

「空いてるよー」

「失礼します」

 俺が入って来たのを確認した浪川さんは、意地の悪い笑みを浮かべて俺を見た。

「これはこれは。よっ色男。さっきはお楽しみだったみたいじゃない? 二人の女の子に迫られるとか、にくいねー」

「……からかわないでください」

 全然そんなんじゃないし。ていうか、片方は貴女の妹なんだけど、良いのかそれで。

「良いの良いの。私はあの子のこと、全然幸せにしてあげられなかったからね。あの子が自分で自分の幸せを見つけることが出来たなら、それが一番なのさ」

「……………………」

 その言葉に、俺は黙ってしまう。……やっぱり、美月が本当は寂しがっていたこと、気付いてはいたのか。俺の視線に、浪川さんは視線を逸らし、ふっと寂しそうな笑みを浮かべた。

「…………ま。そんなことはどうでもいいんだけどね。君も、そんな事を聞きに来たわけじゃないんだろ? んー?」

「あ、はい。……まあ」

 突然、普段通りのテンションに戻る浪川さんに翻弄されながらも、俺はこほんと息を吐き、真剣な顔で、浪川さんに向き直った。

「……浪川さん。貴女は、暁が隊長になる事を、どう思っていますか?」

「…………心配。かな」

「心配…………?」

「そ、心配……別に私はさ、暁くんが役者不足とか、そんなことは全然考えてないよ。どっちかって言うと、暁くんが適任だと思うし。……ていうか、暁くんしか居ないと思う」

 そこまで言って、浪川さんははぁと息を吐き、辛そうに顔を顰めながら、言葉を続ける。

「でもさ……そうなると、多分彼は、全部一人で背負い込んじゃうと思うのね。……彼、そう言う所あるし。……それに、多分彼、太陽くんの事、気にしてる」

「太陽さんの事を?」

「そう……。周囲に比べられるっていうのももちろんだけど……それよりも何よりも、暁くん自身が、太陽くんの事を、凄く意識してると思う。……太陽くんは、暁くんの憧れだったから」

「…………そうだったんですか」

 暁が、太陽さんに憧れていた……か……。どちらかと言えば真逆に見える二人だが、それ故に……というのもあるのかもしれない。

「最近は特に無理してるみたいだし。更に隊長なんて役目も背負って……その重みに潰れてしまわないといいけどって、心配してるの」

 浪川さんは、ふっと息を吐くと、優しい頬笑みを浮かべながら俺を見た。

「これで、満足?」

「……はい。ありがとうございました」

 ……十分だった。ここまで聞かされたら、もう聞きたい事なんてあるわけがないし、俺から言える事も無い。俺は素直に頭を下げて、踵を返すと、医務室から出ようとする。

「…………ふふっ」

 と、後ろから、浪川さんの含み笑いが聞こえた。振り返ると、口元に手を当てた浪川さんが、くすくすと笑っている。

「どうしたんですか……?」

「いや、何でも。本当に、似ているなぁって、思っただけだよ」

 浪川さんは笑顔のまま、手を振って答える。

「似ている? 似ているって……俺と……太陽さんですか?」

「うん? それは誰かに言われたの?」

「エマさんから」

 俺の答えに、浪川さんは納得したように頷いた。

「なるほどなるほど。でも違うよ。私が似ていると思ったのは、君と、暁くんの事」

「――――――――は?」

 俺と――暁が?

 ……いや、ない。

 全くない。絶対にない。ありえない。

 何でまた、俺と暁が似ている。なんて考えが頭に浮かぶのか……。

「どうして? だって、エマは言ったんでしょう? 君と太陽くんが似てるって。だったら、太陽くんに似てる明くんと、太陽くんを目指してる暁くん。似ていない理由がある?」

 ……全くありえない。俺にはアイツの考えが理解できないし、アイツの方だって、俺の事を毛嫌いしている。俺達は、全く逆の存在と言っていいだろう。

「そう。君たち二人は、太陽くんを中心として、それぞれの両極に位置してる。みたいな関係だと言ってもいい。……まあ、それとは別として、やっぱり君たち二人は似てると思うけどね。周りに気を使う所とか、何でも一人で背負い込みがちな所とか、さ」

「……………………」

 ……理屈は理解出来たが、それでも納得は出来なかった。結局、俺は無言で一礼すると、逃げるように医務室から出て行った。



 学校の外に出て、太陽さんの墓参りや、丘の上に登って街を見下ろしたりとしている内に、日も暮れかけてきた。

 さっそく俺が学校へと帰路につくと、丁度昇降口の所で、話題の人こと、暁とはちあわせる。

「あ…………?」

 出会い頭、いきなり凄い勢いで睨みつけられた。ただでさえ悪い目付きが更につり上がり、酷く恐ろしい。

 しかし、ここでひるんでは何となく負けた気がするので、俺は息を飲み、暁を睨み返す。

「…………なんだよ」

「なんだよじゃねぇよ……」

 普段なら、別にとかどうでもいいとか言う暁が、今日は喰ってかかってくる。これは珍しい。珍しく、本気で感情を露わにしているらしい。よりにもよって、俺に。

「なんだよ……俺、お前を怒らせるようなことしたか」

「……………………」

 暁は無言で一度昇降口の方をみると、再び俺の方を向き直り、口を開く。

「……街中への挨拶回りを終えた僕は、一度美野里さんに報告をしようと、この学校に戻った」

「ああ」

 ……こいつでも、浪川さんに相談に行くなんて事があるのか。まあ、唯一相談に乗ってくれそうな年上の人だもんな。

「しばらく僕の報告を聞いていた美野里さんだが、不意に何かを思い出したように口に手を当てて笑いだした。一体何なのかと聞くと、今日のお前の事を思い出したそうだ」

「…………今日の俺のこと?」

 ……まて、それってもしかして……。

「……お前、美月に一体何した?」

 ……やっぱりそれか……!

「っていうか、なにもしてないよ! ちょっと抱きつかれただけで、何もするわけないだろ!」

「……………………」

 一瞬、凄い目で睨まれるが、暁は息を吐くと、眼鏡を押さえる。

「……まあ、どうでもいい。僕はお前になんか興味は無い。ただ、あまり好き勝手されると目障りなだけだ」

「…………悪かったよ」

 俺の言葉なんて聞こえていないかのように、暁は無言で俺の横を通り抜けて行く。もちろん、俺にも彼を呼びとめる理由なんて無いので、そのまま彼を見送り――

「――――暁」

「……なんだ」

「お前、本当にこの街を、守れると思ってるのか?」

 俺の問いに、暁は一瞬、瞳を伏せるが、すぐに顔を上げて、俺を睨みながら、言った。

「守って、みせるさ……。終わらせたりなんて、させない。僕はどんな手段を使ってでも、この街を、守ってみせる……」

「……………………」

 足を止めていた暁が、再び歩き出した。しかし、彼が向かう方向は、街とは反対方向の外れに向かう方角だった。

「こんな時間から何処行くんだ?」

「野暮用だ。気にするな」

 そう言い残し、彼は早足で去っていく。俺も踵を返し、学校の中へと入っていった。

「……………………」

 学校の廊下を歩き、今日聞いた皆の意見を思い出しながら、物思いにふける。

 ……確かに、暁なら現状の危機に対して何の感情も挟むことなく、冷徹に、冷酷に、適切な対処を施す事が出来るだろう。そして、それこそが、今、この街に迫る危機から脱却する唯一の手段だとも理解している。

 ……しかし、本当にそれでいいのだろうか。それではまた、美月一人に全ての負担を掛けるような事になるのではないのだろうか。

 仮にそうならないとしても……今の暁に、街の皆は着いてくるだろうか。脱走者も出ていると聞いた。既にこの街は、終わりかけている。そんな中で、暁に出来ることは? 俺に出来ることは? 一体何だ?

 暁は、どんな手段を使ってでも街を守るといった。アイツは有言実行する男だ。ああ言った以上、本当に手段を問わず、しかし必ず街を守って見せるだろう。……その結果、どんな犠牲が出るかは、分からない。

 こんな状況で、今の俺に出来ることと言えば、美月の支えになること……そして、例えどんな状況であろうと青野の傍に居て、例えどんな状況になろうと――それこそ、この街を敵に回したとしても――常に青野の味方であろうとする。それだけだった。

 それだけしか、俺には無かった。



 ……そして、次の日の朝。

 会議室に集められたのは、昨日と同じメンツに、美月を加えた5人。その5人の前に立つ暁は、一度俺達を見渡すと、口を開く。

「……では、反対は無し。ということで、僕が隊長を務めさせていただく。ということで、よろしいですね?」

「……………………」

 エマさんは渋々といった様子で、浪川さん、美月、青野は、普段と変わらない様子で、こくりと頷いた。

「……では、今を持ってこの僕、阪上暁が青年隊の隊長を務めさせていただくこととなります。若輩の身ではありますが、よろしくお願いします」

 嫌に礼儀正しく暁はその場でお辞儀をする、拍手でもする場面なのかもしれないが、ここに居る皆は黙って暁を見つめているだけで、暁もさして気にした様子もなく顔を上げると、さて。と台詞を続けた。

「それでは、隊長となった僕の最初の課題として、今現在、わが街を襲っている問題の解決。その方法の提案に移りたいと思います」

 そう言って、暁は自分の背にあるホワイトボードに、右手に持ったペンでつらつらと文字を書いて行く。

「課題は3つ。ひとつは、部隊の再編。より警備を厳重にする為に、場合によっては16歳未満の訓練兵も動員する事も考えています。次に、この街の周囲を根城とする山賊、野盗への性急な対処。彼らはこの街を見つけて以来、この街を新たな拠点とする為に徒党を組み始めています。こちらにも性急な対処が必要ですが……まあ、これは僕が考えます」

「……………………」

 訓練兵の動員というところでエマさんが顔を顰めるが、結局口を挟むことは無かった。彼女としても……いや、彼女だからこそ、他に方法がない事が身に染みて分かっているのだろう。

