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3.


 医務室に顔を出すと、部屋の中は妙な賑わいを見せていた。5つあるパイプ椅子と3つあるベッドは全て、あまり面識の無い人々に使われていて、その間を浪川さんが忙しそうに走り回っている。

 部屋に居る人は、俺と浪川さんを除いて、例外無く身体のどこかに外傷が見られる。

「っとっと。お、明くんやほー」

 浪川さんが戸の前に立つ俺に気付いて、何時もの調子で片手を上げた。

「どうしたのー? 何か用?」

「……えっと、急ぐことではないのですが」

 浪川さんの言葉を聞きながら、俺は室内を見渡した。みんなの視線がこちらを向いていて、軽く怖気づく。

 ……どうやら、あまり歓迎されていないらしい。雰囲気だけでそれが分かってしまうので、さっさと話を終わらせてしまおう。

「青野が薬を貰って来いと言うんで、取りに来ました」

「薬? なんの?」

「えっと…………」

 俺が言葉に詰まると、浪川さんは察してくれたらしく、ああと小さく呟いて、壁際の棚から薬の入った袋を取り出して僕に手渡した。

「あの娘も、こういう薬を男の子に頼むのもどうかと思うんだけどね」

「はぁ……まあ、別に気にしませんし……」

 気まずくはあるけれど、当の青野がまったく気にしていないようなので、俺ばかり慌てふためくのは、なんとなく、負けた気がする……というか。

 そんな俺を見て、浪川さんはけらけらとおかしそうに笑った。

「……ま、暁くんも似たような状態だったしね」

「暁…………が?」

 少し意外だった。いや、アイツが青野の傍にいたと言う事は知っているのだけど……なんというか、アイツはそういうの、気にも留めずに淡々とこなしてしまいそうだから。

「あはは。ま、確かに、顔には出さないよね、あの子は。でも、あれで結構根は面白い子だからね。……ふふふ」

「……それって、ただのムッツリじゃないですか」

「おや、意外と辛辣な返答。もしかして明くん、暁くんのこと嫌い?」

「…………嫌いというか」

 ……いや、正直なところ嫌いなのだけど、それを他人に言うのは躊躇われた。視線をそらす俺に、浪川さんはくすりと笑う。

「まあ良いや。それじゃ、早く行ってあげて、明くん」

「あ、はい…………」

 いい加減周りの視線が怖いので、早々に立ち去ることにしよう。俺は浪川さんに一度頭を下げて、踵を返した。


 学校から外に出ると、入口の前に箱を被った青野が立っていた。

「ゴメン、待たせたかな」

「……………………」

 青野は無言で、首を横にも縦にも振らず、ただ俺の前に右手を突き出した。

「あ……ああ、うん……」

 俺が貰った袋を青野に渡すと、青野はそれを下から箱の中に入れる。……あの箱の中は一体どうなってるんだろう。ちょっと気になる。

 青野は、それでもう用は済んだとばかりに踵を返し、何処かに行こうとする。その後ろを慌てて追う。

「ちょ……ちょっと、青野! 待って……」

「あ、月香ちゃんだ。いぇーい!」

 ……と、明るい能天気な声で挨拶をしてきたのは、美月だ。青野は彼女に気付くと、顔を隠す箱を少し上げて、美月に顔を見せる。

「美月」

「月香ちゃんやほー。どしたの? こんなところで」

 義理とはいえ、さすがに姉妹らしく。ついさっき聞いたような挨拶と共に、美月が月香の顔を覗き込んだ。

「あ、お兄さんもやほー。朝食ぶりっ!」

「うん。こんにちは美月。元気そうで何よりだ」

「えへへっ。まあ、これだけが取り柄みたいなもんだしねっ!」

 俺の台詞に、美月は両手を頭にやって照れくさそうに笑う。そんな彼女を見て、少しだけ心が痛むのを感じつつ、それでも笑ってみせる。

「でも、あんまり無理しないでくれよ。美月が怪我したら、浪川さんだって……僕だって、心配するから」

「……えへへっ。ありがとっ! でもだいじょーぶだよ。あたし、強いからさ!」

 確かに、一見すると彼女の身体には傷一つ付いていない。少し頬や服が汚れてはいるが、その程度だ。

 さすがはエマさんに天才とまで言われた戦闘少女。日に日に負傷者が増えているこの状況でも、その強さは健在だ。

「……だけど、さ」

「ここに居たのか、美月」

 俺の言葉を遮るように、向かいからやってきた暁が、美月の名前を呼んだ。

「おお? 暁の兄ちゃん、やほー」

「おう。さっそくだけど、美月。西の古びた山道に向かってくれ。山賊が攻めてきてる。手が足りてない」

「らじゃっ!」

 美月は暁にわざとらしい敬礼をすると、くるりと俺たちの方を振り向いて、苦笑いを浮かべた。

「もうちょっと話をしたかったんだけどねー。まあ後でいっか。そんなわけで、いってきますっ」

「あ……ああ……その、怪我しないようにね」

「おうっ」

「…………気を付けて」

 青野が、小さな声で呟くと、美月は満面の笑みを浮かべて再び踵を返し、西の山道へと颯爽と駆けて行った。

「……………………」

 残された、俺と暁と青野。暁は美月が駆けて行ったのを確認してから、もう用は済んだとばかりに振り返り、元来た道を帰って行く。

「……………………」

 言いたいことがあった。不満をぶつけてやりたかった。だけど、戦ってるのは美月で……俺はただここで、彼女たちに守られているだけで。

 結局俺は、こいつに何も言うことが出来ず、俯いたまま口を閉ざす。

「…………暁」

 そんな俺の代わりに彼に声を掛けたのは、箱を被った青野だった。暁は足を止めると、首だけ少しこちらに向けて、口を開く。

「…………なんだよ」

「暁、最近わたしの事避けてる……?」

「…………別に」

 少しの間を置いて、暁が抑揚の無い声で答える。

「嘘……暁、最近、全然わたしの所に来てくれない。たまにあっても、話、する前、どっか行っちゃう」

 青野は、箱に顔を隠したまま、暁に問う。

「……どうして?」

 暁は沈黙の末、小さく息を吐くと、やはりこちらを見ないままで答えた。

「……相手役なら、そこに居るだろ。朴念仁が」

 朴念仁って俺のことかよ……。さすがに口を挟もうとすると、それよりも先に青野が口を開いた。

「関係無い。わたし、暁と話、したい」

「………………」

 ……関係無い。と言いきられるのは、さすがに傷付いた。しかし、そんな俺の感傷など一切無視して、暁は再び息を吐いて、前を向く。

「…………忙しいんだ」

 そして、聞こえるか聞こえないかといった小さな声で呟くと、その場から逃げるように去って行ってしまう。

 残された青野は、顔を隠す箱を両手で押さえたまま、身動き一つとらずその場に立ち尽くしていた。

「…………あー」

 気まずい沈黙に耐えかねて、俺は頬を掻きながら声を上げた。こんな時、気の利いた言葉を言えない自分の不器用さを恨む……。

 ……にしても。青野が暁の事を結構気に入っているみたいだというのが、少しだけ意外だった。

 あんな根暗そうな陰険眼鏡の何処が良いんだろう……ああ、でも、良く考えたらこんな事になるまでは、暁が青野の傍にずっと付いていたんだっけ。

 だとすれば、暁は青野から一定以上の信頼は得ていたのかもしれない。……少なくとも、青野から嫌われまくっているような、今の俺よりは。

「……………………」

 ……何か、そう思うと妙に苛々してきた。よし。と心の中で頬を叩き、気を入れ直す。アイツに出来て、俺に出来ないなんて事はきっと無い筈だ。

「そうと決まれば……って、青野……?」

 気がつけば、目の前に青野が居ない。慌てて周囲を見渡すと、頭に箱を被った箱人間は、視界の先を一人で歩いていた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、青野……!」

 俺はその背中を追って、一目散に走り出す。

「……なんというか」

……我ながら、前途多難だなぁ。



「――先程説明したとおり、ここ最近、強盗、山賊による街への急襲は、急激な増加傾向にあります」

 朝。学校の会議室。ホワイトボードの前に立つ暁は、何時ものように抑揚の無い声で、話を続ける。

「これまで我々の街は、襲撃なんて一切無く、精々隣町への買い出しの時野盗に警戒する程度のものでしたが、あの日の誘拐事件を境にこれが上昇。……恐らく、あの日取り逃がした犯人の一人が、周りの連中にこの街の場所を言いふらしたのでしょう。……既にこの街の場所は、知れ渡っていると考えた方が良い」

 会議に参加しているのは、エマさん。浪川さん。月香。美月。俺の、何時もの面子。俺たちは無言で、暁の説明を聞いていた。

「……残念ながら、この場所は既に、手放しで安全を約束された場所では無くなった。度重なる襲撃で、青年団の皆も負傷、疲弊しています。未だに次期リーダーも決まっていない今、早急な解決策が必要かと……ここまでで、何か質問、意見はありますか」

