2.
……夜が明けた。
俺たちは、一昨日と同じ学校の会議室に集まっていた。窓の外は雨。薄暗い部屋の中で、誰も何も口にしようとしない。
「――――では」
一人、暁だけが、これからの事を簡潔にまとめたホワイドボードの前に立ち、いつもと変わらぬ調子で呟いた。
「では、リーダーの決定はこのまま保留。しばらくは僕が青年隊の指揮を執ると言うことでいいですね」
「……………………」
エマさんは、机に突っ伏して塞ぎこんでいる。美月も、椅子に座ったまま俯いていて。浪川さんは普段通り立っているように見えて、その実、昨日から一睡もしていない筈だ。
青野は居ない。……多分、太陽さんのところだろう。
暁は周囲を見渡すと、一度大きく息を吐き、口を開く。
「じゃあ、今日はこれで解散。各所への報告は僕がやっておくので、皆はお休みください。……お疲れさまでした」
暁の言葉に、浪川さんは美月を立たせ、その背中に手をやると、二人で部屋を退出していった。
「……………………」
暁は、ふさぎ込んだままのエマさんに一度視線を向けるが、すぐにそらし、彼もまた部屋から出ていってしまう。
「……………………」
…………そして、俺とエマさんだけが、部屋に残されてしまった。
「……あの……エマさん」
俺が、彼女の隣に歩み寄って名前を呼ぶ。彼女は少しだけ振りかえり、俺を見た。
「…………あ、えっと……」
彼女の視線を、直視できない……俺は顔をそらし、頬を掻いた。……どうしよう。良く考えたら、これから何を言おうか何も考えていない。
「…………ふっ」
と、エマさんは顔を上げると、小さく息を吐いた。昨日泣きはらしたからだろう、目の下が赤く腫れている。
「心配してくれてんだ……」
「……………………」
……心配? そうなのだろうか……。俺はただ許してもらいたいだけなんじゃないだろうか。
だって……太陽さんは……俺のせいで……。
「…………アンタの所為じゃないよ」
俺の心を読んだかのように、エマさんが、擦れた声で言った。
「というか……あえて言うなら、あれは多分、アオ自身のせいなんだと思うよ……だって……」
そこまで言って、エマさんの両目に再び涙が浮かぶ。エマさんは片腕で涙を拭うと、俺から視線をそらす。
「……ごめん。まだちょっと……落ち着かなくてさ……」
エマさんは、再び顔を机に突っ伏し、自虐的な声で呟いた。それに、俺は何も言えず、立ち尽くしているだけだ。
「アオと最初に出会ったのって、アタシでさ。あの時は……世界が終わった直後で……今よりもっと最悪で、どうしようもないような状況でさ。アタシは、一人で……アイツは、月香と二人だけで……」
……エマさんの台詞を聞いて、俺も当時を……五年前の事を思い返す。
皆がこの状況を受け入れ始め、治安もある程度安定し始めた今と比べて、あの頃の混乱と情勢は、最悪だった。
外に出れば、暴力。昨日まで楽しく会話していた二人が、僅かな食料を求めて殺し合う。追剥、強盗、強姦、殺人、暴力にまみれた世界。一秒後の命すら、保障されないような、そんな状況。
「あんな状況じゃん。誰も信じられないような状況で。アタシは一人で生きていこうとしてたのに……。あの時、アタシの前に現れたアオは……あの頃から、あんなでさ……。飄々としてて……塞ぎこんでた月香の為に、わざと明るく振舞ってたのかもしれないけど……」
「……………………」
「……アイツ、言ったんだよ。アタシに。この状況で、一人で生きていくなんて出来ないって。それよりも、協力した方が良いって。こんなご時世だから……信頼も信用もしなくて良いから、相手を利用するつもりでって……」
確かにこのご時世、一人で生きていくのは、酷く難しいだろう。俺はこの五年の殆どを独りで過ごしてきたが、結局、この街の前で限界を迎えた。
他人を信頼するなんて、とてもじゃないが出来ないような情勢だ。太陽さんのような割り切った考え方は、協力して生きていくには、必要不可欠だったのだろう。
「そういう考え方で。だから、アイツの下に、段々人が集まって来て……自衛の為に武器を持って、安住の地を求めて……アオは、皆のリーダーとして統率するようになって……。結局、そういうのを信頼っていうのかもしれないけど」
……なんとなく、わかる。こんなご時世だ、信頼できるような、頼れるような相手を結局みんな求めていたんだ。
そんな人だったから……みんな、彼の下にやってきた。そんな人だから、みんなが彼を頼った。自分たちの希望を照らす、太陽みたいな人を。
「……自分が生きる為に、相手を利用する。そんな関係で、良いって言ってたくせにさ……」
「……………………」
「……その仲間の為に死んでるんだから、馬鹿だよねぇ……アイツ」
……その言葉を最後に、エマさんは口を噤んだ。
「…………エマさん」
呟くと、エマさんは両腕で顔を拭い、再び頭を上げて、俺を見た。
「……なんだろ。だからさ……あれは、アオの自業自得で……アンタのせいじゃないよ……。アンタは今、生きてるんだから……気にせず生きろ」
「でも、エマさん……俺は……」
「少なくとも、アタシはそう思う。……月香や、他の奴らがどう思ってるかはしらないけど……アタシはアンタを恨んじゃいないよ。だから安心しな」
「…………っ!」
力無く笑うエマさんの顔を見て、俺は頭を下げた。
胸の内に、許された安堵と、自己嫌悪が渦巻く。……最悪だ。エマさんの方が絶対に辛い筈なのに、どうして俺の方が慰められているんだろう。それは、俺がエマさんにするべきことだった筈なのに。
「…………まあ、もう戻んな。アンタも昨日は寝てないだろ?」
エマさんは俺の肩を軽く叩くと、優しい声で言う。俺は、何かを言わなければ……と、ひたすら考えに考え抜いて……結局何も言えなかった。
……本当に、自分の口下手さが悲しくなる。こんな時、太陽さんなら、適切な言葉が出てくるのかもしれないけれど……。
結局、俺は一度頷くと、再び俯くエマさんから視線をそむけ、踵を返して部屋の外へと向かった。
「…………なんで死んじゃったんだよ……太陽」
……そんな、エマさんの独り言を、背中に聞きながら。
♪
エマさんと別れた後、俺は部屋に戻る前に、医務室へ向かう。一週間前まで俺が寝ていたベッドには、昨日保護された青野が寝ている筈だ。
「……失礼します」
俺が戸を開けて医務室へと入ると、机の前に座る浪川さんが、俺の顔を見て苦笑を洩らした。
「よっす。酷い顔してるよ、明くん」
右手を上げて、軽口を叩く浪川さん。その顔は、多少無理をしてるのかもしれないけれど、普段通りの浪川さんで。
「職務上、身近な人の死体とか、結構見てきたからね。こんなもんだよ」
ああ、そっか。浪川さんはこの街の医者なんだった。それなら、太陽さんみたいに戦いで死んだ若者の死体なんて、見慣れているのかもしれない。
…………ん?
