32. 兄妹の約束
「──ラマス! 今日は早く帰るのよ!」
「わかってるよ、母ちゃん!」
母ちゃんは心配性だ。父ちゃんが死んで、兄ちゃんたちが兵士にとられてから、ますます酷くなったように感じる。
「俺ももうすぐ十五だよ。もう立派な大人さ。それにさ、俺はいずれ王国直属の兵士になる男だよ? 兄ちゃんたちなんかすぐに追い越してやるさ!」
「馬鹿! まだまだ子供の癖して、何言ってんだい!」
「うるさいなあ」
俺は靴紐を絞めながら、母ちゃんの顔も見ずに言う。子離れしない親だなとも思う。準備を終えて出かけようとした時、妹のティーナが不安げな顔つきで左の袖口を引いた。まだ六歳、俺の誰より愛しい妹だ。
「どうした、ティーナ?」
「お兄ちゃん、はやく帰ってきてね、あの……」
「ティーナ、いいか。言いたいことがあったら、言いたい時に言うんだ。いざ、言えなくなった時、困るのは自分だぞ」
「あのね……ティーナね、あげたいものがあるの。その、お兄ちゃん、もうすぐお誕生日だから……」
「ありがとな、兄ちゃんすっごい楽しみだ!」
パニサの空は今日もどんよりと暗かった。俺の生まれ育ったパニサ村は大陸で一番、曇り空と雨が多い場所らしい。晴れた空でも、視界のどこかには必ず雨雲が浮かんでいる。
「降らないといいな……」
俺は厚い雲を見上げて呟く。
村のはずれまで少し距離がある。そこまで歩いて、俺は、今日も剣をふる。兄ちゃんのお下がりだけど、今の俺にはまだ少し重い。それでも、──誰よりも剣を振るうんだ。
誰よりも体力をつけて、強くなって。ティーナも、母ちゃんも、この村も、この国だって、ぜんぶ俺が守ってやるんだ。そんなことを心に思いながら、毎日、日暮近くまで、俺は必死に剣を振り続けた。今日は少し、ティーナの贈り物のことがチラついて、集中しきれなかったけれど、それは明日への課題だ。
「前向きに行こう!」俺は仰向けに寝転び、ひとり叫んだ。
❇︎
「ただいま!」
「おかえり。ラマス。あれ? あんたティーナと一緒じゃなかったのかい?」
母ちゃんは夕食の準備の途中で俺を出迎えた。台所の方では鍋がことことと音を立てている。
「あんたへの贈り物の準備だって嬉しそうな顔して、昼過ぎに出てったきりだから、あたしはてっきり、あんたと一緒だと思ってたよ」
「俺は会ってないよ」
「そうかい? 降ってきそうだし、心配だねえ」
母ちゃんは戸口から空を見上げて言った。
「母ちゃん、俺、探してくるよ。母ちゃんは安心して。とびきり美味い夕飯を作って待ってればいいから!」
胸騒ぎがした──背筋を何か嫌なものが這う。俺は何か言いかけた母ちゃんの言葉を最後まで聞かずに走り出していた。だけど、ティーナの行きそうなところには心あたりがあった。きっと時間を忘れて遊んでいるだけだ。俺もティーナくらいの時にはよく母ちゃんに叱られた。
空はもう殆ど暗闇に沈み込んでいる。
(ティーナ。頼む。無事でいてくれ)
村のはずれ。少し森に入ったところに、少し開けた場所がある。そこは俺とティーナの秘密の場所だった。ここは日当たりも比較的良いから、じめじめとした森の中では見かけない花も咲いていた。それがティーナのお気に入りの理由だ。
「ティーナ!」
「お兄ちゃん?」
俺は息を切らしたまま駆け寄って、振り向いた妹を思い切り抱きしめた。半分泣いていたことも認める。泣き虫でもいい。でもそれほどティーナの無事が嬉しかった。
「……痛いよ、お兄ちゃん」
「兄ちゃんがどれだけ心配したと思ってんだ!」
「ごめんなさい……あたし、これ。お兄ちゃんの大好きなお花だから」
ティーナが差し出したのは、タダバ草で編んだ黄色い花飾りだった。ここには、たくさんのタダバの花が群生して咲いていた。
「ずっとこれを作ってたのか?」
「ごめんなさい、お兄ちゃん。ここでしか、このお花見つけられなくって。お兄ちゃんが王国の立派な兵士になれますようにって、おまじないをしながら作ったの、あたし、それで……」