 暁が俺たちを見まわして問う。と、俺の正面に座っていたエマさんが無言で手を上げた。その顔には、何処か怒りが見える。

「……なんでしょうか、エマさん」

「解決策を考えるのは良いさ。新しいリーダーを決めるのにも文句は無い。……でもな、それまでのこの街の守備は、どうするつもり?」

「……変わりません。警備の巡回をこれまで以上に強化した上で、美月を遊撃部隊として配置。敵の襲撃と共に美月をそこに向かわせ、これを撃破」

「それじゃあ、美月ばかりが苦労を背負ってるじゃんか!!」

 エマさんが机をドンと叩き、椅子を蹴って立ち上がった。

「確かに美月は強いさ! それは認めるよ! でもさ、美月は未だ子供だぞ! どうして全部こいつ一人にやらせようとするのさ! こんな……全部、こいつ一人に……」

「…………言いたいことは、それだけですか」

 激昂するエマさんを、暁は冷めた目で見つめると、低い声で言い返す。

「ですが、実際これが死傷者を減らす一番の方法なのですよ。実際、今もって死者が出ていないのは、全て美月の功績といっていい。彼女の能力は別格です。これを今使わずして、何時使うと言うのですか」

「でも、こんなこと続けてたら、何時かコイツ死んじゃうぞ!?」

「――続けなければ、もっと多くの死者が出ます」

 目を見開くエマさんを見ながら、暁は淡々と言葉を続けた。

「それとも、まさか彼女一人の命の為に、他の皆の命を見捨てろ。というのではないでしょうね?」

「そんな……ことは……言わないけど……っ」

 エマさんは口を噤むと、先程から俯いたまま一言も言葉を発さない美月へと目を向ける。

「なぁ、美月はそれで良いの……? こんな、自分の命を好き勝手に使われて……それでさ……!?」

「……あたしは、あたしの力で皆が守れるなら、それで……」

 俯いたまま答える美月に、エマさんは苦しげに顔を歪めると、再び暁の方を向いた。

「こんな……やり方……アオだったら、絶対にやらなかった……!」

「いいえ。あの人はアレで現実主義者です。感情と判断を切り分けている。……今のような状況であれば、太陽さんだって、きっと僕と同じ決断をした筈です」

「だとしても! アンタみたいに血も涙もなく淡々と業務をこなすようにはしない! 美月の事にだってきっと心を痛めた筈だ!」

「……………………」

 暁は、一瞬エマさんから俯く美月へと目を向けるが、すぐにエマさんを睨み返し、口を開く。

「…………結果として下す決断が同じものなら、そんなことは関係無いだろ。それともなんだ、アンタには他に良い案があるってのか?」

「…………っ!」

 エマさんは、今にも暁に掴みかからんといった様子だったが、震える腕を押さえながら踵を返すと、早足で会議室の出口へと向かって行った。

「待てよ。未だ会議は終わってねぇぞ」

「黙ってろ! これ以上アンタの顔を見てたら……絶対ぶん殴るっ!!」

 そう言い残して、エマさんは会議室を出て行った。……残された沈黙の中で、暁は大きく肩を落とすと、再び俺達の方に目を向けて言う。

「……申し訳ありませんが、元右腕様が職務を放棄してしまわれたので、今日の会議は終了です。各自、解散」

「怒ってるねぇ、暁くん」

「怒ってはいません……ただ、やらなければいけないことや、決めなければいけないことが山積みなのに……まったく話が進まないことに、頭を悩ませているだけです」

 浪川さんの問い掛けに、暁は苛立ち混じりの声で答えた。

「……すいません。美野里さんに当たっても、仕方の無い事でした」

「いやいや。お疲れ様。んじゃ、私は医務室に戻るね。ほら、美月立って」

 浪川さんは、美月の肩に手を置くと、俯く彼女を立ちあがらせて、二人で会議室を出て行った。それを見送ってから、暁はため息を吐き、俺に目を向ける。

「……で、お前は何で、そんな不満そうな顔で僕を睨んでるんだ」

「…………別に」

「……どいつもこいつも」

 暁は、苛々とした様子で毒づくと、振り返り、後ろのホワイトボードを片し始める。……もちろん、それを手伝う義理は無い。俺はさっさとその場を立ち去ろうと踵を返すが――シャツの裾を誰かに掴まれて止められる。

「……………………」

 無言で振り返ってみれば、俺の隣に座っていた筈の青野が、無言で立っていた。相変わらず箱を被っているので感情が読めないが、これはどうやら……暁を手伝えと言っている?

「…………はぁ」

 俺は、力無く頷くと青野の手をシャツから放し、暁とは逆側の端を掴む。

「……なんだよ」

「手伝う」

「要らん」

「俺だってやりたくないさ。でも、青野が手伝えって言うんだ」

「……尚更要らん」

「嫌なのはお互い様だよ。良いからさっさと片付けよう……。そうすりゃ話は早い」

「…………ちっ」

 暁は舌打ちをすると、渋々と言った様子でホワイトボードを動かし始めた。俺も、無言でそれを手伝う。

 ……その様子を、箱で顔を隠した青野が、無言で見つめていた。



「あぁぁぁあああああもうムカつくぅううう!!」

 医務室のパイプ椅子に座るエマさんは、頭を掻きむしりながら大きな声を出す。

「ちょっと、あんまり大きな声、出さないでね。一応ここ、医務室なんだからさ」

「良いだろ別に、どうせ今は誰も居ないんだから……」

 浪川さんが呆れ顔で注意をすると、エマさんが不機嫌そうな顔をして答える。それに浪川さんは眉を顰めると、左手の人差し指を口元に当てながら、右手の人差し指を、カーテンの閉まったベッドの方に向ける。

「……………………?」

 首を傾げるエマさんに代わり、俺はベッドのすぐ傍まで近寄ると、静かにそのカーテンを開いた。

「……………………」

 ……そこには、静かに眠る美月の姿。それに気付いたエマさんが、気まずそうに声を上げる。

「その子、最近朝から夜まで働きづくめで、中々寝る機会もなかったでしょ? だから今くらい、ゆっくり寝させてあげたいの」

「…………ゴメン」

 浪川さんは小さく息を吐くと、キャスター付きの椅子の背もたれに身体を預け、大きく伸びをした。浪川さんも、ここ最近働きづくめで、やはり疲れているのだろう。

「……なんとか」

 眠る美月と、疲労の見える浪川さん。二人の姿を見ながら、思わず俺は、口を開いていた。

「……なんとかできませんかね。今の状況」

「んー……。難しいな。人出が足りないってわけじゃないんだけどさ……。訓練はしていたって言っても、こっちは実戦経験なんて殆どない子供ばかりだ。太陽さんが死んで、ただでさえ混乱しているところにコレだから……」

「でも……このまま、美月に何もかも任すのは……」

 言いながら、美月の寝顔を見る。あどけない、未だ幼さの抜けきれない顔立ち。……こんな娘が命を張っているのだ。俺たちに……俺に、何か出来ることは無いのだろうか。

「分かってるよそれくらい……アタシだって、出来ることならコイツの手助けをしてやりたい。でも、アタシはこれでもそれなりに偉い立場の人間だからさ。他に色々とやらなければいけないことがあるんだ」

 そう言って、エマさんは頭を掻いた。

「本当なら、アタシだってすぐにでも前線に出て、コイツを助けてやりたいけどさ……そうすると、指揮や連絡が上手く行き渡らなくなって、下手したらもっと大変なことになるかもしれない。だからアタシは動くことが出来ないんだ……」

 太陽さんが居なくなってしまった今、青年隊の指揮をとっているのは、エマさんと暁の二人だ。確かに、今の彼女は、下手に動くことが出来ないのだろう。

 ……そうなると。

「……あ、あの。……俺に、何か出来ることは、ないでしょうか」

 片手を上げて提案する俺を、驚いた顔で見つめる、エマさんと浪川さん。青野は……どうだろう。相変わらず箱を被ったまま微動だにしていないから、視線がこっちに向いてるかどうかすらわからない。

「……んや。確かに今のお前と月香は警備から外されているから、自由に動くことは出来るんだが……」

 エマさんは頭を掻くと、言い辛そうに言葉を濁した。

「あのな。コイツを助けるって事は、敵と戦うってことだよ。敵ってのは、的じゃない。アンタもこの前、一度戦ったことがあるだろ? ……いや、一度とは言わないか。アンタだって今日まで、何度も命の危機に瀕してきた筈だ。違うか?」

