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7. ことのあらましを聞くと、どうやら俺は世間で魔王と呼ばれているようです。

「あんた、アッシュ! 起きてたのかい!」

 混乱の最中、部屋に入ってきたのはマリンだった。俺が小さい頃からこのガウルに暮らし、俺たちの世話を焼いた老婆だ。イーサに魔法の基礎を教えたその人である。


 彼女は駆け寄ると言葉もなく俺を優しく抱きしめた。

「よく帰ったね、アッシュ」

 マリンの言葉には力がこもっていた。


「……ただいま。マリンさん」

「お前ってやつは、ちょっと婆さんを待たせすぎだよ」

「ごめん。ごめんなさい……」


 それから彼女は、妹たちのそばに歩み寄るとそっと頭を撫でた。


「良かったね、イーサ。あんたは本当によく頑張ったよ」

 ようやく落ち着いていたイーサはその言葉でまた泣き始めてしまった。それにつられてアイリッシュもまた泣いた。


 二人の様子を見るに、この人が七年間、兄妹たちを見守り続けていてくれたことがわかった。俺の胸には深い感謝の念が湧きあがっていた。それからマリンに様々なことを尋ねた。彼女は丁寧にこの七年で起きたことを説明し始めた。


 まず、俺、アッシュ・グエン・ローリーの死を、兄妹たちはある上級魔族の仕業と結論づけた。


 つまり、復讐すべき相手は魔族と、それを統べる魔王であると見定めたということだ。アッシュの死によって、兄妹たちはその場から逃げ延びることができた。ビリーとクリスはすぐにでもあの魔族を追い、アッシュの仇を討つべきだと主張したが、まだ三歳だったハイネが冷静にそれを諫めた。


「今の私たちじゃ、あの魔族に殺されて終わっちゃうよ。それって、アッシュ兄さんが命を懸けて守った私たちの命に対して、あまりにも無責任だと思うの」


 末っ子の冷静な言葉に、兄妹たちは頷くしかなかった。


 それから兄妹たちは、悲願を成就すべく、それぞれの道を歩み始めた。五年の間、己の力を養い、試すため、各地で剣を、拳を、見境なく振るった。やがて彼らの力は、諸王国にも帝国にも、恐るべき存在として知られるようになった。誰かが彼らを「悪魔」と呼び始めたのも、この頃のことである。


 そして二年前、兄妹たちはついに海を渡り、魔王領への直接侵攻を開始した。魔王軍の徹底抗戦もむなしく、次々と領地を陥落させ、わずか七人で、遂には魔王を討ち滅ぼしてしまった。


 ビリーとクリスは、魔族や敵対する人間たちに相対するたび、こう言い放った。


「アッシュがいれば、こんなもんじゃ済まなかったぜ」

 その言葉は恐怖心とともに、次のような噂を大陸全土へと広めていくことになる。


「恐怖の悪魔たちを従える者がいる、その名は──魔王アッシュである」と。


 大陸各地から、土地を追われた者や、忘れ去られた者たちが、それまで以上にガウルの地へと集まるようになった。「ガウルに行けば、魔王様のご加護によって、どのような者でも救われる」という噂まで立っていた。集まった人々は自然と集落を築き、それは短期間で街となり、やがて小さな都市へと成長した。


 ガウル──かつて何もない辺境の荒野と呼ばれていたこの土地は、いつしか“魔王の都”と呼ばれるようになっていた。俺が目覚めたこの場所は、魔都ガウルの北端であり、俺たちが「家」と呼んでいた、あのボロ屋と同じ場所に建てられていたのだ。


 マリンが、俺に語って聞かせた出来事のあらましは大体このようなものだった。たった七年の間に起きた出来事の大きさに、俺は驚きを隠せなかった。


 それに──どうしたことか、マリンが「魔王アッシュ」について語るたびに、すでに泣きやんだ二人の妹たちが決まって目をきらきらと輝かせるのだ。終いには、「みんなで噂に便乗して、アッシュ兄さんの名前を広めた甲斐があるね」と顔を見合わせる始末だった。