いや、でも待てよ。前にエマさんが言っていたけれど、この街が誰かに襲われたのは、今回が初めてなんじゃなかったか?
そう思っていると、浪川さんは口元に手をやって小さく笑い、はぁ。と息を吐いて肩をすくめる。
「ま、嘘なんだけどさ……年長者だもん。私が動揺してたらダメでしょ」
「浪川さん…………」
「太陽くんも居なくなっちゃったし。エマちゃんはしばらく再起不能だし。暁くんはあんなだし。……これで、私まで塞ぎこんでたら、それこそこの街が終わるかもしれないからね」
……やっぱり、無理をしているのだろう。浪川さんの笑顔に、何処となく疲れが浮かんでいる。
「それで、明くんはなんのよう?」
「ああ……その、青野に会いに来たんですけど……」
言って、俺は視線をカーテンの閉まったベッドの方に向ける。と、浪川さんは少しだけ、困ったように表情を歪めた。
「……話、したいの?」
「ええ……まあ……」
「何を話すの?」
厳しい表情で俺を見つめる浪川さん。その表情に、俺は言葉に詰まり、視線を逸らした。
「それは……」
「……今は、あんまり話さない方が良いと思うけどね」
浪川さんは頭を掻いて、言葉を続ける。
「話したいことが決まってないなら尚更。中途半端に話しかけたら、お互い傷付くことになるよ。とくに……君が会うのはさ」
「……それでも、俺は」
……俺は、青野に会わないといけないんだ。
「…………そ」
はぁ。と息を吐いて、浪川さんはカーテンの閉まったベッドの方に目を向ける。
「でも残念。いま、月香ちゃんはこの部屋には居ないの。ちょっと前に出て行っちゃったみたいでさ」
「出て行ったって……何処に?」
肩をすくめる浪川さんに僕は一度頷くと、踵を返して医務室を出ようとした。
「まって。明くん」
その背中を、呼び止められた。
「……? なんですか?」
「……んー。いや、なんでもない。気を付けてね、明くん」
俺は一度彼女に頷いて、踵を返した。
「……さて」
医務室から廊下を歩き、学校の外に出る。雨はもう止んでいた。
青野は何処に居るのだろうか……。浪川さんにはああ言われたが、俺はやっぱり、彼女と話をしたかった。
……話をするべきだと、思った。
何を話すかは、全く頭に浮かばない。でも、俺は太陽さんに頼まれたんだ。
青野を頼むって……。
だから俺は、彼女の傍に居ないといけない。
それが、あの人への……或いは青野への、罪滅ぼしになるのか……それはわからないけれど。
「…………っと」
「あ、お兄さん」
角を曲がると、丁度美月とはち合わせた。美月は俺を見ると、何とも言えない表情で視線をそらす。
「やあ。美月」
「あの……おはよう、お兄さん」
今の美月は、普段の元気な彼女からは想像もつかないくらいに大人しい。やっぱり、彼女も堪えているんだろうか。
「…………ねえ、美月。青野が何処に居るか、知らない?」
「月香ちゃん? 月香ちゃんなら多分……えっと、」
美月は、一瞬言葉に詰まり、
「……太陽さんの、お墓の前に居ると思うけど」
「……そっか。ありがとう」
そう答えて、俺は美月の横を通り抜けた。
「……あ、あのさ! お兄さん!」
「……………………?」
振り返ると、辛そうな顔をした美月が、俺を見て、口を開く。
「お、お兄さんのせいじゃないと、思うよ!」
「……それは」
「あ、あの時はさ! 皆混乱してたし! それに、それにさ。た、戦うのは、あたしの仕事だったし……その、だから、お兄さんのせいじゃなくて……むしろ……」
「…………美月」
徐々に顔が歪み、瞳に涙を浮かべながらも言葉を続ける美月。俺はその頭に手を置いて、何度か撫でまわした。
「…………う?」
涙目で見上げてくる美月に、俺は笑って見せた。上手く笑えたかどうかはわからないけれど。
「…………ありがとう、美月」
「……うん」
手を離すと、美月は一度、小さく頷いて涙を拭い、そのまま踵を返して学校の方へと走って行ってしまう。
「…………はぁ」
その背中を、見送ってから、俺は一度、ため息を吐く。
「…………最低だな」
そして、思わず呟いた。
あんな年下の少女にまで気を使わせるだなんて……本当に最低だ。それとも、そんなに酷い顔をしてるのだろうか、今の俺は。
「……………………」
無言で、自分の両頬を強く叩く。ジンジンとした痛みが、頬を熱くする。
「……よし」
今から会うのは、青野だ。俺なんかより、よっぽど辛い筈の、少女だ。
……なのに、俺なんかが辛そうな表情をしていて、どうするんだ。
もう一度気合いを入れ直し、俺は歩き出した。
♪
太陽さんの遺体は、街の隅にある丘の上の墓地に埋められていた。
墓と言っても、棺に入れられた遺体を土に埋め、その上に大きめの石が置いてあるだけで、無縁仏といった体裁だ。
これまで一人でこの街を纏めていた男の墓とはとても思えない。もっとも、今の時代、ちゃんとした墓が作られるというだけでも十分幸せなのかもしれない。
……どちらにせよ、残された人間にとっては不幸せでしかないけれど。
「…………ふう」
石段を登り切り、一つ息を吐く。丘の上、街を見渡せる場所。昨日から降り続いた雨に濡れた、夜明けの街は静かで。空を見上げても、厚い雲に覆われて太陽は見えない。……まるで、世界に絶望が満ちているようだった。
俺たちはこれから、生きていけるんだろうか。
導を照らす太陽を無くしたこの街は、これからどうなっていくのだろう……。
視線を降ろす。太陽さんの墓前に、見覚えのある箱が置いてあった。
こんな時でも、箱から出ようとはしないんだな。青野は。
