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1.

――その日、世界は終わった。絶望的に終わっていた。


 何処までも続く車道を、ただ歩いていていく。

 見上げた空は青く、もくもくと縦に伸びる入道雲が、空を埋めていた。

 陽炎に揺れるアスファルト。車道の両端は高いフェンスで仕切られ、その向こうには草葉の生い茂る山肌が広がっていて、とても歩けそうではない。

 ――だから、歩く。

 果ての無い車道。何処まで続いているのか分からないけれど。何処に続いているのかもわからないけれど。それでも、歩みを止めるよりはよっぽどマシだった。

 ――隆起した地面に足を取られながらも、ひたすら歩く。

 食料は無い。飲み物も無い。体力はすでに限界だ。足は鉛のように重い。

 垂れる汗がアスファルトに落ちて、すぐに蒸発する。暑い。辛い。疲れた。それでも歩き続ける。

 なにがどうなったのか、良く分からなかった。

 自分が、生きているのかも。

「――――っはぁ」

 大きく息を吐くと、視界が揺らめいた。倒れたら多分起き上がれなくなるので、壁に手を掛けて、どうにか堪える。

 太陽に熱せられた壁は馬鹿みたいに熱くて。腕を焼くような熱さが覆う。

 視線を上げる。道は何処までも続いている。元は高速道路だったのだろうけど、今では地面はひび割れて、走る車は何処にも居ない。

 前にも、後ろにも。

 誰も居ない。

 俺だけだ。

 俺だけが、この終わった世界に、取り残されている。

「――――っ」

 心が折れそうになるのを、堪える。

 泣きだしそうになるのを我慢して、俺は壁に寄りかかりながら、再び歩みを進め始めて。

 ――ふと、視界の先に、箱を見つけた。

「…………は?」

 長方形で、茶色の、よくある段ボール箱だ。大きさはそれなりに大きい。そんなものが、何故か、道のど真ん中に、当たり前のように置いてある。

「……なんだよ……あれ……」

 ふら付く足で、少しずつ、箱の近くへと近寄っていく。

 ……見れば見るほど異様だ。野ざらしの段ボールというには、どう見ても新品そのもので、形も全然崩れていない。

「……中身、入ってるのかな」

 もしかして……ここを通った救援物資積みのトラックが、その荷物を落としていった……とか。

 これだけ起伏の激しい地面だ。ありえないわけじゃない。

 気が付けば、目の前に箱があった。

 蓋は閉じられている。喉を鳴らす。

 どうしてかいけない事をしているような気がして、思わず周囲を見渡した。

 もちろん誰もいない。

「…………はあ」

 息を吐く。箱に手を掛ける。ちょっとした期待を胸に抱きながら、音を立ててガムテープを剥がした。

 食糧が入っていれば良い。飲み物でも良いや。そうでなくても……何か使えるものが入っていれば。

「………よし!」

 期待を込めて、俺は勢い良く箱を開いた。そこには――


 ――箱に詰まった、とんでもない美少女の姿が。


 色素の薄い、白っぽい髪に、白い肌。

 美少女だった。

 しかしその美少女は、両足を抱え込むようにして箱に詰まり、すやすやと寝息を立てている。

 ……というか、なに、コレ。

「は……はは……っ」

 足から力が抜けて、その場に膝を突く。

 意識しても無いのに、口から力の無い笑みがこぼれる。

 なんかもう、意味が分からない。

 ただでさえ、これからどうすればいいのかわからないというのに。

箱に詰まった美少女ってなにさ……。

「…………ははは……」

 視界が揺らぐ。

「――ま……ず……」

 もう……限界……なのか。

 箱に覆いかぶさるように、前のめりに倒れる。

「…………ぁ」

 声が……もう出ない。

 ……熱い。

 身体がだるくて動かない。揺らぐ視界の中で、目の前に、箱に詰まった美少女の寝顔があって――

 そこで俺の意識は、途絶えた。



 五年前、世界が終わった。

 理由は良く分からない。

 ただ、あの日。五年前のあの日、普通に生きてきた俺の上に、いきなり爆弾が降ってきて。俺がそれまで生きてきた家とか、慎ましい青春を謳歌していた学校とか、生まれてから今まで過ごしてきた馴染み深い街とか、何もかも吹き飛ばされて。

 他との連絡手段は途絶え、何が起きているのかも良く分からず。食料は足りなくて。たまに世間話をする近所の叔母さんが我が家の食料を狙って襲いかかってきたり。同じ教室で一緒に勉強をしてきたクラスメイトが、徒党を組んで家に上がり込んできたり。

 廃墟と化した街に踏み込んできた謎の武装集団が、日本ではテレビくらいでしか見ることの出来ない鉄の塊を振りまわして、家の隣に住んでいた、優しくて少し抜けている幼なじみが、俺の淡い青春と共にぐちゃぐちゃの肉片に成り果てたり。

 唯一の肉親である母親と共に街を出たけれど、何処に行っても状況は似たようなもので。

 そうして旅を続けている内に、隣に居た筈の母親は惨殺された末、金銭や食料の殆どを奪われており。

 ―――もう、世界は終わっていた。絶望的なまでに終わってしまった。

 そんな中でも、どうしてか生き残ってしまった俺は、一人旅を続けて……。色々な所を渡り歩き、どうにか生き続けて……それで……えっと……。



「――それ……この……拾って……ってこ……?」

「は……月……箱の……圧……か……い……で。……助け……げ……た」

 ……声が聞こえる。

「て……か聞……よ……。……奴、そ……ま置い……こ……しや……てさ」

 聞いたことも無い声が、沢山。

「し……な……ろ。こ……正体も……らない部外……中に……るなん……険すぎ……問……あ……らどう……だ」

 ……男の声。

「そし……、ア……が責……るよ。だか……ンタはち……黙っ……」

「んー……身……一応問……いね。単に衰弱……るだけ。もうちょっとしたら目……ますよ」

 ……女性の……声……。

「とり……ず、詳しい話……イツが目を覚ましてからだな。……それで良いだろ?」

「…………まあ」

「あ……起きるみたい……」

 瞼を開くと、眩しい光が眼を指した。

「――――っ」

「目が覚めたか?」

 ふと、声が聞こえた。俺に話しかけているらしい。

 男の声だ。誰だろう。徐々に戻る視力が、自分のすぐ横に立つ、男の姿を捉える。

「アン……タは……」

「ああ、そんな無理して起き上がろうとしない方が良いぜ」

 起き上がろうとする俺を、男がやんわりと制した。

 顔を向ける。歳は俺よりも少し年上くらい。白っぽい髪に、清潔感のある白いシャツを着た、優しげな瞳の青年だ。

「……ここは……?」

 あらためて辺りを見渡す。窓から入る日光に、白い壁、白い天井、白いカーテン。鼻孔をくすぐる、薬の匂い。

「ここはうちの医務室だ。お前はここに通じる道の途中で倒れていたのを、うちの仲間によって助けられた。ここまではオーケー?」

「…………」

 青年の言葉に、俺は無言で頷く。意識はようやくしっかりしてきた。

 ゆっくりと身体を起こすと、自分の周囲に、青年以外にも何人かの人が居た。

「そんじゃ、最初は自己紹介だ。俺は青野 太陽。ここの自衛部隊のリーダーをやってる。好きに呼んでくれ。……仲間には、アオとかリーダーとかボスとか呼ばれてる。お前の名前は?」

「……柳川、明」

 答えると、青野と名乗った青年はにこりと笑う。

「明な。分かった。明、どうしてあの場に倒れてた? 他の集落とここは遠いし、他に人影はない。どうしてお前は、あの場に一人で居たんだ?」

「それは……」

 どうして……と言われても、答えようがない。ただ、行くあても無ければ頼る人も居なかった俺は、何処にも行けず、彷徨い続けていただけだ。

 その末に、あの道に辿り着き。それで、箱を見つけて……箱?

「そうだ……そういえば、あの子……」

 俺は、ベッドの周りに立つ人達を見渡した。三人の女性と、一人の少年が立っているが、俺があの時に見た少女は居ないようだ。

 ……そもそも、あの娘は本当に存在したんだろうか。

 あの時の俺は、空腹と疲労に苛まれて、意識すら保てない状態だった。

 記憶自体があやふやなのに、箱の中に少女がつまっているなんて……そもそも、あんな所に箱があったなんて事自体、常識的に考えてありえない。

「どうした?」

「あ……いえ。別に……」

 青年の問い掛けに、首を振って答えた。多分、変な幻覚でも見たのだろう。自分の中でそう結論付けて、再び目を向ける。

「俺は――――」

 ……そして、俺は、ここに辿り着くまでの経緯を、彼に話し始めた。

「……なるほど。ね」

 全ての話を聞き終えた青年は、顎に手を当てて少しの間沈黙すると、ふと後ろを振り向いて、他の人達に目を向けた。

「……だ、そうだけど、どうする?」

「ああ。アタシは、アオの言葉に従うさ」

 その問い掛けに、髪の長い赤毛の女性が頷きながら答え、

「うん。あたしもボスが良いっていうなら良いと思うよー? あんまり興味ないし!」

 黒髪短髪の、恐らくは中学生くらいの背の低い少女が、笑顔で頷き。

「私も大丈夫だよ。しばらくは大変だろうけど」

 白衣を着た女性が、苦笑しながら答え、

「…………」

 眼鏡を掛けた、俺と同い年くらいの少年は、沈黙を保ったまま背を向けた。

「なんだかなぁ。満場一致とはいかないけれど、おっけーってことで良いな」

 青年は少年を見ながら苦笑すると、再び俺の方を見る。

「んじゃまあ、明。もし良ければだけど、このままこの集落に住む。てのはどうだ?」

「え……?」

 思わず顔を上げる。すると、青年は爽やかな笑みを浮かべながら、続きを話す。

「この街は、人口五百人程度の小さな集落だ。その中でも、半数以上を高齢者の老人が、残りを身寄りのない若者によって成り立っている。……要するに、他に行き場も身寄りも無い人の集まりってことさ」

 お前と同じでな。と言って、青年は更に言葉を続けた。

「だから、お前が本当に行くあても無いというなら、この街に住んでくれても問題なし。勿論、見合った労働はしてもらうけどな。働かざる者食うべからずが原則だ」

「……………………」

 俺は、何も答えることが出来ずに俯いた。

 確かに、他に行く当てはない。

 ……だけど。そもそも、このまま生き続けたところで、どうなると言うのだろう。

 こんな、終わってしまった世界で。

 生き続ければ、この状況は、少しは良くなるのだろうか?