「ありがとな。ティーナ。兄ちゃんずっと大切にする。ずっとだ。いつか兄ちゃんな、王国の兵士になったら、太陽がいっぱい降り注ぐ花畑にティーナを連れてってやる。約束だ」
「……約束?」
「そう、約束だ! 雲ひとつない日だまりの中で、いっぱいいっぱいお話ししよう。母ちゃんも、上の兄ちゃんたちだってみんな一緒だ。そしたら、花冠だっていっぱい作ってくれよ」
「すてき! あたし、約束する!」
ティーナそう言うと満面の笑みを浮かべた。
雨が降り出した。小さな雨粒が、柔らかに滴ってタダバの花弁を揺らして落ちた。それが次第に、あたり一面を黒々と濡らし始めた。
「……母ちゃんが心配してるから、そろそろ帰ろうか」
俺がそう言ってティーナを立ち上がらせた時だった。
森の奥から黒いフードに身を包んだ怪しげな二人組が俺たちの前に突如姿を現した。魔導士? のように俺には見えた。とにかくこの辺りでは見かけない出で立ちの男たちだった。
「隊長、幸運でしたなあ」
「これで、今日の目標数は達成できる」
「何者だ!」
俺はティーナの前に立って叫んだ。
「年齢もいい頃合いだ。本当に幸運だな」
「目標未達だと、それで処分だって話ですからねえ。堂々と王命でも何でも使って、集めりゃいいのに」
「それができないから、俺たちが動いているのだろ?」
「そうでした、そうでした。まあ餓鬼集めで良かったですよ。これがガウルの悪魔を捕まえてこいなんて命令だったら、俺はさっさと東の帝国にでも亡命してますね」
男たちは俺の言葉など全く聞いていなかった。
「何を言っているかわからないが──今すぐにここから立ち去れ! 俺の兄はロー辺境伯家の兵だ。手を出せば、兄たちが黙っていない!」
俺は震える声を必死に抑えて叫んだ。
「隊長、辺境伯の兵にこんなへっぴり顔のやついました?」
「俺は顔を覚えるのが得意でない」
「……安心しろ。ティーナ、兄ちゃんが絶対に守ってやる」
俺は、怯える妹の手を握り締める。すると不思議なほど体の底から力がみなぎってくる。
「大丈夫だ。大丈夫。安心しろ、ティーナ。だから、──さっきの約束、絶対に忘れるなよ」
俺はそう言うと妹の手を離し、男たちに向かって剣を構えた。そして、みなぎり、溢れでる力のままに、男たちに向かって駆け出していた。
「勇者の身体になるかもしれん。手荒くやるなよ」
「当然ですよ、隊長」
❇︎
(やめろ、やめてくれ……ティーナ、逃げろ)
「こっちの雌ガキはどうします?」
「棄ておけばいい」
「でも、ちっとなら遊んでもいいですよね?」
「こいつを荷馬車に積んだら少し休憩だ。仕事外のことに口出しはしない……その間は、好きにしろ。だが、俺たちは今月の目標数に達していないのだ。今度は俺たちの首が飛ぶ。お前も、まだ死にたくはないだろ?」
(やめ、やめてく、れ……)
「んじゃ、お言葉に甘えて。ちょちょっと遊んできますわ」
❇︎
(こ……ここは? い、痛い、痛い)
「閣下、失敗です……」
「またか。使えん餓鬼どもばかりだ」
「肉体から魂の完全摘出に成功するものが一割。やはり成人近い者になると、殆どが魂の癒着を剥がしきれず……。やはり成功はかなりの低確率かと……」
「では、不可能であると貴様は言いたいのか?」
「いいえ! そんなことはございません。必ずや成功させます」
「よろしい。それから、あの失敗作の山をどうにかする策も考えておくのだ。証拠は一切残すな。無価値な汚物を残しておけば、王国、いや、我がロー家の品位に関わる」
(お……俺は。ティーナは?)
「──早くその気色の悪い汚物を除けるのだ。薄気味悪い」
「はっ。閣下の仰せのままに。お前たち、急ぎこれも廃棄庫に積み上げておけ!」
「(ティーナ……兄ちゃんが、ま、も……)」
「テ……ティーナ……た、タスケ、テ」