……それとも、こんな時だからこそだろうか。
「……………………」
俺は、なんとなく音を立てないように忍び足で、箱の後ろについた。
……頬を掻く。どうすればいいのだろう。どういえばいいのだろう。俺の頭に太陽さんの顔が浮かんで、今すぐにでも土下座したい気持ちに駆られる。でも、その前に浪川さんの言葉を思い出して、俺は踏みとどまった。
無自覚な謝罪は、多分、一層相手を傷つける。
「えっと……あのさ、青野」
一瞬、言葉に詰まるが、俺は頷いて再び口を開く。
「…………太陽さんの、事だけど」
返事はない。反応すらない。……いや、例え反応があったとしても、青野が箱の中に居る限り、俺に彼女の感情は分からない。
「……ごめん。僕のせいだ。俺が撃てなかったから。だから……」
言いかけて、俺は口を噤んで頭を振る。
「……そうじゃない。違う。これじゃ、浪川さんに言われたとおりだ……そうじゃなくて……」
そうじゃなくて……俺が言いたいのは……。
「…………償いをさせてほしい」
彼女の答えは、やっぱり無かった。でも……。
「……どうすればいいのかは、わからないけど。でも、言われたんだ。『月香を頼む』って。だから、俺は……」
これからどうなるかもわからないし、何をどうすればいいのか分からないけど。
「――俺は、青野を守る」
この混沌とした世界で。明日の道さえ見えない世界で。俺は青野を守ると、決めた。
「…………そう、決めたんだ」
俺は決意を固める様に、強い口調で呟いた。
……相変わらず、箱に反応はない。俺の言葉を聞いてくれただろうか。
「…………ねえ、青野」
「……なにやってんだ、お前」
不意に後ろから、低い男の声が聞こえる。
驚いて振り向くと、すぐそこに、片手に畳んだ傘を持った暁が手持ち無沙汰そうにして立っていた。
「別に……ただ、青野と話していただけだよ」
「青野と?」
細い瞳で睨みつけてくる暁から視線を逸らし、俺が呟くと、暁は意外そうな声を上げる。
「……………………」
暁はポケットに手を入れたまま、俺から俺の前にある箱に目を向ける。そのままゆっくりと歩いてくると、暁は俺を無視して箱の前に立つと、突然その箱を蹴りつけた。
「な……っ!? お、おい!」
思わず肩を掴む。と、暁は一度僕に煩わしげな視線を向けると、何も言わずもう一度箱を蹴りつけた。
「だから、なにやって……! って……?」
暁の蹴りをくらい、箱が横に倒れる。下方に穴の開いた、ぼこぼこになった段ボール箱。その下には……。
「空だ」
暁は憮然と呟くと、その場にしゃがんで転がった箱を持ちあげた。っていうか、空ってことは……。
えっと……俺はつまり、誰も居ないにも関わらず、あんな恥ずかしい台詞を呟いていたってこと……か……?
「ぁぁぁああぁ……」
頭を抱えて蹲る。ああもう……俺は一体何を言ってたんですかマジで……。守るとか言っちまって……。
うわぁ……もう……。
「……どうでもいいけど」
そんな俺を見下ろしながら、暁はどうでもよさそうに鼻を鳴らして丘の下へと歩きはじめる。
「……あ。暁、ちょっと待って」
「……………………」
俺が顔を上げて彼を呼びとめると、暁は心から嫌そうな顔をして俺の方に目を向けた。
「……なんだよ」
「青野の居場所を知らないか? 今、探してるんだけど……」
「……………………知るか」
暁は素っ気なくそう言うと、左手に傘と、右手に箱を抱えて、再び歩きはじめた。
「あ、ちょっと待って……」
立ちあがり、彼の後ろを慌てて追いかける。
「今度はなんだよ……」
「箱の方、俺が持つよ。両手がふさがってると大変だろ。道もぬかるんでるし」
「いい。このまま月香に会いに行く」
「じゃあ傘の方を持つ」
「だから、いいって言ってるだろ。着いてくるな」
暁が苛立たしげに言う。だけど、俺は彼の後ろを着いていく。
「だから言ったろ、俺も青野に用があるんだ。返しに行くって言うなら、俺も着いていく」
「…………けっ」
暁は舌打ちをすると、右手の箱を乱暴な手つきで俺の頭に被せた。
「うわ……っ!?」
急に視界がふさがり、ぬかるみに足を取られかけた所を、どうにか堪える。
「……………………」
無言で箱を頭から外すと、既に暁は石段の下の方まで降りている。その背中を、俺は慌てて追った。
「だから待ってってば」
「…………お前を待つ義理なんて僕にはねぇよ」
低い口調で、暁が答える。心底嫌そうな口調に、俺は俯く。やっぱり、こいつは……。
「……なんで、あの時撃てなかった?」
俺が何かを言うよりも先に、暁が先に口を開いた。
「お前が撃てなかった所為で、結果的に太陽さんが死んだんだぞ? 分かるか? お前の判断が太陽さんを殺したんだ。お前は、太陽さんの命と、見ず知らずの誰かの命を秤に掛けて、後者を選んだってことだよ」
何の躊躇も遠慮も無い、刃の様な言葉が、俺の胸に突き刺さっていく。
「お前の所為で、太陽さんは死んだんだ」
「……………………」
俯く俺に、彼は最後にそう言って、口を閉ざした。
「…………なんて」
……と、思いきや。一瞬、鼻を鳴らして、暁はさらに言葉を続ける。
「誰かに責められたかったんだろ? 貶されたかったんだろ? お前の所為じゃない。そんな言葉ばかりじゃ、居たたまれないもんな」
暁が振り返る、彼は、あからさまに悪意のある笑みを浮かべながら、俺を睨んで。
「――だって、明らかにお前が悪いんだから」
そう、呟いた。
「…………っ!」
俺が暁を睨み返すと、彼は馬鹿にしたような笑みを浮かべて、眼鏡を押さえた。