 良くなるとして、その時俺は、未だ生きているのだろうか。

 もし、世界がもう少しマシな状況になったとしても……死んでいった皆が生き返るわけでもないと言うのに。

 親も。友達も。……大切だった人も。

 みんなみんな、死んでしまった。

 それで、気付いた。

 ……俺には生きる目的が無いんだ。

 でも、死ぬのは怖い。死ぬのは苦しい。死ぬのは辛い。死ぬほどの痛みなんて、味わいたくはない。

 ……だから。

「……わかり、ました」

 俺は俯いたままで、小さく頷いた。

「分かった。とりあえず、今日はこのまま眠るといい。詳しいことは後で決めよう」

 そう言って、青年は俺の肩に手を置くと、そのまま僕をベッドに倒した。

「……………………」

 自分で思っていたよりも、身体は疲れていたらしい。横になった途端、とてつもない睡魔が、全身を襲う。

「おやすみ。遅くなったけど、歓迎するよ、明」

 ――最後に、眠りに着く直前。耳に届いた言葉は、凄く優しくて――頼りがいがあった。



「――――」

 瞼を開けると、見慣れない天井が広がっている。

 自分が居る場所が、一瞬何処だか分らなかった。

「目が覚めた?」

 見知らぬ女性の声。それで思い出す。ああ、ここは――

「…………よいしょ」

 身体を起こす。視線を窓の外に向けると、既に日は暮れていた。医務室……というよりも、学校の保健室みたいな部屋。その、窓際に添え付けられたデスクの椅子に、一人の女性が座っていた。

 セミロングの黒髪に白衣を着た、青野さんと同年代くらいの女性だ。

「おはよ。えっと……明くん?」

「あ、はい」

 唐突に名前を呼ばれて少し面食らうが、素直に頷いた。

「よかった。一回しか名前を聞いたことが無かったから、間違ってたらどうしようかと」

 ほっとしたように胸を撫で下ろし、へにゃっとした笑みを浮かべる女の人。俺よりも幾分か年上だろうのに、妙に幼さを感じさせるような、そんな笑みだった。

「えっと……」

「あ、そっか。私は浪川。浪川 美野里。いちおー、この医務室の主かな」

「浪川さん」

「みのりちゃんでも良いよ?」

 ……年上の女性をちゃん付けで呼ぶのは、俺にはちょっと難易度が高い。

「……浪川さんで」

 答えると、浪川さんは何処となく悪戯っ子っぽい笑みを浮かべて「じゃあそれで良いよ」なんて答えた。

「とりあえず、しばらくの君の世話は私が受け持ったから。今日はそのベッドを使ってね。未だ部屋の用意が出来てないからねー」

「はぁ……」

 間の抜けた言葉を返す俺に、浪川さんはもう一度笑って、再び机の方に向き直る。

「こんばんは。明はいる?」

 再びベッドに身体を倒そうとしたところで、医務室の戸を開いて、青年……太陽さんが顔を出した。

「お、目が覚めたか。丁度良かった」

 俺の顔を見て、にこりと笑った太陽さんは、足元に置いた段ボール箱を肩に担ぎ、ベッドのすぐ横にまで歩いてくる。……箱?

「身体の調子はどうだ?」

「あ……はい。まあ、そこそこ……」

 ……とりあえずお腹が減っているのだけど、今それを口にするのはなぁ……。

「ははっ。大丈夫か? 腹減ったって顔してるけど」

 ……見透かされていた。

「太陽くん。明くんは寝起きなんだから、あんまり無理させたら駄目だよ」

「はいはい。悪かったよ」

 浪川さんが少しだけ咎めるような口調で言うと、太陽さんは頭を掻きながら苦笑した。

「でも、先に会わせておこうと思って」

 そういうと太陽さんは、肩に担いだ箱をゆっくりと床に置く。どうやら上の蓋が空いているようだがベッドに寝ている俺からでは、その中身は見えなかった。

 ……というか、会わせるって。

「ほら、月香。たまには出てこい」

 俺の疑問を知ってか知らずか、太陽さんは箱を見下ろして優しい口調で声を掛ける。

「……まったく。やれやれ」

 太陽さんは箱に手を突っ込むと、よいしょという掛け声とともに、その中身を引きずり出した。

「――――――――」

「……………………」

 そこには、どこか見覚えのある、とんでもない美少女の姿が――

「――って、えぇえええ!?」

 太陽さんに腕を抱えられた、仏頂面の美少女は、どう見ても今日の白昼夢に出てきた少女で。……というか、白昼夢じゃなかったんだな。

「こいつは俺の妹でさ。ちょっと変わった子だけど、仲良くしてやってくれ。ほら、月香、挨拶」

 唖然とする俺に、月香と呼ばれた美少女は、太陽さんに抱えられたまま白っぽい肩口の髪を揺らしてこくりと頷き、抑揚のない声で、呟く。

「青野、月香」

「……は、はは」

 で、再び頷く月香と名乗った少女に、俺の口からは思わず力の無い笑みがこぼれた。



 そんでもって次の日。朝食を終え、用意された服に着替えた俺は、迎えに来た太陽さんに連れられて医務室から出た。

 見覚えは無いのに、何処か懐かしい感じのする建物の、リノリウム製の床を歩きながら、思わず呟く。

「ここって……医務室っていうより……」

「そ、まんま学校の保健室。というかこの建物自体が、古い中学校を再利用してるのさ」

 隣を歩く太陽さんが、相変わらずの爽やかな笑みを浮かべて答えた。因みに、今日の彼は箱を持っていない。……妹さんは、今日は居ないようだ。

「……ん。なに?」

「いえ……別に」

 太陽さんから視線を逸らして答える。気にはなるけど、興味本位だし。それよりも聞きたいことは他にあった。

「それで、これから何処に連れて行こうと言うんですか?」

「ああ。とりあえず街中を案内しておこうと思ってさ。それと、これから世話になる人への挨拶とか」


 そして。俺は太陽さんに連れられて、小さな街中を歩いて回った。街の状況は、俺が今までに回ってきた街とあまり変わりはない。ただ一つ、すれ違う人たちや、太陽さんに紹介される人たちが皆、高齢者か、どう見ても成人式も迎えていない少年少女達しか居なかった事を覗けば。だ。

「昨日も言ったけど、この街にはいわゆる『大人』が居ない。身寄りのない若者や、戦えないご老人ばかりだ」

 両端を田んぼに挟まれた農道を歩きながら、太陽さんが説明をする。

「この街の四方は山で囲まれている。他の街に繋がっているのは幾つかのトンネルと細い山道。それと、君が歩いて来た高速道路くらいしかない。その内のトンネルは潰れているし、山道も荒れ果てていて人が通れるような状態じゃないから、自由に交通できるのは高速道路だけだ。食糧はほぼ完全な自給自足。電気だけは、山の上にある発電所が動いているからどうにかなっているんだけどさ」

 文字通りの陸の孤島さ。なんて言って、太陽さんは笑った。

「……どうしてこの街に? だったら、他の街に行けば……」

「無理だ。さっき言ったろ? 道は高速道路しかないし、他の街との距離はかなり遠い。そんな中を、ご老人が歩けると思うか? 安全は確保されていない。寝たきりの人もいる。そして、それが出来る大人は皆出ていってしまった。ますます絶体絶命だ」

 そこで、太陽さんは一度言葉を切って、息を吐く。

「彼らは、この街から出ることが出来ない。このご時世だ。野盗、強盗の類はそこら中に居るし……それに、此処を攻めてきた奴らも居る。そういうのが攻めてきた時、彼らは逃げることも戦うこともできない。幸い、この街の場所は未だ特定されていないようだけど、それも時間の問題だろう。……だから」

 太陽さんは、足を止めると、視線を学校――俺が昨日泊まったのとは別の学校だ――に向ける。

「だから、俺達が居る」

 自営団の拠点代わりに使われている学校。その校庭には、何人かの若者たちが、一年前の日本では考えられないような武器を抱えて訓練をしていた。

「俺達は君と同じ、身寄りも行く当ても無い若者たちだ。他に行く所の無かった俺達は、流れに流れてこの街に辿り着き――それで、徒党を組んだ」

「……………………」

「丁度良かったんだ。彼らには身を守る術がない。俺達には安住の地が無い。だから互いに力を合わせて、この街を守ろうってことになったわけさ」

「それで、太陽さんがリーダーを務める様になったと」

 太陽さんは苦笑を浮かべて頭を掻くと、「なんだかなぁ」と呟いた。

「単に年長者だからって選ばれただけさ。リーダーらしいことなんてほとんどしていない。ある程度決まり事を決めたら、後は皆、結構勝手に動いてるしなー」

「そういうもんですか」

「そういうもんさ」

 そう言って、太陽さんが再び歩きはじめた。遅れないように、俺もその背中に付いていく。

「さて。そろそろ良いかな。そろそろ戻ろうぜ、明」

「戻る?」

「もと居た学校。案内も大体終わったし、今日はこのまま次の話に入ろうかとさ」

「次って…………」

 問い返す俺に、太陽さんは俺の方を見て笑うと。

「――働いて貰うって、言っただろ?」


「お、いたいた」

 学校に戻ると、昇降口の前に髪の長い女の人が立っていた。昨日、医務室の中に立っていた女性の一人だ。

 太陽さんは早足に女性の前に行くと、頭を掻きながら彼女に話しかける。

「わり。待たせたか? エマ」

「当たり前だろ。遅いよ、アオ」

 エマと呼ばれた女性は、不満そうに唇を尖らせると責めるような口調で言った。そして、俺の方に目を向けて、快活そうに笑う。

「や。彷徨少年。久しぶり」

「久しぶり……ですか?」

 はてと首を傾げた。はたして俺は、何時か彼女と出会ったことがあっただろうか。

「ま。覚えてないだろうね。あの時、アンタ気絶してたし」

「?」

「彼女が、倒れていたお前を引き摺って来てくれたのさ」

 ますます首を傾げる俺に、太陽さんが説明してくれる。

「そういうこと。アタシは楠エマ。名字は好きじゃないから、エマって呼んでくれたら良いよ」

 そう言って彼女は笑うと、俺に手を差し出した。

「はあ、それじゃあ、エマさんで」

 答えながら、俺はその手を掴む。恐らくは歳上であろう女性を名前で呼び捨てにするのは、さすがに躊躇してしまったのだ。

 エマと名乗った女性は、癖のある赤い髪を伸ばした、可愛いというよりも美人と言った感じの人だった。白いシャツの上に革のジャケットをはおり、ベルトに幾つものポーチの付いたジーンズを履いている。

 それだけなら、まるで女性ロックシンガーといった風貌だが、困ったことにその背中に担いでいるモノはギターケースではなく全長1メートルはありそうな銃だった。

「エマには明の実践訓練の教官をしてもらう。二人、ちゃんと仲良くしろよなー?」

 エマさんの背中の銃に目を奪われている間に、太陽さんが何時もどおりの爽やかな笑みを浮かべながら、良く分からない事を言った。

「え……っと?」

「さっき言ったろ、働いてもらうって。ここに居るからには、明には俺達の自衛団に入ってもらうことになる。銃を使ったことは?」

「いえ……ない……です」

 銃どころか、そもそも戦闘行為自体行ったことがない。喧嘩すら殆どしたことがなかったりする。

「そっか。じゃあ丁度良いな。こっちのお姉さんに、一から教えてもらえ。銃器の扱い、格闘訓練。そういうの全部さ。大丈夫、このお姉さん、顔は怖いけど教え方は上手いから」