 流石、暁。昨日の言葉のとおり、『街を維持する』という事に限れば、誰よりも的確な判断だ。……でも。

「……で、最後に――これが一番重要なのですが、民衆の不安と不満の解消です」

「民衆の不安と……不満?」

 不安なら未だ分かるが……不満って、一体なんだ? 俺の疑問に答えるかのように、暁は台詞を続ける。

「皆さんも知ってのとおり、今後のこの街の情勢を憂いだ一部の住民が、脱走を始めています。未だ数は少ないですが、このまま皆が居なくなれば、街の守備は最悪……どころか、そもそもこの街自体が崩壊してしまう可能性がある。これが、この街の抱える不安」

 次に。と暁は指を立てる。

「不満。というのは、この街が危機に陥った事に対する不満です。『どうして自分たちがこんな目にあわなければいけないのか』。『そもそもどうしてこんな事になったのか』。『どうして太陽さんが死ななければいけなかったのか』……大体、こんな所でしょう」

「…………勝手な話だ」

 エマさんが吐き捨てる様に呟くが、皆は誰も反応しない。舌打ちするエマさんを無視して、暁が口を開く。

「不安に対する対処の一つとして、この街の外の方が危険である。という事を皆に伝える事で、『この街に居た方がマシ』と思わせること。消極的なやり方ではありますが、それなりに効果はあるでしょう……それでも、脱走を企てる輩は出てくるでしょうが」

「でも、どうやってそれを伝える? 口で言った所で納得しないだろうぜ?」

「さあ……適当に、そこらで山賊に襲われ、野たれ死んでいる誰かの死体でも持ってくれば、嫌でも納得するでしょうけどね」

「…………暁」

 ドスの聞いたエマさんの台詞に、暁は冗談ですよと両手を上げた。しかし、今の台詞は誰がどう聞いても冗談には聞こえなかった。……本当に手段を選ばないつもりだな、コイツ。

「まあ、その話は置いておいて。もう一つ。……まあ、当たり前のことですが、安心させることです。僕達がこの街に集ったのは、太陽さんという強い指導者が居たからだ。だから、同じ様に断固とした対処の取れる指導者の姿を見せる事が出来れば、人は安心する。違いますか?」

「…………で、その強い指導者とやらに、お前がなるつもり? さっき言ったような、恐怖政治でもするつもりか」

「まさか。そんな馬鹿な真似はしません。何より、それでは不安は解消されても不満は解消されないでしょう。……簡単ですよ。彼らの抱える不満を解消してやれば、正しい指導者としての姿も見せる事が出来る。問題を解決して、信頼を得る。こんなに簡単な論法が、他にあるでしょうか?」

 暁の言葉は、腹が立つほどに正しい。……何も言えなくなったエマさんは、眉根を寄せて視線を逸らした。

「……でもな、問題を解決するって言っても、アイツ等の抱えてるのはかなり漠然とした不満だぜ? それを、どうやって解決するって言うんだ」

「それも簡単です。……幸い、民衆はあの事故の原因を一人に求めている。なら、その原因となった一人に、責任を取ってもらえば良いんです」

 ――その言葉に、俺は凍りついた。

 青野の方へと目を向ける。彼女は、普段と変わらない様子で、普段と変わらない瞳で、暁を眺めたまま、動かない。

「よって――――」

 暁は、そんな青野の顔に、指を付けつけて、言った。

「――僕は青年隊隊長の判断として、青野月香の追放を決定します」



「――――――――」

 夕方も過ぎた頃。俺は、畳の上に寝転がり、天井を見上げながら、ぼんやりと今日の事を思い出していた。

 暁に喰ってかかるエマさんと、それを言葉によって封圧する暁。ため息を吐く浪川さんと、おろおろと二人を見つめる美月。……そして、自分の事にも関わらず、全く動じることなく、無感情な瞳で暁を見つめていた、青野。

 ……俺は、どうすればいいのだろう。

 不満があるなら他の解決策を提示しろと言われても、俺には何も浮かばないのだから、口の挟みようがない。……実際、エマさんもそれで黙らされていたのだし。

 暁の判断は、ほぼ正しい。彼は街を守る為に最善の選択をした。だから、俺には何も言えないし……どうしようもない。

 だけど、それで青野が居なくなってしまうというなら……。俺は、どうすればいい。

 ……いや、決まっている。青野と共に、この街を出るんだ。

 でも……今の情勢で、この街から追放というのは、それは実質、死刑宣告を意味していた。

 暁も言っていたが、こんな状況になって尚、この街は「まだマシ」なのだ。何しろ、街の中に居る限りは、命の危険も盗賊の危険も負う事なく、屋根の下で寝る事が出来る。

 ……もし、この街から、俺と青野だけで逃げ出したとして。俺達は生きていくことが、出来るだろうか。

「…………ううむ」

 そもそも、青野はどう考えているのだろう。

 今日の彼女は、ずっと無表情を貫いたままで――もっとも、普段から無表情ではあるのだが――それでも、頑なに表情を崩さず、一言も発することなく、ただ会議の行く末を見守っていた。この街を出る事に、不安は無いのだろうか。

 ……それとも、何もかも諦めてしまったのだろうか。

 頭を抱えていると、コンっという乾いた音が、窓の方から聞こえた。気の所為かと思ったが、もう一度聞こえる。どうやら誰かが、石か何かを僕の部屋の窓ガラスにぶつけているらしい。

 ……誰だろう?

 俺がカーテンもない窓から下を見下ろすと、そこに立っていたのは、青野だった。

「青野……っ!?」

 慌てて踵を返すと、畳を降りて、靴を履き、部屋を出た。そのまま急いで廊下を走り、階段を駆け下り、昇降口から出て、俺は青野の傍に駆け寄る。

「青野! どうしてここに……?」

「……………………」

 青野は、抱えた石を適当にその場に投げ捨てると、無言で俺の方へと向き直る。

「……聞きに来た」

「……何を?」

 俺の問い掛けに、青野は抑揚の無い声で。

「明がこれから、どうするのか」

 そう答えた。

「もしもこれから――わたしがこの街を追いだされて。たった一人で、外で生きていかなければならなくなった時――」

 青野は普段と変わらないような顔で、普段と変わらないような口調で、けれども、普段は絶対に言わないような言葉を、口にする。

「――――明、着いてきてくれる?」

 …………ああ。

 俺は一体、何を迷っていたのだろう。

 彼女が、不安を感じていないのかって? もう諦めてしまったのかって?

 …………何を、馬鹿な事を考えていたんだ。俺は。

「……もちろん。言ったろ、俺は君を守るって。だから、ずっと傍に居る。何処に行っても、何をしてても、君を守る。約束だ」

「――――そう」

 青野が、安心したかのように息を吐いて、小さく胸を撫で下ろした。そして、急に首をふいと横に逸らすと、彼女にしては語気を荒げて、こんな事を口にする。

「……まあ、誰もいないよりは、マシ、だし。こんな、酷いこと、貴方以外、頼めないし……。だから、仕方が、ない」

「仕方がないね」

「そう。仕方がないから、着いてくるのを、許可してあげる」

 そして、彼女は――――笑った。

 口元を緩めて、穏やかな表情で……確かに俺に対して、笑いかけたのだ。

「だから――わたしを守ってね。明」

「――――――――」

 完全に不覚を取られた俺は、口をぽかんと開けた、凄く間抜けな表情のまま固まってしまい。彼女のその言葉にも、こくこくと無言で首を縦に振るだけで気の利いた言葉なんて何一つ浮かばず。結局、彼女が白い髪を揺らしてその場を立ち去るまで、ただ、立ちつくしたままだった。

「…………はぁ」

 ため息を吐く。とたん、心臓がばくばく言い始め、顔が熱くなる。

 ……くそう。今のは、卑怯だろ……。

「ひゅー。かっこいいねー。明くん」

 と、何時の間にやら俺の後ろに回り込んでいた浪川さんが、茶化すような口調で話しかけてくる。

「……なんですか、一体」

「あ、うん。あのね、暁くんのこと、しらない? 会議の後であっという間にどっかに言っちゃってー。皆に聞いても場所を知らないって言うし。明くんはどうかなーと思って」

「…………知りません」

 大体、どうして俺がアイツの行動なんて、把握して無ければならないのだろう。顔を逸らすと、浪川さんは普段の愛想笑いから一転して真面目な顔で俺を見つめて、言った。

「……明くん、暁くんの事、憎い?」

「別に……アイツの判断は……まあ、正しかったと思いますし。……ただ」

 ……ただ。なんだろう。

 この胸に湧く感情は、なんだろう。憎しみよりももっと深い、どす黒い感情。

 俺は…………。

「……ゴメン。なんでもないよ」

 浪川さんは失言をしたというように、ばつの悪そうな顔をして視線をそらす。そして、俺の肩にポンと手を置くと、優しい頬笑みを浮かべながら、言った。

「明くん。……月香ちゃんの事、よろしくね」

「…………はい」

 その答えに満足したのか、浪川さんはもう一度俺の肩を叩き、そのまま横を通り過ぎて去っていった。

「…………よろしく。か」

 これで、二人に頼まれてしまった。

 太陽さんの頼みと、浪川さんの頼み。二つの想いを、胸に刻んで。俺はあらためて、彼女を守る覚悟を決めた。

「……部屋に、戻るか」



 ――――誰かが、部屋に入る物音がして、目が覚めた。

 時間は深夜。夜警部隊の人以外は、殆どの人間が睡眠を取っている筈の時間帯。当然ながら俺も、部屋の真ん中に敷いた布団に入り、もしかしたら最後になるかもしれない安眠を謳歌していた。

 ……だが。突然、入り込んできた侵入者は、ゆっくりと、音を立てないようにしながら、俺の方へと近づいてきている。

 …………誰だ?