「どうしたよ。お前が望んだことじゃないのか? 他人に責めて欲しかったんだろ。そうやって、少しでも自分の中の罪悪感を減らしたかったんだろ。まさか違うとは言わないよな?」
「っ…………俺は……」
「……一人で勝手にイジけてるのは良いさ。僕はお前なんてどうでもいいし、視界に入られるのは不快だが、見えない所で頭を抱えて蹲ってくれてるなら、それで構わない。……でもな、」
大きく息を吐くと、暁は眼鏡を押さえながら、
「その感傷を、アイツに向けるのだけはやめろ。今、一番辛いのが誰かくらい、分かってるだろ。なのにアイツに慰めて貰おうなんて、無神経にも程がある」
「……………………」
何も言い返せないのは多分、彼の言葉が的を射ているからであって。
「……その箱、もう要らないやつだ。ゴミ箱に捨てとけ。……僕は月香を迎えに行く」
「暁……っ!」
「……忙しくなるんだよ。どっかの馬鹿が敵を一人取り逃した所為で、この街の場所は余所に筒抜けになった。これから、そこらの馬鹿どもが、この街に攻めてくる」
暁は一度言葉を切ると、瞳を閉じて大きくため息を吐いた。その顔には、会議の時にも見せなかった疲れが見てとれる。
「……太陽さんが居ない今、下手をすれば全滅だ。僕はあの人の代わりに、この街をまとめないといけない。分かるか? お前なんかに構ってる暇はねぇんだよ」
「…………っ」
暁の瞳が、再び俺を睨む。その視線に、俺は立ち竦んだ。
「…………じゃあな。それ、ちゃんと捨てとけよ」
黙り込む俺から視線を逸らして、彼は再び石段を下って行く。俺は、それを無言で見送った。
♪
「あ、おかえり、明くん」
再び医務室の扉を開けると、浪川さんが、相変わらずの笑顔で迎えてくれる。無言で会釈をすると、浪川さんは、苦笑いを浮かべながら僕を見つめた。
「どうしたの? 出る前よりももっと酷い顔、してるね」
「……なんというか、ですね。あらためて自分の矮小さを思い知らされたというか。自分のどうしようもなさに呆れてしまったと言うか……」
言いながら、はぁと息を吐いた。胸が苦しい。暁の言葉が何時までも胸の内を渦巻いていて、自己嫌悪で死にたくなる。
「んー。どうしたのよ本当に」
「……暁と話をしまして」
浪川さんは、納得が言った様子で声を上げると、失笑を浮かべながら口を開く。
「まあ、あの子はほら。口ベタだからね。優しい言い方ってのが出来ないのよ」
「……………………」
そうなのだろうか。むしろ暁は俺に、明確な悪意を向けていた気がするけれど。
……いや。内容は思いっきり図星を付かれていたから、反論も浮かばなかったんだけどね。
「……ふむふむ。しかしなるほど、暁くんと、ね」
浪川さんは口元に手を当てると、何故か、何処か楽しげな笑みを浮かべる。
「なんですか……?」
俺が問い返すと、浪川さんはなんでもないと呟いた。
「……ま、月香ちゃんと話す前で、良かったかな。今の月香ちゃんにそう言うこと聞くの、酷だからねー」
まったくその通りだ。つくづく自分の無神経さに落ち込みつつも、俺は、浪川さんに向き直る。
「……浪川さんは」
「んー……?」
「浪川さんは、あの時のこと、どう思ってますか。
浪川さんが、真面目な視線を俺に向けて口を開く。
「……それは、どう答えてほしいの?」
「本音で」
「……本音、ねぇ」
はぁ。と、浪川さんは大きく息を吐いて窓の外に目を向けた。
「……本音を言うなら、仕方がなかったと思うよ。確かに、太陽くんが死んだのは君が撃てなかったのにも原因があると思うけど。でも、君は一週間前まで銃も握ったことがなかったんだから」
だから、仕方ない。と浪川さんは言って、さらに言葉を続ける。
「もちろん、君は悪い。でも、君だけが悪いわけじゃない。意味分かる?」
「……はい」
俺が頷くと、浪川さんは肩をすくめて苦笑を洩らした。
「……ごめんね。きつい事言って。でも、私は君を責めるつもりはないから。それだけは覚えておいてね」
「…………はい」
……大人だな。と思った。
なんだか、結局俺が、浪川さんの優しさに甘えただけみたいになってしまった。
何も変わらない自分に、やっぱり自己嫌悪してしまう。
「だから、そう言うところで落ち込まないの。もう。そう思うなら、周りに心配させないくらいに強がってみなさい」
浪川さんは、椅子から立ち上がると、俺のすぐ横までやってきて、背中を叩く。
「って……!?」
「はいはい! しっかりしなさい男の子!」
意外と強い力に驚きつつも、浪川さんに振り向くと、彼女は飄々とした、だけど優しい笑みを浮かべながら、俺の顔を見つめていて。
「君が太陽くんに何を言われたのかは知らないけど、男の子なら、一度決めたことは頑張ると良いさ。私は応援してるよ、明くん」
「…………はい」
……激励を背に受けながら、ああ、この人は本当に大人なんだなぁ。なんて、少し思った。
♪
それから一週間程たった後。俺は布団から起き上がると、窓の外へと目を向けた。相変わらず太陽は出ていないが、昨日と違い、雨は降っていないようだ。
「…………よし」
自分の両手で頬を叩いて、気合いを入れる。今日こそは、青野と話をしよう。……そして、今度こそちゃんと伝えよう。俺の想いを。
「……何か、告白するみたいだな」
……いや、違う違う。これはあくまで罪滅ぼしで、太陽さんの最後の意志で……いや、別に青野が嫌なわけじゃないけど。むしろ、青野は凄く可愛くて。初めてあった時は、目を奪われたのも確かだけど……って、だから、そういうんじゃなくて……!