 ああ、その通りだ。あの日から。俺の周りには死が満ちていた。俺は、その恐怖に追われながら、ずっとそれから必死で逃げ続けていた。

 それが、どれほど恐ろしいかも、知っている。……でも。

「……こんな、こんな小さな子供が立ち向かっているのに。僕だけ何もしないなんて……そんなのは、嫌です」

「……まったく。お節介め」

 エマさんは、呆れたように肩を落とし、頭を掻くと、厳しい瞳で俺を睨みつける。

「でも、お前に敵が撃てるか? 相手は生きた人間だ。でも、撃たないとお前が死ぬ。……下手すりゃ、美月だって死ぬ」

「……………」

 エマさんの言葉に、あの時の情景が頭に浮かび、息を飲む。

 ……駄目だ。こんな事で引いていちゃだめだ。むしろ、あの日の過ちを繰り返さないように……俺は……。

「…………撃ちます。いや、撃てなくても、敵を無力化出来る方法はある筈です……だから……」

「……中途半端な覚悟だと、結局足手まといになるよ」

 エマさんは視線を逸らし頭を掻くと、パイプ椅子から立ち上がる。

「……まあ、もしもやる気があるなら、アタシを訪ねてきな。暇があったら稽古付けてやるよ」

「あ……ありがとうございますっ!」

 俺が頭を下げると、エマさんは振り向かず、手だけを上げて、そのまま部屋から出て行った。

「……………………」

 俺は頭を上げると、エマさんの出て行った扉から、美月の眠るベッドへと目を向けた。

 ……普段から幼い容姿ではあるけれど、こうして無防備に寝ている姿を見ていると、彼女もやっぱり年下の少女であることを実感させられる。

「…………ん?」

 俺が無言で彼女の顔を眺めていると、くいくいと、シャツの裾を引っ張られた。

「……………………」

 振り向くと、やっぱり青野が、裾を掴んだまま立っている。青野は俺の服を強く引っ張り、医務室の外へと出ようとした。……って、ちょっと待って。

「わ……っちょ……青野……!? あ、浪川さん! お疲れさまでしたー……!」

 苦笑いで手を振る浪川さんの顔を見ながら、俺と青野は医務室を後にした。

 そのまましばらくの間ずるずると引き摺られ、俺は、近くの誰も居ない空き教室へと連れ込まれた。

「突然どうしたんだよ…………」

「……………………」

 シャツから指を離した青野は、箱に手を掛けると、ゆっくりと箱を上げた。白い髪、白い肌。大きな瞳。数日ぶりに見る青野の素顔が、俺と対面する。

 普段から箱を被っていて、何を考えているか分からない青野だけど、こうして箱を取ってみても、その表情は不動で、いまいち感情が読めない。

「……………………」

 青野は箱を近くの机の上に置くと、俺へと目を向ける。彼女の瞳を見つめ返す事が出来ず、俺は視線を床に落とした。青野の素顔を見つめると、色々なことが頭の中を渦巻いてしまい、どうにも苦手だ。

「…………明」

「え…………?」

 ふと、彼女の薄い唇が俺の名を呼んだ。顔を上げると、青野は、変わらない表情のままで、言葉を紡ぐ。

「……明、どうして、美月のこと、気にするの?」

「どうしてって……それは……」

 ……そういえば、どうしてだろう。少し考えても、答えは出なかった。だから俺は思った通りの事を口にする。

「理由なんて、ないよ……。ただ、助けたいって思っただけだ……」

「……美月は、明の助けなんて求めてない」

 俺の答えを青野は冷たい声で一蹴した。沈黙する俺に、青野は鋭い視線を向けて、言葉を続ける。

「勘違いしたらいけない。美月は、明と違う。美月は――人を殺せる」

「……………………」

「明の感傷、ただの偽善。その同情は、何の意味もない。貴方に、何かを言う権利、ない。死にたくないなら、彼女に任せるべき」

「……だったら、尚の事放っておけないよ」

 青野の言葉は、正しい。俺の同情なんてのは、安全圏からの綺麗事でしかない。……実際、守られているのは俺で、守ってくれているのは、美月なのだから。

 ……でも。

「あんな小さな子が、当たり前のように人を殺せるなんて、その状況がおかしいんだ。確かに、世界は何時からかおかしくなってしまったけれど。……それでも、彼女が傷付いて良い理由には、ならない」

 あの日、世界が終わってしまった日。倫理や道徳なんてものは、殆ど価値を無くしてしまったけれど。

「まあ、そんな事言っても、出来ることは少ないし、その中でも、僕に出来ることは殆ど無いんだろうけど……それでも、出来ることがあるなら、したい……と、思う」

 ……俺は、そう言ったモノを大事にしたい。偽善でも綺麗事でも、正しくありたいと願うのは、そんなにおかしなことだろうか?

 年下のあどけない少女が、命を賭して戦っているんだ。……彼女を守りたいと願うことの、一体何処に、疑問があるだろう。

「……………………ふう」

 青野は、呆れたように息を吐くと、視線を机の上に置いた箱へと向ける。そして、何処となく恨みがましい口調で、口を開いた。

「……わたしの傍に居るって言った。あれ、どうなるの」

「…………う」

「……嘘つき。あっという間に約束を破るなんて、やっぱり貴方、ただのゲス野郎。変態、ロリコン」

「ちょ、ちょっと待ってよ……! まだ約束破るなんて言ってな……っていうか、ロリコンってなんだよ! ロリコンって!」

「ゲス野郎は否定しないの?」

「それも否定させてくださいお願いします……!」

 ……大体、俺はロリコンではないし変態でもないしもちろんゲス野郎でも無い。

「……でも、わたしとの……お兄ちゃんとの約束よりも、美月の方が大事なんでしょ?」

「それは…………」

 ……いや、別にそういうわけじゃない。太陽さんとの約束は、もちろん大事だ。それは、彼女に許されるまで、俺がずっと背負っていくべきものだと思うから。

 でも、美月のことも、やっぱり気になるし……。結局、どっちが大事というよりも、どちらも大事なのだろう。俺にとっては。

「……やっぱりロリコン」

「だから違うって……。俺は……ただ、その……」

 ……いや、本当にロリコンではないから。美月への感情は……そう、言うなれば、妹に対するようなもので……。

「…………妹」

「うん、そう……。だから、全然、下心とかがあるわけじゃないんだって……」

「……………………」

 必死で説明をする俺に対して、青野は、顔を俯けて黙り込んでしまった。

 ……う。どうしよう。

 軽蔑されてしまったのだろうか。ただでさえ低い好感度が、ガタガタと音を立てて下がって行っているような……。

「……………………」

 顔を上げた青野は箱を手にすると、再び頭から箱を被った。……どうしよ、やっぱり怒ってしまった……?

 動揺する俺を無視して、青野は教室の扉に手を掛けると、静かに開き、外に出る。

 慌ててその背中を追う俺片手で制し、青野は口を開く。

「……勝手にするといい」

「え…………」

「……………………」

 それだけ言うと、硬直する俺から視線をそらし、青野は教室を去って行った。

「……よくわからないけど」

 勝手にしろ……か。とりあえず、許されたということなのだろうか?

 ……それとも、単に見限られたとか。

「後者だったら、怖いなぁ……」

 ……だけどまあ、勝手にしろと言われたのだ。言葉通り、勝手にさせてもらうとしよう。

「……とりあえず」

 俺は、さっきのエマさんの言葉を思い出して、彼女の居るであろう場所に向かって歩き出した。



 今日もまた、美月は朝から夜まで駆けまわっていて、彼女が学校へと戻ってきたのは、深夜の0時も過ぎた後だった。

「ふぁ……」

「おかえり」

「おわぁぁああっ!? ……って、お兄さん? 何やってるの、こんな時間にこんな場所で」

 こんな場所……というのは、元職員室の横に取り付けられた簡易調理場で、何をやっているのかと問われれば、夜食を作っているのだった。

「丁度良いや。美月もまだ、夕食食べてないだろ? 一緒に作ってあげるから、そこ、座ってなよ」

「え……う、うん」

 美月は、何度か俺の方を見てから、おずおずと近くの椅子に腰を降ろす。

「お兄さんって……料理出来たんだ?」

「出来るよー。一応。簡単なものだけだけどね」

 実際、今作っているのはベーコンエッグとウィンナーを炒めたものだ。一食分には足りない気もするけど、まあ夜食だし。それに、浪川さんが夕食用に作って、ラップしておいてくれたものもあるし。

「ふうん……でも、どうして夜食なんて作ってるのさ? というか、何でまたこんな時間まで起きてるの」

「それは…………」

 美月を出迎えるため……とは、流石に気恥ずかしくて言えなかった。

「…………まあ、お腹が空いて寝れなくてさ」

「ほほう……中々大物だねお兄さん」

 愉快気に笑う美月に苦笑いを返しながら、俺はフライパンから皿へとベーコンエッグとウィンナーを移す。ついでに、レンジで温めておいた浪川さんの作ってくれた夕食を出して、盆の上に乗せる。最後にご飯を二人分茶碗に持って、それも盆に乗せた。

「よっと……はい完成。ほら、」

 俺が盆をテーブルの上に置くと、美月はおぉと小さく声を漏らす。

「お兄さんの意外な特技発見……」

「いや、これくらい誰でもできるし……」

 俺が呟くと、美月は渋い顔をして、顔を俯けた。

「いやいや……出来ない人も居るんですよ、ここに」

「…………出来ないの?」

「卵を爆発させて以来、厨房に立たせてもくれなくなりました……」

 どうやって爆発……ああ、そういえば生卵をレンジでチンすると爆発するんだっけ。てことはやっちゃったのかこの娘は……。

「……あんまり面倒くさがらないようにね」

「はーい……」

 気弱い返事をしながらも、頭をテーブルに突っ伏す美月の前に、俺は料理を置いていく。

「まあ、腹が減ってはなんとやら。とりあえずご飯でも食べよっか」

「うっす! いただきますっ!」

 頭を勢いよく起こし、箸と茶碗を掴む美月に苦笑しつつ、俺は飲み物を取りに冷蔵庫の方へと向かう。

 二つあるグラスにお茶を注いで、再びテーブルの前に戻り、一つを自分の前に。もう一つを、美月の前に置いた。

「はい」

「あ、ありがとー」

 美月は俺の手からコップを受け取ると、その縁に口を付け――その前に、ふと不思議そうに首を傾げて俺の腕を見た。

「お兄さん、その怪我、どうしたの?」

「ん……怪我って? ……ああ」

 彼女が見ている所に目を向けると、右腕の中ほどに青アザが出来ていた。痛くもなかったし、袖が邪魔をしていて気付かなかったのだけど、料理の為に腕まくりをした所為で露わになったらしい。