 こんな時間に部屋に入り込んでくる人間を、俺は知らない。気付かれないように薄眼を開けて周囲を見渡すと、布団の足の方に、誰かが居るのが分かる。顔は――暗がりでよく見えない。体格からして男のようだが――一体、何を。

 男は忍び足で、俺の頭の方までやってくると、片手に持った、棒状の何かを両手で握りしめ、そして、大きく振りかぶった――

「――――っ!」

 咄嗟に布団をはねのけ、男に被せる様にしながらその場を転がる。ぼふっという音を立てて、布団が引き裂かれ、羽毛が部屋を舞う。体勢を立て直しながら睨んだ先には見覚えのない男が、両手に山刀を持って、立っていた。

「…………誰だ」

「――――チッ」

 問い掛けに答えず、男は山刀を握りなおして俺と対峙した。見なおしても、やはり男に見覚えは無い。年齢は30代半ばといった所。髪と無精髭を生やした中年の男性だ。まず間違いなく、この街の住人ではない。――つまり、こいつは……!

「くっ…………!」

 男が再び山刀を振り上げて振り落とす。俺はそれを横に転がって避けた。狭い部屋の中で再び対峙。こちらが素手なのに対して、武器を持っているが故の強みか、男は馬鹿の一つ覚えの様に山刀を振り上げて間合いを詰めてくる。

「舐め――」

 しかし、伊達にこれまで、エマさんの訓練を受けてきたわけではない……!

「――んなよ……この野郎……っ!」

 思いっきり深く踏み込んで、一気に男の懐に潜り込む。ぎょっとした顔で動きを止める男その腕を左手で掴み、引きこみながら右手で山刀を叩き落とす。

 畳に山刀が突き刺さる。僕は男に足を掛け、更にこちらに引きながら体勢を崩した男の顎に力一杯膝を打ち付けた。

「が――――っ」

 そのまま、間髪いれず首筋に両拳を落とし、意識を刈り取る。男が気絶したのを確認してから、俺は拳銃と男の落とした山刀を取り、男の様子を窺う。

「…………コイツ、どうみても山賊だよな……」

 どうなってる? どうして、山賊が、こんな所まで……。

「……………………っ!」

 階段を、数人の人間が駆け上がる音が、夜の学校に響き渡る。こいつの仲間だろうか。

 俺は部屋の壁に隠れると、息を殺して様子を窺った。足音は忍ぶ様子もなく廊下を駆け、徐々に部屋へと近づいてくる。

 …………来るか!?

 片手に持った拳銃と、山刀に力を込める。同時に、俺の部屋の扉が大きな音を立てて開き――何人かが、飛び込んできた。

「――――って」

 俺は手に込めた力を緩め、乱入者……もとい、エマさんは、酷く狼狽した表情で俺を見て言った。

「明、大変だ! 月香が攫われた……!」

「…………なっ!? 攫われたって、どうして、誰に!」

「知るか……突然、この街にある数少ない車が奪われたと思ったら、月香の部屋がもぬけの殻で……抵抗した後があったから、自主的に出て行ったわけじゃない。とにかく、アタシたちで後を追って、救い出そうって今、美月と美野里を叩き起こしたんだ! アンタも行くよな!?」

 頷く。

 当然だった。だって今日、約束したのだ。ずっと、アイツを守るって。

 まさかこんなにも早く危機が来るなんて、思ってもみなかったけれど……。

「だけど、どうして……? 何でこの街の中にまで……敵が……」

 言いながら、俺は足元に転がる気絶した男へと目を向ける。と、入ってきたエマさんが、その男に目を向けた。

「こいつは?」

「わかりません……突然部屋に押し入ってきたと思ったら、俺にこれを突き付けて。にべもなくといった感じでした」

 エマさんは、しばらく無言で男の姿を観察しているが、やがて頭を掻くと、俺の方を見て行った。

「生きてる?」

「はい」

「んじゃ、とりあえず拘束しとこう。……美野里。手錠と鎖と紐と……とりあえず持ってきて」

「はいはい」

 エマさんの言葉に、部屋の外に居た浪川さんは肩をすくめて、再び廊下を駆けて行く。

「……しかし、どうしてこの街の中に入って来れたんでしょう。確かにこの前の戦闘で警備は減りましたけど……それでも、普通、こんな所まで入って来れないと思うのですけど」

「さぁな……考えたって、今はわかりゃしないよ。とりあえず、月香を取り戻しでもすれば分かるだろ。……準備は?」

「あ、はい」

 ホルスターとポーチ。それと、男から奪った山刀を鞘ごとベルトにさす。と、丁度そこに、エマさんに頼まれたモノを持った浪川さんがやってきた。

「んじゃ、アタシはコイツを拘束しとくから、アンタは外で待っといてくれ。しばらく部屋借りるけど、良い?」

「大丈夫です。分かりました」

 エマさんの言葉に頷いて、部屋から外に出る。

 と、憂う気な表情をした美月が、ベルトにモーゼルを吊るした状態のまま、壁に身体を預けていた。

「美月。どうしたの?」

「ん…………どうしたっていうか、さ……」

 美月は頬を掻くと、昨日と同じように、言い難そうに視線を彷徨わせる。

 ……前から思っていたけれど、この子は周りに配慮し過ぎる。明るく振舞っているように見せて、自分の言いたい事を、中々口に出せない性質なのだろう。

 俺は彼女の前に立ち、その顔を覗き込みながら再度問う。

「何か、……悩み事?」

「あのさ……これでもし、月香ちゃんを助け出せても、結局追放されちゃうんだよね」

「……………………」

 彼女の言葉に、俺は口を閉ざした。それは多分、美月だけでなく、エマさんや、浪川さんも考えている事だろう。

「でさ……もしもそうなったら……お兄さん……やっぱり、着いて行くんだよね……?」

「…………うん」

 考えた末、誤魔化すことなく頷く。

 俺は、青野を守る。だから、彼女の傍に居る。例え、何があっても。……その結果、どうなろうとも。

「そっか……そうだよね……」

 美月は、一瞬、辛そうな顔をして俯くが、すぐに顔を上げて……そして、笑った。

「ありがとうね。お兄さん。短い間だったけど……本当のお兄さんが出来たみたいで、嬉しかった」

「美月…………」

 ……危うく、このまま彼女を抱きしめてしまいそうな感情が浮かぶ。……だが、それこそ彼女にとっては残酷だろう。

 だから、俺は彼女の頭に手を置いて、軽く撫でた。

「俺の方こそ、ありがとう。……それと、もう一つ。美月は、もう少し周りの人に甘えても、良いと思うよ。……君はもっと、わがままを言ってもいいんだ」

「――――――――」

 俺を見上げる、彼女の大きな瞳に、同じくらい大きな雫が浮かぶ。美月はすぐに俯くと、それを隠すように手の甲で目を拭い、再び俺を見上げて、言った。

「…………本当に、ありがとうね。お兄さん」

「準備オーケーだ。行くぞ、二人とも」

 と、まるでタイミングを見計らったかのように、エマさんが部屋から顔を出して俺達に声を掛けた。俺と美月は、エマさんの方を見て、同時に頷く。

「とりあえず、下に車が止めてある。美野里が運転するから、アンタらは後部座席に乗れ。オーケー?」

「了解です。……あの、所で。今回行くのは、この4人だけですか?」

「あん?」

 首を傾げるエマさんは置いておいて、俺は廊下を見渡す。だが、俺とエマさん。美月に、浪川さん以外に人は居ない。

「…………もしかして、暁のことを言ってる?」

 エマさんの言葉に、俺は黙り込む。……いや、別にアイツを意識しているわけではないが。しかしこのメンバーで、暁だけ居ない。というのも、不思議に感じた。

「……アイツは、居ないよ。一応呼びには言ったけど、新隊長様はお忙しい様で、こんな時間でも外出中ときたもんだ」

「居なかったんですか?」

「そ。……まあ、たとえ居たとしても、着いてきたかもわかんねぇけどな。案外、都合が良いとか思ってんじゃねぇの?」

 肩をすくめて皮肉を口にするエマさん。だが、俺は暁が居ないという事に、言いようの無い不安を感じた。

 もしかして、エマさんが言うとおり、暁が裏で手を回していた? ……いや。それはないだろう。アイツは確かに、街を守る為なら手段を選ばない程に冷徹だけど、それ故に街の為にならないことはまずしない筈だ。

 青野を追放するなら、大々的に告知して、正式に追放しないと、「何時の間にか居なくなっていた。多分、山賊に攫われたのだろう」では、そもそも暁の手柄にはならない。

 だから、これを暁が手引きしたというのは、考え辛い。

「まあ、考えても仕方がないさ。それよりも準備は出来たな? そろそろ行くぞ」

 エマさんの問い掛けに、俺と美月は無言でうなづいた。



 道に残った轍の後を追い、俺達が辿り着いたのは――何時か青野が攫われた、あの山小屋だった。

「…………よりにもよって、ここか」

 草むらの陰に隠れながら、エマさんが渋い声を上げた。俺も、ここにはあまり良い印象は無い。……当たり前だ。ここで、俺達は大切な人を失い。そして、全ての終わりが、ここから始まった。

 この場所は……俺達にとっては、最悪の場所だった。……でも、だからこそ。そんな所に青野を放ってはおけない。

「…………アイツ等が盗んだ車は、確かにあるな。どうやらここで間違いないらしい」

 エマさんの視線の先に目を向けると、山小屋の外れの広間に、バカでかくて四角い車が止めてあった。……どうみても普通の車じゃない。ぱっと見、軍用車っぽいけれど、知識がないから俺にはわからない。