「……だぁあああああもう!」
なんかもうなんなんだよ何考えてんだよ俺はぁああ!!
「…………お、お兄さん?」
「あ……」
……俺が頭を抱えてもんどりうっていると、朝食に呼びに来たのだろうか、引きつった笑みを浮かべた美月が、戸を半分だけ開けて俺を見ていた。
「……………………」
「……………………」
恐ろしく気まずい沈黙が、俺と美月の間に流れる。
「……あああ、あの、その……だい、大丈夫……?」
「……うん。大丈夫」
『大丈夫』という言葉の前に、「頭が」という言葉が浮かんだのは、多分、間違いじゃないのだろう。だから俺は、あくまで平静を装って頷いた。
「…………大丈夫だから」
意味も無く二回頷くと、美月は、そっかと小さく呟いて、変わらない引きつった笑みを浮かべながら、俺に言った。
「あ、あの……朝食、出来てるから……」
「うん。ありがとう」
意味も無く爽やかに笑いながら答えると、美月は明らかに怯えた様子で、小さく悲鳴を上げて去って行った。失礼な話だ。
「……何やってんだか」
年下の少女をからかって楽しんでる場合じゃないだろうに……。
……とりあえず、朝食を食べに行くことにしよう。
「…………さて」
朝食も取り終わり、学校を出る。今日こそは青野と話をしたい。そう思っているのだが……さて、あの子は何処に居るのだろう。
しばらく学校の端を歩いていると、視線の先、弓道場の前に、見知った顔の人が立っていた。
「エマさーん」
「……ん? ああ、明か……」
エマさんは駆けよってくる俺を見て、ぎこちない笑みを浮かべた。……やっぱり彼女はまだ、完全に立ち直ってはいないらしい。……それもそうか、未だ一週間も経っていないのだから。
「なにやってるんですか?」
「ん? ああ……」
エマさんは背中に担いだ銃を軽く揺らして答える。
「ちょっと、久々に射撃訓練をね。ここんところサボりがちだったから。カンを取り戻さないと……明もやる?」
「あー……いえ。俺はちょっと、やることがあるので」
「なんだとー。アタシとのお楽しみ訓練より重要な事があるってのかー」
「わ……っ!」
エマさんが俺の頭を抱えてヘッドロックを決める。ふわっとした良い匂いと、顔に柔らかい感触が押し付けられる。
「ちょ……ちょっとちょっと! え、エマさん……!?」
いや、わかってはいたんだけど。やっぱエマさん胸デカいな……。じゃなくて……!
うわぁ、うわぁっ! うわぁ……っ! あああ、思ったより堅いと思ってしまうのはやっぱりアレですかブラジャーなのですかとかそんな事を考えつつそんな事考えてどうするんですかあぁもう何やってんの俺は!
「ふんっ……ぬっ!」
エマさんの腕を掴んで、無理やり隙間をつくり、俺はようやくエマさんの腕の中から逃れることが出来た。
「はぁ……はぁ……ふぅ……」
「おお……顔、真っ赤だな。大丈夫? そんなに力込めたつもりはなかったんだけど……」
エマさんが心配そうに、蹲る俺の顔を覗き込むように腰を屈める。だがちょっと待ってほしい。その体勢はほら、胸が強調されるわけで……。
「な……なんでもないです大丈夫です問題ありません」
身体を起こして両手を振ると、エマさんは不思議そうに首を傾げながらも、まあいいかと呟いた。
「それで、明は何処に行こうとしてたのかな? なんか急いでるみたいだけど」
「いや……別に急いでるわけじゃないですけど……。そうだ、エマさん、青野の居場所を知りませんか?」
「…………月香?」
エマさんは腕を組んで思案すると、ぽんと両手を叩いて俺の顔を見つめる。
「月香だったら、多分丘に居ると思うよ」
「丘って……あの、太陽さんの……」一瞬、言い淀む。「お墓がある所ですか? でも、そこには……」
「あー……そこからもう一つ上があるんだよ。ちょっと開けた展望台みたいになってるの。誰もあんなとこ整備しないから、道が分かりづらくなってるけどね」
そうなのか。ここ数日、青野が居ないかとあの場所に通っていたのだけど、全然気が付かなかった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。んじゃね」
エマさんに一度会釈して、俺は踵を返して丘の方へと走った。
石段を上がり、丘の上に立つ。目の前に、太陽さんの墓を臨みながら、周囲に目を配らせる。と、生えた草葉の陰に、わだちの様になっている場所を見つけた。
「…………ん。あれかな……?」
近寄ってよく見てみると、草に隠れて山の上へと石段が続いている。……なるほど。これは確かに、普通じゃ見つけられないかもな。
「…………ふぅ。良し」
覚悟を決めて、俺は朝露に濡れた草を踏み分け、石段に足を踏み入れた。
上を見あげる。草葉が生い茂り、道を塞いでいる中を、無言で歩きはじめた。
「……………………」
日の差さない道を歩きながら、俺は色々と思案する。青野と話すべきこと。
彼女を傷付けたくはない。……でも、だったら何を話せばいいのだろう。気は重いが、一週間前程では無かった。多分だけど、浪川先生と……暁の言葉が効いているのだろう。
俺がすべきことは、俺の自分勝手な感傷を彼女にぶつけることじゃない。彼女の為に何が出来るのかを考えるべきなのだ。
……それを気付かされたのか、あの暁の言葉だというのが、なんとなく尺に触るけど。
色々と考えている内に視界が開けた。石段が終わり、強い光が僕の目を刺す。
思わず瞳を細める。知らぬ間に太陽が出ていたらしい。丘の上だからか、遮るものが無いからか。この場所は、日の光が近い気がする。少し湿った草木の上、見覚えのある箱と、その上に小さく身体を縮めて座る、白い少女の姿があった。
