魔力がおいしいと妖精に気に入られました〜新人魔法使いの初任務〜
金糸雀はまだ半分眠ったまま、枕元のほうへ手をのばす。ぷくりとした感触が指先に触れた。くすぐったさに思わず目をうっすら開く。
「おはよ、起きるの早いね」
北棟の窓から、朝の光が斜めに落ちる枕元。くぼみの中で、サフラ・ヴィーヴァがゆっくり身を起こした。
明るい金色の、手のひらに乗るくらいの妖精。羽は薄く、朝陽と魔力に浸ってキラキラしている。枕元のくぼみには、金糸雀の魔力がうっすら溜まっている。サフラ・ヴィーヴァはそこに半身を浸からせて、満足そうに見上げた。
「ヴィエタ、おはよう。まだ眠いなぁ」
もそもそと半分寝言のように金糸雀が言う。
「もう少し寝ててもいいよ。今日のカナリアの魔力、今朝はとくにいい味」
「味って」
金糸雀が笑うと、サフラ・ヴィーヴァは魔力だまりの中でくるりと一回転して、満足そうに息をついた。
「いやぁ、飲んでよし、浸かってよしだね」
「それ、毎朝言ってるね」
「毎朝そう思うんだからね、カナリアの魔力はおいしい」
北棟の子は、一人に一匹、妖精がついている。妖精は好みの子どもの魔力のそばにいる。妖精にとっての魔力は糧なのだから、美味しい味とか、いい居心地とか、そういうもので選ぶらしい。
だから金糸雀の魔力だまりは、サフラ・ヴィーヴァにとっては寝床であり、お風呂であり、ごはんでもあるのだと本人は高らかに宣言していた。
金糸雀はベッドから体を起こして、チャコールグレーの部屋着を整えた。北棟の部屋は清潔で、シーツはいつも乾いた匂いがする。洗面所から、同室の子の妖精が鈴みたいな声で何かしゃべっているのが聞こえた。
「今日、なにかありそう」
サフラ・ヴィーヴァが、くぼみのふちに肘をかけて言った。
「なんで」
「カナリアの魔力にしゅわしゅわが混じってる。緊張する前の味」
金糸雀が何か言い返す前に、部屋のドアが軽くノックされた。
「おはよう。北五班は今日は任務になりました。鳥型魔獣の痕跡調査。朝食の後に出発します」
入ってきたのは、桑染だった。背が高くてにこにこした、いつも声の落ち着いた男性だ。洗面所にいたひと組も、まだ布団の中にいたひと組も顔を出してきたのを確認して、ゆっくり続ける。
「金糸雀は初めての任務ですね」
「あ、……はい」
「わからないことは妖精や、鳩羽、勿忘草に聞いてくださいね」
桑染はひとつ頷いて出ていった。
金糸雀は息をひとつ吐いて、サフラ・ヴィーヴァを見た。サフラ・ヴィーヴァは、ペタペタとくぼみの中から這い出してプルプルと魔力を払う。羽の先まで丁寧に振るってウーンとノビをする。
「ようやくカナリアも、デビューか。ちゃちゃっと済ませちゃおうぜ」
「……うん」
金糸雀は支度を始めた。北棟の任務着に着替え、記録用の手帳を任務バッグにしまう。座学で習ったことを頭の中でなぞった。鳥型魔獣の種類。体色。嘴の形。あと何を入れたら良いんだっけ?
