第四話 「宇宙へ」
なんかよくわかんないうちに、宇宙である。
外から見た猫の星は、青かった。丸かった。地球によく似ていた。
━━フライは大はしゃぎしている。翔は、なんかもう感慨もわかない。
ほとんど思考停止している。
ブリッジの展望窓の向こう。こないだまでテレビでしか見たことなった世界が広がっている。向こうは音のない世界……らしい。
ただ━━、もう帰れないんだな……そんな思いが翔の心の中に生まれていた。
「なぁ、どうして俺なんだ?」
「えー?」
喜色満面のフライに、翔は虚しい声で言う。
「どうしてそんなに城から出たかったんだ?」
「あのね、私、もうすぐ戴冠するんだ。女王にになるんだって」
大宇宙を背に、フライは笑う。どこか辛そうな笑顔。
「決まりなの。十六になったら、王にならなきゃいけないの。王家の血をついでる猫のさだめなの。私は、まだ十五だけど、もう少ししたら、十六になるの。そしたら、戴冠しないといけないの。猫は、十六で大人になるの」
「それが嫌で逃げ出してきたのか……?」
「……うん」
「なんでだ⁈ フライなら、一人でも脱出できたろ。なんで俺まで巻き込むんだよ⁈」
「…………」
「なんで、俺が……」
「だって、翔だけだった。笑ってるのは、翔だけだったのっ!」
フライは翔に詰め寄った。翔の顔を一生懸命な目で見上げる。
「私、お忍びで地球に行ったの。もちろん見てるだけだったけど……。私と同じ年頃の人たちがたくさんいる所を見たかった。高校っていうんでしょ? 同じ服を着た人たちがたくさんいたわ。みんなつまらなそうな顔をしてた。机の上でお勉強してた。本当はみんな、逃げ出したいんじゃないかって……私にはそう思えた。なのに、逃げないの。一生懸命先生のお話聞いてるの。寝てる人もいたけど、でも、教室からは逃げないの。壊れちゃうんじゃないかって、見てて心配になった」
フライが泣いていたから、何も言えなくなった。でも翔は知っていた。そう思う人はいるかもしれない。でも、みんながそうってわけじゃない。わりと楽しい授業もあるし、案外教室だって居心地がいいと翔は思ってる。
休み時間にばか騒ぎしたりするのは楽しいし、最近うちのクラスの一部の男子ではやってる、空き部屋で球蹴りしたりするのは、正直いってすっげー楽しみなのだ。
フライはそんなこともわかっていない。
「屋上にも人はいた。ちょっと安心した。でも、その人も寝てた。つまんなさそうだった。お庭で運動している人たちもいた。でも、不満言ってた。やりたくないって」 たまたまだろう。たまたま笑ってなかっただけで、フライにはそう感じただけで━━。
「━━でもっ! 翔は違ったの!」
フライは瞳を輝かせた。
「翔はね、教室の中で笑ってたの! みんなとは違うご本読んで、笑ってたわ」
「━━は⁈」
「だからお願いしたの。姫として、最初で最後のわがままだって言って。女王になったら、自由なんて全然なくなっちゃうから! お父様にもマイティにも内緒にしてもらったの。猫ってね、気のいいのが多いの。同情してくれたの。だから、翔のこと、連れてきてくれたの」
「ばかじゃねぇの⁈ 俺はただ漫画読んで笑ってただけじゃねぇか━━」
「でもっ、笑ってたもんっ! 翔は笑ってたもんっ!」
フライは拳を握って頑なにそう言った。
翔はフライに背を向けた。
「翔━━⁈」
「……一人にしてくれ」
「えっ⁈ 待って、翔……‼︎」
「つきあいきれねぇ」
「……」
「なんで俺がわがままなお姫様の犠牲にならなきゃなんねぇんだよ⁈」
「しょ……」
翔は出て行ってしまった。フライは大粒の涙を一杯流した。
「だって、だって……」
気づいたら、ここにいた。テーブルと椅子が並んだ食堂らしき部屋。テーブルの上に俯せて、翔は死んだように動かない。呼吸を何度も何度もした。息が詰まりそうだった。胸の鼓動をずっと聞いていた。
顔を上げた。初めて部屋を見渡した。猫がいた。藍色の毛に金色の瞳の猫。ただし、それはロボットだった。大きさはフライと同じくらいだが、フライたちと比べるとなんだか作り物めいて見える。もしかしたら、見分けるためにわざとそう造ったのかもしれないが。
ロボットは翔に近づいてきてこう言った。
「お食事はいかがですか?」
ピンクのエプロンと三角巾をつけたそのロボットは、翔の返事をしばらく待ち、それでも返事がないと知ると、流暢な口調で続ける。
「お飲み物はいかがですか?」
そんなものはいらない。そう思った。
「お菓子はいかがですか?」
いらない。
「お茶はいかがですか? クッキーはいかがですか?」
「いらねぇよっ!」
叫ぶとロボットは沈黙した。動かなくなった。翔のすぐ横で、親に怒られた子供みたいに固まっている。
「……」
翔は長く溜め息をついた。
「……茶、くれ」
ロボットの金目が光った。
嬉しそうにカウンターの内に入っていく。
見ると、カウンターの下から急須とお茶っ葉の入った緑色の筒を取り出した。急須に葉を入れる。カウンターの上のポットから急須に湯を注ぐ。それを湯飲みへ入れる。不器用なのか、少しこぼした。
慌ててふきんでカウンターと拭く。それを盆に載せ、翔の目の前のテーブルに置いた。