「え、えっと……。どっかにぶつけたのかな……ちょっと、覚えがないな……」

 袖を下ろし、腕を隠しながらしらばっくれると、美月は眉根を寄せて俺を睨む。

「それ、どうみても誰かに殴られたとか、そういう類の怪我なんだけど」

「う…………」

 流石は天才戦闘少女……それとも、浪川さんの妹だからか。何というか、鋭い。俺は息を吐くと、誤魔化すのを諦めて、素直に白状することにする。

「……エマさんに、ちょっと稽古付けてもらってさ。それで付いたんだと思う」

 因みに、この腕の傷だけじゃなく、服を脱げば身体中に打撲のあとが残っているのだけど。まあそんなことはどうでも良くて。

「へー? んー。なるほどなるほど。エマちゃん、手加減してくれないからねぇ……」

 美月は納得したのか、ほっと息を吐いて、苦笑しながら呟いた。そんな彼女に微笑み返しながら、心の中で胸を撫で下ろす。

「俺のことよりも、美月はどうなのさ。……やっぱり、大変だろ?」

「んー……まあ、確かに大変だけど、あたしにしか出来ない事だしさ。それに」

「……それに?」

 美月は一度言葉を切ると、何処か優しげな笑みを浮かべて、言った。

「それに、あたしはずっと、ここの人たちに守られてきたから。その時の恩返しが出来たら良いなって。そう思うんだ」

「…………そっか」

 それが、美月の戦う理由……か。

「……でも、あんまり無茶はすんなよ」

「うん。わかってるって。あたしが倒れたら大変だもんね」

「そうじゃなくて……皆、心配するからさ。浪川さんとか、エマさんとか、月香とか。……皆、心配してるから」

「…………うん」

 美月は俯いて静かに頷くと、えへへと小さな笑みを漏らす。

「なんか……、お兄さんって本当にお兄ちゃんみたい」

「…………そう?」

 俺の問い掛けにうんと頷き、はにかむ美月。彼女の笑顔に、少しだけ気恥ずかしさを感じて、視線をそらす。

「兄みたい……って。実際、兄が居ないからそんなことが言えるんだよ。……本当の兄妹なんて、そりゃあ酷いもんだぜ?」

「でも……えっと、月香ちゃんと太陽さんは、凄く仲が良かったよ?」

「…………あの二人は、別」

 シスコンとブラコン……というより、お互い、相手に依存しているところがあったのだと思う。青野は言うに及ばず、太陽さんの方も。

「それに、兄弟が居なかったってわけでもないしねー」

 美月はご飯に箸を付けながら、そんなことを口にする。

「……? 兄弟って、浪川さん?」

「違うの。……あのさ、あたしとお姉ちゃんが本当の姉妹じゃないって話、したかな?」

「……………………」

 少し考えた末、俺は頷く。美月から聞かされたわけではないけれど、確か以前、浪川さんとそんな会話をした覚えがある。

 浪川さんと美月は、本当の姉妹では無くて……。

「すっごい昔の話だけど……あたしには、本当のお兄ちゃんが、居たんだ」

「……………………」

「十年も前の話だから、顔もおぼろげだし、名前だって、覚えてないんだけど……でも、あたしにはお兄ちゃんが、居たの」

 そう言うと、美月は僕に視線を向けて微笑んだ。

「お兄さん、お兄ちゃんに似てる」

「…………そっか」

「うん」

 ……静かな沈黙が、室内に漂う。俺は何と答えたら良いものか分からず、無言でおかずと共に白米を口に運んだ。

「まあ、そんなに心配してくれなくても大丈夫! 皆良くしてくれてるし、あたしは未だ未だ頑張れるよ!」

 美月はご飯をかっ込み、自分の胸を叩くが、米が気管にでも入ったのか、咽始める彼女に、俺は慌てて麦茶を注いだコップを渡す。

 ……天才少女とはいえ、本当にただの年下の女の子だなぁ。なんて、つくづく思う。

 だから、ますます今の状態に納得がいかなかった。

「……暁の奴。何もかも美月に任せやがって……」

「んー……でも、暁くんも、一応心配してくれてるんだよ?」

「アイツが…………?」

 ……とてもそうは見えない。今日だってアイツはただ淡々と指揮を取るだけで、美月の事を心配してるようには、見えなかったのだけれど……。

「本当だって。だって暁くん、あたしに会うと何時も飴をくれるもん」

「……それ、単に餌付けされてるだけだろ」

 それで良い人なのか……。あれ、何だか、思った以上に心配だぞ、この娘。確かに戦闘は強いのかもしれないけど、ちょっと頭を使えば、ころっと騙されそうだ……。

「いやいやー。今のご時世、飴なんて嗜好品、中々手に入らないからね? 結構貴重なものなんだよ!」

「ああ、はいはい…………」

 美月の力説を聞きながら、心の中であらためて思いを固める。

 やっぱり、彼女にばかり負担を掛けるのは、間違っている。

 頑張ろう。俺に何が出来るのか分からないけれど。

 ……心から、そう思った。



 エマさんに軽く訓練を付けてもらった帰り、学校のすぐ前の車道で、暁とはちあわせた。

「うわ…………」

「……………………」

 思わず声を洩らす俺に対して、暁は無言で視線をそらす。どうやら、お互いに相手の印象は同じらしい。

 ……そのまま無視して通り過ぎても良かったのだけれど、暁は周囲を見渡すと、凄く嫌そうに口を開く。

「…………月香は」

「は……?」

「……だから、月香は何処に居るんだって聞いてるんだよ。答えろ、一緒じゃないのか」

「……………………」

 高圧的な態度に苛立ちを感じつつも、首を横に振る。と、暁は顔を顰めた。

「お前、一体何してたんだ」

「……何だっていいだろ」

「良くねぇよ…………」

 暁は、はぁと大きく息を吐いて、光の無い瞳で、俺を睨みつける。

「お前、何で未だここに居るんだ?」

「は…………?」

「居ても大して役にも立たない。どころか、迷惑と災厄ばかり持ち込んでくる。……正直、迷惑なんだよ、お前」

「……………………」

 相変わらず、言い辛い事を堂々と言ってのける奴だ。既に暁は、俺への敵意を隠す気もないらしい。

「エマさんや美野里さんが、妙にお前の事をお気に入りみたいだから、今は置いてやっているけれど……そうでも無かったら、すぐにでもお前の事なんて追放してる」

「言うねぇ……」

 黙って聞いてれば、好き勝手言いやがって……。

「……だったら俺も、お前に言いたいことがあるんだけど」

「あ…………?」

「美月」

 俺がその名を出すと、暁はあからさまに顔を顰める。

「…………未だ言うか」

 暁は吐き捨てるように言って、再び俺に向き直る。

「じゃあ、お前にどうにか出来るのかよ。銃を撃てもしないお前に、アイツが救えるとでも思ってるのか? 偽善者面してウザいんだよ。ただでさえ目障りなのに、あまり好き勝手に動かれると、迷惑なんだ。良いからお前は月香と一緒に、どっか隅の方で縮こまってろ」

 彼はそう言いきると、早足で俺の横を通り過ぎて行ってしまった。もちろん、追うような理由もないし、そもそも本来なら顔も見たくないので、俺は暁から視線を外し、再び前を向いて歩きはじめる。

 ……と、道の向こうに、見覚えのある箱を被った少女が、一人で歩いていた。

「青野か…………」

 今は美月の為にと動いてはいるけれど、太陽さんとの約束も、僕の中では最も重要な事だ。暁に言われたからではないけれど、出来るなら、彼女の傍に居たい。そう思い、駈け足で彼女の下へと向かう。

「おーい、青野……って」

 そんなわけで、俺は彼女のすぐ傍まで駆けより――絶句した。

「……………………」

 振り返る、彼女の光の無い瞳が、破れた段ボール箱の端から見えている。そう、普段なら彼女の表情を隠す殻のような箱が、今では見るも無残な姿になっていた。これでは、もはや箱とも呼べない。その断面は力任せに破いたかのようになっており、ところどころに足跡も付いている。

「あお……の…………」

 あまりの姿に、俺は立ち尽くし、何も出来ず彼女を見つめた。見れば、箱だけではなく、彼女の服や肌にも、同じように汚れや跡が付いている。

「あ……青野! 一体何が……!」

「…………なんでもない」

 不意と視線をそらし、彼女は言った。だけど、何でもない筈がない。

 こんな姿になって……一体、誰がこんなこと……!