*
朝食の食堂はいつも通り賑やかだった。北棟は、妖精と子どもと喋る口が多いので、自然と賑やかになる。金糸雀は丸パンとクリームスープと、オレンジをふたつ。サフラ・ヴィーヴァはトレーのオレンジの隣に座り、匂いを嗅いでいた。妖精は食べ物そのものは食べないが、匂いはよくわかるらしい。
「いい匂いだな」
「たべる?」
「匂いだけでいい」
オレンジに寄りかかってうっとりしている妖精をよそに、金糸雀はだんだん緊張してきた。
勿忘草が少し苦笑しながら声をかける。
「カナリア、緊張してるんでしょ」
「あ……かも、です」
「大丈夫だよ。部屋に戻ったら、一緒に任務バッグ作ろうね」
「サフラ・ヴィーヴァは頼りになると思うよ。僕のこいつはいつも寝てて頼りになんない」
鳩羽もぼそっと口添えする。鳩羽の妖精はいつも髪の中で寝ているので、励ましてくれているらしい。
金糸雀は少し気持ちがふわっと明るくなって、柔らかい丸パンをほおばった。
*
迎えに来た桑染について出庫口まで行くと、車両が待っていた。後部座席に北五班が乗り込んだ。
「金糸雀は真ん中に乗って」
「はい」
呼ばれて乗り込む。奥に乗り込んだ勿忘草の肩に水色の妖精がとまっている。鳩羽の妖精は、髪の中にもぐっていて、頭の上で小さく光っているだけ。
サフラ・ヴィーヴァは金糸雀のフードの中にもぐりこんで、定位置に落ち着いた。
三人が乗り込んで、ベルトを締めると、車両は北棟からぐるりと回って東門から出た。簡単に大人から任務の内容が伝えられる。
「今日は東区の林道の調査です。大型鳥獣の目撃、痕跡が見つかりました。三地点。順番に降ろします。林道沿いの痕跡を、それぞれ確認してください」
「はい」
施設が遠ざかり、窓の外は低い丘と、まばらな木立ばかりになった。勿忘草が緊張している金糸雀に「大丈夫よ、妖精がよく知ってるから」と笑って頭を撫でてくれて、少し落ち着いた。その後は車内は静かになった。やがて金糸雀はうとうとしてしまったが、妖精たち同士は小さな声でひそひそ話していた。
鳩羽が、丘の手前で降ろされた。
「鳩羽、ここから北へ百歩進んだあたりです。痕跡を読んだらここまで戻ってきてください。危険なときは信号を撃って」
「はい」
「では四十分後に」
金糸雀は窓に額を寄せて、鳩羽の背中を見ていた。髪の中で寝ていた妖精を掴み出して、起こしている。すぐに妖精は鳩羽のまわりをくるりと回って、いっしょに木立へ消えていった。
「次、金糸雀」
車両が林道の脇で止まった。木立の間から湿った土の匂いがした。
「この先、北側に折れた枝があります。半径二十メートルくらい見てください。二十分後には迎えに来ます。それ以上は進まないように」
「わかりました」
*
ドアが閉まって、車両は走り去った。車窓から勿忘草が小さく手を振っていた。急に心細くなった。あとには金糸雀と、襟もとまで出てきた、サフラ・ヴィーヴァだけが残された。
林道はしんとしていた。鳥の声もしない。
「静かだね」
ぽつりと金糸雀が言うと、サフラ・ヴィーヴァが、襟からブゥンと羽音を立てて飛びながら言う。
「ここまで何か来たんだから、ふつうの鳥は逃げるもんだよ」
「あ、そっかぁ」
金糸雀は木立のほうへ歩くと目的地はすぐに見つかった。太い枝が一本、根元から斜めに折れている。折れ口がまだ新しい。その下の地面に、爪の痕があった。三本指。深い。金糸雀の身長くらい長くえぐれている。
そして、少し離れた所に赤いものが落ちていた。
真紅の、金糸雀の腕ほどもある大きな羽根。拾い上げると、芯が太く、すこし湿っていた。
「ヴィー」
金糸雀は、いつもの短い呼び方で妖精を呼んだ。
「ここでなにがあったか、見せて」
サフラ・ヴィーヴァは、折れた枝の前にふわりと止まった。サフラン色の光が、ほんのわずかに濃くなる。両手をひろげて、ゆっくりと回す。
「魔力、ちょっともらうよ」
「うん」
空気がうすく揺れた。
最初に湿った羽毛の匂いが風に乗って来る。少し生臭いような獣じみた匂い。それが鼻の奥に届いたあと、目の前の空気が薄く重なり始めた。
折れた枝の上に、もう一本、折れる前の枝が重なって見える。爪痕の上に、重なる巨大な影。
大きな、翼の影。
金糸雀は、息を止めた。
