神社参りと暑い夏
学ランが終わる。
(姉さんの時はみんな一緒だったのに)
今や学ランは僕たち3年生だけになった。
寂しい気持ちが募る。
ブレザーに袖を通してみたい気持ちもあった。
「そうだ!神社に行こう!」
いろんな気持ちが心の中を駆け巡る。
はやる気持ちを抑え僕は神社に足を向けた。
「あれ?小銭500円だけだ」
どうしようかなと思い少しの間手が止まる。
(まあいいや。大盤振る舞い、大奮発だ)
僕はお賽銭を入れ鈴を鳴らし二礼二拍手一礼した。
「どうか学ラン……学生服のことを」
学ランは学生の洋服と教わった。
(ランはオランダのランって先生は言ってたな)
明治の時代に洋服は珍しかったのだろう。
今は巷にあふれている。
(せっかくだし正式名のが良いよね)
僕はそう思いなおし願い事を続けた。
「みんながずっと覚えてくれますように」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「殊勝な心掛けじゃな」
帰ろうと拝殿に背を向けたら後ろから声がする。
振り向くと小さな女の子がいた。
「わしはこの地域の氏神じゃよ。水の神じゃ」
(あれ?姉さんから恋愛成就って聞いたぞ?)
「神の顕現で戸惑うておるな」
僕が考えてる間も女の子はぺらぺらと話し続ける。
(まさに立て板に水だね)
「学生服でこの金額。なんぞ望みがあるのかえ?」
「え?そうだな……少し前の時代に行って見たくて」
神主の子かもと思いひとまず話を合わせてみた。
(ごっこ遊びに付き合うのも年上の役目だよね)
小さい頃姉さんが付き合ってくれたのを思い出す。
「よかろう。その願いかなえて進ぜよう」
女の子がそういうとあたりが真っ白になる。
「行くだけじゃぞ。干渉はなるべく控えよ」
「え?あ、うん。わかった」
「歴史が変わることもありうるでな。約束じゃぞ」
女の子が話し終えた瞬間、光が僕を包んでいく。
★ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ここは……中学校?僕の通う?」
僕は周囲をぐるっと見渡してみた。
(卒業生が植える木が減ってる……)
女の子は本当に氏神様だったのと僕は頬をつねる。
確かな痛みを感じ、校門をくぐり探索を始めた。
(まずは今が何年なのか卒業生の木を見に行こう)
そう思い木を見に行くと先生に見つかる。
先生は僕の手をつかむと職員室に連れていく。
(うわ白っ!?なにこれたばこの煙?)
白い煙がもわもわとする中お説教が始まった。
(こういう話って自己満足もあるからなあ)
謝罪してほしいのはわかる。
それだけでは指導側だけが満足してしまう。
(なにに怒ってるのか怒られてるのかを教えてよ)
お互いが理解できるよう言ってほしくあった。
馬耳東風に聞き流そう。
「制服がうちのだから転校生の学校見学では?」
そうしていたら近くの先生が割って入る。
「だったら先に職員室にきて見学届でしょうに!」
ぶつくさ言いながら見学届を先生は持ってきた。
(え?名前だけ?住所や電話番号とかは?)
先生が厳しい分書類はゆるいのかなと考える。
そして名前のマスミのマを書いて手を止めた。
(仮の名前にしとこうか)
僕は氏神様との約束を思い出す。
そしてマサトと名前を書いて提出した。
★ ★ ☆ ☆ ☆ ☆
改めて学校内を探索し始める。
「おい聞いたか。今日30℃だってよ!」
「あっついわけだわ!部活前に水飲んどこうぜ!」
(え?30℃で熱い!?)
校庭に向かう生徒たちの会話を小耳にはさむ。
驚いてあたりを見渡す。
風が音楽室から吹奏楽部の練習の音色を運ぶ。
(窓全開……エアコンはまだなんだ)
僕の時代では各教室に1台ずつエアコンがあった。
(ひょっとしてエアコンの室外機が猛暑の原因?)