「つまり、お前たちが狙って“魔王アッシュ”を作り上げたってわけか?」


 俺は二人の妹にきつく問いただす。


「だってほら、ビリー兄さんとクリス姉さんが“俺たちが悪魔なんて呼ばれてるなら、当然アッシュがそれを統べる魔王ってことになるだろ”なんて言うんですもん」


 イーサはそう言って、俺から視線をそらした。


「お前たち、俺が死んでいると思って勝手をして……」

 俺がさらに小言を言おうとしたところで、黙ってやりとりを聞いていたマリンが口を挟む。


「アッシュや、そう怒らないでおくれ。この娘たちもそうじゃが、兄妹みなが死地に赴くほどの想いで力を尽くしたのじゃ。私もほんとうに、恐ろしくすら思ったよ……」

 マリンはぽつりと呟くように言った。


「みなが怪我を負って、血まみれで戻ってくるたび、私らの方が夜ごと震えて泣いたものじゃ……それでもな、皆、止まらなかった。アッシュよ、お前のために」


 俺は言葉に窮する。


「私らがいくら止めても聞かんかった。アッシュが生きていたらどう言うだろうと考えながらも、それでも突き進んだんじゃ」

 その言葉に、胸の奥がじわりと熱くなる。


「それがのお、あれよあれよという間に、こんなことになって……お前も当然驚いておるじゃろうが、そばで見守っていた私らが、どれほど驚かされ、ヒヤヒヤさせられたか……」

 その言葉を聞いて、俺は目の前の老婆に対して、深い同情心を覚えた。


 すると、会話を聞いていたイーサが改まって話し始める。


「──兄妹みんなで話していたんです。私たちがここまで迷わずに成長できたのは、胸の中にいつも、アッシュ兄さんがいてくれたからだって。兄さんがいなければ、今の私たちはいないんだって。兄さんの存在がなかったら、私たちは私たち自身を守れなかった、誰に何を言われても、何をされても、私たちはアッシュ兄さんがいたからその全てに耐えられた。兄さんがいなかったら、私たちは……私たちは、もうきっと──」


 隣で聞いているアイリッシュは、何度も力強く頷いていた。


「違うよ、イーサ。俺は、お前たちに何もしてやれなかった」

 俺は少し間を置いてから、正直に呟いた。


「そんなこと……絶対にありません!」

 しかし、イーサはそれを力強い口調で否定した。


 その言葉に驚いたのと同時に、何故だか俺の心は震えていた。あの口数の少なかったイーサが、俺の言葉をこんなにも力強く否定したことに。妹の成長を喜ばない兄などいないのだ。


「ごめんな。お前たちがそう思ってくれているのなら、それは俺にとって何よりの喜びだよ」

 それも俺の心からの言葉だった。


 そうだ──俺は、誰を敵に回そうとも、彼らを守ると誓ったではないか。たとえ俺が“魔王”と呼ばれ、すべての国、すべての戦士、すべての勇者、すべての人々を敵に回すことになろうとも関係ない。


「それに兄さん、安心してください。“魔王”なんて、今のところはあだ名みたいなものですから!」

「そうじゃよ、アッシュ。本気にするでない」

 マリンもイーサを助けるように言った。


「……そうだな。二人の言う通りだ。でも、俺は決めたよ」

俺の中の戸惑いも、混乱ももうすっかり消えてしまっていた。俺は続ける。

「こうしてまた皆の前に戻ってこられたんだ。魔王だろうと何だろうと、この命の限りを、皆のために捧げよう。どんなことがあっても、もうお前たちの前からいなくなったりはしないと誓うよ」


 イーサはその言葉を聞いて、ふたたび俺の胸に力強く飛び込んできた。アイリッシュはどこか感動したような表情を浮かべ、マリンは「やれやれ」といった表情でこちらを見ていた。


(だけどこの俺が、魔王か……)

 俺は心のうちで苦笑し、小さく呟く。


「──アッシュよ、ガウルの街は見たのかい?」

唐突にマリンが尋ねる。

「いや、まだだよ」

「なら行ってくるといいさ。イーサ、お前もダリアにこのことを伝えに行くのなら、アイリッシュと一緒にアッシュを街まで案内しな」

「そうね! そうしましょう、兄さん!」

イーサが飛び跳ねるように言い、アイリッシュの耳がぴくりと起き上がる。


「気を回してくれてありがとう。俺さ、マリンさんも全く変わっていなくて安心したよ」

 彼女はため息をついた。

「お前たちみたいな若いもんには、私みたいな口うるさい婆さんが一人は必要じゃと思ってな。お前が帰ってくるまで必死に生きてきたんじゃから、これからもっと感謝の気持ちを私にも伝えるんじゃぞ」

「わかったよ!」

 俺は笑顔で応えた。


 そうして俺たちは、マリンを残し「家」を出て、ガウルの中心部へと向かうのだった。

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