 ……因みに、俺達の乗ってきた車は、ここよりも少し遠くに止めてあり、浪川さんが待機している。青野を助けたら、すぐにでも脱出できるように。だ。

「……よし。それじゃあ、作戦を説明するぞ」

 エマさんは肩に掛けた大きな銃を両手で抱えると、俺と、隣に居る美月へと目を向ける。

「まず、アタシが一人で前方へ陽動に向かう。その間にお前と美月は、小屋の裏手へと回り込んで月香を救出。そのまま車に迎え」

「待ってください。それなら、美月も陽動に向かわせるべきです。エマさん一人じゃ……」

「この面子じゃ仕方がねぇよ。それに、大事なのはアタシじゃなくて月香だろ? 月香に何かあったら困るからな。それなら、美月をそっちにやった方がいい」

「だったらあたしが陽動に行くよ! エマちゃんが月香ちゃんを助けに行けば……」

 美月の言葉に、エマさんは苦笑を浮かべると、「それじゃ本末転倒だろ」と言って彼女の頭に手を置いた。

「良いから。ここは年長者に任せなさい。……まあ、本当に心配してくれるなら、早いとこ月香を助け出して、さっさと退散させてくれ」

「……………………」

 渋々と行った様子で頷く美月に、エマさんはますます口元を緩めると、彼女の頭を一度撫でて、手を離す。

「……そんじゃま、精々派手にやりますか」

 そして、両手で銃を抱えて立ちあがると、山小屋の方に目を向ける。

「ほら、アンタらはさっさと裏手に回る回る。銃声が聞こえ出したら、裏口から入るんだ。オーケー?」

「…………分かりました」

 俺は頷き、美月の腕を掴むと、中腰姿勢のまま草葉を掻きわけて山小屋を迂回に走る。

 ……途中、後ろを振り向くと、エマさんが俺に向けて親指を立てていた。

「……………………」

 俺はそれに無言で頷き、再び前を向いて走り出した。


 裏手に回った俺と美月は、近くの茂みに身を隠しながら、山小屋を観察する。

 裏口の前には、見張りが一人。……この中に、何人の敵が居るかわからないが、恐らくはその大多数が、エマさんの方に引き付けられるだろう。

 俺はホルスターから拳銃を抜くと、セーフティを下ろした。美月へと目を向けると、彼女は既に、両手にモーゼルを構えている。

「…………青野」

 両の手に持った額に当て、祈るような姿勢を取る。……覚悟を決めろ、例え何が待っていようと、俺は、青野を助ける。

 俺が顔を上げるとほぼ同時。小屋を挟んだ向こうで、大きな発砲音が鳴り響いた。ついで、数度の銃声。

「美月」

「うん…………」

 こくりと頷き、銃を構える美月。……だが、未だだ。もう少し引き付けて貰わないと、もし敵が部屋の中に残っていたら、困る。

「……………………」

「……………………」

 銃声が鳴り響く。俺と美月は無言で身を隠す。

 エマさん……大丈夫だろうか。もはやこの戦闘の音だけが、彼女の安否を確かめるすべでもあった。

「…………っ!」

 響く轟音。そして閃光。エマさんか敵のどちらかが、どうやら手榴弾を投げたらしい。

 ……今しかない。

「美月! 行くよ!」

 こくりと頷く美月に先導して、俺は茂みから飛び出した。裏口の前に立っていた見張りが、ぎょっと顔を強張らせてこちらに銃口を向ける。

 しかし、数度の銃声が響くと、男は銃を落とし頭から扉にぶつかり、その場に倒れる。

「お兄さんは……あたしが守る……!」

 背後から、美月の気合いの籠った声が聞こえる。俺は振り返らず、男の身体を蹴り飛ばすと、勢い良く扉を開けた。

「…………よし」

 やはり。と言ったところか。敵はエマさんに引き付けられていて、山小屋はもぬけの殻だ。まだ見張りは居るかもしれないが、それくらいなら美月の敵じゃない。俺と美月は並んで山小屋に入ると、一度周囲を気にしてから、廊下を走りだす。

 青野が掴まっている場所……この小屋に詳しいわけではないが、しかし心当たりがあった。前回の戦闘で山小屋の中はぼろぼろになっているが、あの部屋だけは、殆ど銃撃の後も無く、綺麗なままだった筈だ。

 ……この小屋が、あの日のままだとするなら、青野はきっと……。

「――――青野!」

 俺は、目の前にある扉を蹴り飛ばし、銃を構えながら部屋に押し入った。

 見覚えのある部屋。見覚えのあるベッド。床に染みる血だまりの跡――前回と全く同じ部屋。そのベッドの上に座る青野は、俺の顔を見て、目を丸くする。

「…………明? どうして、ここに……」

「どうして……って、助けに来たに決まってるだろ!」

 俺はもう、何も注意することなく部屋に飛び込むと、彼女へと駆け寄った。

 怪我は……無いようだ。前の様に拘束されている様子も無い。意識もはっきりしている。

 良かった……これなら、すぐにでも逃げる事が出来る。そうすれば、エマさんだって助かる筈だ。

 俺は美月の方に目を向けて、一度頷いた。美月は、ほうっと胸を撫で下ろすと、すぐに表情を張りつめ、銃を構えて周囲を警戒する。

「青野、立てる?」

「う、うん…………でも……」

 何処か困惑した様子で、青野は俺を見つめる。最初は状況を理解していないのかと思ったが、どうやらそうではないようで。どちらかと言えば、「俺が助けに来た」ことに対して、戸惑いを見せているような…………。

「どうしたの……?」

「……ううん。なんでもない」

 問うと、青野は俯いて首を振った。……疑問は残るが、今はそんな事を言っている場合ではない。折角ここまでこれたんだ。……今度こそ、助け出してみせる。

「助けにきた。青野、一緒に帰ろうっ!」

「――――何処に、帰るって?」

 ――ふいに。背後から、抑揚の無い声が、響いた。

「…………っ!」

 即座に振りむいて銃を構える。

 黒い髪。細い体。吊り目がちな瞳に、それを隠すような眼鏡。

 ……阪上暁。この男が、どうしてここに?

 美月の方に瞳を向けると、彼女は戸惑いを隠せない様子で俺と暁を交互に見ていた。

「……………………」

 暁は、無言で俺の前に立っている。その顔には、一切の感情が浮かんでおらず、俺には彼が何を考えているのか、全く分からない。

「……助けに、来たのか?」

「助けにって、誰を、何処から」

 思わず問う俺に、暁は普段となんら変わらぬ口調で、わけが分からない事を口にする。

「決まってるだろ。青野をだ。青野をここから助けるために、来たんじゃないのか?」

「…………助ける。ね」

 暁は、はぁと息を吐いて俺を睨むと、再び口を開く。

「僕はただ、邪魔なものを纏めて片付けに来ただけだ。折角だからな」

「…………?」

 一瞬、何を言っているのだろうと思った。だが、ここに来る前に感じた不安や、エマさんの言葉を思い出し、脳裏を嫌な予感が過る。

「…………お前、まさか……」

「……………………」

 暁は無言。その手には拳銃が握られている。俺は彼に向き直ると、気付かれないように拳銃を握る手に力を込めた。

 まさか……こいつ……!?

 と、突然部屋の扉が勢いよく開き、皆がそちらに注目する。

 背中を向けて飛び込んできたのは――エマさんだった。

「あ、なんだよ、未だ逃げてなかったのか」

「あ、はい…………」

 エマさんは、全身に掠り傷を負っており、泥まみれになってはいるが、深い傷は特に無いようだった。安堵したのも束の間、俺の前に立つ暁が、ゆっくりと彼女に向き直るのを見て、戦慄する。

「ほら、アタシがどうにかしてる間に早く逃げろ。でないとアタシも逃げらんねぇ……っていうか、何で暁まで居るんだ?」

「……………………」

 首を傾げるエマさんに、暁は再びはぁと息を吐くと、片手に持った拳銃を構え――

「止めろ――暁!」

 俺の制止は、部屋に響いた2発の銃声によって、かき消された。

「…………っ!」

 銃を落としたエマさんが、その場に倒れ込む。俺は咄嗟に銃を構えて、暁へと向けた。美月もまた、片方のモーゼルを暁に向け――暁は、俺の額に銃口を突き付ける。

「――――――――っ」

 暁に銃を突き付けたまま、俺はエマさんの方に目を向けた。撃たれたのは……どうやら、右肩と右足らしい。気絶してはいないらしく、うめき声を上げている。

 生きていたことに安堵しつつも、このまま放っておけば、きっと、出血多量で死んでしまう……。

「…………美月、青野」

 俺は、再び暁へと目を向けながら、二人に語りかける。

「美月は、青野を守りながら、外に脱出してくれ。エマさんが陽動出来なくなった今、美月の力が必要だ」

「う、うん……それは良いんだけど……お兄さんは……?」

「……俺は、コイツに用がある」

 銃を握る手に、力を込めながら、低い声で俺は言った。

「……………………」

 青野は、無言で立ちあがると、部屋の隅を歩き、美月の隣まで行く。美月が銃を構えながら先行して部屋を出ると、その後に青野も着いていき。

「…………明」

「ん、なに……?」

「……帰って来ないと、一生許さない」

 最後に、そう言い残して、青野は部屋から出て行った。

「…………分かってるよ」

 言いながら、銃を握る手に力を込める。外から聞こえる銃声が何処か遠く感じられる中、俺と暁は、互いの額に銃口を突き付けた形で向かいあっていた。

「……撃てるのか?」

 暁が、何処か馬鹿にしたような口調で俺に問う。

 ……そう言えば、昔、同じような状況になったなと、ふと思い出す。あの時は、暁が俺の額に銃口を向けていて……俺はコイツに銃を向けることは出来なかった。

 ……でも、今は違う。

「…………撃てる」

 ……虚勢に聞こえただろうか。実際、銃を握る手は震えている。見ず知らずの相手でも躊躇うというのに、相手は一応、良く見知った相手だ。

「……………………」

 それでも、撃てる。仲間だろうとなんだろうと、コイツが青野の命を脅かすというなら、俺は何の容赦も無く、撃ってみせる。

 息を吐く、銃の震えが止まる。俺が暁を睨み返すと、暁は一瞬、瞳を細めて俺を睨むが、すぐに表情を緩め、馬鹿にしたように鼻で笑い。

「…………はっ」

 次の瞬間――暁は、銃から手を離した。

「え…………っ」

 俺の視線が、そちらの方に向く。そして――一瞬だった。一瞬で、俺の手の内にあった筈の銃が弾き飛ばされ、俺は床に仰向けに倒れていた。

「……………………っ!!」

 すぐに体勢を立て直し、暁の足元に転がる銃に飛びつく。しかし、暁は足でその銃を蹴り飛ばすと、伸ばした俺の手を踏みつぶした。

「がぁ……くっ!!」

 暁の足を持ち上げ、腕を引く。数歩後ろに下がって間合いを取ってから、俺は腰に差した山刀を抜き、暁へと振り上げる……!

