5. イーサの蘇生魔術
結論から言えば、ここは死後の世界ではなかった。紛れもなくあの世界の現実だった。俺はあの日確かに死んだ。そして、目の前にいるイーサの力で今こうして蘇ったのだ。
「それでは、イーサが説明します」
彼女が改まって話し始めたのは、俺には信じ難い内容だった。魔法の存在しない世界での百年が感覚を鈍らせていたのは間違いない。彼女は嘘など付く子ではない。けれど目の前の妹の力は俺の想像を遥かに超えていた。
アッシュ・グエン・ローリーはこの世界での七年前のあの日、確かに死んだ。俺の亡骸は、俺たちが「家」と呼んだボロ屋に運ばれた。それは次第に腐敗し、蠅が集り、蛆がわいて、ひどい匂いを発しながら、やがては白骨となった。しかし、変わりゆく兄を見つめながら、兄妹たちは諦めなかった。俺をこの世界に蘇らせ、俺を殺したこの世界に復讐することを決めた。
「イーサもね、とっても、とっても頑張ったんですよ。兄さんに会いたくて。話したくて。そばにいたくて。……頑張ったなって昔みたいに褒めて欲しくて」
健気に目元を拭いながらの彼女の言葉に息が詰まりそうになる。
イーサは、マリンを頼って魔法の修養を始めた。それも、その才能の全てを恢復の魔術に注ぎ、遂には白骨となった死者にも生の祝福をもたらすほどの蘇生魔術を完成させたのだった。
「それでも……兄さんは目覚めなかったんです」
彼女は悔しげな表情を浮かべた。俺はその横顔に胸が痛んだ。
「まるで血肉とは別の何か大切なもの……そう、肝心な魂がどこか遠くへ行ってしまったかのように、兄さんは空っぽの人形のようでした」
「そうか……」
俺は転生のことを思い浮かべた。魂だけが、遠い別の世界に飛ばされていたのだろう。
「自分の無力さを呪いました……これじゃ、兄さんを死なせてしまったあの日と何も変わらないじゃないかって。ダリアもね、得意な召喚魔術を応用して、兄さんの魂を見つけようと必死に頑張ってくれたんです」
「そうか……ダリアも無事でいるんだな」
イーサは静かに頷いた。
「それでも兄さんの魂の行方はつかめず……気がつけば七年もの歳月が過ぎていました。それが数日前。突然のことでした。兄さんの魂が現れたんです。ダリアが必死に呼び寄せて、私が兄さんの身体にその魂を定着させたんです」
彼女の言葉は先ほどまでとは違い、話すほどに、沈み込んでいくような哀しげな調子を帯びていた。
「ずっと待っていたのは、私じゃなくて兄さんの方だったのに……」
「そんなことはない! 俺は……」
「アッシュ兄さん」
俺の言葉を遮るように彼女は言った。
「私はね……兄さんに謝らなければなりません」
「どうしてイーサが謝るんだ。待たせてたのは俺の方で、謝らなければいけないのも俺で……」
「違うんです! 違うんです、兄さん……謝りたいのはもっと別のことなんです」
「ずっと考えていました。これは兄さんが本当に望んでいることなのかって。本当に兄さんは待っていてくれてるのかって。兄さんの意思を確認せず、わがままで兄さんを蘇らせてしまったんです。もう一度兄さんに会いたかった。会ってお話しがしたかった。他愛もない兄さんとの生活が送りたかった。そんなただのわがままで身勝手に付き合わせてしまったんです……だから、本当にごめんなさい、アッシュ兄さん」
話し終えると、彼女は大粒の涙を流した。俺はその涙をただ呆然と眺めていることしかできなかった。
どうしてまた彼女を泣かせてしまっているのだろう。この小さな身体に、人智を超える力を宿してまで俺を想い、懸命に生きてきた妹に、なぜこのような表情をさせてしまっているのだろう。
誓ったじゃないか──何度も、何度も、何度も。もう家族を泣かせはしないって。
俺の百年はこんな時にどんな言葉も口にできないほど、薄っぺらいものだったのか? 俺は無意識に、奥歯を強く噛み締めていた。悔しさと情けなさが、喉元に苦くせり上がった。無力感に苛まれ拳を強く握っていた。
俺は、震えるイーサの両手に手を添えた。そして、もう一方でイーサの肩をそっと抱き寄せた。それは、俺が百年もの間、ずっと願いながら、決して叶わなかったことだった。
「なあ、イーサ──」
俺はその名を呼んだ。彼女は啜り泣いたままだった。
「俺も、ずっと、お前に会いたかった。会って謝りたかった。……置いていってごめんな。そして何より、ずっと生きて待っていてくれて。ありがとう」
そう言う俺の瞳からも、涙がこぼれ落ちようとしていた。
「これからは私も連れて行ってください。どこへだって一緒に。でもね、もしまた置いて行かれたって──イーサは何度だって、何度だって同じように言うんですから……おかえりなさい、兄さん」
小さく言うとイーサは深く寄りかかった。
「ただいま、イーサ」
俺たちはそれからまた、二人だけの静かな時間を過ごした。