「はっはっは。誰の顔が怖いってー?」

 エマさんが、額に青筋を立てながら笑顔で太陽さんのシャツの首筋を掴んだ。何この人怖い。

「ちょっ……タンマ、タンマ……。ほらね、怖いでしょこの人――がふぅっ!?」

 エマさんの左拳が、太陽さんの鳩尾にめり込む。太陽さんは短く息を吐くと、前のめりにその場に倒れ込んだ。……うわぁ。

「あ……あはは! 全然怖くないから! 優しいからアタシ!」

 怖いです。すげー怖いです。今、太陽さん3センチくらい宙に浮いてたんだけど。

「と、とりあえず明だっけ? これからよろしく!」

「は……はぁ……」

 再び差し出された右手。けど、今度は掴むのがちょっと躊躇われた。

「……てて。んじゃ、明の訓練は明日からということで」

 太陽さんがお腹を押さえながら立ちあがる。

「オッケー。じゃあ明、明日の朝9時からここに集合な」

「はい」

 エマさんの言葉に、俺は素直に頷いた。

 ……この人には逆らわない方がよさそうだ。うん。

「あーえっと……と、ところで、アオ……!」

 エマさんは俺から太陽さんの方に顔を向けると、視線をそらしながら、何処か言い辛そうに頭を掻いた。

 気持ち、頬も赤く染まっているのだけど。……もしかしてこの人。

「?」

 太陽さんがエマさんを見て、不思議そうに首を傾げている。エマさんはこちらにも聞こえてきそうな程、ごくりと唾を飲むと、視線を青野さんに向けて、口を開く。

「あ、あの、アオさ――! い、今から……」

「……太陽さん」

 ――と。そんなエマさんの覚悟を、彼女の背後から聞こえた声が、あっという間に邪魔をした。

「あ、暁。どうしたんだ?」

 太陽さんの、少し抜けた声が響く。エマさんは……口を開けたまま固まっている。で、そんなエマさんの後ろ……つまり学校の中から、一人の男が、顔を出した。

「……………………」

 歳は、多分俺と同じくらい。柔らかい黒髪に、黒いパーカー、黒いジーンズ。少し幼さの残る顔立ちに、つり目がちの瞳を眼鏡で隠した、何処か冷たい感じのする細身の少年だった。

「……………………」

 その姿を見ていると、ふと、彼の方も俺に目を向けた。無言の視線が、俺の視線と重なり合う。

「…………う」

 ……なんだろう。何となく苦手だ。コイツ。

「暁? どうしたんだ?」

「ああ……太陽さん、月香が呼んでましたよ」

 暁と呼ばれた男は、俺から青野さんに視線を戻すと、抑揚の無い声で答える。

「え? あー……そっか。わかった。すぐに行くよ」

 太陽さんは頭を掻くと、咄嗟に校舎の中へと走り出そうとして――ふと足を止めて、暁の身体を引っ張る。

「っと。そうだそうだ。折角だから暁の紹介もしておくか」

「わ……っ」

「コイツは暁。俺の参謀みたいなことしててさ、ぶっちゃけ、俺よりも真面目に働いてくれてる。ほい、暁、挨拶」

 太陽さんに背中を押されて、暁はよろめきながらも数歩前に出て、俺と相対する。

「……阪上 暁。よろしく」

 暁はずれかけた眼鏡をおさえながら、無愛想に呟く。

「あ、うん……俺は、柳川 明」

 ……暁は俺の顔を見ないように視線をそらしている。俺も、彼から視線をそらした。

「……じゃあ、僕はこれで。今から用があるから」

 早口に言って、暁は早足に学校の外へと早足で歩いていく。

「んじゃ、俺も行くわ。月香が呼んでるらしいからな」

 そう言い残して、太陽さんも苦笑しながら校舎の中へと去っていった。

「…………」

「…………」

 そんで、残される俺と、固まったままのエマさん。

「…………はぁぁああ」

 エマさんが肩を落として大きく息を吐いた。

「くそ……っ。暁の奴、なんであのタイミングで現れるんだ……。空気読めよ……いや、逆に空気読めてるのかもしれないけどさ……」

 俯いたまま、エマさんは何やらぶつぶつと呟いている。ちょっと怖い。俺は少し考えた末に、控えめにエマさんに話しかける。

「あー……あの、エマさん」

「…………なに」

 ギロリと睨みつけられる。怖い。凄い怖い。下手なことは言わない方が良いんだろうこれは。うん。

「大体いつもこうだよ……アタシとアオが二人っきりになろうとするとさ……。何時だって邪魔が入るんだ……ほんとに……」

「あ……あの……俺、これで失礼しますね」

 ぶつぶつと呟くエマさんに気付かれないようにこっそりと、俺はその場を立ち去った。

 なんというか……特に知りたくも無かった人間関係(一方通行)を知ってしまった気が……。

「…………いや、関係無いんだけどね」



 次の日の朝。朝食を終えて服を着替えた俺は、昨日言われた通りの時間に昇降口に行く。

 すると、昨日と同じ格好をしたエマさんが、右手に拳銃を持って待っていた。

「お、きたきた。遅いぞ明」

「すいません……」

 僕が頭を下げると、視線の先に彼女が持っていた銃のグリップが突き出される。思わず顔を上げると、エマさんは平然と答えた。

「ほい。これがお前とこれから生死を共にする相棒ね。手入れはこまめにすること」

「あ、はい」

 おずおずとグリップを握ると、ずしりとした重さが手にかかる。掲げる様に銃口を上に向けて、その銃身を見つめる。

「そんなにびくびくしなくても、弾倉は刺さってないから弾は出ないよ。んじゃ、こっち来な」

 エマさんは、俺の事をみておかしそうに笑うと、踵を返して歩きはじめた。その背中に、遅れない様についていく。

 そのままエマさんの背中についていくと、校庭の隅にある純和風の建築の前に到着した。

「ここって……弓道場……ですよね?」

「そ……射撃の練習にはもってこいだろ?」

 ……確かにその通りかもしれないけれど、どうなんだろう。

 エマさんは弓道場の戸を開けると、土足のままで道場に上がっていく。俺は少しだけ躊躇しつつも、道場の中に入った。

 道場の隅には、様々な銃器や弾倉が置かれており、とても弓道場とは思えない。射場から的場へと目を向けると、的に貼られているのは映画か何かで良く見るような射撃用のものだ。

「さて……そんじゃ、その銃貸して」

「あ、……はい」

 俺は拳銃の銃身を持つと、グリップをエマさんの方に向けて差し出す。

 エマさんは俺の手から拳銃を取ると、左手に持った弾倉を刺した。

「はい。これで準備完了」

 再び向けられたグリップを、俺は無言で握りしめた。これでもう、人を殺す事が出来る。そう考えるだけで、さっきまで持っていた時よりも、随分と重く感じる。

「弾倉は入ってるけど、スライドも引いていないし、今は安全装置が掛かってるから、いきなり弾が出ることはない。だから大丈夫だよ。本当は解体と組み立てとか、全部自分でできるようにならないといけないんだけど、今日はとりあえず基本的な使い方だけね」

 そう言って、エマさんは再び俺の手から拳銃を奪うと、拳銃の横面を僕に見せる。

「これを降ろすと引き金が引けるようになる。そんで、ここを押すと弾倉が落ちる」

 エマさんの手がスライド後部にあるレバーの様なものを二三度上げ下げし、次にグリップについたボタンを押すと、弾倉がエマさんの左手に滑り落ちた。

 エマさんは弾倉を再び戻すと、スライドを引いてセーフティを降ろす。そのまま片手で的の方に狙いを付けると、引き金を引いた。

「――――っ!?」

 ――瞬間、聞いたことも無いような轟音が、弓道場の中に響き渡った。

「――と、まあこんな感じ……って、どうしたの? ぼーっとして」

「み……耳が……耳が……」

 鼓膜が破れたかと思った……マジで。というか、エマさんはどうしてこんなキョトンとした顔をしているんだろう。……慣れなのか?

「んー……んで、どうしたって?」

 エマさんは耳に指を突っ込むと、耳栓を取り出して、再び俺に聞き直した。

「――って、なんですかそれっ!?」

「いや、見ての通り耳栓だけど」

「んなことはわかってますよ! ていうか何時の間に!?」

「ん? そりゃあ、撃つ前に」

 全然気が付かなかった……。そもそも、撃つにしても先に言って欲しかったし。

「はは。そう言うわけで、射撃訓練を行う時は必ず耳栓を着用の事! これ、新品の耳栓ね」

 そう言って、エマさんは僕の手のひらの上に二つの綿の様な耳栓を乗せた。

「あと、これ。セーフティは掛けてあるけど、撃つ時以外は引き金に指を掛けないように」

 耳栓を左手に移し、僕は三度向けられたグリップを握った。自分の手のひらの上で、エマさんの言っていたセーフティを確認する。

「そんじゃ、これから撃ち方の練習ね。びしばし行くから、覚悟しときなよ?」

 エマさんが、その綺麗な顔を歪めてにやりと笑う。

 ……いや、だから怖いですって。


「……ま、とりあえずこんなもんかー」

 十個目の弾倉を空にした所で、エマさんが呟いた。

「そんじゃ休憩。はいセーフティロック! 弾倉を落とす!」

 言われた通り、安全装置を掛けて空になった弾倉を取り出す。俺はその場に座り、床に銃と弾倉を置くと、耳栓を外してがっくりと肩の力を抜いた。

「どう? 腕の方は」

「……痺れます」

 素直に答えると、エマさんは楽しそうに笑う。

「ま、最初は皆そんなもんだよ。その内慣れるさ。……弾が的に当たるようになるかまでは、保証できないけどさ」

「……………………」

 反論しようにも、全く正論である上にそんな気力も無いので、結局何も答えることが出来ずに項垂れるだけだった。

 だが、あえて反論するなら、今まで銃になんて触ったことも無い俺が、いきなり実銃を持たされて何十メートルも離れた所にある的に当てろという方が無理な話なのだ。

 エアガンですら殆ど撃ったことも無いのに、実際の拳銃はそれに加えて強い反動が手にかかる。普通、当たらない。

 ……と、思う。

 俺が特別、下手なわけでなければ。

「ほい」

 そのまま項垂れていると、エマさんが道場の隅に置かれた掃除用具入れから箒とちり取りを持ってきて、俺の前に突き出してきた。

「……なんでしょう、これ」

「なにって掃除だよ。ほら、アンタの撃った銃弾の薬莢がそこらに転がってんじゃん? これ、全部自分で片付けること。それがルール。オーケー?」

「……………………」

 ……鬼かと。

 こっちは慣れない射撃で心身ともに疲労困憊だというのに、それに加えてこれですか。

「ん? 何か不満でも?」

「別に……」

 ……まあ、言っても仕方が無いので、俺は大人しく立ち上がると、震える両手で掃除用具を受け取った。

 ……この手で転がる薬莢全部を片付けるのは、結構大変そうだ。

 微かな期待を込めてエマさんに目を向けるが、エマさんは道場の隅の方に座って、彼女がずっと背中に抱えていた銃を分解して手入れなんてしている。手伝う気はさらさらないっぽい。

