41. 魔王と勇者は、どうやら戦う運命にあるようです。
「モーリスさん? どうしたんです。一体何が……」
俺は目に映るユウキが狼狽えているのが不思議でならなかった。この洞窟内の状況は確かに異常に映るだろうが、彼の狼狽えようは、その種のものとは違って見えた。
左腕に奇妙な重みを感じた。頭上のダーリャが声を荒立て、俺の額を激しく叩いていた。
「どうしたんだ? ダーリャ」
俺は頭上を見上げた。そして、動いた視線の中でようやく気がついた。俺の左手にはすでに鞘から抜かれた剣が握られていた。そして、足がユウキの方へと一歩、一歩と近づいていた。
「殺せ、殺せ」
左腕がまるで声を発するかのように激しく疼いていた。まるで黒々とした痣の中で、あの魔王の身体が鼓動するかのように、激しく脈打っていた。疲労し切った俺は格好の獲物だとでも言うように、その鼓動はやつの高笑いにも似て聞こえた。
「……モーリスさん、冗談はやめませんか?」
ユウキは動揺を隠せていなかった。
「ユウキ、私にも何が起きているのか……」
俺の身体は、言葉と裏腹に彼の方へと向かい、自らの意思でそれを止めることができなかった。
「コロス・ユウシャ・コロス」
俺の耳にそのような言葉が聞こえた。そして、その言葉にユウキも、兄妹たちも目を見開いているのが見えた。それは俺の声で、俺の口から発せられたものだった。頭上のダーリャは変わらず声を上げて俺の額を叩き続けていた。イーサとアイリッシュが俺を制止する声を上げていた。
しかし、俺の足は止まらなかった。俺はユウキの前に立ち、剣を振り上げると、真っ直ぐに振り下ろしていた。
空気が震えた。刃と刃がぶつかり、静寂の日だまりに一条の金属音が響いた。ユウキが構えた刃が、俺の刃をしっかりと受け止めたのだ。
「モーリスさん! 正気を取り戻してください!」
次々に振り下ろされる刃を受け止め、受け流しながら、ユウキは必死に叫んでいた。しかし、それもやっとであることが見受けられた。彼からはあの人獣型の魔物との戦闘の傷跡と疲労とが色濃く現れていた。
頭上のダーリャは抵抗したが、勢いのままに振り落とされ、それを飛んできたフェリムが両腕で受け止めたのが見えた。
「……すまない、ユウキ」
俺は正気のつもりでいた。しかし、その正気さとは無関係に身体は動いた。勇者の身体に向けられた敵対心が身体から溢れ出していた。俺は奴に喰われかけていた。奴はこの時を、虎視眈々と狙っていたのかもしれない。心なしか、腕の痣が広がっているようにも見えた。
「俺は……勝手に身体が動いて……切るんだユウキ、俺を……」
「できません……俺は貴方を切れない!」
ユウキは強く叫んだ。兄妹たちも、ユウキに付き従ってきた門兵たちも、ただ俺たちの行末を見守ることしかできなかった。
「このままだと、俺はお前を殺すことに……」
俺は何とか言葉を発していた。その一声一声すらも必死の抵抗によってようやく発することができたものだ。そう言いながら、俺の剣は振るごとにその重さを増していた。足元の悪さも影響して、ユウキの限界も近づいているように見えた。
じりじりと刃が交わり、俺とユウキの視線が重なる。彼は、その重みに耐えながらゆっくりと口を開いた。
「……不思議です。俺は貴方を切れない、切りたくないってそう思っているんです。でも、こうして刃を交えていると、身体のうちから戦え、戦えって力が湧き出してくるんですよ……もう疲れ切って、力なんてこれっぽっちも残っていないはずなのに……」
ユウキはそう言うと、突如、俺の剣を力強く弾き返した。その勢いで、俺は背後に大きく後退りした。
「兄さん!」
イーサが叫んだ。しかし、アイリッシュも含め、消耗から動くことができなかった。今にも、ユウキに食ってかかろうというフェリムをダーリャが必死に抑えていた。
「今は何故だか、貴方を切りたいって、切らなければいけないって身体が動くんですよ。戦え、戦えって……変な気分です」