得意げに目をまた光らせる。なぜかとても人間っぽい動きをするロボットだった。
翔は茶を飲んだ。体が温かくなった。心もなんだか解れてゆくような気がした。
香苗を思い出した。香苗もよく茶を作ってくれた。あいつも、どこか少し抜けている所もあった。そしたらなんだかほっとして、空腹を覚えた。
「じゃあさ、なんか食い物も作ってくれる?」
ロボットの瞳が瞬く。
「えーとさ……オムレツがいいな。あと、できればサラダかなんかも……」
香苗が作る料理の中で、翔はオムレツが一番好きだった。
香苗は毎晩文句も言わずに料理を作る。それどころか、「えらいな」とかいってみたら、香苗の奴、「別に。料理作んの好きなだけ」とか言った。
確かに、嬉しそうに料理を作っていた。自分だったら絶対そんなことできない。おもしろいのなんて最初だけで、すぐヤになる。━━そういうところ、翔はちょっと尊敬してた。
香苗は朝が苦手なので、朝飯作るのは、いつも母親だったが。
「えっとさ、チーズが入ったオムレツで、ケチャップかかっててさ」
翔の注文どおり、ロボットはカウンターの奥の厨房でオムレツを作ってくれた。
翔は自分も厨房でサラダを作った。でっかい冷蔵庫にはいろんな物が入っていた。
トマトサラダにした。
翔はトマトが好きだった。
マヨネーズをかけてできあがり。
あとは、温かなご飯。米なんかないかなぁ? と思ったら、あった。ロボットは鍋で素早く一人分のご飯を炊いてくれた。案外器用らしい、テーブルに戻って翔が食事するのを傍で見守っている。
香苗のオムレツとは少し味が違うけど、おいしい。
「おまえはなんか食わないのか? 食わないか……ロボットだし。燃料はなんだろ?」
香苗は最近彼氏ができたらい。
実の兄のことは小馬鹿にするくせに、彼氏のことはベタボメだ。そいつは、成田くんといって、秀才らしい。実際見たことはないのでわからないが、かなりかっこいいらしい。
耳にタコができるほど聞かされたから、なんか宙を仰ぐ癖があるらしいってことまで知っている。
「そんなにいーのかねぇ……」
ロボットはずっと翔を見ている。翔は微笑した。━━こいつ、なんか香苗に似てるよな。
それから、フライのことを考えた。
「逃げるほど、嫌なのかな……」
たとえば、通う大学を親に決めつけられたら。たとえば、生まれたときから、つくべき職業が決まっていたら。
それが決して変えられなかったら。
━━嫌だろうな、やっぱり。フライは姫として生まれたから、衣食住には困らなかっただろうけど、でも━━やっぱり、嫌かもしれない。そこに自由はないのだろうか……? 王家ってなんなのだろう、一体。
レタスをぱくつきながら、翔はふと気づいた。
食堂の入り口の開け放たれた扉。その辺りから、長い茶虎の尻尾が覗いている。よく見ると、三つ編みにした髪も見えた。
翔は苦笑した。
「出ておいでよ」
尻尾が揺れた。
「もう、怒ってないよ」
フライが顔を半分覗かせた。
「ほんとに?」
「ああ。ごめんな」
フライは出てきた。目がウサギみたいに真っ赤に腫れていた。
「座りなよ」
フライは翔の向かいに腰を下ろした。翔の様子を神妙に窺っている。
「すげーな、このロボット」
もしも土産にできたら香苗が喜ぶかもしれない。
「結構うまいよ。フライもなんか作ってもらったら? こいつってなんでも作れるの?」
「う、うん。翔のために、地球っぽい感じのロボットとか、施設とかをこの船にはつけたの。地球の料理いろいろ作れるはずだよ。材料も、まだ別の倉庫にもあるの。全自動の料理マシーンもあるんだけど……こういうほうが、翔喜ぶかと思って……迷惑だった?」
「いや」
翔は優しく笑った。フライは途端に笑顔を取り戻した。
「あ、ね、じゃあ、翔と同じの作って!」
フライはロボット猫にそう頼んだ。ロボットは目を光らせて言われたとおりにする。
「本当は、お魚のほうが好きなんだけど……」
「え? じゃ、魚にすれば?」
「でもっ、翔とおんなじのが食べたいのっ!」
フライはすごいスピードで食事しだした。そういえば今日は彼女、翔を乗せて走りまくってた。お腹も減るはずでである。
翔は微苦笑して、ふと訊いてみた。
「あの料理ロボット。名前あんの?」
「ないよ。なんで?」
「名前つけてもいい?」
フライは瞬きした。
ちょっと顔を赤くする翔。
「ふふっ。いーよ。なんて名前にする?」
楽しそうに首を傾げてこっちを覗き込むフライに、翔は言った。
「……カナエ」
その日は疲れていたので、風呂に入り(この宇宙船。見かけはお魚なくせに、風呂があるのだ)、フライの部屋の隣に用意された翔専用の部屋のベッドに入るなり、翔は眠ってしまった。いろいろと思うところはあったが、寝つきの良さは翔の特技だった。
家族の夢を見た。学校の夢を見た。そして━━宇宙の、フライの夢を見た。
夢の中でフライは泣いていた。
動物園の動物みたいに、檻の中に閉じ込められて、そこから出たい出たいと泣いていた。
本来の二足歩行の猫の姿をしたフライは、翔に向かって檻の中から手をの伸ばして涙声でこう言った。
「翔。助けてよぉ!」