「あ…………」

 そう言えば……以前、暁が言っていた事を思い出す。

 青野は……そもそも、この街の連中に好かれていない。それどころか、太陽さんが死んでしまった原因だとして、逆恨みしている奴もいるのだとか……。

 だとしたら…………。

「……なんでもない。明、気にしなくていい」

「気にしなくていいって……気にするよ!」

 それだけ恨まれていて……それでも、今まで何もなかったのは、俺が傍に居たからだ。でも今、俺は訓練の為に彼女の傍に居ないし、暁も指揮を取ることで忙しい。

 そんな彼女が一人で歩いていたら……こんなことがあっても、不思議じゃない……。

 彼女から目を離すべきじゃなかった……俺はずっと、彼女の傍に居るべきだったんだ。

「……美月の事、どうするの?」

「……………………っ。それ……は……」

 ……言葉につまる。

 どうすればいい……? 放っておけば、青野はきっとこのままだ下手をすると、もっと酷くなるかもしれない。

 でも、だからと言って美月の事も放っておけない。昨夜、彼女の言葉を聞いて、尚更そう思った。守られてばかりいる事を、当たり前に享受していたくはない。

「…………大丈夫。わたし、気にしてない」

 何も言えない俺に、青野は言った。でも、駄目だ。もしも本当に彼女が気にしていないのだとしても……今の状況は、きっと太陽さんが悲しむから。

「何度も言う。気にしてない。だから。明、わたしのこと、気にしないでいい」

「…………そんなわけに、いくか」

 俺には、彼女を放っておくわけには、いかない。

「……美月を守ってくれるって言ってくれた時、嬉しかった」

 青野は俯くと、ぼろぼろになった箱を顔から外し、静かな声で言葉を続ける。

「あの子、わたしの友達だけど、何でも一人で抱え込んで、一人でやっちゃおうとする所、あるから。だから、あの子の事、心配してくれる人、居るってだけで、ほっとした」

「青野…………」

「わたし、明の事、嫌いだけど、その事だけは、純粋に嬉しいと思う。だから」

 青野は顔を上げると――見たこともないような、優しい笑顔を見せて、

「わたしのこと、気にしないでいい。明は、美月を救ってあげて」

「――――――――」

 彼女の笑顔を見るのは、これが初めてで。

 彼女がこんなに多弁に喋るのを見るのも、あの日以来、初めての事で……。

 ……だから、俺は何も言えず、去っていく彼女を追うことすらも、出来なかった。



「……それで。どうしてその話を、アタシにするかな」

「…………どうしてでしょうね」

 俺の話を聞き終えたエマさんは、腕を組むとはぁと大きくため息を吐く。

「ったく。あっちもあっちだけど、こっちもこっちか。……こういうこと聞くの、アタシじゃなくて美野里の仕事だと思うんだけどさぁ……」

「…………そう言わないで下さいよ」

 確かに浪川さんなら、俺の納得いく答えを返してくれるかもしれないけれど。でも、今の浪川さんは忙しそうだし。……それに、内容が内容だけに、相談しづらい。

「アタシは暇そうだってか?」

「そういうわけじゃないですよ。ただ、訓練を付けてくれてる時なら、相談できるかなと……」

 俺が慌てて返答すると、エマさんは分かってるよと言って苦笑いを浮かべ、頭を掻いた。

「……しかしまあ、そんなに悩むことでも無いんじゃねーの」

「え……?」

「だってさ、月香には美月を優先するように言われたんだろ? だったら、言われた通り、美月の為に頑張れば良いさ。今みたいにさ」

「でも……それじゃ……」

 それじゃあ、青野はその間ずっと独りで、周囲の悪意に晒され続けることになる……そんなのは、堪えられない。

「……んー。じゃあ、月香の傍に居てやれば? 確かに月香は、お前が傍に居ないと駄目なのかもしれないけれど、美月はそうじゃない。アイツは別にお前の助けを必要としているわけじゃないしさ。放っておいても大丈夫だろ?」

「…………それも、嫌です」

 確かに美月は強い。俺の助けなんてきっと必要無いのだろうし、下手をすれば、足手まといになるかもしれない。

 ……でも、だからといってそれは、一人で戦っている女の子を、そのまま放置して良いということにはならない。

 それに、このまま守備を美月にばかり任せていたら、不測の事態が起きた時、取り返しのつかないことになりそうな気がする……。

 もっとも、その辺りは暁の奴も分かっているのか、部隊の再編案を練っているらしいが、それも全体の指揮を取りながらなので、思うように進んでいないようだ。

 だから……だから、俺がどうにかしないと。

「……なあ、少し聞きたいんだけど」

「…………はい?」

「どうしてそんなに、美月の事を気にすんの?」

 ……それは、何時か青野に問われたのと、全く同じ質問だった。

「……どうしてって。理由なんて良いじゃないですか。目の前に、大変な重荷を背負わされて、一生懸命頑張っている人がいて。その手助けをするのに、理由が無いと動いちゃいけないんですか」

 だから僕は、あの日と同じような答えを返す。今度は、言葉につまることもなく。真っ直ぐにエマさんを見つめて、そんな、当たり前の答えを。

「…………はぁ」

 少しの沈黙の末、エマさんは息を吐くと、何処か複雑な笑みを浮かべて、小さく呟く。

「腑に落ちたと言うか、なんというか……皆が皆、お前を意識する理由が、ようやくわかった」

「…………はい?」

 首を傾げる俺に、エマさんは嬉しそうな、切なそうな、そんな感情の入り混じった顔をしながら、言った。

「……アンタ、アオに似てるよ」

「え――――?」

 俺が……太陽さんに……?

「……まあ、アオの方がアンタよりよっぽど頼りになったし、大人だったけど。やっぱり、似てる。そりゃ、月香も気になるだろうし、美月や美野里が気に入るのも頷ける。……暁が、妙にアンタの事を嫌ってるのも、多分それが原因かな」

「暁は、太陽さんの事が嫌いだったんですか?」

「……んや。そういうわけじゃないんだけどね。……まあ、アンタに言ってもしょうがないさ」

 静かに首を横に振り、エマさんは呆れ気味の笑顔で口を開く。

「……んで。まあ、ということは。アンタのそれには、本当に理由なんてないんだろうね……やれやれだ」

 エマさんはそういって肩をすくめると、厳しい表情をして俺に向き直った。

「……でも、アンタはアオに似ていても、アオじゃない。アンタに二人を同時に助けられるような力は無い」

 アイツなら、もしかしたらどうにか出来たかもしれないけれど。なんて、エマさんは呟く。

「アオは確かに良い奴だったよ。皆から慕われていたのも、アイツの人格による所が大きかった。でも、アイツがそんな性格でありながら、これまで上手くやっていけたのは、相応の実力と、冷静な対応が出来る面があったからだ。単に善人だけの非力な人間が今の世界でどうなってるか、お前だって分かってるだろ?」

「……………………」

 エマさんの、ある種残酷な問い掛けに、俺は無言で頷いた。

 そういう意味では、太陽さんは凄い人だったのだ。他者に慕われるほどの人格と、正義を貫けるだけの実力と、現実を見極めれる判断力を兼ね備えていたのだから。

 ……大きい人だった。本当に、太陽の様な。

 でも、その太陽さんはもう居ないし。俺に太陽さんの変わりが出来るわけもない。

 俺には、俺に出来る事しか、出来ない。

「今のお前に出来るのは、月香と美月、どっちを取るかって事だけだよ。両方救おうなんて絶対無理。……そもそも、片方だって救えるかどうかわからないくらいだ。二兎追うものは一兎も得ず。だぜ」

「…………分かってます」

 ……或いは。救おう。なんて考え自体が、傲慢なのかもしれない。俺は太陽さんのように、一人で全てを抱え込めるほど、大きな手は持っていないから。

「……ま、こうやって他人に相談しに来たのはえらいえらい。何もかも一人で抱え込もうとするバカも、世の中には居るけどさ。誰かの力を借りることだって、時には必要な事だと思うよ。アタシは」

 そう言って、エマさんは笑うと、項垂れる僕の頭をぽんぽんと叩いた。

「あんまり一人で抱え込むなよ。誰かに助けを乞えるなら助けてもらえ。……ああ、でも、アタシは忙しいからパスな。なるべく暇そうなやつでも探して、手伝ってもらえば良いんじゃね?」