そう言うとユウキは剣の柄を握り直した。俺は、彼の目をしっかり見据えて、大きく頷いた。
「……切れ、切ってくれ。ユウキ」
その言葉と共に俺もまた彼に向けて、剣を構え、体勢を整えていた。まるで、俺たちは戦う運命にあるとでもいうように、互いに向かい合い、視線を交えた。身体の高揚が、俺の魂を犯し始めたのだろうか。俺は少しずつ戦いへの高揚に呑まれつつあった。
「俺たちは戦う運命にあるかのようですね」
ユウキは言った。俺はその言葉に笑っていたような気がする。俺たちは互いに向けて駆け出していた。何度かの太刀が交えられ、重なるたび、洞窟の空気が激しく揺れた。その対峙はそう長くは続かなかった。
そして、俺の渾身の一撃が振り下ろされていた。ユウキの剣が大きく弾き飛ばされ、彼は大きく後退して、砂地に尻をついた。
俺の握りしめた刃はユウキの命を奪おうと、輝く最後の切先を差し向けようとしていた。ユウキの呼吸が上がり、表情には諦めの色も見えた。彼は、もう少しも動けそうになかった。俺は最大限に自らの身体に抗おうとしていた。しかし、俺の身体はじりじりと確実にユウキへと向かっていた。
「フェリム……、俺の左腕を、壊してくれ……」
今にもユウキに振り下ろされそうな刃を必死に抑えながら言った。
「お兄ちゃま。でも、なのだ……」
「頼む、フェリム……このままだと、俺は……彼を殺してしまう。俺はそれを望んでない。それに、お前たちとしたばかりの約束も……俺のいたい場所は、この剣の先にはないんだ……」
フェリムにはまた、背負う必要のないものを背負わせてしまう。それでも、今の俺は彼女を頼るしかなかった。
「頼む……急ぐんだ、フェリム!」
俺は渾身の力で叫んでいた。
左腕は激しく脈打ち、黒々とした痣はその範囲を大きく広げていた。完全に喰われる、俺は思った。このままでは、ユウキに、勇者の身体に向けられた刃は確実に彼を殺すだろう。
「……コロス、ユウシャ、コロス、コロセ」
俺の口は意思とは関係なく、そのように動いていた。限界が近づいていた。
「……フェリム」
フェリムは抱えていたダーリャをそっとアイリッシュの頭の上に置くと、ゆっくり俺の方を向き直した。
「……お兄ちゃま、ごめんなさい、なのだ」
フェリムはそう言うと俺に向かって飛び、優しく左腕に触れると、ぎゅっと瞼を結びながら小さく叫んだ。
「……ばらばら、なのだ!」
彼女の言葉とともに、握られた剣ごと俺の左腕に亀裂が入った。やがて、それは細かく砕け落ちていった。綺麗にできた傷口からは、肉と骨とが露出して、赤々とした血が噴き出した。
「イーサ、この腕は再生させちゃだめだ……頼む……」
俺は最後の力を振り絞って言った。そして、妹たちの方に顔を向けてゆっくりと微笑んで見せた。
「絶対に、たのん、だ、からな……」
それは明確に俺の意思だった。
俺は遠のく意識の中で、傷痕から滴り落ちる鮮やかな血の熱さと、全身に沁みてゆく激しい痛みを感じた。同時に、患部から全身に広がる、何かがジワリと麻痺してゆくような奇妙な感覚に溺れ始めようとしていた──。
第一章「非業の魔王の帰還──ルーランド王国の謀略編」 完
今話を持って〈第1章〉完結となります。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
アッシュが選んだ“非業の魔王”としての道は、どのような軌跡を描くこととなるのか。兄妹たちは、そんなたった一人の兄と共にどのような運命を選び取ることとなるのか。〈第2章〉では、さらなる兄妹たちも登場し、王国との本格的な攻防が始まります。これからも彼ら家族の物語を見届けていただければ幸いです。
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※〈第1章〉全体の整合性や誤字脱字の確認、読みにくい部分の修正等を数日かけて行った後、連載を再開予定です。