「……鬼だ」

 かなり小さく呟いた筈なのに、エマさんは鋭い視線をこちらに向けてきた。マジ怖い。

 僕ははぁ。と大きく息を吐いて、薬莢を先の割れた箒で掃きはじめた……。

「やっほー! おっじゃましまーす!」

 ……と、こっちが精神的疲労を助長するような作業を行っていると、腹が立つくらいに能天気で明るい声が、道場内に響き渡る。

 はて、誰だろう。視線を道場の入り口に向けると、そこには、黒い短髪の少女の姿があった。

「おっとー? こんな時間に先客が居るとか珍しい……って、エマちゃんじゃん!」

 少女はきょろきょろ弓道場の中を見渡して、エマさんが居る所で視線を止める。エマさんは、床に広げた銃のパーツから視線を上げると、その少女の前で目を止めた。

「なんだ、美月じゃん。今日も射撃訓練?」

「おうよ!なんかもう趣味みたいなもんだからね!」

 美月と呼ばれた少女は、グッと親指を立てて楽しげに笑った。エマさんはそれを見て苦笑を洩らすと、再び銃の手入れに戻ってしまう。どうやら、二人の会話はそれでおしまいらしい。

 少女は軽い足取りで射場まで来ると、俺の隣に並び、ふと、俺の方に目を向けた。

「ん? あれ、貴方って……」

「え、俺?」

 少女は俺の前まで来ると、頭一つ低い場所から見上げてくる。

「んー……? 貴方、何処かで会ったことない?」

「え……?」

 言われて、俺も少女に目を向けた。黒髪の短髪に、幼さの残る顔立ち。多分、俺よりも何歳か年下だろう。背は低く、華奢な身体つき。黒いノースリーブのシャツに、同色のプリーツスカートとレギンス。首には射撃用の耳当てをかけており、腰のベルトにはエマさんと同じく拳銃の収まったホルスターと、沢山のベルトポーチを吊るしている。

 ふむ、確かに何処かで、見たことのあるような……。年下の女の子と会話する機会なんて、そうそうなかった筈なんだけど……。

「ああ。そいつ、昨日アタシが拾ってきた奴だよ。美月も医務室に居ただろ?」

「あー、だからか!」

 エマさんの言葉に、少女はぽんっと手を叩いて、納得したようにうんうんと頷いた。

 そっか……あの時の記憶はおぼろげなのだけど、確かにこれくらいの背の低い少女が居たような気がする。

「あたし、美月ね。よろしく新入りぃ!」

 少女……美月は、腰に手を当てて胸を張ると、何処か得意げに言った。

「ああ、うん……よろしく」

 俺はとりあえず頭を下げると、ホルスターから銃を抜く美月から踵を返し、エマさんの前まで歩いていく。

「……あの、エマさん」

「ん? なに?」

 エマさんは解体した銃を再び組み立てながら俺に視線も向けずに答えた。

「いや……美月ちゃんでしたっけ。あの娘、何歳ですか?」

「……なに。気になる? 明くん、もしかしてロリコンですか?」

 違います。

「そうじゃなくて、あの娘、どう見ても中学生くらいですよね?」

「うん。今年14歳くらいだっけ。……なにー? やっぱりロリータコンプレックス……」

「違いますっ! ……だから、そんな小さな子にまで、戦わせるんですか?」

「あー。そっちか」

 組み上げた銃を床に置くと、エマさんは意地の悪い笑みを浮かべて俺に目を向ける。

「そんな気にしなくても、16歳以下の奴は基本的に訓練生ってことになってるから、有事でもなけりゃそう危険はないよ。ただし……」

 エマさんがぴっと人差し指を立てて、少女の方に向ける。

「アイツは、別」

 俺が後ろを振り向こうとした途端、連続して轟音が鳴り響いた。

 驚いて振り向くと、耳当てを当てた美月が左手で拳銃を構えていた。その銃口からは白い煙が上がっている。

 美月は早い動作で拳銃を腰のホルスターにしまうと、右手で腰背面のホルスターから、先程とは違う銃を抜く。そのまま右手で的に向け、セーフティを降ろし、引き金を引く。

 再び連続で轟音が鳴り響き、僅か数秒で的が粉々に砕け散った。

「相変わらずとんでもないねー。アンタは」

 いつの間にか、エマさんが美月の隣に立って苦笑を浮かべていた。俺も美月のすぐ隣まで行き、彼女が手にしている拳銃を見る。

「なんか……凄いね」

「お? お兄さん、これの凄さがわかるー?」

 美月が耳当てを首に掛けて、嬉しそうに笑いながら手に持った銃を見せつけた。

 俺が持ってる拳銃とは形が違う。グリップは木製だし、突き出した弾倉が引き金の前にある。拳銃とサブマシンガンの中間みたいだ。サイズも、少女の小さな手のひらには少し大き過ぎる気がする。

「これ、モーゼル・ミリタリーって言ってね。旧ドイツの傑作拳銃! 片手で振りまわせるし、カービン代わりに使えるくらい火力も強いから、そりゃあもう最高なわけ!」

 言いながら、美月はセーフティを掛けて弾倉を落とすと、先程まで刺さっていた弾倉よりも短い弾倉を銃に差し込み、耳掛けで耳を覆う。

「見てて!」

 美月は俺の方を見て楽しそうに笑うと、銃口を的場の方に向ける。ただし、弓道場の端の的へと。

「……って、ちょっと待っ――!?」

 俺の制止も聞かず、美月が銃を水平に向けて、引き金を引いた。

「――――っ!!」

 すぐ近くで轟音が連続で響く。水平に向いた拳銃は、発射時の跳ね上がりによって的場全体を薙ぎ払うように弾をばら撒いた。

「――っと、馬賊撃ちって言ってさ、凄いっしょ!? ……あれ、どうしたの?」

「……いや、確かに凄かったけどさ」

 俺は両耳をおさえながら、キョトンとした顔で見上げてくる美月に、苦笑いを浮かべる。

 ……うん。確かに凄かったけどさ、撃つなら先に言って欲しかった。耳栓貰った意味が全然ないじゃんか。

「こら美月」

「あたっ」

 いつの間にか退避していたエマさんが、美月の後ろに回り込んでその頭をごつんと叩く。

「危ないことするなって言ったでしょ。罰としてこれ没収」

「あ! あー! あたしのモーゼル!」

 エマさんは美月の頭を押さえたまま、彼女の手から拳銃を強引に奪い取る。

「やかましい。ほら、もう一つの方も出して。で、校庭10周」

「えーー!?」

 声を上げる美月の頭に、エマさんがもう一度げんこつを落とした。

「うえぇ……」

 嘆くような声を出して、美月は腰のホルスターから今持っていたものと全く同じ拳銃を出すと、グリップをエマさんの方に向ける。エマさんがそれを受け取ると、美月は肩を落として踵を返すと、うなだれたまま道場の外へと向かった。その背中を見ながら、エマさんは小さくため息を吐く。

「まったく……ん? どしたの明。これ見つめて」

「あ……いえ、なんでも」

 俺がエマさんの手の中にある拳銃を見つめていると、エマさんが拳銃からマガジンを抜いて銃口を上に掲げた。

「……これ、使いたいの? だったらやめといたほうがいいよ。そんな簡単に扱える代物じゃないから」

「え、でも……美月は普通に使ってましたけど」

 エマさんははぁと息を吐くと、銃口を揺らしながら言葉を続ける。

「だから、アイツは別なの。そもそも、小銃並の火力を片手で振り回せるようなサイズで発射したら、反動がどうなるか分かるだろ。明、今さっきまで使ってた銃の倍以上の反動を抑えきれると思う?」

「無理です……」

 即答する俺。そもそも、今使っている拳銃ですら、俺の腕は反動で痺れて困っているというのに。それ以上の反動で狙いを付けられるわけが無い。

「だろ。普通、この後ろにストックを付けて、ようやくまともに扱えるような銃なのに。アイツ、これを片手で……しかも二丁で使いやがるからね。ああいうのが、天性の才能って奴さ」

「アイツは別ってのはそういう意味ですか……」

 常識外れの射撃センス……か。なるほど。それなら、あの歳で戦闘を任されていてもおかしくはないけど……。

「そうさ。……ま、ああいう天才の事は置いておいて。お前やアタシみたいな凡人は、ちゃんと基礎から練習しましょうねってことで……。じゃ、練習再開な」

「えっ……」

 俺が小さく声を上げると、エマさんが不思議そうに首を傾げる。

「ん? もう十分休んだだろ?」

「いや……全然休めた気がしないのですが……!」

「与えられた時間内にしっかりと休息を取るのも練習だぞー? 敵は待っちゃくれないんだからな?」

 ……いや、まあ。それはそうだろうけど……。

 未だ渋る俺に、エマさんにっこりと似合わないくらいに爽やかな笑みを浮かべると、肩に手を置いて、言った。

「や・れ」

「……イエス・サー」



 正午を過ぎた頃、射撃訓練はお開きになった。

「じゃあ、明日も昨日と同じ時間にな。今日は昼から美野里に呼ばれてるんだろ?」

「はい」

 今日の朝、医務室から外に出る所で、美野里さんに呼びとめられた俺は、明日の昼間に、俺の部屋への家具の運び入れを手伝ってほしいと頼まれた。

 手伝うというよりもそもそも僕の事だし、何時までも医務室のベッドを占拠するわけにもいかないので、断るわけにもいかなかった。

「だから、今日はここまでだけど……明日からは、午後もびしばし行くからなー?」

「げ……っ」

 小さく声を上げる俺に、エマさんは楽しそうに笑うと、踵を返して去っていった。

「…………はあ」

 背中を向けて去っていくエマさんを見送りながら、俺は肩を落とす。と、後ろから足に何かがぶつかった。

「……………………」

 無言で後ろを振り向くと、そこには、ここ最近妙に見覚えのある箱が。

「……えっと」

 振り返り、とりあえずその場にしゃがんでみる。……と、箱の下から忘れることの出来ない顔が、ひょこりと出てくる。

 なんか、亀っぽい。

「……………………」

「あっと……こ、こんにちは」

「……………………」

 かなり長い沈黙の末、小さく頷く青野。昨日から思っていたけど、結構無口な子のようだ。……まあ、この状態から気さくに話しかけられても怖いだけなのだけど。

「えっと……お、俺の事覚えている?」

「…………柳川、明」

 相変わらず抑揚の無い声で、青野が答えた。

「……………………」

 青野は頭を再び段ボールの中に入れると、そのままむくりと立ちあがる。箱を両手で支えて、帽子のように頭に被っている。

「………………」

 どんよりとした瞳が俺の顔を覗きこんでくる。ただ……何と言うか、黙って立っていると、青野はやっぱり物凄い美少女で。直視されると少し照れる。

「あー……えっと……その」

 俺は視線を彼女から外し、頬を掻きながら話題を探す。

「……あ、そうだ。あのさ、あの日どうしてあの場に居たのさ?」

「………………?」

 首を傾げる青野に、俺はしどろもどろになりながら言葉を続ける。

「あーっと。俺と出会った時……その、一昨日さ、どうしてあの高速道路に居たのかって」

 箱に入って。と付け加えたい所だったが、この娘なら何時でも箱に入ってそうなので言わない。

「……………………」

 青野は、視線を上げてしばらく硬直すると、突然はっと声を漏らして、再び僕に目を向けた。

「あの日、わたし、あの場所、見張り、だった」

「見張り? じゃあ、青野も自衛官なのか」

 青野は頷くと、抱えた箱の中に両手を突っ込んで、しばらくごそごそと音を出した後、一丁の拳銃を取り出した。

「そ、そっか……それであの場所に居たんだな……」

 仏頂面の青野に、苦笑いを浮かべながら答える。お前あの時寝てただろとか、そもそもその拳銃何処から出したとか、色々と突っ込みたいところだったのだけど、あえて突っ込まないことにする。