「暇そうな奴って…………」

 そんな人、今のこの街にはまず居ないのですが……。

 顔を顰める僕を見て、エマさんは苦笑を浮かべると、俺の頭から手を離す。

 ……結局、この日はこれ以上、エマさんと話す機会は無かった。



 ――そうして。何一つ解決策の見当たらないままに、数日が過ぎた、ある日の夜。

 学校の宿直室で、浪川さんと二人で夕食を取っていた所、勢い良く扉を開けて暁が部屋に飛び込んできた。

「うお……!?」

「な、なになに……っ!?」

 俺と浪川さんの視線が、一斉に彼の方を向く。暁は珍しく息を整えもせずに部屋の中を見渡すと、浪川さんの方を向き、叫んだ。

「美月は居るか――っ!?」

「え、美月……? いや、未だ帰ってないけど……というか、そういうのを把握してるのって、むしろ君の方なんじゃないの?」

「…………っ」

「待てよ! 美月になにかあったのか……っ!?」

「……………………」

 暁は、一瞬俺の方を見るが、すぐに踵を返して駆けだそうとする。

「待って、暁くん。もしも美月に何かあったなら、教えて。私は聞く理由があると思うけど」

 浪川さんの言葉に、暁は、足を止めて息を吐くと、こちらを振り返り、感情の籠っていない顔で口を開く。

「21時に東の山道の増援に行かせた後、消息不明です。そこの警備班に話を聞いたところ、自分たちが非難をしている間に姿を消していたと……」

「……攫われたとか?」

「それは無いでしょう。恐らく、他の班から増援を頼まれてこちらへ連絡を取る前にそのまま向かったものと思われます」

「それで……連絡が取れない?」

 浪川さんが暁から視線を外し、壁に掛けられた時計に目を向ける。

 時刻は、22時。美月が消息を絶ってから、一時間。

「それだけではありません。現在、交戦報告が四方八方から来ています。……増援報告も。迅速な対応を取らないと、街に入られる恐れがあります」

「……もしかして、結構ヤバい状況?」

 浪川さんの問いかけに暁は無言で頷き、言葉を続けた。

「今はエマさんに全体の指揮を取ってもらっていますが、連絡が上手く回っていません。すぐに僕も前線に出ますが、その前に、美月が帰っていないかと……」

 そこまで言って、暁はすぐに口を噤み、罰が悪そうに視線をそらした。……? 何故だろう。まるで失言をしたかのような……。

 暁はごほんと咳払いをすると、再び無表情に戻り、浪川さんを見る。

「……とにかく美野里さんは医務室へ。今夜は多数の負傷者が担ぎ込まれそうですので。それと、美月が戻ったら僕が戻るまで待機するように伝えてください。僕はそろそろ、指示を伝えてきます」

「わかった」

 浪川さんが頷いたのを確認して、暁は再び踵を返し、部屋を出る。

「……って、ちょっと待て! 俺は!?」

「…………あ?」

 再度振り返る暁と向き合って、俺は口を開いた。

「俺に、何かやれることは無いのか?」

「…………お前に何が」

「出来る」

 ……出来る。だって、俺はこの日の為に、今日まで頑張って来たのだから。誰かに守られてばかりの自分と、決別する為に。

 もう、あの日とは違う。さすがに美月やエマさんとまではいかないけれど、それでも、少しくらいは役に立てる筈だ。

「……だから、俺にも何かをさせてくれ。絶対に迷惑にはならない。誓う」

 真っ直ぐに暁の瞳を見て、宣言した。暁は、細い瞳を更に細め、眼鏡を押さえると、少しの沈黙の末、口を開く。

「……お前は――――」


「……………………」

 ……電灯も点けていない、暗い部屋の中。俺は畳の上に座り、壁に身体を預けながら、ぼんやりと宙を眺めていた。

 下からは、どたばたの複数の人間が慌ただしく走り回る音が聞こえてくる。怪我人が運び込まれているのだろう。この勢いでは、下手をしたら浪川さんは、徹夜かもしれない。

『お前は、自分の部屋で大人しくしてろ』

 ……暁の言葉は、それだけだった。

 前に出て戦うどころか――何かを手伝うことすらも。暁は俺に禁止したのだった。

「くそ…………っ」

 こんな時になってまで俺を信用しない暁に反発を覚えながらも、結局何も出来ない自分の無力さに腹が立つ。

 ……月香を頼むと、太陽さんに言われた。

 美月を助けたいと、俺は思った。

 結局、どちらも達成出来ていない。……どころか、暁の言うとおり、皆の迷惑になっているだけなのではないだろうか。

 結局、俺だけでは何もできないのか。そんな筈は無い。そう思いたいのに、今の現状では、そうとしか思えない。

「……はぁ」

 膝を抱え、顔を埋める。……一体、何をしてるんだろう。俺は。

 ……美月は無事なのだろうか。それと、青野は――

「――――明」

 ――聞こえた声に、顔を上げると。

 目の前に、見慣れた箱が、置いてあった。

「……………………」

 俺が無言でその箱を持ち上げると、中から、体育座りをした青野が出てくる。

「……青野。何時の間に……? というか、どうしてここに……」

「……………………」

 青野は膝を抱えたまま、下を指差して口を開く。

「暁が、ここに居ろって言った。ここなら安全だからって」

「暁が…………」

 ……まあ、確かに。現状、一番安全な場所はここだろう。何しろ、一応青年隊の拠点なのだから。ここが落とされるようなことがあれば、それこそこの街の終わりだ。

 なるほど……役立たずは役立たずで、隅に引っ込んでろ……ってことか?

 見ると、青野は膝に口元を埋めて、何処か不満そうな顔をしていた。

「…………どうしたの?」

 彼女がこんな風に、感情を露わにしているのは珍しいので、俺は問う。

「……美月、未だ帰ってきてない」

「…………うん」

「……わたし、あの子の友達なのに、何も出来てない。こんな所に引きこもってるだけで。あの子が大変な時に、何も……出来ない」

 青野はそう言うと、少し見せていた顔も全て膝に埋めて、見えなくなってしまう。そんな彼女を見ながら、俺も、大きく息を吐いた。

「…………わかるよ。俺も、結局何もできないでここに居る。青野にもああ言われたのにさ。……ホント、自分の無力さが嫌になる」

 結局、月香も同じ気持ちだったのだ。美月を助けたい。一人で頑張っている美月の為に、どうにかしたい。その為に、自分がどんな目にあおうとも、俺が彼女の為に頑張る事を容認してくれた。……なのに。

 ……結局、俺たちは何もできないまま。暗い部屋の隅に、役立たずが二人……か。

「……………………」

 青野は膝を抱えたまま、俯いて動かない。きっと悔しいんだ。

 俺だってそうだ。何もできない自分が、腹立たしくて仕方がない。再度息を吐いて、俺も顔を膝に埋めた。

 ……結局、俺一人では何もできないと言う事だろうか。ふいに、エマさんの言葉を思い出す。一人で抱え込むより、誰かに助けを乞え。……でも、誰に協力を求めろというのだろう。新参の俺には、この街の知り合いは少ないし。その数少ない知り合いも、殆どが留守にしているし。……いや、待てよ。