「ふぅ……じゃ……っ!!」

「…………はっ」

 暁は、俺の斬撃を半歩ずらしてあっさりと避けると、腰からナイフを抜き、俺の右腕に突き刺す。

「ぐ……が……!」

 力の抜けた手から、山刀が抜け落ちる。暁はナイフから手を放すと、俺の懐に潜り込み、その拳を腹に思いっきり叩き付けた。

「げふ……っ」

 暁の拳に弾き飛ばされ、俺は背中から壁にぶつかり、その場にしゃがみ込む。暁は構えを解くと、ゆっくりと俺の方に近づいてきて、大きくため息を吐く。

「…………何だ。結局弱いな、お前」

 失望混じりの声に、俺は暁を睨み返す。しかし、ぶつけた時に肺を打ったのか、大きく咳き込んでしまい、何も言い返せなかった。

「暁……なん……で……」

 ……代わりに、彼に問うたのは、俺ではなく、扉の近くに倒れる、エマさんだった。

「なんで……こんな……こと……」

「…………僕が守るべきものを、守る為です」

 暁は彼女の方へと向き直ると、無機質な――しかし、強い意志の感じられる声で、答えた。

「守……る…………?」

「ええ。その為なら、僕は何だってする。山賊とだって手を組むし。邪魔な人間を排除だってする。……本当は、もっとスマートにやるつもりだったが……中々難しいな。まさかここまで来て、邪魔が入るなんて」

「それ……じゃぁ……明を襲った……あの男は……」

 途切れ途切れなエマさんの言葉に、暁は、さも当然といった様子で頷く。

「はい。コイツを殺す為に、僕が送り込みました」

「…………なんで」

「だって、邪魔なだけじゃないですか。コイツ」

 エマさんが身体を起こそうとして、自分の血だまりに手を取られて再び倒れる。

「ああ、あまり無理をしないでください。貴女に死なれると困る。だからわざわざ手と足を狙ったんですよ?」

 血まみれになりながらも、エマさんは、暁を睨みつけて、言う。

「これが……暁、これがお前のやり方か……」

「はい。これが僕のやり方です」

 暁は、はっきりとそれに答えた。街を守る為なら、手段を問わない。例えどんな手を使ってでも。……例え、どんな悪行に身を染めてでも、街を、守る。

「…………なんで、だよ……」

 胸を押さえながら、俺は立ちあがった。暁が、再び俺の方を向く。

「街を守る……? ああ……それは良いよ……。別に……俺だって……この街は好きだし……お前が守ってくれるって言うなら……非難はしない……でもな……」

 咳き込む。息が詰まる。右腕に突き刺さったナイフが痛む。

 ……知った事か。

「……だったら、何で、青野を攫った……どうして、青野を傷つけようとした……お前は、何がしたいんだ、暁……っ!!」

「……何を言われようと、僕は手段は問わない。お前だってそうだろう? 青野を守る為、僕に銃口を向けたじゃないか」

「そうだよ……ああ。別に、やり方を責めてるわけじゃない……ただ、俺は……」

 こいつが本当に、ただ街を守りたかっただけなら青野を攫う意味が分からない。

 ……だから、許せない。街を守る為に手段を問わない。だけなら良い。でも、明確な悪意を持って、青野を傷つけるというのなら。

「――お前は、俺の敵だ、暁……!」

「…………ああ。全くだよ」

 今ごろ気付いたのか。とでも言わんばかりに暁は笑うと、立ちあがった俺を睨み。

 俺と暁は、互いに向き合い、構えを取る。そして――

「――じゃあ、お互い、やることは一つだろ?」

 ――先に動いたのは、暁だった。暁は姿勢を低くして俺の元まで一瞬で駆けよると、右拳で真っ直ぐに俺の顎を穿ちに掛かる。

「……………………」

 身体を後方に逸らし、それを避ける――が、腕を取られ、足を掛けられると、伸ばした身体を利用してそのまま床に倒される。

「ぐ…………っ!」

 身体を捻り、暁の蹴りを避ける。同時に身体を起こし、地を蹴って暁に飛びかかる――!

「は――――っ」

 嘲笑。暁は身体を半歩ずらしてあっさりとそれを避けると、がら空きになった俺の背中に蹴りを入れる。

「が……っ! ぐ……!」

 倒れそうになるのを堪えて、再び暁に向き直った。暁は呆れたような顔で俺を見ると、余裕そうに口を開いた。

「おいおい。その程度で僕に勝てると思ったのか? 僕を倒せると、僕を殺せると本気で思ったのか? 笑わせるなよ素人――お前ごときじゃ、僕に敵いはしない――っ!」

 再び暁は間合いを詰めると、鋭い突きを放ってくる。どうにかそれを避けるが、続いて来た左腕の突きを避けきれず、俺は腕で防御した。

「何が青野を守るだぁ? 随分と張り切ってたみたいだが、結局お前には無理なんだよ!」

 痺れるような鈍痛と共に、一瞬腕から感覚が無くなった。重い……。

 続けざまに暁が放つ蹴りを間合いを放して避ける。

「――――ッ!! ――――ぐっ」

 暁はすぐに俺へと間合いを詰めると、右腕を突き出した。

「手段を選ばず、青野を守る? ああ、カッコ良い台詞だねぇ……! ヒーローにでもなったつもりかッ!!」

 それを防ぎ、カウンターで暁の顔面に殴りかかる。

「うる――さい……! 少し黙れ……!!」

 しかし、暁はそれすらもあっさりと避けると、逆に俺の腕を掴み、引き寄せ、がら空きになった脇腹にひざ蹴りを喰らわせる。

「自分勝手なエゴで、周りを犠牲にして! お前に誰かを守る資格なんて無い――!」

「……っ! うるさいって言ってんだろうがぁああ!!」

 吐きそうになるのを堪え、俺は暁の腕を引きはがすと、大きく拳を振りかぶった。……だが、そんな大ぶりな攻撃は、もちろん暁に届く筈も無く。

 暁に拳を避けられた俺は、その勢いのまま、無様に床に転がった。

「勝てねぇよ、役立たず。お前は僕には勝てない。何が『青野を守る』だ。結局、他人を犠牲にしてしか生きられない弱いお前には、誰かを守る事なんてできない。――僕には、勝てない」

「…………っ」

 仰向けになり、床に腰を付けながらも向き直る俺に、暁は冷徹な声でそう言うと、ゆっくりと俺の前へと近づいてくる。

「終わりだ。僕はお前を殺して、望むもの全てを守ってみせる。……その為なら手段は問わない。例え、何を犠牲にしようとも」

 ……これが、阪上暁。

 鋼の意志を持って、どんな手段を講じてでも全てを守る、街の守護者……。

「…………はっ」

 ……だって?

 馬鹿な事を言ってんじゃねぇ……なにが、どんな手を使ってもだ。

 怪訝そうな顔で俺を睨む暁を睨みつけ、僕は笑う。

「なにが……『望むもの全てを守る』だ……カッコいい台詞だねぇ……ヒーローにでもなったつもりか……? 暁ぃっ!!」

 叫ぶと同時に、俺は右手に刺さったナイフを勢いよく抜いて、暁の顔に投げつけた。とっさの事に、暁は反応できず、俺とナイフを驚いた顔で見つめ、

「は――っぐ……っ」

 しか

し、さすがは暁。このタイミングで、この距離で、それでも尚避ける。――しかし、その一瞬の隙は、俺が体勢を立て直すには十分だった。

「暁ぃ……!!」

「ちぃ…………っ」

 はじめて、俺の拳が暁に届いた。顔面を殴られた暁は、顔を押さえながらたたらを踏んで下がる。追い打ちをかけるように間合いを一気に詰める。……この隙を、逃がしたりはしない……!

「聖人気取ってんじゃねぇぞ、暁! 全てが街の為だって言うなら、どうして青野を攫わせたりなんかした! どうして俺に刺客を送り付けた! 結局お前は、自分のエゴの為に青野を犠牲にしようとしたんじゃないか! 違うか……!」

「…………違うっ!!」

 再び拳を振り上げるが、既に体勢を立て直した暁は、それを両腕で防ぐ。……だが、それでも止まらず、俺は暁に猛攻をかける――!

「何が違うって言うんだ……! だったら、何で青野を攫ったぁぁあ!!」

 暁のガードをすり抜けた腕が、再びその顔面を抉った。頬を撃たれた暁の顔から、フレームのひしゃげた眼鏡が飛んでいく。

「…………誰が」

 眼鏡の外れた暁が、鋭い瞳で俺を睨んだ。

「誰が……答えるかよ……この野郎っ!!」

「……………………」

 暁は俺の腕を掴むと、俺の頭に自分の額をぶち当てる。――一瞬、視界が白熱した俺は、よろめきながら数歩下がった。

 追撃してくるかと思った暁は、意外にも俺の手を放し、距離を取る俺を見逃す。

「答えた所で……お前にはわからない……お前にだけは、分からない……だから」

「……わかってたまるか……」

 低い声で呟く暁に、俺も答えると、彼は自嘲気味に笑い、「ああ、そうだろうな……」なんて答える。

 そして、再び俺を睨み、口を開いた。

「結局……僕とお前は、どうあがいても分かり合えないわけだ。……色々と理由を付けて見た所で、こればっかりは変えられない。ああ、はっきり言ってな、最初に出会った時から――」

 三度の対峙。お互い、既に武器は無い。

 完全な徒手空拳。……もう、隠し玉は無い。

 故に――――

「僕は」

「俺は」

「「お前が――嫌いだッ!」」

 お互いの顔を、お互いの拳が殴り合う。互いによろめき、後ろに下がるが、どちらともなく再び前に足を踏み出し、殴り合う。

 初めてあった時から、なんとなく嫌な感じだと思っていた。だけど、今わかった。こいつだけは――絶対に、自分とは合わない。

 それが、何故なのか。価値観か。立ち位置か。それとも、守りたいもの故か。……だが、そんなことはもはや関係がない。

「暁ィィイイイイ!!」

「明ぁぁぁぁあああ!!」

 俺達は、ただ、守りたいものの為に。目の前の敵を叩きのめす……!