「…………あ」
……俺が声を上げると、青野はゆっくりと振り返り、俺に顔を向けた。生気の無い瞳が、こちらを見つめる。
「…………っ」
良く考えてみれば、完全に箱から出ている彼女を見るのは初めてだ。彼女と正面から相対するのは、初めて。
分かっていた筈なのに、言葉に詰まった。
……それでも、逃げてはいけない。彼女の為に、俺の為に――太陽さんの為に。
「……青……野」
「…………柳川、明」
青野の抑揚の無い声が、俺の名前を呼んだ。弱々しい声に、背筋に冷たいものが走る。
「…………なに」
「あ……えっと……」
頬を掻く。言いたいことは、色々ある。あるのだけど……頭が混乱して、何を言えば良いのか。
「だから……その……俺は……」
台詞が続かない。言いたいことは決まっている。でも、その段取りが組み立てられない。
「俺は…………」
何かを言わなければ。伝えなければ。とにかく、一番伝えたい事を……俺は……。
「俺は、青野を守る」
「――――は?」
青野が、ぽかんと口を開けて俺を見た。
「……あ、いや、その…………だから……」
「……………………」
……彼女が、白い目で俺を睨んでいる。俺は慌てて両手を振って、しどろもどろになりながらも言葉を続けた。
「だから……その、お、俺が、俺の所為で……太陽さんが、死んでしまったから……その、だから……」
「……………………」
青野は無言で立ちあがると、椅子にしていた箱を持ちあげる。
「え、えと、その……」
「……………………」
青野が無言で俺の前までやってくる。怯む俺に、青野はジト目で俺を見上げると、俺の顔に――
「――――わぷっ」
――唐突に視界が闇に落ちる。青野の箱を頭に被せられたらしい。混乱していると、青野は俺の横をすり抜けて階段を駆け下りていってしまった。
「…………はぁ」
俺は、無言で箱を持ちあげると、大きく息を吐く。……失敗した。というか、完全に呆れられてしまったような。
「ぼんやりしてる場合じゃないや、追わないと……」
箱を片手に抱えると、青野が降りて行った石段を下った。再び太陽さんの墓の前まで出ると、既に青野の姿は、そこには無かった。
「……………………」
俺は自分の頭を掻いて、肩を落とした……。
♪
「さて……!」
次の日。墓の前に立ち、気合いを入れる。今日こそは青野とちゃんと話をしよう。そう強く心に決めて、俺は石段を登り始めた。
「青野!」
「…………はあ」
声をかけると、青野は俺の方を振り向きもせず、箱から立ち上がると小脇に抱えて踵を返した。
「まって、話があるんだ」
「……わたし、ない」
特徴のある、単語に区切った簡潔な口調で、青野はあっさりと言い放ち、俺の横を通り抜けようとする。
「ちょ、ちょっと待ってって」
「またない。どいて」
とっさに彼女の前に立つと、彼女は瞳を細めて言った。俺がやんわりと首を振ると、両手で箱を持って振り上げてくる。
「ちょ……ちょっと! わかったから!」
また被せられてはたまらないと、俺は道を開ける。と、青野は箱を降ろし、大股で石段を降りて行く。俺はその背中を慌てて追いながら口を開いた。
「わかった。待ってくれなくてもいいから、せめて話だけでも聞いてくれ!」
「……………………」
青野が、一つ下の広間……太陽さんの墓の前で、足を止めて振り返る。その視線に気押されそうになりながらも、俺は視線を逸らさないように、彼女と対峙した。
「……………………」
青野が無言で箱を持ちあげると、今度は自分の頭に被った。ちょっと困惑していると、彼女は箱から手を離し、俺の方に身体を向ける。
……頭に大きな段ボール箱を被った華奢な美少女と対面する様は、割とシュールだ。いや、顔が隠れているから、本当は美少女などという描写も出来ないのだけど。
「……わたし、あなた、きらい」
と、箱の中から、くぐもった青野の抑揚の無い声が聞こえる。普段から表情が動かなくて、感情の分からない青野だけど、これでますます彼女が何を考えているのか分からなくなってしまった。
「…………ごめん」
俺は視線を地に向けて、呟いた。対する反応は、沈黙。顔も見えないし、声も聞こえないのでは、どう接して良いのか分からない。感情が、見えない。
「守るって、なに?」
俺の言葉なんて聞こえてないかのように、青野が言葉を続けた。
「ずっと、お兄ちゃん、わたし、守ってくれてた」
「……………………」
「でも、お兄ちゃん、居なくなっちゃった……」
あなたのせいで。そんな言葉が、沈黙の裏に隠されている。そんな気がする。
「あなた、お兄ちゃんの代わり、出来る……?」
「俺は……」
「絶対、無理」
彼女の台詞は、例え顔が見えなくとも分かる程、明確な拒絶だった。
「わたし、あなたがきらい」
そう言い残し、彼女は踵を返すと、石段の方へと去って行こうとする。
……でも、これで彼女を行かせたら、昨日と同じになってしまう。
「……待ってくれ!」
「…………っ!」
振り向いて、その腕を掴む。青野は一瞬怯むが、すぐに腕を引いて抵抗を始めた。
「俺の話も……聞いてくれ……!」
「聞く事なんて……ない……!」
一層抵抗を強める青野の腕を無理やり引く。彼女の顔を隠す箱が地面に落ちて、彼女の身体がよろめき、俺の胸の内に飛び込んでくる形となる。
「…………くっ!」
青野が一瞬緩まった腕を振り払い、俺の顔を見上げる。
「離……して……!」
「青野……!」
そんな、彼女の両肩に手を置いて、俺は言った。
