19. ゴブリン討伐依頼
森の冷たい空気が肌を刺す朝だった。
俺たちはピカホンタスの冒険者ギルドで受注したクエストへ向かっていた。任務の内容は、北の廃村を占拠したゴブリンの群れを討伐するというものだった。初の討伐クエストだが、Dランクと難易度は低い。
「少し、空気が乾いてます……風向きが変わるかも」
「そうね、早めに終わらせてしまいましょう。兄さん、大丈夫ですか? 昨夜はあまり眠れてなかったみたいですけど……」
イーサが気遣うように俺の隣を歩く。彼女の視線はいつもまっすぐだ。
「心配いらないよ。俺の寝起きの顔が悪いのは昔からだろ?」
俺は笑って答えた。
これまでいくつかのクエストをこなした。しかし、初の戦闘を伴うクエストに向けて、俺はよく眠れなかった。心の昂りがそうさせたのか、身体が俺の眠気に逆らうかのようだった。しかし、俺たちは現状の各々の力を擦り合わせ、この日のため準備をしてきた。
(大丈夫、心配するな。その剣を戦場に捧げることはなかったが、俺は百年、剣を振るってきたのだ。それに今は信頼できる妹たち、イーサとダリア、それにダーリャもいる)
頭上のダーリャが「みゃあ」と大きな欠伸をした。
ダーリャの耳の動きや尻尾の動きで、何を考えているかは察せられるようになってきていた。この寒さには多少の不満があるらしく、前足で俺の額をトントンと叩いた。
「……わかってる。すぐ終わらせよう」
ダーリャは、それに小さく鼻を鳴らした。
❇︎
しかし、俺の不安は杞憂に終わった。
ゴブリンたちとの戦闘は順調そのものだった。群れをなしていたゴブリンたちは、飢えた獣のように襲いかかってきたが、殆ど統率はなく、動きは粗かった。
アイリッシュが実体を伴った幻惑の術で地形を操り、地面の傾斜を操作する。俺はその流れの中で斬撃を重ね、イーサが小傷をすかさず回復する。息の合った連携。──俺たちは、準備してきた通りの動きで戦った。全てが順調だった。
(準備してきた通りだ。身体が動く。気持ちの無駄な昂りもない。)
俺は多少呼吸は乱れたが、あの時と違い心を乱すことなく剣を振い続けることができた。そうして、あらかたのゴブリンを呆気なく倒してしまった。
「流石の剣さばきでした! アッシュ兄さん!」
「何とかな……」
俺はそう言って笑った。
「アイリッシュとイーサがいたおかげだよ。ありがとう」
「そんなお言葉、私には、もったいないです!」
アイリッシュが顔を赤くしながら叫ぶように言った。
「アイリッシュ、兄さんの言葉はそのまま受け入れればいいのよ」
イーサはアイリッシュの頭を撫でながら言った。
「帰ろうか」
俺たちは手分けしてクエスト達成の証となるゴブリンの耳の回収をした。そして、ピカホンタスへの帰路についた。
初のクエストは全てが順調に終わった。全てが順調に終わったと俺は安堵していた。だが──あれが俺たちの目の前に現れたのはその帰路でのことだった。
廃村を離れてしばらく歩いた頃、森の奥に沈殿するような気配があった。
「兄さん……止まって」
突然、イーサが立ち止まり、俺の腕を引いた。
頭上ではダーリャが全身の毛を逆立て、その爪を、牙を、剥き出しにしていた。小さく唸るような音が喉奥から漏れ、鋭い眼で魔物を睨みつけている。
風が止み、葉がざわめく。獣のようでいて、異様に静かな何かが、こちらを窺っていた。茂みが揺れる。現れたのは、灰色の毛並みを持つ獣人型の魔物。見たことのない魔物だった。
目が合った瞬間、ぞわりと何かが這い上がってきた。異様な強者の覇気がひしひしと俺の肌を焼いた。
俺は剣を抜き、一歩、踏み出そうとした。が、動かなかった。足が、腕が、まるで誰かに掴まれているかのように、動かない。意識は冷静で、戦いたいという気持ちもある。なのに、肉体が「俺の命令」に従わない。
視界が極端に狭まり、肩に力が入らず、剣を握った腕の震えは止まらなかった。
(動け、動けよ。動け! 俺は何の準備をしてきた? あの時と同じじゃないか。動け!)
「兄さん、危ない!」
イーサが前に飛び出し、光の防御魔法を展開した。
「お兄様!」
アイリッシュも俺の前に踏み出すと、即座に地面を崩し、魔物の足元に即席の罠を張り巡らす。ダーリャもまた俺の頭上から飛び降りて臨戦態勢となっていた。
だが魔物はそこから一歩も踏み込まず、こちらを一瞥し、まるでただ「見届けた」というように踵を返して、言葉もなく、ただ静かに森の奥へと去って行くのだった。
魔物が森の奥に消えてから、俺は崩れ落ちるように膝をついて倒れこんだ。先ほどまでとは違う。俺は自分自身への失望に駆られてその場から動くことができなかった。
頭の中が真っ白になっていた。
イーサとアイリッシュが動かなくなった俺に抱きついて何か声をかけ続けている。ダーリャが俺の皮膚に爪を立てている。しかし、痛みを感じない。俺の耳は、感覚は、その役割を果たしていなかった。
あの瞬間、俺は確かに──戦うという意思の昂りを感じていた。ゴブリンたちと戦った時のように。
(何が違うっていうんだ。ただ強者に臆した? 違う。俺自身の、手を伸ばせば斬れるという確信があった。それなのに、身体は動かなかった)
視界が霞んでいくとともに、俺の脳裏には見たことのない光景が流れ込んだ。夢のようでいて、やけにリアルな光景。俺の記憶ではない、モーリス・スウェンの記憶でもない。しかし、何故だか俺自身が見たことあると思える光景だった。
炎に包まれた戦場。
絶望しながら焼かれる人々。
絶え間なく崩れる落ちる街。
その中心に立ち、剣を、力を振るっていたのは、間違いなく俺だった。凄惨な光景の中心に立って、──俺は笑っていた。
「──ようやくお前に、魂に辿り着いたよ」
不敵な声が冷たく響いた。それは、聞き覚えがないのに、なぜか俺の中にずっとあったもののように思えた。