排熱の空気を冷やせたらと閃く。
まさかねと思い僕は気を取り直し校庭をを見る。
校庭では野球部が練習をしていた。
(僕の名前は野球選手から取ったんだっけ)
お父さんもお爺ちゃんも大の野球好きと聞く。
だから野球選手になるのが僕の夢だったりする。
「先生!スズキ君がバテてヘロヘロです!」
「日射病か?木陰に運んで水飲んで休ませろ!」
校庭から声が聞こえた。
(日射病ってなに?あとペットボトルは?)
水筒からお茶を飲む姿を見て疑問に思う。
(中身を半分にしたペットボトルの斜め凍りは?)
ペットボトルができる前の時代に来たのだろう。
(たぶん熱中症のことだろう。次はどこに行こうかな)
★ ★ ★ ☆ ☆ ☆
ぶらぶら歩くと消毒の匂いが鼻をくすぐる。
(保健室……そういえば保健の先生が言ってたな)
脱水症状について保健委員の僕は教わった。
『1kgは1Lで計算してね』
体重50kgの人がいるとしよう。
(人の体の60%は水なんだよね)
だから人の水分量は
50kg×60%=30L。
のどが渇いた時点で1%は減っているから、
30kl×1%=0.30L。
mLに合わせると
0.30L×1000=300mL。
(小さいペットボトル約1本分になるんだよね)
厄介なのがヒトの体の水分吸収量。
『一度に吸収できるのは200~250mLよ』
(のどが渇いたって感じる時点で少し遅いのか)
だからこまめな水分補給が必要になる。
(だいたいの脱水症状の目安が……)
1%でのどが渇く。
3%ぐらいで顔がほてる。
5%から歩行がふらつく。
『%の数値は目安よ。人や場所で変わるからね』
保健の先生の話を思い出していると中庭に出る。
体育館に向かう通路で男子生徒が倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
「うう……」
仰向けると唇がみるみる青紫色に変わっていく。
(これはチアノーゼ!脱水症状が進んでる!)
急いで周囲を見渡す。
いるのは僕と男子生徒だけだった。
(意識ももうろうとしてるし――ええい!)
氏神様との約束はこの際置いておく。
脱水症状が進行すると命にかかわる。
「急いで保健室に!っと!」
男子生徒をおんぶして保健室へ急ぐ。
「留守!?」
保健室の前で息を切らしながら僕は言葉を発した。
『職員会議に行ってきます』
かけ看板が入り口にかかっていた。
「緊急事態なのに!」
僕は保健室に足を踏み入れる。
そしてベッドに男子生徒を横にする。
「冷蔵庫は――あった!」
氷枕を取り出し男子生徒の首筋を冷やす。
「袋はどこだろう?氷嚢がいる!」
脇や足の付け根を冷やそうと袋を探す。
(その前に経口補給液!砂糖と塩とぬるま湯と!)
家庭科室にあると思い僕は扉に向かう。
★ ★ ★ ★ ☆ ☆
扉を出た瞬間、目の前が真っ暗になった。
「そこまでにしとこうか」
氏神様の声がどこかから聞こえる。
「どうしてさ!早く多く水分がいるんだよ!」
「約束したじゃろ?見ておくだけと」
「命がかかってるんだ!助けるのが人でしょう!」
暗闇の中、僕は声を張り上げる。
「殊勝な心掛けで結構。じゃから大目に見ておった」
氏神様が姿を見せ周囲がほんのりと明るくなった。
「歴史の歯車がずれだしたからの」
「経口補水液とか氷嚢とか?」
「左様」
氏神様は短く話すとじっと僕を見る。
「技術は変わると大目に見たわしにも責任はあろう」
「そんなにすぐ変わるの?」
「胸部圧迫のマッサージも前に背部圧迫があっての」
「そうなの?」
「アメリカでは赤十字が推奨してたのじゃ」
伊勢湾台風が来るまで続いていたと氏神様は言う。
「あの者も本来の歴史では人が助けておったぞ」
「え?」
氏神様の言葉で僕の体から冷や汗が流れた。
「ひょっとして余計なことした?」
「左様。人の縁の巡りあわせを妨げた責は思い」
氏神様の言葉の後に沈黙が流れる。
「なあに安心せよ。誰かを助ける心がけは立派じゃ」
僕の行動を氏神様がほめてくれた。
「それに免じ減刑しておこう」
氏神様はそういうと僕の体に手を入れていく。
「この歯車で歴史の流れを調整しておくでの」
僕から歯車を取り出して氏神様は背を向ける。
「いずれまた会おう。ではな」
その言葉を最後に僕の意識は闇に落ちていった。
★ ★ ★ ★ ★ ☆
「あ起きた」
気が付くと光の中にいて姉さんの声が聞こえる。
ぼんやりとした視界の中声のする方に顔を向けた。
「良かった。浅い眠りで」
姉さんはそういうと僕を軽々と持ち上げる。
(え?なに?なにごと!??あと声が!)