「俺が、青野を守る……!」
「…………! 貴方……貴方がお兄ちゃん、殺したくせに……貴方の所為で……!」
青野が腕を振り払って俺を睨みつける。俺は引かずに、彼女の顔を――激しい感情を向ける瞳を見返した。
「ああそうだよ……俺の所為で、太陽さんは死んだんだ……! だから俺は、償わないといけない……!」
「償うって、なに……! そんな……口先だけ……!」
「違うっ! 俺は……俺は、頼まれたんだ……!」
「…………?」
「頼まれた……そうだ……最後に頼まれたんだ……太陽さんに。だから、僕は君を守る。君の傍に居る。それが……俺の……」
償いなんだ……と、俺が呟くと、青野は黙り、大きく息を吐いて、踵を返した。
「……勝手に、すれば」
「青野……」
「……でも、わたし、貴方を認めたわけじゃない。わたし、ただ、お兄ちゃんの気持ち、願いを、大事にしたいだけ、だから」
「……わかってる」
「それと…………」
頷く俺に、青野は、地に落ちた箱をもう一度持ち上げて、再び頭に被り、
「わたしのお兄ちゃん、一人だけ。誰も代わりになれないし。誰にも代わり、出来ない。唯一無二。それも、わかって」
「…………うん」
青野はしばらく、無言でその場に立ち尽くしていたが、不意に頭を振って、石段を降りて行った。
「…………よし」
一人残された俺は、一度、自分の両頬を強く叩き、彼女の後を追った。
♪
「――――で」
あれから数日たった、朝。学校の入り口の前に立つエマさんは、俺と、僕が両手に抱える箱を見て、ため息を吐いた。
「まあ、アンタと月香が一緒に居る理由はわかったけど……。どうしてそんな事に?」
「それは……まあ、色々と……理由があると言うか……」
……いや、実際の所僕も、どうしてこんなことになっているのか、よくわからないんだけど……。
「……降ろす」
「あ……うん」
箱から顔を出した青野が、俺に目も向けずに呟いた。俺は落とさないようにゆっくりと腰を降ろして、箱を地面に置く。
青野は箱から出ると、箱を再び頭に被って立ち上がり、エマさんの方を向く。
「まあ、仲良くしてるなら何よりだけどね」
「仲良く……?」
エマさんが苦笑を浮かべながら答えると、青野はふるふると首を横に振る。
「仲良くなんて、してない。わたしはまだ、許してない。……多分、ずっと、許せない」
「……………………」
「貴女は、許したの?」
「……………………は」
青野の言葉に、エマさんは少しの沈黙の後、小さく笑った。
「……許すも何も。アタシはそもそも、明の所為だなんて思っちゃいないよ」
「…………そう」
青野は、箱の中で小さく呟くと、踵を返して学校の中へと向かう。その後を着いていこうとすると、青野は箱を持ちあげて顔を見せると、俺の方を見て口を開く。
「……トイレ。着いてこないで。待ってて」
「あ、うん…………」
俺が足を止めると、青野は再び箱を被って、昇降口の中へと去って行った。
「…………んー。多少進展したかもしれないけど、何とも言えない感じだねー……」
エマさんがそれを見送って、肩をすくめながら呟く。
「エマさん、さっきの言葉……」
「ん……? ああ、本心だよ。前にも言ったろ、アタシはアンタの所為だなんて思っちゃいない。だから、アンタを責めるつもりもない」
エマさんは、俺の肩に手を置いて笑う。
「だから、アタシの事はそんなに気にすんな。それより、月香のこと、アオに頼まれたんだろ? だったらアイツを気にしてやれ。アイツは、中々難しいぜ?」
「……大体、わかってます」
俺がため息混じりに呟くと、エマさんは苦笑いを浮かべた。
「にしても、明が月香とね。ふーん……。まあ、暁の奴も忙しそうだし。これで良いのかな」
「…………?」
どうしてここで暁の名前が出てくるのだろう。
「ああ。大体、月香の担当はアタシと暁だった。ってのは、確か前に言ったよな?」
エマさんの言葉に、俺は一度頷いた。そういえば、そんな話を聞いた覚えがある。
「とはいえ、アタシは主に下の奴らの世話で色々と忙しくてね。殆ど暁の奴が付きっきりだったのさ。最近は色々と忙しかったみたいだけど……けどほら、暁も、アオの後釜で何かと大変みたいだし。アンタが月香の相手をしてくれるなら、そっちの方が良いかもしれないね」
暁の負担も減らせるし。と、エマさんは呟いた。
「……ん? なに嫌そうな顔してるのさ。やっぱり月香のこと、大変?」
「いえ……そういうわけではないのですけれど。ただ……」
ただ、自分の行いが、暁の為になる。ということが、少しだけ引っかかるだけで……。
「おー? なんだ、暁の事は嫌いか?」
「嫌いってわけじゃないんですけど……なんというか、単に苦手というか……」
そんなに話をしたこともないけれど……。というか、まともに会話をしたのなんて、あの時くらいしかないのだが。どうにもあの男の雰囲気や性格が、苦手というか、嫌だ。
「ふーん? ……まあ確かに、基本的に無口だし、気難しい奴だけどな」
エマさんは腕を組んで首を傾げるが、特に興味は無いらしく、すぐに笑って、俺の背を叩いた。
「……ま、これから色々と大変だろうけど、頑張んな」
「…………はい」
「明」
学校の入り口から箱を被った青野が、美月を連れて出てきた。
「今日は、美月と一緒に居るから、明は着いてこなくていい」
「え…………あ、ちょっ」
俺が何かを答えるより先に、青野はエマさんの隣を通り抜けて、さっさとどこかに行ってしまう。その後ろを、美月が申し訳なさそうに笑みを浮かべながら俺に一度頭を下げて着いて行った。
残される俺とエマさん。