爪が枝をつかみ、ぐっと体重をかけると枝が少し裂けた。太い脚、長い爪。首をかしげるような動き。翼を広げると、木立の半分を覆うほどある。その先に、嘴があった。太くて、先が鎌のように下へ曲がっている。鉤状の嘴。座学で教わった。
影の嘴が、ゆっくりとこちらを向く——ように見えた。金糸雀は、思わず目をつぶってしまった。
恐怖で息が浅くなっていた。これはもう飛んでいったものの、残り香だ。ここにはいないとわかっていても、怖くて震えが止まらない。
「カナリア」
サフラ・ヴィーヴァの声がした。いつもと同じ、軽い声だった。
「魔力もったいない。もう一度行くよ?」
「……ごめん、ヴィエタ」
「謝らなくていい。怖いのは正しいよ。怖くないやつが見ても、意味がないからね」
金糸雀は、ゆっくり息を吸った。頷いて、続きを促す。サフラ・ヴィーヴァは、もう一度両手を広げた。
もう一度、しっかり影を見つめた。
枝が踏まれる。鈍い音。あの折れた枝が、いま折れる。
そして、鳥は飛んだ。
翼の影が地面を走って、林道の上を抜けていく。方向は——
「北」
金糸雀は手帳を開いて、書きとめた。
「ここに一度降りて、北へ飛んでいったんだ」
サフラ・ヴィーヴァが広げた景色を、ゆっくりとたたんだ。重なっていた空気がほどけて、もとの静かな林道に戻る。湿った羽根の匂いも、影も消えた。
「読めた?」
「読めた。ありがとう」
「魔力、おいしかった。カナリアの緊張の味も、嫌いじゃないね」
金糸雀は、真紅の羽根を回収袋に入れて背負う。報告用だ。
林道に戻ると、ほどなく車両の音が聞こえた。
予定の時間ぴったりに、車両が止まった。ドアが開く。さっきの大人が、端末を手にこちらを見た。
「読めたか」
「はい」
「まず乗りなさい」
車両が走り出して、報告を促される。
「大型鳥型の魔獣が一度ここに降りて、北の方向へ飛びました。爪痕と、折れた枝。羽根も落ちてました。嘴は……鉤状の嘴です。羽根は回収しました」
大人はうなずいて、端末に何か打ち込んだ。
「北方向ですね。ありがとう。怪我などはないですね?」
「はい」
「初任務、よくやりましたね。情報は次の部隊に伝えます」
車内には、先に回収された勿忘草が座っていた。金糸雀が乗り込むと、小さく「読めた?」と聞いた。勿忘草の妖精は肩の上でうとうとしている。
「うん、怖かった……」
「そっかそっか、がんばった」
「えへへ、ありがとう」
「羽根も回収できたのね、お手柄お手柄」
「ヴィーのおかげ」
「そうだよー」
フードの陰からサフラ・ヴィーヴァが顔を出して、茶々を入れる。二人ともくすくす笑った。その後、鳩羽を回収して、車両は施設の白い門へ向かって走っていく。サフラ・ヴィーヴァは、金糸雀のフードの中に潜り込んで、眠っていた。
*
北棟の部屋に帰り着いたのは、昼を少し過ぎたころだった。
金糸雀は任務着から部屋着に着替えて、手帳をしまった。回収袋の大きな羽根は、明日報告書とまとめて記録室に出す。窓の外は、すっかり高い光になっていた。
「つかれたぁ」
ベッドに腰を下ろすと、サフラ・ヴィーヴァがフードから出て、まっすぐ枕元のくぼみへ向かった。溜まった魔力に、ぽちゃんと半身を沈める。そのままくぼみの中から手を伸ばして、金糸雀のシャツの袖をつまんだ。
「夕飯まで、ちょっと寝る?」
「寝ない。報告書を書かないと」
「まっじめー」
「うん」
金糸雀は、机に向かって初めての報告書を書き始めた。サフラ・ヴィーヴァは魔力だまりにずぶずぶと沈んで、首から下が見えなくなった。満足そうな顔だけが、くぼみの上に出ている。
「飲んでよし、浸かってよしだね」
「朝も言ってたね」
「何回でも言うよ。カナリアの魔力はおいしい」
金糸雀はウフフと笑って、手元に目を落とした。窓の外で、木の枝が一度揺れた。
「明日も任務かな」
「さあね。あったら、また一緒に見よう」
サフラ・ヴィーヴァはくぼみの中で寝返りを打った。サフラン色の光が、ゆらゆらと揺れている。
金糸雀は丁寧に報告書を埋めていた。妖精が魔力を飲む、かすかな音がしていた。それは、いつもの音だった。
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