表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/50

4. 三女イーサ・グエン・ローリー

 「銀色の悪魔」と恐れられる存在がいた。

 彼女は美しく可憐な容姿からは想像できない「純で歪な再生」をもたらした。荒廃した大地に草花を咲かせ、枯れた森を悉く深緑に染め、彼女を前にして死者は瞬く間に息を吹き返した。蘇った者らはその生に付随して、幾度となく終わりのない死を繰り返した。


 アッシュはまだ知らない。いつからか、人々はそんな彼女に恐れ慄き、悪魔の一人として、その名を唱えたことを。イーサ・グエン・ローリー。その名は人々のうちに終わることなく永遠に循環する生と死の恐怖を植えつけたのだった。


❇︎


 イーサは俺の頬に、自らの頬を擦りつけて、強く抱きついていた。俺の五感の全ては、これは現実だと訴えた。しかし、俺は先ほどの声の余韻に取り残されて、ただ茫然と受動的な態度から抜け出すことができなかった。


「兄さん、アッシュ兄さん!」

 彼女は震えた声で何度も繰り返した。


「……イーサ。君はイーサなのか……」

 ようやく口にできたのはそんな言葉だった。


「私です! 妹のイーサです、アッシュ兄さん!」

 胸の中の少女は力強く何度も頷きながら言った。俺はその答えを聞いてもなお半信半疑でいた。それでも、耳にかかる息遣い、胸の辺りを通して伝わる柔らかな感触と体温……そのどれもが、現実としか思えない質感を持っていた。


「俺はいったい……」

 言葉は形にならなかった。しかし、俺は僅かな勇気を振り絞り、宙に浮いていた両腕を彼女の背に回すと、そっと抱きしめた。彼女の鼓動と息遣いが早くなるのを感じた。


 俺たちは言葉もなく、かなりの間、そうしたままでいた。


 そうしていると、次第に現実かどうかなど疑っていた自分が愚かしく思えてきた。目の前に最愛の妹との待ち焦がれた再会がある。それを、受け止めずに、喜ばずに何が兄なんだろうか。


「……イーサ」

 再び俺は彼女の名を呼んだ。今度は落ち着いた声で。彼女は少しだけ身を離すと、俺の顔を見上げた。頬を赤らめて、潤ませたその大きな青い瞳で俺を見つめた。俺も彼女の目をしっかりと見つめ返していた。


「大人になったな。見違えたから半信半疑で……その、本当に綺麗になったなイーサ」

 彼女は何も言わなかった。ただ、瞳の奥から新しい涙が滲んでくるのが見えた。

「まさか死んでからまたお前に会えるなんて、願ってはいたが、本当になる日が来るなんてな」

 俺は素直に言った。


「……アッシュ兄さん。イーサ、ずっと待ってたの。ずっと・ずっと・ずっとよ。この時を……待ってたの」

 絞り出すように言った後、彼女の瞳の奥に滲んだ涙はぽろぽろと大きな粒となって溢れ出した。


 俺は声を上げて泣き出した妹をそっと抱き寄せると、彼女がまだ小さかった頃を思い出しながら、落ち着くまでずっと頭を撫でてやった。


 しばらくそんな時間が続いた後、俺はようやく落ち着いた彼女を寝台の淵に座らせると、隣に腰をおろした。彼女は昔と変わらない仕草でべったりと体を近づけ、鼻唄を歌いながら、降ろした足をぶらぶらとさせていた。


「それにしても、お前もそんな若さで……」

 俺はイーサの姿を改めて眺めると、神妙な口調で言った。確かに大人びていたがまだ少女であることに変わりはなかった。死者の国に来るには早すぎる。命を落とすには余りに若すぎた。

「こちらに来るにはあまりにも……俺がもっとしっかりしていれば、お前ももっとずっと長く……」

 そう言いかけると彼女は口を挟んだ。にこにこと笑顔を浮かべたその表情は曇りひとつなく輝いて見えた。


「兄さん。私ね、全然死んでなんかいないわ。ここは現実よ。イーサ・グエン・ローリーはこうして元気に生きてます!」

「いや、でも、俺たちは現にこうして……」

「兄さん、あのね……今はもう少しこうしててもいい? イーサ、兄さんと二人だけの時間を楽しみたいの」

「ああ、わかったよ」

 俺は頷き、微笑んだ。


 イーサの表情は終始綻んだままだった。口調の端々から浮かれた調子が伝わった。まるで上機嫌が胸の奥から溢れ出しているかのようだった。それに、俺たち家族の前でだけ、自分のことを「私」ではなく「イーサ」と言ってしまう癖も昔と変わっていないのが、何より嬉しくてたまらなかった。


 可愛らしいままの、俺の妹が変わらずそこにはいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