「…………ま、頑張んな」
「……………はい」
抑揚の無いエマさんの言葉に、俺は力無く頷いた。
♪
青野が何処かに行ってしまったので、途端に暇になった俺は、一人弓道場で射撃訓練を行っていた。本当は、エマさんに訓練を付けてもらいたかったのだけど、リーダー格である彼女は、何かと忙しいらしい。結局俺は一人で、数十メートル先にある的に向けて引き金を引き続けている。
ここに来てから折を見て銃の訓練を行っていただけの事はあり、この距離ならば、まず的から外す事は無くなった。
これなら…………。
「……銃声がすると思ったら」
不意に、背後から声が聞こえる。振り向くと、弓道場の入り口近くに、ポケットに手を突っ込んだ暁が、気だるげな顔をして立っていた。
「弾薬の備蓄が少ないんだ。あまり無駄に弾を使われると困る」
「悪かったよ。もう少ししたら止めるから……」
「…………すぐやめろよ。どうせ意味なんて無いんだ」
呆れ気味の彼の言葉に、俺は少し眉を顰めて、彼を睨み返す。
「意味が無いって……なんでだよ。これでも、少しは当たるようになったんだから」
「当たっても、撃てないなら意味無いだろ……」
暁はため息を吐くと、後ろ手に弓道場の扉を閉めて、俺の隣に立った。
「……っ! 撃てないなんて……ことは、ない……」
「本当に?」
言いながら、暁が足のホルスターから銃を抜き、セーフティを降ろすとスライドを引いて的に向ける。
――続いて、轟音。暁は銃を片手で構えたまま、的に向けて何度も引き金を引き続ける。
「――――――――」
そして、唐突に俺の額に銃口を突き付けた。
「的は、動かないし、逃げない。反撃もしてこないし、生きてもいない。……でも、敵は違う」
額から銃口を逸らさず、俺の瞳から視線を逸らさず、彼は皮肉気に口元を歪める。
「もう一度こういう状況になった時、お前はその手に持った拳銃で、僕を撃つことが出来るのか?」
挑発されている。それは分かっているのだけど……だからと言って、今、俺の手の中にある銃を、彼に向けることが出来るのか……。
「……………………」
暁は、つまらなそうに眉を顰めて、銃の引き金を引いた。
カチン。という金属音が響く。不発……いや、弾切れか。……もちろん、分かってはいたのだけれど、それでも緊張はしていたのだろう。引き金を引かれた一瞬だけ、心臓が高鳴った。
「……お前、最近、青野に付きまとってるんだって?」
「付きまとってるって……」
なんだか酷く誤解を招く言い方だと思う……いや、実際あまり間違ってはいないのだけど。
「それがなんだよ」
訂正するのも面倒なので、暁を睨んで言い返す。と、暁は拳銃を降ろして息を吐くと、銃に視線を降ろして答えた。
「…………別に。ただ、事実確認をしただけだ。……それ以外に、意味なんて無い」
彼は弾倉を落としてベルトのポーチに入れると、別のポーチから弾倉を取り出して入れ替え、スライドを引く。
「……今の所、問題は無いしな。むしろ最近忙しいから……」
一瞬、言葉を切った暁は、視線を逸らすと、心から嫌そうな表情を浮かべて、言いにくそうに口を開いた。
「…………助かってる」
「なら……良いじゃないか」
俺が答えると、暁はセーフティを掛けた拳銃をホルスターにしまい、踵を返した。
「……その辺、全部片付けとけよ。それと、しばらく射撃訓練は控えろ。弾が勿体ないし、銃声が響くと皆が怯える。……ただでさえ、皆混乱してるんだから」
「分かったよ…………」
俺はそう答えてから、銃のセーフティを掛けてホルスターにしまった。暁は一瞬俺の方に目を向けるが、すぐに前を向いて、弓道場の外へと向かう。
「…………色々と大変だぞ」
弓道場の戸に手をかけて、思い出したように暁が言う。
「アイツは、元々この街の住民に好かれてない。加えて今回の事件だ。街内の風潮は最悪だ。ぶっちゃけ、嫌われてる」
「な……なんで、青野が……!? だって、今回のは、俺の……」
間接的とはいえ、俺が原因の筈なのに……。
「そりゃ、お前のせいでもあるさ。でも、攫われたのはアイツだろ? だから、原因はアイツにある。少なくとも、他の奴らはそう思ってる」
「そんな…………」
そんなの……酷過ぎる。ずっと自分を守ってくれていた、唯一の肉親を失って……今、本当に辛いのは、彼女の筈なのに……。
なのにどうして、その彼女が非難されなければいけないのだろう。
「……もっとも、お前の場合他人事じゃないけどな」
「…………何が言いたいんだよ」
「別に、ただ……」
暁は弓道場の戸を開け放ち、外に出ると、
「……嫌われ者同士、精々仲良くな」
そう言い残して、勢いよく戸を閉めた。
「…………なんだよ、アイツ」
確信した。苦手とかそんなんじゃない。俺はアイツが嫌いだ。
……どうしてあんな奴が信用されているのか、分からない。性格が悪すぎる。考えてみれば、元から敵視されていたような気もするけれど。
……なんだよアレ。あんな言い方、しなくてもいいだろ。
確かに、冷静な判断を下す事が出来るのかもしれないけど……。
「…………掃除、するか」
俺は肩を落としてため息を吐いてから、掃除道具を取りに、隅にあるロッカーへと足を向けた。
「…………あ」
ロッカーを開けて箒とちりとりを取り出しながら、俺はふと思い立って、射場の方に目を向ける。そこには、暁が銃を撃った時に落ちた薬莢が、俺のものと混じって床に散らばっている。
「あいつ……! 片付けないで帰りやがった……!」
……うん。やっぱり俺は、アイツが嫌いだ……!
次回更新は10月8日20時予定