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2. 死後の空白にて

 死後の世界は、白く、広かった。

 際限のない白さと、際限のない広さが俺を包み込んでいた。噂に聞く神も仏も見当たらなかった。天国か地獄かさえも検討がつかない。まるで無限に広がる空白。俺はたった一人でそこにいた。以前に来た時はどうだったかと思い出すが、俺の記憶は曖昧だった。不思議と初めて来たような気もするし、もう何度も来ているような気もした。


 地平線もなく永遠に延びてゆく空間を、行く宛もなく、ゆっくりと泳ぐように彷徨っていた。そうしていると、様々なことが頭に浮かんでは消えていった。思い出すのは、兄妹たちのことばかりだった。


「イーサ」

 俺はぽつりと呟く。そして、彼女の姿を思い描く。それが投げ込まれた一粒の小石のようになって、水面を揺らし、やがては波紋を広げ、彼女との様々な思い出が浮かび上がらせる。


 三女・イーサは誰よりも優しい子だった。俺が生涯を終えるとき、まだ十歳のあどけない少女だった。故郷で人攫いにあったのか、ビリーとクリスと共に奴隷商の馬車を襲撃したとき、彼女は俺たちの家族になった。ビリー、クリス、ダリアに続いて、俺にとっては四人目の家族だった。


 彼女は五歳。最初は泣いてばかりいた。


 北方の先住民族が持つ美しい銀髪、透き通る白い肌と青い瞳が人攫いどもを惹きつけたのだろうか。彼女たちは、帝国や諸王国で高額で取引されると聞いたことがあった。


「ア、……アッシュお兄ちゃん!」

 彼女の口から聞いた最初の言葉。

「……今、俺の名前を呼んだのか」

 確かに聞こえた彼女の声に俺がどれだけの喜びを抱いたことか。ビリーとクリスがどれだけ悔しがったことか。今でも鮮明に思い出すことができる。怯えたように口数が少なかった彼女は、それから少しずつ他の兄妹たちとも打ち解けていった。


 彼女は人一倍、周囲への気遣いのに満ちて、それでいて周囲に流されることのない芯の通った強い心を持っているのは誰の目にも明らかだった。


「この()には魔法の才があるよ」

 村の中で一番魔法に明るい、マリンは言った。

「いいな! すげえな! でっけえ炎とか出せるのか? 俺も炎の剣で戦ってみたいぜ」

 魔法がてんで駄目なビリーは目を輝かせた。イーサは照れながら、嬉しそうにはにかんだ。彼女の民族に特有な高い魔力が備わっていたのかもしれない。結局俺は、その才能をこの目で見ることもできないまま死んでしまったが。


「イーサも兄さんについていく!」

「ダメだ、危険なところに行くんだ。だからお留守番だ」

 彼女は頬を膨らませる。そんな言い合いが何度あったか数え切れはしない。大人しく、他の兄妹たちと比べて主張の少ない彼女が唯一譲らない部分だった。


「やだ、イーサも行く。一緒に行くんだ」

 いつまでも俺の袖を引いて離れようとしなかった。終いには涙まで流す時もあった。また、帰ってくれば歳の近いダリアと競い合ってべったりと俺の側から動こうとしなかった。


 そんな彼女も次第に大人になった。


「兄さんが私を助けてくれた。だから、私も兄さんの力になりたい。いつか、イーサは兄さんの役に立てるようになる!」

 彼女が自分の言葉で伝えてくれた言葉。彼女が掲げてくれた人生の目的のひとつ。俺はそれを忘れることはない。


「そ、それにね、私は、いつかは兄さんと……」

 顔を真っ赤に染めた彼女がその後何と言ったのだったか。俺の記憶は途絶えている。


 だからこそ、涙に濡れ、崩れて歪み切った彼女の最期の表情を思い出すと、俺の胸は激しく痛んだ。

「……やだよ、やだ。置いて行かないで。私を、イーサを置いて行かないで……アッシュ兄さん! アッシュ兄さん!」


 美しい銀髪を激しく乱しながら、何度も、何度も、俺の名を呼ぶ彼女の声は、悲痛と絶望に満ちていた。胸に縋りつき、泣き叫ぶイーサの姿を、俺は微かに動く視線で(なだ)めてやることしかできなかった。他の兄妹たちも、そんな彼女を決して止めようとはしなかった。


 彼女から人生の目的のひとつを奪おうとしている自分を強く憎んだ。そして、実際に奪ってしまったことを転生してからの百年、絶えず後悔し続けた。


 ひとつの想起をきっかけに、色々なことが次々と思い出される。これが走馬灯というやつだろうか。死後の、この白い世界が及ぼす作用だろうか。……しかし、俺は今さら不安になる。彼女は、イーサはあの後幸せな人生を送れただろうか? 


「きっと綺麗になっているだろう。いい恋をして、幸せな家庭を築いて、俺のことなどすっかり忘れて、逞しく、幸福な最期を迎えただろう」


 首を横にふって唱えるように口にしてみる。そうだ。それは、願いでも、祈りでもない。彼女に対する俺の細やかな確信だった。

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