「……………………」

 俺は顔を上げて、目の前に蹲る、青野の姿を見つめた。

 ……そうだ、居るじゃないか。知り合いで、暇で、……そして、俺と同じ思いを抱えている奴が、目の前に。

「…………青野!」

 俺は立ちあがると、青野の名前を呼んだ。青野は、突然大声を出した俺に身体を震わせると、目を丸くして見上げてくる。

 俺は、そんな彼女に手を伸ばして――言った。

「一緒に、美月を助けに行こう……!」

「…………は?」

 ぽかんと首を傾げる青野に、矢継ぎ早に台詞を続ける。

「だから、美月を助けに行くんだよ! 俺と、青野で! どうして気付かなかったんだろう! そうだ! これならいける!」

「ちょっと、まって。どういうこと?」

「だから……!」

 俺は、一度息を吐いて気持ちを落ち着かせると、再び青野に向き直り、今度は冷静に言葉を続ける。

「だから、俺たちは二人とも、美月を助けたいと思ってる」

「うん」

「でも、今の俺たちじゃ何もできない。だったら、二人で協力しよう。俺たち一人一人じゃ、ただの役立たずでも、二人でなら、どうにか出来るかもしれない」

 初めから、そうするべきだったのだ。

 負い目もあった。責任もあった。……でも、だからといって、何でも自分一人で抱え込むべきではない。

 その方法で無理なら、別の方法を考えろ。一人で出来ないのなら、見方を変えろ。

 俺は太陽さんに、『月香を頼む』と言われた。でもそれは、太陽さんと同じように、あらゆる事から青野を守れ。というわけではない。

「俺は太陽さんのようには、青野を助けられない」

「お兄ちゃんのつもりだったの……」なんて青野が呟くが、気にしない。

 エマさんにも言われた……俺は太陽さんと同じじゃない。太陽さんにはなれないし、太陽さんと同じやり方じゃ、青野も美月も助けられない。

「だけど、美月も助けたい。それに、青野も美月を助けたいだろ? だったら、一緒に戦おう。それなら、青野とも傍に居られる。美月も助けられる」

 一人では半人前でも、二人で協力すれば、どうにか出来るかもしれない。そして、それなら他の奴にも……暁にだって、役立たずとは呼ばせない。

「だから、青野。俺と共に戦ってくれ。一緒に、美月を助けに行こう!」

「……………………」

 青野は、俺と、俺の差し出した手を見つめながら、しばらくの間沈黙を保つ。

「…………わたしは。ずっと誰かに、守られてきた」

 そして、青野は、静かに口を開いた。

「お兄ちゃんとか、暁とか、エマとか、美月とか、美野里とか。色んな人に守られて……それこそ、箱入り娘みたいに大事にされて、今まで生きてきた。……でも、だから」

 青野は、俺の手を無視して立ち上がると、床に置かれた段ボール箱を見下ろして、片足を上げると――そのまま、勢い良く踏みつけた。

 ばんっという音と共に、箱がへこむ。青野は気にせずに何度も箱を踏みつけて、ぐちゃぐちゃに原型も留めなくなった箱から視線を上げると、真っ直ぐに俺を見据えて。

「――だから、わたし、戦う」

 凛とした声で、そう答えた。

 青野の白い髪が、揺らぐ。青野は睫毛の長い瞳を伏せて、宙を揺らぐ俺の手のひらを見つめる。

「……わたし、貴方が嫌い」

「うん」

「だけど、美月は助けたい」

「…………うん」

「だから…………」

 美月は、俺の手を掴んで言った。

「わたしに手を貸して。美月を助けに行く」

「…………当然」

 こうして……俺と青野は、協力関係になった。

 さっそく、俺は青野から手を放すと、床に置いたホルスターとベルトポーチの装着を始める。

「青野は、何か武器は持ってるのか?」

「…………心配ない」

 青野は簡潔に答えると、その場にしゃがみこみ、さっき自分がぐちゃぐちゃにした箱をひっくり返すと、中に手を突っ込む。

 何をしているのかと首を傾げながら見ていると、しばらくして箱から取り出した彼女の手には、ゴツい45口径の拳銃が握られていた。……どうなってんだ、あの箱。

 青野はセーフティを落とし、スライドを引くと、俺の方に銃口を向け、躊躇いもなく引き金を引いた。

 一瞬、全身が硬直する。カチンという軽い音。弾倉は入っていなかったらしい。……冗談でも、性質が悪い。

 青野は箱にもう片方の手を突っ込むと、指の間に幾つかの弾倉を挟み、その内の一つを拳銃に入れて、スライドを引く。

 セーフティを掛けると、片手に残った弾倉をベルトの隙間に挟み、俺の方へと目を向けた。

「遅い」

「あ、ご、ごめん……」

 意外なほど鮮やかな手つきに、思わず見とれてしまっていた。俺はそそくさと自分の身支度を整えて、再び青野の方を向いた。

 白く華奢な青野に、無骨な黒い鉄の塊は、酷くミスマッチでありながら、それ故にか、奇妙な美しさすら感じさせる。

「……………………」

 一瞬、こんな彼女を、戦いの場に連れていっても良いのだろうか。という、考えが頭に浮かんだが、すぐに打ち消した。

 今の俺には、彼女の力を借りるしかない。……それに、彼女自身が、それを望んでいる。

「銃、撃てるの?」

「貴方よりは」

 毒のある軽口に苦笑を浮かべながらも、俺は胸の奥で、今は居ない誰かへの謝罪を心に浮かべる。

 太陽さん。ごめんなさい。俺は貴方の様には、青野を守れませんでした。

 だけど、俺は俺のやり方で、青野の傍に居ようと思います。……そして、青野を守ろうと思います。

 ……決して、彼女を死なせない。もう、あの時と同じような失態は犯さない。

 強く胸に刻み込んで、俺は青野に頷いた。


 準備を済ませた俺と青野は、医務室に居た浪川さんに美月を探しに行く旨を伝えて、学校を出た。

 既に日は沈んでいる。大して建物もなく、街灯も殆どない暗い田舎道の中を、何人かが慌ただしく走り回っている。

 俺は青野と顔をあわせて、どちらともなく頷きあった。

 これは、美月の為だけじゃない。これから、俺と青野が、この街でやっていく為の戦いだ。

 この街にとっても、俺達にとっても、今夜はとても重要な日になる。

「……行こう、青野」

 こくりと頷く彼女と共に、俺たちは夜の街を駆けだした。



 闇雲に探し回った所で、いくら狭い街だからと言って、人を一人見つけるのは苦労するだろう。

 そこで、土地勘のある青野に先導してもらい、美月が居そうな場所に検討を付けてもらうことにした。

「……まず、美月は戦っているのだろうから、街の中には居ない。これは確実」

「うん。だろうね」

「他、東西の山道、北の高速道路周辺。開けた場所なんかにも、まず居ない。だからこの辺は除外していい」

「どうして?」

「この辺は、道が分かりやすいから。敵が攻めてくるとしたら間違いなくここら。だったら、暁が放っておくわけない。既に結構な人員が割り当てられてる筈」

「ああ…………」

 それもそうか……。そして、それなら、美月も見つかっていなければおかしい。と。だとすると。

「うん。自然、警備が薄い所を探すべき。美月が最後に消息を絶ったのが東の山道なら、その周辺。うち、南側は斜面が急でとてもじゃないけれど人が登り降り出来るような場所じゃない。そうなると……」

 俺の前を走る青野が、淡々と場所を絞り込んでいく。……凄いと思った。頭の回転も速いし、殆ど整備されていない道をずっと走り続けているのに、息一つ切らしていない。

 ……コイツ、十分一人でもどうにかなったんじゃないのか……? というか、下手すると、俺の方が足手まといなような……。

「…………大体の場所は掴めた。明、遅い。急ぐ」

「わ、わかってるよ……!」

 彼女の叱咤を耳に、俺は慌ててその背中に着いていった。


 青野の後に着いて辿り着いたのは、山道から外れた森の中だった。緩やかな斜面となった地面は草葉に覆われ、ところどころ木の幹が露出していて、足場は酷く悪い。

 俺は数歩彼女よりも前に出て、一度周囲を見渡してから、再び青野へと目を向けて、口を開いた。

「手分けしてさがそう。僕は向こうを見てくるから、青野は――」

 ――途端。乾いた発砲音が数度、反響と共に夜の山に響き渡った。

「――――っ!」

 俺は音がした方へ身体を向けて、すぐに走り出す。

 ――この先に、美月が居る……!

「美月……っ」

 またも発砲音が、今度は連続して山の中で響く。野鳥が木々から飛び立ち、羽音を立てる。

 ――近い。

 目の前に生い茂る藪に、躊躇いなく突っ込んだ。枝葉が身体を抉り、幹に足を取られるが、気にしない。音は、すぐそこまで近づいている。

 そして、藪を抜けた、その先には――

「――――――――」

 ――木々の隙間、少し開けたようになっている広間の中央。野盗の身体が倒れる中を、無言で立ちつくす、美月の姿があった。

「み、みつ――」

 あまりの光景に、俺は一瞬、声を掛けるのを躊躇う。月明かりに照らされ両手にモーゼルを持ち、綺麗な肌を血に染めて、無表情で立ちつくす彼女の姿は、誰かに似て――とても、美しく――冷たかった。

 これが、俺の知る彼女なのだろうか。……いや、俺は知らなかったんだ。たった一人で街の守備を任される。天才的な戦闘少女。その意味を。

「……………………」

 思わずその場に立ち尽くしていると、向かいの木々が揺れる。俺が目を凝らした時には、小銃を構えた男が、美月に銃口を向けてその身を乗り出した。

「み――――」

 ぎょっとした俺が彼女の名前を呼ぶ時には、跳ね上がった銃口から煙が吹き、撃たれた男は後ろへと倒れ込む。それを合図にしたかのように、四方から銃を持った男達が彼女を取り囲むようにして森の中から飛び出してくる。

「……………………」

 美月の両手が跳ね上がる。広げる様に銃を左右に構え、モーゼルが数度火を吹いた。それだけで左右に居た二人の男はその場に崩れ落ちる。そのまま美月は駒の様に回転すると、不意に体勢を崩したかのようにその場に倒れ込む。

 一瞬、撃たれたのかと思ったが違った。彼女の前方に居る男が引き金を引くが、銃弾は彼女の頭上を素通りし、そのまま別の味方を撃ち殺す。突如視界から消えた敵に動転し立ち尽くす男の額を、仰向けに寝そべった美月が少しだけ身体を起こし打ち抜く。