 ――轟音が、響く。

 床が揺れて、俺と暁は互いに相手に向けていた拳を止める。次の瞬間。

 ――木製の壁を突き破り、巨大な箱が、部屋の中に滑り込んできた。

「――――なっ」

「――――――――」

 俺も、暁も完全に呆気に取られて、箱――正確には、箱のように四角い車へと目を向ける。

 あれは……さっき小屋の外に止まっていた、軍用車……? それじゃ……運転してるのは…………。

 俺の疑問に答えるかのように、運転席の窓が開く。そこに座っていたのは……。

「――あ、青野……!?」

 白い髪を揺らす青野が、さも当然といった様子で、ハンドルを握っていた。あまりの事に、俺はぽかんと口を開けたまま、彼女に問う。

「あ……青野、車の運転が、出来たんだ……」

「……………………」

 彼女は無言で俺を見ると、グッと親指を立てて、俺に向ける。……なんだ、そりゃ。

 少しだけ、力が抜ける。……だが、未だ終わってはいない。

「動かないで! 暁くん――!」

 車の天窓から身を乗り出した美月が、両手のモーゼルを暁に向けた。

「…………美月か」

 暁は動じる様子も無く美月へと目を向けると、低い声で問う。

「外に居た奴らはどうした」

「……皆、倒したか逃げて行ったよ。今ここに居るのは、あたしたちだけ」

「…………そうか」

 暁は、静かに呟くと、両手を降ろし、美月から視線をそらすと、俯いた。

 ……負けを、認めたのか? 警戒しながらも、俺と美月は、構えを解く。

 ――だが。暁は、諦めてなんていなかった。

 一瞬の隙を着いて――暁は床を転がり、落ちていた銃を拾うと、近くに倒れるエマさんに、その銃口を向ける。

「暁――っ!」

「――動くな」

 駆けだそうとした俺を睨みながら、暁はエマさんの頭に銃口を押しつける。俺はとっさに動きを止めると、暁は俺から、銃を向ける美月に視線を向けて言った。

「……さて、まずは第一条件。銃を降ろせよ、美月」

「下ろすと……思うの?」

「撃っても良いけど。お前が幾ら天才的な射撃センスを持ってるっていっても、この距離なら一発くらいならどうにかできる。その間に、僕はエマさんを殺すよ」

「……………………」

「……よしよし。後で飴をやろう」

 美月は眉間に皺を寄せると、辛そうに銃を下ろした。それを見て、暁は苦笑すると、この場にそぐわない軽口を言う。

 そして、再び僕を睨むと、エマさんに銃を突き付けたまま、言葉を続ける。

「……それじゃあ次に、その車と、月香の受け渡しだ。それが出来たら、お前らは開放してやる。エマさんも、美月も……お前もな」

「…………っ!」

 コイツは……そこまでして、どうして青野を……?

 暁は無言でエマさんに向けた銃を軽く2、3度揺する。

 どうする? このままでは、青野が……。いや、でも、受けなければエマさんどころか、俺や、美月にも危害が……。

 ……違う。俺は青野を守ると決めた。例えどんな手段を使ってでも。例え、どんな犠牲を払ってでも。……いや、しかし、ここで俺一人が暁に抵抗した所で、勝てるか? こちらには美月が居る……エマさんを犠牲にすれば……駄目だ。このままでは、連携を取る事も出来ない。先に美月を落とされたらこちらの負け……。

「…………考えるのも良いけどな。さっさとしろよ。でないとコイツ、出血多量で死ぬかもよ?」

「……………………っ」

 歯噛みする俺に、暁はすっかり冷静を取り戻したらしく、普段と殆ど変らぬ調子で、俺を脅す。

 ……駄目か? このままでは……。

「……………………」

 と、音を立てて車の運転席が開き、シートベルトを外した青野が、箱の様な車から出てきた。

「……青野?」

「……………………」

 青野は一度、無言で俺を見つめると、くるりと振り返り、両手を後ろで組んだまま、暁の方を向く。……そして、ゆっくりと暁の方へと、歩き出した。

「青野……!?」

 まさか、自分を犠牲に……!

 ……いや、違う……? 後ろに回した手。暁には見えないようにしながら、何かを持っている。

 ……アレは、美月のモーゼル? 何時の間にか美月から貰っていたのか……。いや、でも、あれじゃあ撃つことは出来ない。手がグリップではなく、銃身の方を持っている。まるで、誰かに渡す時みたいに……。

 ……渡す? そう言えば、今俺を見つめていたのは……もしかして、アイツ……。

「…………良いだろう」

 気がつけば、青野は暁の一歩前まで来ていた。

 ……覚悟を決めるか。どの道、これでは青野を守れない。俺は暁を睨みながら、一歩足を踏み出すと、奴に向けて口を開いた。

「なあ、暁。お前、これからどうするつもりだ?」

「…………あ?」

 暁がこちらに目を向ける。また、一歩。

「街は殆ど壊滅。組もうとした山賊達には逃げられ、企みは殆ど俺達に知られてしまった。こんな状況で、本当にあの街を復興出来ると、そう思ってるのか?」

「…………出来るさ」

 暁は俯くと、低い声で、呟く。その間に、また一歩。

「アイツ等には、もう一度話を付けてくる。最初に出したのよりももう少し良い条件を出せば、アイツらだって食いついてくる筈だ。……それに、僕の算段を知ってるのはお前らだけだ。お前らさえどうにか出来れば、何も問題は無い」

「…………へぇ、本当にそれでどうにか出来るって?」

 言いながら、また一歩。ゆっくりと暁に近づいて行く。……問題は、俺に出来るかだ。いや、出来る。覚悟はとっくに決めた。後は引き金を引くだけなのだから。

「出来る。どんな手を使ってでも、やってみせる。……何をしようと、俺は街を守る」

「……その覚悟は、確かに立派だよ」

 一歩。俺は既に、青野のすぐ後ろまで来ていた。さすがの暁も怪訝そうな瞳で俺を睨む。

「……でもさ。それでも、俺はお前の言葉は聞けない。俺が守りたいのは、街じゃなくて、青野だから……例えあの街が滅んでも、俺は青野を守る……だから」

「お前――なにを――」

「だから、暁。俺は――お前を撃つ……っ!」

 次の瞬間――青野は後ろ手の銃を上に投げ上げると、即座にその場にしゃがみ込んだ。俺は、青野が投げた銃を、空中でキャッチすると、そのまま、唖然とした顔で俺を見つめる暁に銃口を向け――撃った……!

「が…………ぐっ!」

 暁が身体をずらしたため、銃弾は狙った通りの所には当たらなかった。しかし、暁の二の腕を貫通したお陰で、銃を弾くことには成功する。

 間髪入れず、俺は暁の頭に銃口を向ける。この距離なら、外さない……!

「――――――――っ!」

「待って、明、待って!」

 青野の声に、俺は引き金を引くのを躊躇う。だが、暁はそれを見逃さず、右腕を押さえたまま肩口から俺にタックルをする。

「ぐ…………っ」

 銃が飛び、床に落ちる。俺は仰向けに倒れると、暁はその上に伸し掛かり、無傷な左腕で俺の顔を殴り付けた。

「――て……っめぇ!」

 再び振り下ろされる暁の腕を掴み、引き摺りこむようにしながら身体を反転させ、今度は俺がマウントを取り、暁を殴りつける。

「やめて……二人とも止めて……!」

 青野の声が聞こえるが、俺も暁も殴り合うのをやめなかった。

 俺は、コイツが嫌いだ。そして、コイツも俺が嫌いなんだろう。

 俺達は、どうあがいても分かり合えない。お互いに相手の存在を否定し合うしかない。

 だから……これは多分、どうしようもない事なのだ。

 俺達は、取っ組みあって殴り合う。もう、技もなにもない。ただ、力任せに、全力で相手を殴る。お互いの存在を否定するように、ただ、ひたすらに殴り続ける。

 既に、青野は両手で顔を押さえている。美月も、青い顔をしながら俺達を見つめていて……エマさんは、動けない。もうこの場に、俺達を止める事が出来る人は、居ない。……だから。

「あか……つきぃ……!」

「明……! あきらぁ……!」

 ――だから。


「――はいはい。そこまで。まったく。おねーさんの仕事を増やして楽しい? 二人とも」


 ――こんな俺達を止められるのは、その場には居ない筈の、誰か、だけで……。

「――――――――」

「――――美野里、さん」

 俺も暁も、完全に虚を突かれたような顔で、部屋の入口に立つ浪川さんを見つめた。浪川さんは普段と変わらない、飄々とした調子で部屋の中に入ると、足元に倒れるエマさんを見て、顔を顰めた。

「うわぁ……また、大変そうな患者が増えた。まったくもう……夜更かしは肌に悪いんだから、もっと手加減しなさいよね、暁くん」

「あ…………は、はぁ」

 俺の下に居る暁が、間の抜けた声で返事をする。浪川さんはその場にしゃがみ込み、エマさんの腕や足を手に取って観察すると、うんうんと何度か頷く。

「出血は酷いけど、弾は抜けてるし。これなら大丈夫かな。……って、ほら。そこ。何時まで男二人で絡み合ってるの。離れなさい」

 その言葉で、ようやく俺は、自分の状況と、自分の下に居るのかが誰かを思い出した。

「……! でも、浪川さん、コイツは……!」

 コイツは、青野を……!