「…………えーっと」

 ……そして再び無くなる話題。というか青野も用が無いなら無いでさっさと去れば良いのに、どうしてここに居るんだろう。

「……あ、じゃあ俺はこれで……」

「……あ、居た。月香」

 俺がその場を去ろうとすると、俺のすぐ後ろから、暁が姿を見せた。

「…………あ、」

「……………………」

 暁は、眼鏡の下の切れ長の瞳で俺を睨みつけると、視線を青野の方に向けて問う。

「今日は早かったんだな」

「……………………」

 青野は無言で暁の方を見て、こくりと頷く。暁はそっか。と呟くと、再び俺の方に目を向けて、言った。

「なあ、そこに立たれてると邪魔なんだが」

「え……あ、」

 そう言えば俺、弓道場の扉の前に立っていたんだった。慌ててその場を退くと、青野は俺に目を向けて小さく頷き、箱を頭に被って弓道場の中へと入っていった。その後ろを、暁が視線を外して無言で付いていく。

 ……やっぱり、なんとなく暁の事は苦手だ。青野も良く分からないし……。

「というかあの二人……仲、良いのかな?」

 弓道場の中に入っていった二人の背中を思い出しながら、俺は小さく呟いた。



 で、午後。俺に用意された部屋。というのは、その学校の二階にある茶道部の部室だった。タンスや机といった家具と、一人用の布団を運び込んだところで、浪川さんが苦笑を洩らしながら呟く。

「ごめんね、こんな部屋で。もっと広い部屋が良い?」

「いえ、丁度良いんですけど……ちなみに広い方が良いって言ったら、どうしてくれるんです?」

「生徒を40人以上収容できる教室をお勧めしてあげる。沢山余ってるし」

「このままで良いです」

 あまり広い部屋で寝るというのは、なぜか不安になる。貧乏症なのかもしれない。そんな事を言うと、浪川さんは苦笑しながら頷いた。

「わかるわかる。あんまり広いと落ち着かないのよねー。あ、何か必要なものがあったら言ってね。出来るだけ用意してあげるから」

「はい。ありがとうございます。……というか、浪川さんもここに住んでいるんですか?」

「んー? うん。ここの宿直室にねー。私は医務室勤務だし、ここに住んでる方が色々と楽なの」

 浪川さんは、建てつけの悪い窓を開けようと格闘しながら答える。

 なるほど、朝食の用意とかしてくれていると思ったら、ここに住んでいたのか。

「住んでいるのは浪川さんだけですか?」

 言いながら、俺は浪川さんの隣に立って、窓を開けた。

「ありがと。ううん。一緒に住んでる妹が居るよ。明くんが会ったことは……あるようなないような?」

 …………?

 微妙なニュアンスの籠った台詞だな。あるようなないようなって……一体なんだ。

 それにしても、浪川さんの妹さんか……。どんな娘なんだろう。

 何てことを、考えていたら。

「たっだいまー」

 なんて、何処か聞き覚えのある明るい声が、開け放した窓の外から聞こえてきた。

「……あ、おかえりー美月ちゃん」

「美月?」

 浪川さんが窓から顔を出して手を振っているので、俺も同じように顔を窓から出して、下に目を向ける。と、そこには、今日の朝に出会った天才少女の姿が。

「あ、あの時のお兄さんだ! やっほー!」

「あ……うん……」

 射撃の天才こと美月は、俺に気が付くと顔を煌めかせて手を振ってきた。なにが嬉しいのか、ぴょんぴょんとその場でジャンプまでしている。

「待っててねー! すぐそこ行くから!」

 そう言い残すと、美月は学校の昇降口に向かって走り始めた。その様子を上から見下ろしながら、浪川さんが感心した顔で呟く。

「ありゃ。明くん、随分と気に入られちゃったね」

「なんででしょうね……」

「んー。まあ、感覚で生きてる子だからねー」

 なんとなく気に入るところがあったんでしょう。なんて浪川さんが適当に答えていると、どたばたといううるさい音を立てて美月が部屋に滑り込んできた。

「お兄さーん!!」

「お、おおう……!?」

 美月は勢い良く抱き付いてきて、思わずよろめいてしまう。背も低いし身体も華奢なので普通に受け止められると思ったのだが、腰に吊り下げた腰に吊り下げたポーチや拳銃の重さを考えていなかった。

「あ、お姉ちゃんただいま!」

「はいはい、おかえり。ご飯未だだから、さっさと着替えてきなさいな」

 浪川さんが苦笑しながら言うと、美月は眩しいくらいの笑顔を浮かべて頷く。

 そして俺から離れると、部屋を一度見渡して、もう一度俺を見た。

「お兄さん、もしかして家に住むの?」

「ん? う、うん……そうだけど」

「そっか! じゃあ、これからよろしくぅ!」

 美月は俺に照れたような笑顔を浮かべて、くるりと踵を返して走り去っていった。

「……………………」

「あはは。……ごめんねー、うるさくて」

 僕が茫然と立ち尽くしていると、浪川さんが困ったような笑みを浮かべながら言う。

「いえ。良いんですけど……その、似てない姉妹ですね」

「んー……まあ、本当の姉妹じゃなかったり」

「そうなんですか?」

 浪川さんに目を向けると、浪川さんは頬をぽりぽりと書きながら、話を続ける。

「そ、ここに来る前の事だけどね。美月と私に血の繋がりはないの。……でも、10年近く前の話だから、私はあの子のこと、本当の妹だと思ってるよ」

「…………そうですか」

 小さく呟いて、僕は視線を落とした。

 血は繋がっていないと言っていたけれど、そんなのは些細な事だろう。今の浪川さんの言葉や、美月との短い掛け合いだけでも分かる。この二人は、本当にお互いを信頼していて、大切に思っている。

 そういう家族の絆を、今も持っている。

「……………………」

 妹……か。

「明くん」

「はい?」

 ふと、浪川さんが俺の方を向いて口を開いた。俺も、返事をしながら彼女の方に目を向ける。

「私のことさ」

「はい」

「お姉ちゃんって呼んでもいーのよ?」

「ぶほぉっ!?」

 思わず吹き出してしまった。いきなりなにを言いだすんだこの人は……!?

「やだー明くんきたなーい」

いや、きたないじゃなくてですね……。

「……というか、何言ってるんですか」

「だからね、君はこれからここで暮らすでしょ?」

「らしいですね」

「だったら、家族みたいなものじゃん」

 口元に指をやって、浪川さんはにこりと笑う。

「好きに頼ってくれても良いし、なんだったら甘えてくれても良いよ。もちろん、私もたまには頼ったり、甘えたり、時には叱ったりするかもしれないけどね」

「……………………」

 俺が何も言えないで沈黙していると、浪川さんはにへらっと笑って手を降ろした。

「ちょっと早いけど、夕食作っちゃうね。出来たら呼ぶから、それまではのんびりしておいて」

「――浪川さんっ」

 踵を返す浪川さんを、思わず呼びとめた。

「…………?」

「あ……えっと、その……」

 ……呼び止めたは良いのだけど、さて、俺は何を言おうとしていたのだろう。

「あー……その」

 頭を抱える。……結局、俺の頭にはなにも浮かばず、浪川さんに向けて頭を下げた。

「よろしくおねがいします」

「うん。よろしく」

 浪川さんは苦笑すると、俺の頭をぽんと軽く叩いてから、今度こそ部屋を出ていった。

「…………ふう」

 頭を上げて息を吐くと、後ろの窓を閉めてから、その場に腰を下ろす。

「……ちょっと、疲れたかな」

 呟くと、膝を抱えて顔を埋める。

 ……明日からは、日が暮れるまで訓練をして。それからは……僕も、彼らと同じように、銃を持って戦うことになるのだろう。もしかしたら、人を殺すことだって、あるかもしれない。

 実際の所、俺はまだ、状況をしっかりと掴めてはいなかった。この一年間、ずっと一人きりで街から街を転々としていたのだから、突然部屋を与えられて、これから一緒に生活することになるなんて言われても、実感が沸かない。

 おまけに、この三日間で出会った人々は、あの箱娘を筆頭に一癖も二癖もあるような連中ばかりだ。

 ……こんな所で、俺はちゃんとやっていけるのだろうか。

 実感は沸かないのに、不安ばかりが募っていく。

「……疲れた。な」

 もう一度大きく息を吐いて、俺は瞳を閉じた。



 そうして。俺がこの街に来てから、大体一週間が過ぎた。

「ようやく、的に弾が当たるようになったな」

「……………………」

 日課となったエマさんとの訓練で、俺はようやく的に弾を当てることが出来るようになっていた。

「って言っても、10発に1発くらいの割合だけど」

「ぐ…………っ」

 エマさんの台詞に地味にダメージを喰らいつつ、空になった弾倉を落とし、弾丸の詰まった弾倉に入れ替える。

「普通もう少し当たるようになると思うんだけどなー。お前、才能無いのな」

「うっさいです。集中できないんで黙っててください」

 銃を構え、的を狙いながら、エマさんの軽口に言葉を返すと、エマさんは愉快そうに笑った。

「ま、人は的よりでかいから、実践じゃもう少し当たるよ、多分」

「…………っ」

 引き金を引き絞った瞬間、銃口がそれて、弾丸は文字通り的外れな所に命中する。

「あーああ。ほら、集中力キレてるぞ。ちゃんと狙いな」

「……すみません」

 心の中の動揺をエマさんに気付かれないように、俺は一度息を吐いて構えなおした。

「とはいえ、的以外を撃つ機会なんてそうないけどな。物資の補給で外に買い出しに行く時ならともかく、街の警備をしている時に人を撃つ機会なんてない」

「そうなんですか?」

「そうだよ。アオから説明されなかった? この街って山中にあるし、道も高速道路だけだからさ。他人が入り込んでくることってまず無いんだよ。近くに山賊まがいの奴らも居るみたいだけど、場所がばれてないみたいで攻め込まれたこともないしさ」

「へー……」

 思わず感心してしまったが、良く考えてみれば、そうでもなければこんな若者と老人だけの街、すぐに野盗や山賊に攻め込まれてしまっていただろう。他の街の情勢を見てきたから分かる。国家機関も麻痺している現状、殺人、強奪はそこら中に溢れている。

「……じゃあ、この街の自衛官って殆どが」

「そうそう。ま、基本的な職務は街の警備とか、お爺ちゃんの仕事のお手伝いとか……あ、もちろん日々の訓練も仕事の内だけどね」

「なるほど……」

 納得すると同時に、両手で構えていた銃が、少しだけ軽くなった気がした。理由は分からないが、まあ、悪い事ではないだろう。

 エマさんは腕を上げて身体を伸ばすと、左腕に巻いた腕時計へと目を向ける。

「そろそろ良い時間かな? 明、昼休憩にしようぜ」

 頷いて、構えていた銃を降ろす。セーフティをかけ、弾倉を落とし、スライドを引いて弾丸を抜く。

「んじゃ、飯食ったら1時にまたここに。あ、ちゃんと片付けておけよ。じゃなー」

 銃弾をホルスターへ、弾倉をポーチに入れると、エマさんは既に弓道場の戸の前におり、僕に後片付けを全て任せると、さっさと出て行ってしまう。まあ、何時もの事だ。僕は大きく息を吐いて、部屋の隅にある掃除用具入れの元へと向かった。