 そのまま美月は左手のモーゼルを地面に置くと、右のモーゼルの弾倉を落としポーチから取り出した弾倉と切り替える。

 ――瞬間、木々の隙間から轟音が響き、美月のモーゼルが後方へと飛んでいった。

「……………………っ!」

 美月はすぐに地面に置いたモーゼルを掴み、木々の隙間へと拳銃を連射する。くぐもった男の悲鳴が、銃撃の合間に聞こえた気がした。

「…………はぁ」

 美月は銃を下ろすと、辛そうに顔を顰めて右肩を押さえる。……どうやら、撃ち抜かれたようだ。たまらず、俺は彼女に駆け寄った。

「美月…………!」

「……お兄……さん……? なんでここに……」

 美月が辛そうに眉根を寄せながら、青い顔で俺を見上げる。ところどころに擦り傷はあるが、右肩の傷以外、目立った外傷はなさそうだ。……良かった。

「なんでじゃない。ずっと帰らないから探しに来たんだ。帰ろう。皆が待ってる」

「……でも、未だ敵が…………っ」

 銃を握り、立ちあがろうとするが、美月は撃たれた傷を押さえて蹲る。俺はそんな彼女の身体を支えながら、彼女に言う。

「その傷じゃ無理だよ。一度戻って手当てを受けよう。そうじゃないと、危ない」

「でも……………………」

 悔しそうに渋い声を出す美月の肩を抱きながら、俺は一度息を吐いて顔を上げ――木々の隙間が蠢くのを見た。

「――――っ!」

「きゃ――っ!?」

 咄嗟に美月の身体を抱きしめて、斜面を転がるように移動する。それとほぼ同時、光と銃声が響き、俺達がさっきまで居た場所の土が何度も抉られ、土ぼこりが立った。

「……………………っ!」

 背中から木にぶつかり、ようやく身体が止まる。同時に、美月が銃を構え、音のした方へと引き金を引くが、態勢や敵が見えないこともあり、弾が当たった様子は無い。

 ――まずい。

 俺は腰から拳銃を引きぬき、セーフティを下ろした。これでもう、銃が撃てる。

 しかし――敵が見えない。美月ですら狙いが付けられない相手に、俺に当てられる筈がない。そして、敵からこちらは丸見えだろう。

「……………………っ」

 このままじゃ、やばい――! せめてとばかりに、俺は美月の身体を抱きしめ、銃弾から彼女を守るように身体を晒す。

 ――同時に、一発の轟音が、森に響き渡った。

「…………って、あれ?」

 顔を上げる。俺の身体は……何ともない。咄嗟に美月の方を見るが、彼女も何が起こったのか分からないといった顔で俺を見上げていた。

「…………明、急ぎ過ぎ。置いて行くな」

 凛とした声に、振り返る。そこには、両手で銃を構えた青野が、俺達を庇うように背を向けて立っていた。

「あ……あお――――」

 俺の言葉を遮るように、青野が森の闇に向けて何度も引き金を引く。しばらく男の悲鳴が続き、唐突に途切れる。

 青野は銃を下ろすと振り向き、白く流麗な髪を靡かせて、俺たちの前にしゃがみこむ。そんな彼女の姿を見ながら、俺の腕の中で美月は目を白黒させる。

「え、月香ちゃん、え? ど、どうして……?」

「助けに来た」

 混乱する美月に対して、青野は普段と変わらない抑揚の無い声で告げると、一度周囲を見渡し、再び俺達に目を向ける。

「音で場所を悟られてる。ここ、危険。そろそろ逃げた方が良い」

「わかった。道は?」

 青野が無言で頷き、立ちあがると銃を構えながら辺りを警戒する。俺は美月の身体を開放して、彼女に問うた。

「美月、大丈夫? 歩ける?」

「う、うん……で、でも、どうして……?」

 助けが来るなんて思っていなかったのか、呆けたような顔で、俺を見上げてくる美月。どうしてと言われても、知っての通り俺には答えなんて無いし。しいていうなら……そう。

俺は頬を掻きながら、言った。

「……お兄さん。だからね。助けに来るのは、当たり前だろ?」

「……………………」

 ……その言葉に、どうしてだろう。美月だけじゃなく、青野も息を飲んだような気がした。

 美月は無言で俺を見上げている。その視線が照れくさくて、俺は視線を外すと誤魔化すように立ちあがった。

「さ、さぁ……そろそろ帰ろう。このままここに居たらヤバい。……それに、傷の手当てもしなきゃいけないだろ?」

「う、うん…………」

 美月の、怪我をしていない左手を掴み、勢い良く持ち上げる。立ちあがった彼女の身体を支えながら、再び青野へと向き直る。

「行こう。青野。状況は?」

「やばい」

 何の冗談だと思ったが、冗談ではなかった。銃を構えたまま微動だにしない青野の向かいに、小銃を構えた山賊共が、じりじりと間合いを詰めながら近寄ってきている。その数、3人。青野一人では、どうすることもできない。

「……………………」

 俺は、銃を握る手に力を込めた。青野に美月を任せ、俺が彼らの気を引きつければ、少なくとも二人は助けられる。こんな時の為に、エマさんに訓練を付けてもらっていたんだ。相手が3人までなら、銃さえ使えればなんとかなる。倒すとまではいかなくても、足止めくらいは出来る筈だ。

 ……銃さえ、使えれば。

「……………………」

 腕の震えを、更に力を込めることで押さえつけようとする。……今更何を怯えているんだ。あの日と同じだ。撃たなければ死ぬ。俺だけじゃなくて、大切な人すら道ずれに、皆死んでしまう。それだけは駄目だ。もう俺は、あの日とは違う。

 撃つ。

 撃つんだ。

 俺は――人を、撃つ……!

「――――っ!」

 美月の身体を青野の背中に押し付けて、俺は彼女たちの前に躍り出た。三人の銃口が一斉に僕の方を向く。俺も銃を構えながら彼らの方へと向かう。

 俺は――人を――。


 ――そして、一発の銃声が鳴り響いた。


「…………え?」

 男の一人が、その場に倒れる。俺は未だ、引き金を引いていない。咄嗟に青野や美月を振り返るが、彼女たちも突然のことに、固まっているようだ。

「な――――っ」

 野盗の男が小さく声を上げる。その瞬間、藪から黒い影が踊り出て、一瞬で男の腕から小銃を奪い、銃口の先に着いた銃剣で男の喉を突き刺す。

「は――――っ」

 影へと銃を向ける、最後に残った男に、そいつは突き刺した男の身体を向けて蹴り飛ばす。残った男は、その死体の下敷きになった。

「ひゃ――あ――っ!?」

 そいつはその横に立つと、ベルトから拳銃を引きぬき男の額に向け、躊躇いなく数度引き金を引いた。銃声と共に男の身体が跳ね上がり、動かなくなる。

「――――無事だな」

 そして、そいつ――暁は、普段と変わらない鋭い視線のまま俺達を見て、口を開いた。

「美月、怪我はあるか?」

「え……あ、うん……右肩をちょっと……あ! で、でも、左手でも銃は撃て……ます……」

「…………月香は?」

 暁の問い掛けに、青野は構えていた銃を下ろすと、ふるふると首を振る。暁はそれを確認して、一度息を吐くと、そうか。と呟いて、再び銃を構えながら行った。

「そんじゃ、全員山を降りて医務室へ迎え。僕はしばらく、ここで敵を引きつけてから戻る」

「敵を引き付けるって……一人でっ!?」

「……………………」

「あ……あたしも未だ、戦えます……!」

「………負傷しているなら、戻れ」

 俺の言葉を完全に無視した暁は、美月の言葉に普段通りの冷徹な声で告げる。

「…………戻ろ。美月」

 青野は、しばらく暁の背中を見つめていたが、美月へと向き直り、言った。

「…………うん」

 美月は右肩を押さえながら俯くと、悔しそうに歯噛みしながら頷き、斜面を下り始めた。その背中を青野が着いていき、最後に俺が続く。

「…………明」

 その時。暁が暗がりに銃を向けたまま、振り返りもせずに俺の名前を呼んだ。暁はそのまま俺の返事も待たずに、言葉を続ける。

「2人に何かあってみろ。――僕は、お前を殺してやる」

「……分かった」

 お互いに背を向けたまま、俺は小さく答えて、美月と青野の後を追った。


 ――――こうして。

 この街の長い夜は、数多の負傷者を出しながら――一人の少女の活躍によって、一人の死者もなく、更けていったのだった。



 ――死屍累々。とは、まさにこのことで。医務室のベッドには負傷者が溢れ、部屋に入りきらなかった怪我人は、近くの空き教室にマットを敷いて簡易の入院施設とすることで対処している。

 長い夜から、一夜明けた本日。負傷者は全体の5割にまで登り、巡回警備の形式にも大幅な変更を望まれている今。俺達はまたも会議室へと集まっていた。

「……今回の事件は、我々にとっては反省すべき事の多い戦いとなってしまいました」

 あの後、日が昇り始めた頃に殆ど無傷で帰ってきた暁が、普段と同じようにホワイトボードの前に立ち、俺達――今回は、青野、浪川さん、エマさんと俺の四人だ――へと目を向けて言う。

「兵士の虚弱さ。部隊としての稚拙さ。そして何より、未だに隊長不在のまま、暫定で物事が進んでいるというこの状況。全てが曖昧なままである結果、連絡系統は上手く働かず、連携はぼろぼろ。結果、これだけの負傷者を出すという惨事を招いてしまった」

 言いながら、暁は視線を床へ――正確には、その下にある、負傷者を寝かせてある空き教室へと目を向ける。

「もはや我々に猶予は残されていない。早急な事態の解決と、この街の在り方そのものの大規模な改革。今の我々に必要なものは、それです」

「……言いたいことは、分かるんだけど」

 暁の言葉に、エマさんが手を上げて口を挟んだ。

「でも、どうするんだ? 今のままじゃどうしようもないぞ? アタシらにはそこまでの決定権は無いし。隊長は不在のままだし……」

「そこです」

 暁が、眼鏡を押さえながら、エマさんの言葉を止める。

「あの事件から既に数日――数週間が立ちながら、未だに隊長が不在のまま。新たな隊長を決めることもなく、これまでの制度に従い、代理で物事を進めていた。それこそが今回の最大の元凶。――故に」

 暁は、一度言葉を切ると、俺達の反応を窺うように周囲を見渡してから、言い切った。


「――――僕が、新たな隊長となります」


次回更新は10月22日20時予定

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