「…………明」

 何時の間にか、俺達のすぐ隣まで来た青野が、その場に膝を着いて、ふるふると首を振る。

 そして、俺の拳に、両手をやって。言った。

「暁、違う。暁、わたし、守ってくれた」

「え……?」

「暁、言ってた。全部のゴタゴタを片付けたら、街に戻してやる。それまでの辛抱だからって……だから」

「……………………」

 その言葉に、俺は思わず、暁を掴む手を放す。……そういえば。青野を助けに来た時、彼女には、拘束された様子も無かったし、部屋に鍵すら掛けられていなかった。

 一体……どうして……?

「暁……お前、どうして…………」

「……わからねぇよ、お前には」

 俺の下で、もはや抵抗を諦めたように両手を広げた暁は、それでも、毒のある声色で、呟く。

「…………なぁ、暁」

 そんな彼に、浪川さんに身体を支えられたエマさんが、力の無い声で、呟く。

「お前さ……月香の事が、好きだったんだろ」

「……………………」

 その質問に、暁は無言で顔をそらした。だが、その態度こそが、明確な肯定であり……。

「僕は……、お前が嫌いだ」

 そして、顔をそらしたまま、暁は、最後の独白を、始める。

「お前は……僕が守りたかったもの、全部持っていきやがった。僕が望んだもの全て、お前の存在が取っていった。太陽さんも、月香も……あの、街ですら」

「…………暁」

「……守りたいものがあったんだ。……頼まれたんだ……太陽さんに。だから、僕は街を守る。街の為に動く……。それが……僕の……」

 そこまで言って、暁ははっと自嘲気味に笑う。

「……でも、結局はお終いだ。街を守りたかった僕と、月香を助けたかった僕。……最初から矛盾してたからな。街を守るなら、月香を見捨てるしかない。月香を救うなら……お前みたいに、街を捨てるしかない。両方どうにかしようとして……結局、どっちも手に入らなかった。……だから、これで終わりだ。今日をもって……あの街は、終わる」

 ……終わりと。暁は言った。

 何を持っても譲らなかった、あの街の最後の守り手は、今この瞬間を持って、折れた。

 だから、これでお終いだ。彼の守りたかったものは、全て無くなってしまった。

「…………ああ」

 それでも、暁は虚ろな瞳で天井を見上げると、本当に、心から優しい声で、呟く。

「……それでも、守りたかったんだけどなぁ」

 その独白を最後に。暁は今度こそ、完全に口を噤んでしまう。

「……………………」

 俺も、暁も。……他の皆ですら、誰ひとり、何も言えず。ただ、一つだけ、分かっている事が、ある。

 ――その日、その世界は、終わった。

 絶望的なまでに、終わっていた。



 全員が浪川さんの応急処置を受け終わる頃には、既に日が開け始めていた。

 俺は一人、山小屋の外に立って、白んでいく空を見上げていた。

「なあ、明。アンタ……じゃないな。アンタら、これからどうするつもり?」

 そう訪ねてきたのは、右腕と右足に包帯を巻いたエマさんだ。アンタら……と言い直したのは、俺と青野の事に付いて問うつもりだったからだろう。

「……そうですね。一応、こんな足も手に入りましたし。青野と二人で、どこか他の街にでも行きますよ」

 少し考えた末にそう答えると、エマさんは渋い顔をして頭を掻くと、口を開いた。

「……それで良いのか? もうあの街はほとんどお終いだし、暁の決定も効力は無いんだ。二人とも、あの街に居てもいいんだぞ?」

「……でも、未だあの街に残る人もいるでしょうし。そういう人たちから見たら、俺達は邪魔でしょうから」

 エマさんが、俺たちを心配してくれていることはわかった。でも、もう決めたんだ。

 俺の言葉に、エマさんはそうかと呟くと、満足げに頷いて、にこりと笑い。

「――んじゃ、アタシもアンタらに着いて行くとするかな」

 そんなことを、呟いた。

「…………は?」

「なんだよ。別に良いだろ。それとも、二人だけの逃避行とでも言うつもり? アタシはお邪魔無視って事?」

「い、いえ……別に、そういう意味じゃ、ないんですけど……」

 むしろエマさんは頼りになるし、こちらとしても大助かりではあるのだけれど。……でも。

「…………良いんですか?」

「良いんだよ。どのみち、アタシも何時までもこの街に居るつもりはないし。それにこの怪我じゃ、しばらくは何も出来ねーからな。アンタらに力を貸す代わりに、傷が治るまでは、精々アンタらを頼らせてもらう。これで良いだろ?」

 そう言って、笑うエマさんは、なんかもう……俺なんかよりもよっぽど格好良かった。

「ありがとうございます……。助かります」

「おいおい。ここは、ありがとうじゃなくてよろしくだろ? お互いに力を貸しあうんだからさ」

「はい……よろしくお願いします」

 頷いて、差し出された腕を、掴む。……正直、二人だけでやっていけるのか、凄く不安だったけれど。エマさんが着いてきてくれるなら、そんな不安も吹き飛んだ。

 これから先、どんな事が待っていても、どうにかなる。……そんな気がした。

「あ、こんな所に居た。二人とも、準備できたよ」

 と、壁に空いた穴から顔を出した浪川さんが、俺とエマさんを呼ぶ。俺達は二人頷いて、部屋の中へと戻る。

 部屋の中では、車に荷物を積み込む青野と美月。それを無言で手伝う、暁の姿があった。

「とりあえず、この小屋に隠してあった物資を、積めるだけ積み込んどいたけど。これでおーけー?」

「はい。……手伝ってくれて、ありがとうございます」

 俺が頭を下げると、浪川さんは苦笑しながら手を振った。

 ……と、エマさんが一歩前に出て、浪川さんの顔を見ながら真面目な表情で問う。

「なあ、美野里。お前はどうするんだ?」

「私? 私は街に残るよ。まだまだ患者さん、沢山残ってるからねぇ」

 浪川さんは肩をすくめると、苦笑しながら答えた。そして、手を降ろしエマさんを見つめると、ニヤリと口元を歪めて笑う。

「そんな風に聞くって事は、エマちゃんはもう決めたんだ」

「ああ。アタシはこいつらに着いて行く。……んで、まあ適当にどうにか生きていくよ」

 エマさんの答えに、浪川さんは、「そっか……」と小さく呟いて笑うと、エマさんの前まで来て、彼女の首筋に抱き付く。

「じゃ、元気でね、エマちゃん」

「……そっちこそ。死ぬなよ美野里」

「エマちゃんの方もね」

 互いに笑いあうと、浪川さんはエマさんから離れ、もう一度笑って、踵を返した。

「――エマ、一緒に行くの?」

 と、浪川さんと入れ換わるように青野がエマさんの前まで来ると、感情の読めない声でエマさんに問う。

「ん? お、おお……」

「……………………そう」

 少しだけ動揺した感じのエマさんに、青野は小さく頷くと、車の方へと戻っていってしまう。ぽりぽりと頬を掻くエマさんの方を見ながら、僕は苦笑しながら言った。

「嬉しがってましたね、青野」

「……え、あれで?」

「そうですよ。分かりませんでした?」

 エマさんは眉根に皺を寄せながらしばらく頭を掻くと、唐突に、はぁと大きく息を吐いて、呆れ気味な視線を俺に向ける。

「……お前、やっぱり青野のパートナーだな。アタシ、全然分かんなかった」

「…………そうですか」

 嬉しさと、パートナーと他人に言われた事の気恥ずかしさに、俺はそっぽを向いて頬を掻く。

 そうしていると、浪川さんに呼ばれて、俺とエマさんはそちらへと歩いて行った。

「……それじゃあ、そろそろお別れという事で」

 車の横で向かいあう、俺に青野とエマさんの脱出トリオと、浪川さんと美月と……暁。

 暁はフレームの壊れた眼鏡をかけて無言で俯き、美月も顔を伏せながら、スカートの裾を両手で掴んでいて……笑っているのは、浪川さんだけだった。

「じゃあね、明くん。少しの間だったけど、君と暮らせたのは、弟が出来たみたいで楽しかったよ」

「……はい。俺も、姉が出来たみたいで、嬉しかったです。ありがとうございました」

 恐らくはこの街で、誰よりも世話になった人に、俺は頭を下げる。浪川さんは最後まで普段の調子を崩さずに笑うと、今度は青野に目を向ける。

「月香ちゃん。貴女があの箱を自分から壊したって聞いた時、私は結構、驚いたんだよ?」

「……………………」

「でも、今の月香ちゃんを見てると、良かったなって思う。おめでとう。それと、頑張れ。これからもっと大変な事が待ってると思う。でも、顔を伏せないで前を向いて歩いてね。……辛くなったら、明くんに頼ればいいんだから」