 片づけを終えて、弓道場から出ると、玄関を出てすぐの所で太陽さんとエマさんが話していた。

「んじゃ、エマも見てないんだな」

「ああ。アタシは朝から明の訓練の相手をしてたしさ」

「そっか……」

 太陽さんが大きく息を吐いて、顔を俯ける。何時も気さくな彼にしては珍しく、何処か悲痛な、曇った表情をしていた。

「まあ、そんなに心配しなくても夜には帰ってくるさ。……そ、それよりさ」

「ん?」

 と、エマさんが乙女の様にもじもじと視線をそらしながら何かを言おうとしていると、顔を上げた太陽さんと目があった。

「あ、明くん。丁度良かった。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 太陽さんはエマさんを完全に無視して俺の前まで来ると、あまり見ない真剣な表情を俺に向けて、言う。

「悪いけど、月香の奴を見なかったか? 外の見張りに出ていた筈なんだけど、昼になっても帰って来ないんだ。もう交代の時間の筈なのに……」

「青野が? いえ、知りませんけど……」

 答えると、太陽さんはそうか。と顎に手を当てて呟く。

「分かった。ありがとう二人とも。それじゃ」

 そう言い残し、太陽さんは踵を返して去っていった。俺はそれを見送りながら、不思議な美少女の顔を思い出す。……まあ、確かに目を離したらすぐに何処かに行きそうな雰囲気ではあるけれど、そんなに心配する事だろうか。とも、少し思う。

「……ところで」

 俺は、相変わらず硬直したままのエマさんに目を向けた。

「…………エマさーん」

「…………はぁああ」

 エマさんは大きく息を吐くと、がっくりと肩を落とす。

「まあ、月香だったらしょうがないか……。アオの最優先事項だもんなー」

 はぁ。ともう一度息を吐いて、エマさんはグッと背筋を伸ばした。

「ん、どうした明? 立ち尽くして」

「いえ、なんでもないです……」

 好きなんですか? とか聞きそうになるが、やめといた。触らぬ神になんとやら。

 さっきの太陽さんを思いだす。かなり心配していたようだけど、少し気に掛け過ぎなんじゃないだろうか。随分と妹思いのようだ……というか。

「…………シスコン?」

「だよな」

 思わず呟くと、エマさんが頷いて、俺の方に向き直った。

「過保護というかなんていうか。本当に月香にだけは弱いからな。だから、今はアンタの訓練に付き合ってるけど、普段は常にアタシか暁を月香の傍に付けてるんだ」

 危ないからね。と、エマさんは笑いながら付け加える。

「……とんだ職権乱用ですね」

「ははっ。まあ、仕方が無いよ。みんなアオには世話になってるから、不満も無いし」

「世話に?」

「そうそう。アオってさ、頭も回るし、頼りになるし、世話焼きだしでさ。結構、助けられた奴も多いんだよ。今この街に居る連中って、殆どがアオを頼って来たようなもんだしな」

「へぇ…………」

 太陽さん本人は、単に矢面に立たされただけみたいなことを言っていたが、人望はあるようだ。飄々としているように見えて、ちゃんとリーダーをしているらしい。

「人望があるどころじゃないさ。ぶっちゃけ今の青年隊は、アオが居るから成り立ってるようなもんだよ。だから、これくらいのわがままは、聞いてあげないと」

 そう言って、エマさんは微笑むと、ふっと息を吐いて、視線をそらした。

「……ま。それよりも問題は月香の方なんだけどね。アイツって昔からああだし、人と関わろうとしないし……言っちゃなんだけど、普段の警備じゃ殆ど役にも立たないし。正直、周りの評価は悪い」

 エマさんは両手を組むと、顔を顰めながら言葉を続ける。

「知っての通り、うちの基本は働かざるもの食うべからずだからさ。アオが庇ってるけど、そういう特別扱いもまた、不満の種だったりして……」

 うーん。と渋い声を出して、エマさんは首を捻る。

 確かに。少し会話しただけだけど、青野のあの性格は取っつき難い。苦手意識を持つ奴も多いだろう。

 それにしても……。

「エマさんは青野の味方なんですね」

「ん? ああ、そりゃあね」

 なんとなく意外だった。エマさんは……その……。

「ま、アタシはあの兄妹とは結構長い付き合いだからね。アオがどれだけ月香のことを大切にしているかも知ってるし。……アタシにとっても、妹みたいなもんだから」

 エマさんは苦笑しながら頬を掻くと、照れ隠しなのか、俺の背中をバンと叩いた。……痛い。

「……まあ、アオが居るから心配することはないだろうけどね。今日のことも、どうせどっかで箱に入って寝てるんじゃないのかな」

「そうですよね」

「そうそう。だから気にする必要無し。……ああでも、もしも月香を見つけたら、アオが探してたって伝えてやって」

「わかりました……でっ!」

 頷くと、エマさんはもう一度背中を叩いて、笑顔で弓道情を去っていった。

「…………」

 俺は理不尽に叩かれた背中を摩りながら、学校に目を向けた。

 青野か。アイツの事だから、また箱の中で居眠りでもしているんじゃないだろうか。

 ……ありそうだ。というか、実際にあったし。

 何にせよ、エマさんも言っていたとおり、そんなに心配することじゃあないのだろう。太陽さんも、どうやら頼れる人のようだし。

「僕が気にすることじゃない……と」

 そう呟いてから、俺は昼食を取る為に学校の方へと歩いていった。



 ……しかし、そんな俺やエマさんの楽観は、あっさりと打ち砕かれる。


 次の日の朝。浪川さんや美月と共に朝食を食べていたところ、音を立てて扉が開き、暁が顔を出した。

「お、暁くん。おはよー」

「緊急事態です」

 浪川さんの挨拶を無視して、暁は端的に呟いた。その顔は、何時も冷静な彼にしては珍らしく焦りが浮かんでいる。

「緊急事態? どうしたの?」

 浪川さんが、お椀を置いて暁の目を見つめる。暁は浪川さん、美月、俺の順に見まわして、再び浪川さんに目を向けた。

「……とにかく、食事が終わったら会議室に来てください。太陽さんが待ってます。美月と……そこの」

 暁が、瞳を細めて俺を睨む。その視線に、僕は思わず仰け反った。

「……とにかく、全員来てください。では」

 一言言い残し、彼は部屋を出ていった。残された俺たちは、ぽかんと、部屋の外に目を向けたまま固まってしまう。

「なんなんだろうね?」

「…………さあ」

 浪川さんが箸を咥えながら首を傾げている。それに、俺も首を傾げながら答えた。アイツが何を考えているかなんて、ここに来たばかりの俺が知るわけも無い。そもそも、俺はアイツのことが苦手だというのに。

「…………んー。とりあえず、ご飯食べて行こうか。それで良いよね」

 浪川さんの箸を咥えたままの呟きに、俺と美月は同時に頷いた。


 俺と浪川姉妹が学校の会議室に着くと、既に部屋には太陽さんとエマさんが待っていた。

「揃いましたね」

 壁に背中を預けていた暁が、俺たちを見て姿勢を正すと、部屋の隅にあるホワイトボードの端を持ち、俺に目を向けて口を開く。

「そこの、手伝え」

「……………………」

 俺は無言でホワイトボードのもう片方の端を掴むと、暁と二人で教室の前へと運んだ。

「……さて。そんじゃあ時間も無いので、さっさと説明をすることにします。太陽さん」

「ああ」

 暁がホワイトボードの前から退き、入れ替わるように太陽さんが前に立つ。一度こほんと咳払いをすると、普段の飄々とした雰囲気とは違い、真面目な顔をして俺たちを見た。

「実は……昨日から月香が帰って来ない。街中を聞いて回ったんだが、正午以降街中で見た人は居ないようだ」

「はぁ…………」

 誰もが沈黙している中で、俺だけが間の抜けた声を出す。

 青野の奴、まだ帰って無かったのか。さすがに一日経つと少し心配になってくる。どうしたのだろう。寝ている間に日が暮れでもして、帰り道が分からなくなったとか。

「そう思って、夜明けと同時に俺と暁で街の外を探して回ったんだが、やっぱり見つからない。代わりに……暁が、こんなものを見つけてきたんだ」

 そう言って、太陽さんはジーンズのポケットから折りたたまれた紙を取り出して、机の上に置く。俺たちは、机の傍に近寄り、その手紙を覗き込んだ。

「これって……脅迫状?」

 手紙を覗き込みながら浪川さんが小さく呟くと、太陽さんが厳しい表情で頷く。手紙の内容はこうだ。食料や車の燃料、そして武器を自分たちに渡せという。

「これが、月香の被っていた段ボール箱の端に張り付けられていた」

 会議室の中がにわかにざわつく。エマさんが勢い良く顔を上げて、太陽さんを見た。

「ちょ、ちょっと待って! じゃあ、じゃあ月香は……!?」

「さらわれた……ってことでしょう」

 暁が眼鏡を押し上げながら、無愛想に答えた。

「さらわれたって……じゃあ、これは……」

「交換条件のつもりだろ。……もっとも、まともに交渉に応じる気が、あっちにあるかどうかは知らんけど」

 太陽さんが厳しい声色で答えると、エマさんは歯ぎしりをして俯いた。その隣で浪川さんが、手紙の内容に目を通しながら口を開く。

「それで、どうするの? この要求を飲むつもり?」

「……いや。へたに下手に出ると、これからも繰り返し要求されるかもしれない。そうなったら最悪だ。人質も居るし、何よりこの場所を既に知られている。その上ガキと老人しか居ないなんて事が知られたら、こいつらはもっと強引な手段を使ってくる可能性がある。で、その噂が周りに広まったら、あっという間にお終いだ」

「じゃあ、見捨てるの?」

「……………………」

 浪川さんの冷静な問い掛けに、太陽さんが無言で俯く。その横に立った暁が、小さな声で呟いた。

「……判断としては、そっちの方が正しいと思いますが」

「…………っ!」

 エマさんが、暁に掴み掛かりかねない勢いで、机から身体を乗り出した。対して暁は、怯むこともなく睨み返す。

「……やめやめ。仲間割れなんてしてる場合じゃないだろ」

 顔を上げた太陽さんが、緊迫した空気をかき消すように、肩をすくめながら言う。

 と、エマさんは舌打ちをして顔をそむけ、暁は無言で視線をそらした。

「……そうだな。確かに暁の言うとおり、ここは相手にしないで断固とした対応をするのが、リーダーとしては一番だと思う」

「……っでも!!」

 喰ってかかるエマさんに、太陽さんは手のひらを突き付けて止めると、一度目を瞑り、息を吐いて。

「この街の青年隊としての決定はノー。だから、これは俺から、ここに居る皆への、個人的な頼みという事で」

 そう言って、僕たちに深々と頭を下げた。

「……妹を助けたい。力を貸してくれ」

「アオ……」

 エマさんは、太陽さんをしばらく見つめていたが、ふっと口元を歪める。

「ああ、任せとけ」

 そして、そう言って自分の胸を叩き。

「月香ちゃんを助ける為って言うなら、あたしはもちろん手を貸すよ!」

 俺の隣に立つ美月が、腰に手を当てて胸を張り。

「……まあ、そうなるんでしょう、ね」

 浪川さんは、少し困ったような笑顔を浮かべて。

「……………………」

 暁は、無言で眼鏡を押さえた。

「――――――――」

 そして、俺は……俺は?