声を出そうとしても口がパクパク開くだけだった。
「ぐっすりだと夜の寝かしつけが大変なのよね」
僕を横に抱いた姉さんはゆらゆらとゆらす。
「お腹すいたのねーすぐにミルク来るからねー」
姉さんの声は赤ちゃんをあやす声に聞こえる。
「マスミちゃん起きたの?」
「母さんは休んで!マスミちゃん産んだなら特に!」
姉さんは僕をもとの位置に戻すと母さんに言う。
「和痛分娩でしょ?骨盤戻るまでは安静にしてて!」
姉さんと母さんの話でピンときた。
(今僕は赤ちゃんなんだ……これが責か)
僕は氏神様の言葉を思い出す。
(中学生の僕は消えちゃったんだな……)
父さんと母さんに心の中で詫びる。
「もうすぐご飯できるよ」
「先にマスミちゃんにミルクやろうぜ、姉さん」
僕はびっくりして後の声を聴きなおす。
(この声は僕の声!)
姉さんがまた横向きにだっこする。
声の主を見ようとしても視界はぼんやりだった。
(ひょっとして赤ちゃんって視力低いの?)
僕は自分の状況をもどかしく思う。
「ミルクどうしようかな?お風呂場でしようかな」
「そうね。けぷってしたときもあるしなんなら――」
「私もミルクあげたいの!」
母さんの言葉の先を読んで姉さんが先に言う。
「まあ昼間は母さんがあたえてるから」
父さんの母さんをなだめる声が聞こえる。
「俺もミルクやってそのあと入浴かな」
僕の声の誰かが言う。
「待ってマサトさん。消化吸収の時間はとって」
「30分から1時間ぐらいが目安だぞ」
母さんと父さんの声が声の主をマサトと告げた。
(中学校で書いた仮の名前!)
僕が驚いている間にも話は進んでいく。
「あとおむつも持って行くと良いわよ」
「赤ちゃんの胃は小さいからおむつ交換は多いぞ」
「わかった。あとなにか注意することある?」
姉さんが母さんと父さんに聞く。
「哺乳瓶は吸啜窩にあてると良いわよ」
「上あごにあるくぼみのことだね」
母さんの声にマサトの声が答えた。
「マスミちゃんには探索反射や吸啜反射があるから」
「ほっぺになにか当たると首振ったり吸う反応よね」
父さんの声に姉さんが確認をとる。
「あとはそうね。今日一か月検診が終わったわ」
愛おしげな声の母さんは僕を見ている気がした。
「それで次のお休みにお宮参りに行こうと思うの」
「私も行く!それでお賽銭入れる!500円!」
大奮発よと姉さんの声が聞こえる。
おおかた胸を張っているのだろう。
「姉さん、語呂合わせも考えて」
「語呂合わせ?」
「500円だとこれ以上の硬貨はある?ってなるから」
「効果を硬貨に変えてごらん」
父さんの助言に姉さんは悩み出す。
「お賽銭は気持ちだよ」
悩む姉さんに父さんの優しげな声で言う。
「え?ならいくらでも大丈夫?どうして語呂合わせ?」
「よく言われてるから、かな」
姉さんの声にマサトは答えた。
「ご縁がありますようにで5円とか」
「ああ。十分に縁をって12円や22円とかよね?」
「そう。十分なご縁に恵まれるで17円や57円」
「どれも正解よ」
「大切なのは気持ちだから」
父さんが同じ言葉を繰り返して念を押す。
「氏神様ってなんの神様だったっけ?」
「水の神様、水神様だよ」
「あれ?恋愛成就は?」