「……………………うんっ!」

 その言葉に、青野は小さく。でも確かに強く頷いた。

 浪川さんは、それを見て、満足げに微笑むと、エマさんに目を向ける。

「エマちゃんは…………もう良いよね?」

「酷くね? それ」

「だってほら、言いたいことはさっき言っちゃったし」

 苦笑するエマさんに、浪川さんも口元に手を当てて笑うと、再びエマさんに向き直り、言った。

「任せたよ、エマちゃん」

「任された」

 それだけで、二人の挨拶は終わったらしい。浪川さんは一歩後ろに下がると、自分の隣に立つ、暁の背中をぽんと叩く。

「ほら、次は、暁くんの番」

「いや、僕は…………」

「いいから、ほら…………っ!」

 浪川さんに両手で勢い良く押されて、暁はよろめくように数歩前に出ると、青野の前で止まる。

「あ……その…………」

 暁は、真っ直ぐに彼を見つめる青野の視線から目をそらすと、顔を隠すように眼鏡を押さえる。

「その……なんだ…………」

「……………………」

「だから……その…………」

 しばらく、しどろもどろになっていた暁は、ふと覚悟を決めたかのように息を吐くと、青野を真っ直ぐに見て――頭を下げた。

「…………悪かった」

 ……その謝罪は、一体何に対してだったのだろうか。騙した事か、攫った事か。それとも全てか。

 ……だが、何にせよ、青野は、普段と同じ調子で、口を開くと、

「許した」

 そう、答えた。

「……………………」

 間の抜けた表情で顔を上げる暁に、青野はやはり、普段と変わらぬ口調で言葉を続ける。

「暁、何時もわたしのこと、心配してくれて。何時もわたしの傍に居てくれて。何時もわたし、助けてくれた。今回のことだってそう。だから、わたし、暁に謝られる事、ない」

「でも、僕はお前を……」

「あったとしても、全部許す。それに、わたしだって、暁に伝えたい事、沢山あった」

 そう言って、青野は白い手を項垂れる暁の頭にやって、まるで子供をあやすように、優しく撫でた。

「ごめんね。ありがとう。大好き。貴方は顔が無愛想だから、誤解されやすいけど……本当は、凄く優しい人だって知ってる。だから、ごめんね。辛い思いをさせて。それに、ありがとう。ずっとそばにいてくれて。……でも、わたし、もう大丈夫だから。あなたに守られてなくても、なんとかやっていけるから。――だから、ありがとう。暁」

「――――――――」

 暁の眼鏡で隠れた瞳に、大粒の涙が浮かぶ。

 暁が、しばらく項垂れたまま何も言わずに立ち尽くす。その間、青野はずっと、暁の頭を撫でていた。

「……………………」

 しばらくそうしていて、暁は眼鏡を取って瞼を拭うと、再び眼鏡をかけて、青野を見る。そして、もう一度、頭を下げた。

「ありがとう……元気で」

「うん……暁も、元気で」

 暁は顔を上げると、普段通りの無表情のまま、一歩後ろに下がった。それを見て、浪川さんは口元に手を当てて笑うと、最後に残った――美月へと顔を向ける。

「美月」

「……………………」

 浪川さんに呼ばれても、美月は顔を伏せたまま動かない。

 浪川さんは、無言で彼女の傍までよると、その肩を叩く。

「……美月? これが最後なんだから、言いたい事があるなら、言わないと伝わらないよ……?」

「…………っ」

 びくんと身体を震わせる美月に、浪川さんは一度息を吐くと、優しげな笑顔を浮かべながら、彼女に言った。

「……美月。貴女が後悔しないようになさいね」

 そして、顔を上げると、彼女の背中に回り、その背をポンと押す。それが思ったよりも強かったのか、美月は顔を伏せたまま、勢い良く俺の懐に飛び込んできた。

「おっと…………」

 美月は、俺の胸に顔を埋めたまま、動かない。……やっぱり、彼女にとって、この別れは辛いものなのだろう。

「美月……」

 心配になって彼女の肩に手を置くと、美月は途端に俺のシャツを握り締めると、勢い良く顔を上げる。

「は……み、美月……?」

「お兄さん――!」

 美月は思わず押されそうなほど、決意の籠った瞳で俺を見つめると、強い意志の籠った声で、言った。

「あ……あたしも、お兄さんたちに着いていきます――!」

「――――は?」

 ……え? いや、ちょっと待ってほしい。

「ちょっと、いきなり何を言って――」

「いいよね!? お姉ちゃん!」

 うろたえる俺をしり目に美月は後ろを振り返り、浪川さんに問う。と、浪川さんは心から楽しげに笑うと、右腕を突き出して、その親指を立てた。

「オッケー。許した!」

「いや……ちょっと待ってください! 浪川さん! い、良いんですか……?」

 思わず美月を引きはがして浪川さんに詰め寄ると、浪川さんは口元に手を当てながらとぼけたように言う。

「んー。まあ、美月も何時までも子供じゃないし? 何処に行くにも保護者同伴ってわけにもいかないでしょー」

「いや、そんな問題じゃないでしょうっ!?」

「大丈夫だいじょうぶ。いざとなったら明くんが守ってくれるしー?」

「だから、そんな問題でも……!」

 それに、どっちかって言うと俺が守られそうな……とか、そんな事を考えている場合では無くて。しかし、浪川さんは、ふっと息を吐いて、言った。

「私はさ、ずっとあの子に、無理させてきたから、決めてたんだ――あの子がもしわがままを言ったら、絶対にそれを、許してあげようってさ」

「…………浪川さん」

「――ま、妹のわがままを聞くのは、姉の仕事だし。それで明くんたちに迷惑を掛けちゃうのは、まあ今までのお返しって事で。……だめ?」

 最後だけ、何処か不安そうな顔で聞いてくる浪川さんに、大きく肩を落とす。

 ……まったく。そんな風に聞かれて、だめと答える事の出来る男が、何処にいる。

 それに、迷惑だなんて、思う筈がなかった。

 だって、妹のわがままを聞くのが、姉の仕事なら――その妹を守るのは、『お兄さん』の仕事……なのだろうから。

「…………後部座席」

 結局、俺は一度ため息を吐いてから、美月に聞こえる声で、独り言のように呟く。

「後部座席、空いてるから。……一人くらいの余裕は、まあ、あると思う」

「――――っ! ありがとう! お兄さん!」

 美月は俺に大きく頭を下げると、何とも気の早い事に、後部座席の扉を開けて飛び込んだ。

「あ、こら美月! 後部座席はアタシも座るんだっての! ちゃんとスペース考えろ!」

 それに釣られるように、声を荒げたエマさんが続けて車に乗り込み、ガタガタと中で乱闘が始まる。

「ははは…………」

「なんか、このまま出発って感じだね」

 そのようで。

 俺は苦笑しながら、端に立つ月香に頷く。と、月香は俺に頷き返すと、一度浪川さんと――顔をそらす暁に目を向けてから、運転席の扉を開けて乗り込んだ。

「……それじゃあ、俺もこの辺で」

「うん」

 浪川さんに会釈して、俺は助手席へと回り込む為、踵を返す。

「…………おい、明」

 ――と。その前に。よく通る低い声が、俺を呼びとめた。

「……………………」

 足を止めて、振り返る。暁は、こちらに背を向けたまま、俺の方を見もせずに、

「2人に何かあってみろ。――僕は、お前を殺してやる」

「……分かった」

 背を向けたまま、俺が答えると、暁はふんと鼻をならして、小屋の廊下の方へと歩いていってしまった。

 ……それで、最後。

 阪上暁。俺が誰よりも苦手で、誰よりも大嫌いだった男は、そうして姿を消したのだ。

「行っちゃったね」

「…………はい」

「……それじゃ、私もそろそろ街に戻るよ。夜が明けたのに、何時までも医務室不在じゃ、問題だもの」

 浪川さんはうんと伸びをすると、俺の方を見て、笑いながら言った。

「はい。……あ、ちょっと待ってください。その、一つ聞きたい事があるのですが」

「なに?」

 はてと首を傾げる浪川さんに、俺は視線をそらし、頬を掻きながら、長年の疑問を問う。

「その……青野のあの箱って、一体なんだったんですか?」

 俺が彼女と出会った時からずっと被っていて――今はもう、していない箱。結局アレがなんだったのか、俺は知らない。

 ので、先のやり取りで、なんとなく理由を知っているような浪川さんに、聞いてみたくなったのだ。

「ああ…………」

 浪川さんは、納得したように頷くと、口元に手を当ててくすりと笑い、言った。

「なんて事はない話よ。ただ、人はたまに、殻に閉じこもりたくなる時もあるってだけ」

「はあ…………」

 ……なるほど。

 わかったような、わからなかったような。

「でも、もう彼女は箱を被っていない。だからね、明くん。君は、もう二度と、あの子に箱を被らせちゃいけないよ? もう二度と、あの子に自分の殻に閉じこもっちゃうような真似はさせないで。良い?」

「…………はい」

 頷くと、浪川さんは笑いながら俺の後ろに回り、強く背中を叩いた。

「頑張れ、男の子!」

 その力は、思ったよりも強くて。背中にジーンときて。俺の身体は思わず数歩、前に進んで。

 ……ああ、まったく。本当に最後まで、世話になりっぱなしだ。

「ありがとうございました……」

 既に踵を返し、歩いている浪川さんの背中に頭を下げる。と、浪川さんは、一度振り返ると、悪戯っ子の様な笑顔を浮かべながら手を振って、去っていった。

「……………………」

 俺は、頭を上げると、無言で助手席の扉を開けて、乗り込む。

「…………遅い」

 乗り込むと同時に、隣から文句が聞こえた。俺は彼女に謝りながら席に座り、扉を閉める。

「それで、何処に行くんだ?」

 後部座席から顔を出して聞いてくるエマさんに、顎に手を当てて少し考える。

「とりあえず……高速でも抜けて、隣町までいってみますか。さすがにこの街ほど安全とは行かなくても、街の外をふら付くよりは安全でしょうし」

 俺の答えを聞くが早いか、青野は車のエンジンを掛けると、アクセルを踏んで車を発進させる。突然の事に、俺は椅子に頭をぶつけ、エマさんは後部座席へと引き寄せられていった。

「ちょっ――青野……!」

「……………………?」

 青野は、何が悪かったのか。といった様子で首を傾げている。

「…………はぁ」

 ……その顔を見たら、怒る気も失せてしまった。

「青野」

 俺は苦笑を浮かべながら彼女を見つめ、代わりに言っておく事にする。

「…………なに?」

「……ずっと、そばに居ます」

 ……そうやって。俺達は、生きていく。

 身を守る殻は、全て無くなってしまったけど、それでも未だ、足掻き続ける。

 世界は滅んでしまったけれど――俺達は、生きている。


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