「……わりぃ。こんなことを頼める奴、お前らくらいしか居なくてさ」

「気にすんなって。アタシたちは、皆アオに助けられてるんだからさ」

 話しは進む。俺のことを完全に無視して。……ちょっと待ってほしい。俺はまだ、力を貸すなんて言ってないのに。

 そもそも、どうして俺はここに居るんだ? 俺がここに来て、未だ一週間しか経っていないのに。ここに居る人たちと違って、青野と特別に親しいというわけでもない。

 なのに、どうして……。

「……どうして自分が呼ばれたのか、分からないって顔してるな」

 顔を上げると暁が、つり目がちな瞳で俺を睨みつけている。

「…………なんだよ」

 その目付きに気圧されながらも、俺は答えた。……何でだろう、嫌な感じだ。暁も同じ気分を感じているのだろうか。コイツの表情は変わらなすぎて、何を考えているのか分からない。

「くそ……っ。それにしても、どうして急にここがバレたんだ? 今まではバレてこなかったのに……」

 エマさんが親指の爪を噛みながら悪態を突く。と、俺と睨み合っていた暁が視線を外して、エマさんに目を向けた。

「知りたいですか」

「……………………?」

 首を傾げるエマさんに、暁は右手の人差し指を立て、それで手紙を差した。

「その手紙と箱を見つけたのは僕なんですけど、何処にあったと思います?」

「何処って……さぁ」

「僕がこれを見つけたの、あの高速道路の道の途中なんですよ」

「――――――――っ」

 一瞬。ドクンっと、心臓の音が跳ね上がった。

「……? それがどうしたんだよ」

「わかりませんか。つまりこれを送ってきた奴らは、少なくともあの高速道路の先に、僕達の街があることを知っていた。その理由、なんでか分かりません? 一番簡単なのは、実際に街に入る人間を尾行すること。……そして、ここ最近、この街の外から来た人間は一人だけ」

「……………………っ!」

 エマさんが勢いよく俺へと目を向ける。……いや、エマさんだけじゃない、暁以外の全ての人が、俺に目を向けていた。

「まさか……! じゃあ、明が外に通じてたっての!? いや、でも……」

「そうですね。最初は、僕もそれを考えましたけど、コイツはどう見てもただの素人ですから、それは無いと思います。……ただ、あの日、こいつは外からこの街に来た。僕達はこいつを招き入れた」

「尾行されてたって……? だけど、ちゃんと尾行には気を付けていた筈だ! つーか暁! お前もあの時一緒にいただろ!」

「はい。僕も注意していましたし、あの日、あれ以上の尾行は無かったと思います。……でもですね、エマさん」

 暁は手紙の上に置いた指を、エマさんの方に向ける。

「……エマさん。あの場所の見張りは、基本的に貴女と僕、それと月香の担当です。だけど、エマさん。貴女はこの一週間、何をしていました?」

「それは…………」

 エマさんが、一瞬俺の方に視線を向けるが、すぐにそらして口を噤んだ。……しかし、わざわざ口にしなくとも、ここにいる人たちは皆分かっている筈だ。

 だって……エマさんは、ずっと。

「一週間、コイツの訓練に付き合っていた。結果、警備は薄くなり、奴らに付け込ませる隙を与えた。その結果がこれです」

 ――じゃあ。

 それじゃあ、この場所がバレてしまったのは。

 青野がさらわれてしまったのは――

「……………………」

 暁は指を降ろすと、無言で俺へと目を向けてくる。

 相変わらずの仏頂面。だけど、今は彼が何を思っているのか、分かってしまう。

「…………っ」

 視線をそらす。暁が口を開く。言わないでくれ。という思いも虚しく、暁の通る声が、責めるような口調でその言葉を告げた。


「――お前のせいだ」



「……………………」

 夕方の屋上。俺はフェンス越しに、馴染みの無い街を見下ろしていた。

 高台なら景色が良いかと言えばそうでもなくて、基本的に山間に作られた街なので視界はすぐ山にぶつかってしまう。

「…………はぁ」

 俺はフェンスに寄りかかり、大きくため息を吐く。

「…………お前のせいだ。か」

 ……暁の言葉は、重かった。あの後、エマさんや太陽さんが、すぐにフォローをしてくれたけど。でも、やっぱりその責任の一端が俺にあることは、分かりきったことだ。

 俺のせいで、青野はさらわれた。

 ……俺のせいで、これまで平和を保っていたこの街に、危機が訪れようとしている。

「…………っく」

 自虐気味に笑おうとするが、上手く笑えない。

 ……命の危機に瀕したことは、今までも多々あった。家族も友人も失い、自らの死を覚悟したことも、当然ある。

 ……でも、自分のせいで、他人の命が犠牲になるかもしれない。というのは、はじめてで。

 『俺のせい』という言葉が、心に重く圧し掛かっていた。

「ああ、ここに居たのか明」

 ふと顔を上げると、太陽さんが屋上の入り口から顔を出して、俺を見ていた。

「何やってんの、こんな所で」

 太陽さんは屋上に出ると、何時もと変わらない飄々とした雰囲気で前までやって来る。

 ……でも、今の僕には、彼の顔を直視することが出来ず。俺は顔を俯けた。

「んー?」

 訝しげな表情をした太陽さんが、俺の顔を覗き込んでくる。俺が更に視線をそらすと、太陽さんははっと息を吐いて、隣に来ると、同じようにフェンスに寄りかかった。

「暁の言ったこと、気にしてんのか」

「……………………」

「……なんだかなぁ。なんつうか、暁の事は恨まないでやってくれ。アイツは他人がやりたがらないことを進んでやってるだけなんだ。……本当は、ああいうのは俺がするべき事なんだろうけどさ」

「…………恨んでなんて……」

 恨んでいるわけがなかった。だってアイツの言葉は、全て本当のことなのだから。

 それよりも、太陽さんがそう言って責めてこないことのほうが、俺にとっては辛い。一番に俺を責めたいのは、きっと彼だろうに……。

 俯いていると、太陽さんは困ったような顔をしながら、俺の隣で頭を掻く。

「あー……気にするなって言っても、気にするだろうしなぁ……なあ、明には、兄弟とか居たか?」

「……………………」

 ……俺は首を縦に振った。

「そっか……あのさ、知っての通り、俺と月香は兄妹なんだよ。一年前、世界が終わった日。俺とアイツは二人っきりになってさ。親は死んじまったし、親戚とかには連絡付かんし。それで、俺は何としてもアイツを守らないとって思ってさ。それから放浪の旅を始めたわけ」

 太陽さんが、夕焼け空を見上げながら、言葉を続ける。

「最初はそれこそ二人っきりでさ。ひたすらアイツの事を守りながら、旅を続けた。……その内、何時の間にか仲間が出来て、何でか知らないけど、どんどんと仲間が増えていって。そんで安住の地を見つけて、ここで暮らすようになった」

