42. 新たな終わりの足音
俺たちはピカホンタスの領主邸へと向かっていた。フェリムとダーリャは宿に残してきた。彼女たちは留守番を嫌がったが、王国でも立場のある人間に呼び出された都合、連れて行くわけにはいかなかった。
途中に寄ったギルドでは、相変わらず人獣型の魔物を討伐した勇者ユウキの話題で持ちきりだった。「北の廃坑の奇跡」は、領主からの圧力により、口外の禁止のお達しが各パーティーに出されたのだが、噂は封殺しようと思うほどに尾鰭をつけて広がっていった。
あれから数日が経過した。廃坑での一件で疲弊した兄妹たちも大分その力を取り戻し始めていた。
「遊びに行くのだ!」
すっかり元気なフェリムは何度も俺の手を引いて宿を飛び出して行こうとしたが、皆で必死に引き留めた。駆けっこの約束も少し待ってもらった。その代わりに違う遊びも新しく考えてあげることを約束して何とか納得した。
俺も順調に回復していた。しかし、アイリッシュの能力でまるであるように偽装しているが、──俺の左腕は、失われたままだ。
あの日、俺が目覚めた時、痛みはもう引いていた。後頭部には柔らかなイーサの太腿の感触があった。血は止まり、傷口は塞がっていたが、左腕は再生されていなかった。
「……イーサ、言いつけ通りにしてくれたな」
俺の頭を膝の上に乗せたままの姿勢で、イーサは疲れ切って眠ってしまっていた。その肩ではアイリッシュも頭を寄せて眠っていた。彼女たちの穏やかな寝顔の向こう、天井に見える空はもう夕暮れの赤に染まっており、澄んだ空には一等明るい星々が輝き始めていた。薄闇の中で、フェリムとダーリャが戯れあっている声が聞こえた。
「起きましたか、アッシュさん」
岩壁に寄り掛かって座ったユウキが、横たわった俺に向かって言った。俺はその呼び名から彼が全てを察してしまったことを理解した。アイリッシュの魔法が解けたイーサの髪色、そして、剣を交えた時に、俺が発した言葉の数々……類推するには十分過ぎるほど事足りた。
「ユウキ……」
「待ってください。謝らないでくださいね」
ユウキの声にもまた疲労が色濃く現れていた。
「……俺は、世間で魔王と呼ばれているらしいんだ……不思議だよ」
「妹さんたちから大まかな事情は聞きましたし、戦いの中、色々なことから察してしまいました。俺はずっと魔王を目の前にして勇者を語り、殺すとまで言っていたんだな……」
「すまない、騙していたようで」
「どうか、気にしないでください。殺すなら今だって僕の身体はこうしている間も言ってるんです。僕の方こそ謝らないといけない。遂に確実な時が来たって。あなたと戦っている時も、この勇者の身体は、魔王を倒せ、魔王を殺せと俺の意思とは無関係にあなたに向かっていたような気がします」
俺はしばらく考えて黙り込んだ。
「殺すなら、今だ。俺もそう思う。お前の意思がそう言うなら、殺されてもいいとすら今も思っている。もちろん、妹たちは黙っていないだろうが……」
「これをやったのが、妹さんたちなら……僕はあなたに触れる前に死んでしまいますよ」
ユウキは遥かな天井の大穴と、そこから覗く星空を見上げて言った。
「それに」ユウキは言葉を繋いだ。
「俺の意思は、俺の身体とは正反対にあります。俺の知っている魔王という存在は、あなたのような穏やかな顔をしていません。だから……この身体の衝動を抑え込める今はまだ、結論を出したくない、先延ばしにしたい。あなたともっと話してみたい。そんなところです」
「俺だって、また、いつどうなるかわからないんだぞ……」
「そうなったら、その時は、運命に従いませんか? 先延ばしにする癖が前の世界では最低の悪癖だったんですが、今日だけはそれが役立ちそうだ」
彼は柔和な笑みを浮かべた。
「それにしてもその腕……」
「気にしないでくれ、ユウキ。これは俺の行動の帰結であり、俺が当然受けるべき報いだよ。そして、俺が進むためには必要な報いなんだ」
俺は失った左腕を見つめながら言った。ユウキは神妙な表情を浮かべ黙り込んでしまった。
しばらくの沈黙の後で、俺は尋ねた。
「ところで、ユウキはこの後どうする?」
「僕は……王都に戻って色々と調べてみようと思います。勇者のこと、魔王のこと、それからこの国で今起こっていること。知っているつもりになっていたことをもう一度調べ直してみるつもりでいます」
「そうか、それじゃあ。お別れだな」
「ええ、どうせ運命がまた僕たちを引き合わせますよ。僕のいた前の世界では、勇者と魔王は矛盾を抱え合って必ずまた相対する、物語の様式美のひとつでしたから」
そう言うとユウキは立ち上がった。
「もう行くのか?」
「ええ、魔王様とその家族の時間に、勇者は必要ありませんから」
爽やかに言うと彼はもう歩き出していた。戯れあって追いかけっこをしていたフェリムとダーリャも立ち止まってこちらを見た。
「また会おう、ユウキ。必ずまた」
「ええ、必ずまた」
彼は背を向けたまま答えた。
「勇者くん、今度はわらわと遊ぶのだ!」
「みゃあっ」
二人も立ち去るユウキに声をかけた。彼は後ろ向きで手を振って応えた。
立ち去るユウキの背中を見送りながら、俺はようやく終わった何かを噛み締めるように、もう一度ゆっくりと目を瞑った。失った左腕の空白が、何故だか静かに疼いているような気がする。腕を失った騎士にそういった症状が見られると聞いたことがあった。
遠ざかるユウキの足音。それに紛れるようにして、何かが逆に歩み寄ってきている。間違いなく何かが終わった。そして、確実に何か新しい終わりが始まろうとしている。その足音が暮れてゆく空の下に小さな足音を響かせようとしていた。