マサトの質問に父さんが答え、姉さんが聞く。
「水に流すのが恋愛や人間関係の秘訣よ」
「そもそも言い伝えによれば昔この辺りはね」
姉さんには母さんが答え、父さんが昔話を始める。
「大雨や河川の氾濫でみんな困っていたんだ」
「そこで水を神様として奉ることにしたの」
「これが氏神様の言い伝えだよ」
父さんの解説に母さんが続きまた父さんが話す。
「参考になったよ。ありがとう父さん母さん」
「それじゃお母さんはお父さんとお話してるから」
「先にミルクを与えておいで。食事はそれからかな」
母さんと父さんの声が遠ざかる。
(姉さんに抱かて移動ってなんかふしぎな感じ……)
★ ★ ★ ★ ★ ★
「えーっとオムツは確か階段下の物置よね」
「そう。俺が出そうか?」
ろうかで姉さんたちが話をしている。
「大丈夫よ。私一人でできるから」
「マスミちゃん抱いたままで?」
「ぐぬ」
物置前につくと姉さんはしぶしぶ僕を手渡す。
「大丈夫よね?ちゃんと抱いてよ?世話してよ?」
「約束する。お祖父ちゃんを助けた人の名にかけて」
「私も男の子だったらその名前もらえたのに」
「マサミも良い名前じゃん?」
「そう?あマスミちゃんは良い名前だからねー」
姉さんはそういうと物置を開けておむつを探す。
「マスミちゃんご機嫌ナナメだねー。べろべろばー」
警戒する僕をマサトがあやしてくる。
「っとそうだマスミちゃん」
そういうとマサトは僕の首に手をあてて担ぐ。
「やりたかったことは全部俺が引き継ぐからさ」
マサトは僕の耳元で小声でささやく。
「だから安心して新しい人生を謳歌してな」
僕は大きく目を見開いて口をパクパクする。
「あー!まだ早い!マスミちゃん縦に抱くのは!」
姉さんの声が聞こえ、僕は横向きに抱かれた。
「ナナメだよ?」
「斜めも!首が座るまでは横に抱くの!」
「そうなのか。ごめんなマスミちゃん」
マサトはそう言って僕の頭をなでようとした。
「そこ大泉門!なでるなら頭蓋骨のある所!」
「大泉門……たしか頭蓋骨のくぼみだったかな」
「そう。赤ちゃんが産道を通るための工夫よ」
「骨がバラバラになってるんだっけ」
「そ。できる限り体を小さくして産まれるのよ」
姉さんは愛おしいそうに僕を抱いてあやす。
「ありがとう姉さん。教えてくれて」
マサトの謝る声が聞こえた。
「お詫びにおむつは僕が変えるよ。それで良い?」
「まったく。赤ちゃんの世話はちゃんとやってよね」
「はーい」
僕の足元でマサトが動く。
おむつを拾っているのだろう。
そう思ってるとマサトからの視線を感じた。
「約束を破るとどうなるかよくわかったよ」
※1 飲料用500mlペットボトルは1996年(平成8年)から本格的に作られています。
※2 1903~1959年まで米国赤十字は背部圧迫方式を推奨してました。
※3 赤ちゃんの声は産後2か月ぐらいからクーイングが始まります。
※4 生まれたばかりの赤ちゃんの視力は低く、色や形の識別は3か月ぐらいからです。
※5 生まれて1ヶ月前後に行く神事です。女性の体調に合わせ遅らせている人もいます。
※6 赤ちゃんの骨は約300本あります。大人は200本ほどです。