 なんでかはしらないけどさ。なんて、太陽さんは笑いながら付け加える。

「妹を守ろうって、ただそれだけを考えていた筈なのに、何時の間にか、守るものが増えていた。アイツと同じくらい大切だと思えるものが、増えていた」

「……………………」

「でもさ。やっぱり俺は、アイツだけは見捨てられねーんだ。アイツの為に俺は戦ってきたんだから。アイツの幸せを守る為に、俺はここまで頑張ってきたんだから」

 そう言って、太陽さんは視線を落とすと、ふっと苦笑を浮かべた。

「何でかは知らないけど、俺なんかを頼って、俺なんかを信頼してくれてる奴らが居るんだ。そいつらに、俺一人のわがままで、迷惑はかけらんねーだろ。だから、明」

 太陽さんがフェンスから身体を放し、僕の方を真っ直ぐに向く。

「俺のわがままを聞いて、俺に力を貸してくれ」

 そして、太陽さんは、会議室の時と同じように頭を下げた。あの時と同じ問いで。俺に、あの時答えなかった返事を求めている。

 ……そして。もちろん、俺の答えは決まっていた。

「……はい。命に変えても、青野を助け出します」

「アホ。そんな事言うな。皆で無事に帰るのが一番だろ」

 太陽さんは顔を上げると、何時もの飄々とした笑顔でそんな事を言った。そして、再びフェンスに身体を預けると、「これで貸し借りなしな」と呟く。

「はい……?」

「だから、お前を責める代わりに、お前には俺のわがままを聞いてもらった。お互いにドロー。貸し借りなし。だから、お互いに気にしない。オーケー?」

「……………………」

 太陽さんの笑顔を見ながら、俺は、この人がどうしてあんなにも慕われているのか、分かったような気がした。

 ……そういえば、エマさんが言っていた。「今の青年隊は、アオが居るから成り立っている」って。

 確かに、その通りなのかもしれない。こんな人だからこそ、街の皆は、太陽さんの事を慕っていて。こんな人だからこそ、会議室に居た皆も、太陽さんの願いを聞いたんだろう。

 ……凄い人だ。その名の通り太陽の様な、人を導く光の様な。

「よっと」

太陽さんは、再びフェンスから身体を放し、屋上の扉へと歩いていく。

「んじゃな、明。明日は頼むぜー?」

「…………はい」

 振り向かず、ひらひらと手を振る太陽さんの背中を見送りながら、俺は頷いた。



 ……翌日。

 俺は浪川さんの運転する軽トラックの助手席に乗っていた。古びた車は、ガタガタと音を立てながら整備されていない山道を走る。

 手には、拳銃。一週間使い続けたものだけど、実践で使うのは初めてとなる。

 ……これからこれを使うと思うと、自然と息が漏れる。それなりに使いなれた筈なのに、手の中の鉄の塊は、嫌に重く感じた。

「…………はあ」

 ……白状すると、俺は人を殺したことがない。

 もちろん、こんなご時世だ。命の危機に瀕したことは何度もあるし、死を覚悟した場面も多々あった。

 だが、それでも俺は、常に被害者の側であり。自分から積極的に、他者に危害を加えようとするようなことは、無かった。と、思う。

 だから思う。的ではない、生きた人間に対して、俺は引き金を引けるんだろうか。

 ……引けなかったら、どうなるのだろうか。

「そろそろ着くよ」

 浪川さんの言葉に、俺は顔を上げた。木々の向こうに、廃墟となった山小屋が立っている。多分、元はキャンプ地用のコテージだったんではないだろうか。

「これ以上近づくのは無理かな……? 降りよう、明くん」

「はい」

 浪川さんが、道の途中で車を止める。俺は拳銃を腰にしまうと、扉を開けて車を降りた。

 空を見上げると、灰色の雲が空を覆う。曇天の空。気分は重い。だが、やらなければ。青野の為に。太陽さんの為に。……そして、自分の為に。

 俺は車の後ろに回り、幌の付いた荷台から一つの段ボール箱を持ちあげた。

「よいしょっと……」

「落とさないでね。危ないから」

 浪川さんは指を口に当てて苦笑を洩らす。俺の緊張を解す為の軽口のつもりだったのだろうか。俺はぎこちなく笑みを返し、再び山小屋の方に目を向ける。

「準備はオーケー?」

「はい」

「じゃ、行こうか」

「……はい」

 頷いて、俺と浪川さんは歩きはじめた。


 山小屋の前には四人の男が立っていて、俺たちの姿を見ると、すぐに手に持った小銃を俺たちに向ける。

「誰だ!」

 俺たちは足を止めると、浪川さんが俺よりも一歩前に出て、両手を上げて答える。

「誰だとはご挨拶ね。呼んだのは貴方たちじゃない?」

「あぁ…………?」

 4人の中でも、もっとも背の高い男が、銃口を向けながら俺と浪川さんを交互に見比べる。そして、俺が手に持った段ボール箱に目を向けた。

「ああ……お前ら、あの集落からの使いか?」

「……………………」

 無言で頷くと、巨体の男は隣の男に目を向けて何度か言葉を交わし、再びこちらに目を向けた。

「分かった。入れ」

 男が顎で扉を指し示す。浪川さんは両手を降ろすと、無言で扉へと向かい歩きはじめた。俺も、その後を付いていく。

「……………………」

 巨体の男が扉を開いて先に入った。その後を、俺と浪川さんが付いていく。朽ちた、電気も通っていない山小屋のロビーには、外と同じ小銃を持った男が5人。部屋の奥のソファには、顔に入れ墨を入れた男が大股で座っている。どうやら、あれがこいつらのリーダーらしい。

「…………その箱はなんだ」

 刺青の男は、浪川さんと俺に目を向けて、口を開いた。

「まさか、それが俺達の要求したモンじゃねぇだろうな。ざっと見繕っても、トラック一台分くらいにはなったはずだぜ」

「トラックなら向こうに止めてあるよ。ここに持って来たのは、先払い。証明みたいなもの」

「…………けっ」

 刺青の男は、浪川さんの言葉に軽く舌打ちをすると、近くに居た男に顎で指示を出す。男は無言で頷くと、小銃を抱えて扉から外に出て行った。

「そこのガキ。その箱をここまで持ってこい」

 男が、俺に視線を向けて言った。俺は浪川さんに顔を向け、一度頷くと、箱を抱えたままゆっくりと歩き出す。

「おかしな真似はすんなよ。分かってんな」

 刺青の男の言葉と共に、小銃を持った男達の二人が、浪川さんを挟むように立つ。もし俺が、腰の銃を抜くようなことがあれば、俺と浪川さんはあっという間に蜂の巣にされてしまうだろう。

「……………………」

 緊張で箱を落としてしまわないように、ゆっくりと歩く。

 失敗は許されない。何か下手を打てば、俺だけじゃない、青野や浪川さん。……太陽さんたちにまで危機が迫ることになる。

 心臓が高鳴る。手に汗が滲む。動揺を悟られないように、平静を装いながら男の前まで行き、ゆっくりと箱を床に置いた。

「開けろ」

 男がソファに座ったまま顎で箱を指し示す。

 俺は、ゆっくりと段ボール箱のガムテープを剥がすと、男の顔を見ながら、勢いよく……開けた――!

「――ハローおじさん。鉛玉はいかが?」

 ――箱から飛び出た拳銃の銃口が、男の頭に狙いを付ける。

 瞬間、轟音。男の頭が勢いよく跳ね上がり、ソファの背に頭を預け、そのまま動かなくなった。

「――――はっ?」

 間の抜けた声を発したのは、浪川さんの隣に立つ男だ。男共が状況を把握できずぽかんと突っ立っている間に、箱から身体を起こした美月が両手に持った拳銃で浪川さんの両隣りに立つ男の身体を打ち抜いた。

「……っテメェ!!」

 最後に残った男が、美月に向けて小銃を向けるが、彼が引き金を引くよりも前にバンッと勢い良く扉が開き、短機関銃を抱えた太陽さんが飛び込んでくる。

「――――っ!?」

 男が太陽さんに銃口を向ける。しかし遅い。太陽さんの銃が火を吹き、男が全身から血を噴き出して後ろに倒れた。

「月香は!?」

「多分、奥に居るんだと思います!」

 俺が叫ぶと同時に、銃を持ったエマさんと暁が部屋に入ってきた。

「ふう……意外と人数が多いね。ちょっと疲れてきた」

「出来たら、ここで全員の息を止めたいところです。下手に逃がすと、他に街の場所がばれかねない」

「わかった。明は俺と来てくれ! 皆はここで足止めを頼む!」

 太陽さんの言葉に、皆は頷くとそれぞれ銃を構えて扉の端に隠れる。

「美野里さんはこっちに」

 暁が、浪川さんの肩を抱いて物陰にやる。太陽さんは一度皆を見渡し、俺の事を見て頷くと、小屋の奥へと走り出した。俺は腰の銃を抜いてセーフティを落とし、スライドを引いてから太陽さんの後を続く。

「…………っ!!」

 廊下の一番奥にある扉から、小銃を持った男が飛び出してきた。しかし、姿勢を低くした太陽さんが男の銃口の下に潜り込むと、小銃の銃身と男の腕を掴み、あっという間に男を床に叩きのめす。

「ここか!?」

 太陽さんが男から奪った小銃を左手に構えながら、部屋の中へと踏み込んだ。

 俺もそれに続いて部屋に入ると、掃除のされていない寝室の、中心にあるベッドの上で横になっている青野の姿が。

「月香――っ!」

 太陽さんが叫び、ベッドの前へと走りよる。俺もそれに続いて駆けよってみると、青野は両手を縛られて、ベッドの端に括られていた。

「太陽さんっ!!」

 片手に小銃を持った暁が、部屋の中へと入ってくる。

「他は大体沈静化しました。月香は?」

「無事だ。暁、ナイフは持ってるか?」

 暁は小さく頷くと、ベルトのポーチから折りたたみ式のナイフを抜いた。太陽さんはそれを受け取ると、青野の腕を縛る縄を切る。

 暁が手に持った小銃を床に起き、太陽さんと共に青野の身体を抱き起した。……多少の擦り傷はあるけれど、目立った外傷はない。どうやら、本当に無事らしい。

 俺は一度息を吐くと、扉の方を振り返り――硬直した。

「――こ……の」

 この部屋を見張っていた――太陽さんが叩きのめした男が、ふらふらと頭を押さえながら片手に拳銃を構えている。

「……………………!」

 ――やばい。俺はとっさに拳銃を構えた。弾は入っている。セーフティも外してある。後は引き金を引くだけで、弾は出る。

 確かに俺の射撃の腕は最悪だが、この距離なら外す事はない。それに、人は的よりも大きいから、撃てば当たる――

 ――当たる?

 当たって……それで、相手はどうなる?

 ……死ぬ? 俺のせいで? 俺の銃弾で? 俺がこの指を引くだけで?

 良いのか? そんな事をして、本当に良いのか? ……いや、撃て。撃つしかない。撃たなければ俺が撃たれる。

 太陽さんも、暁も、エマさんも……あの美月でさえ、一瞬で三人もの人間を殺した。

 俺が……俺が覚悟を決めないで、どうするんだ。俺が――

「明――っ!!」

 突然、横から身体を押され、俺は板の間に倒れ込む。同時に、轟音。顔を上げる。男が構えた銃口からは白い煙が。そして、俺が立っている所には……太陽さんが……。

「…………ぐっ」

 太陽さんが口から血を吐いてその場に倒れ込んだ。暁がとっさに床に置いた小銃を掴み、男に向ける。

「ヒッ――」

 暁が引き金を引く。しかし、それよりも早く男は部屋から逃げていき、ばら撒かれた銃弾は、半開きの扉を粉々に砕く。

「クソ――ッ!!」

 暁が銃を構えてそれを追う。俺は腰を抜かしたまま倒れた太陽さんの下へ這いずりよると、彼の身体を抱え上げた。

「太陽さん!!」

 太陽さんは口からは血を吐きだし、その白いシャツは、右胸を中心に真っ赤に染まっていた。

「…………………」

 太陽さんは、たどたどしい動きで自分の胸に手をやると、その指にたっぷりと付いた自分の血を見て、はっと息を吐きだす。

「あー……だめだ、こりゃ」

「たいよう……さん……?」

 太陽さんが力無く息を吐き、何処か穏やかな顔つきで、俺の方を見た。

「よ……っ怪我……無いか……?」

「――――――――っ!」

 その言葉を聞いて、俺は一瞬で現実に引き戻された気がした。そうだ……太陽さんは、俺を庇って……っ!

「太陽さん……! ご、ごめんなさい……俺……俺……!!」

「………………」

 太陽さんが、穏やかな表情で俺の顔を見つめる。……顔色は、凄く青い。こんな顔を、俺は何度も見てきた。友達も、母も、大切な人も……皆、最後にはこんな顔を、してたんだから。

「……謝るなって言っても……無理……なんだろう……なぁ……。あのさ……代わりに……一つ……わがまま、聞いてもらっていいか……?」

「わ……わがまま……?」

 絞り出すような声で問うと、太陽さんは普段と変わらない苦笑を洩らした。

「そう……わがまま……あのさ……明……悪いけど、月香のこと……頼むな……アイツ……あんな性格だから……友達……少ないけど……良い子……だからさ……」

「太陽さ…………」

「言った……ろ……俺が……今日まで頑張って……来たのは……それ……知ってんの……お前と……エマ……だけだし……ごっ」

「……わ、わかりました……! わかったから、太陽さん……!」

 俺の答えに、太陽さんは咳き込みながらも何処か安心したように笑い、震える手を、俺の頭にぽんと置く。

「んじゃ……これで……貸し借りなしな……」

「太陽さんっ!!」

「頼むぜ……明……」

 力の抜けた手が、俺の頭から落ちる。もう一度その名を呼ぼうと口を開くが、それよりも先に、誰かに身体を押し飛ばされた。

「太陽さん……」

「暁…………」

 俺を突き飛ばした暁は、太陽さんの隣に膝を突く。太陽さんがゆっくりと口を開くが、俺には聞こえなかった。

「アオ――――っ!!」

 悲痛な顔をしたエマさんが、勢い良く部屋に飛び込んでくる。続いて、美月や浪川さんも部屋に入る。

 悲しげな表情をする美月の横を通り抜けて、厳しい顔をした浪川さんが太陽さんの隣に膝を付いた。……ああ、そういえば、あの人、医者だったっけ。

「……………………」

 なんだが、全ての事に実感が沸かなくて、皆の声も、周りの音も、何もかもが遠く感じる。

 現実感の無い世界。何も考えられない。ただ一つ、右手にある冷たい鉄の塊の感触だけが、妙にリアルで。

「…………ああ」

 ああ、そうか。と、何もかも実感の無い中で、ふと理解してしまった。

 ――俺は、撃てなかったんだ。

次回は、9月24日20時予定

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