17. ハイネからの手紙〈2〉
「最愛の、最愛の、世界にたった一人のアッシュお兄様へ
お兄様が目覚められたという一報を受けた瞬間、ハイネの手は震え、筆を取るより先に、胸が痛みで締めつけられました。どうして私はその場にいなかったのか。どうして私は、お兄様のその瞬間に触れられなかったのか。
どうして……どうして……どうして……!
(いけない、こんなはずではありません。冷静に、知的に、いつものハイネでいなくては)
……改めまして、このたびのご覚醒、心よりお慶び申し上げます。
お兄様のご無事、何よりでございます。そしてお目覚め直後の無礼な魔族の襲来、お兄様の心労深くお察しする次第です。
(ハイネに知らせを送ったのは魔族が襲来する前だったはずだが……ここはひとまず読み進めよう)
さて、ハイネは唐突にお尋ねします。
お兄様。今もなお、ご自身の身体を重たく感じられているのではないでしょうか? 指先の感覚、魔力の流れ、ほんの少しのずれ。身体が意識と裏腹に動かない等々──ハイネにはわかります。ええ、わかってしまうのです。私ですから。お兄様の私なのですから。
ダリア姉様も、イーサ姉様も、アイリッシュちゃんも、きっとお兄様の御身を案じておられるでしょうに、そのことを直接伝えるには心苦しさがあったのではと、ハイネは拝察いたします。
実は──お兄様の御身の再生に際して、我らがビリー兄様とクリス姉様が、またしても……ああ、またしても、無邪気にやってくださいました。討伐した“魔王の魂の器”の一部が、お兄様の身体の恢復時に用いられているのです。
「アッシュも強くなってた方がいいだろ?」ですって。ビリー兄様とクリス姉様の“例によって例の如く”の悪ノリです。
もう! 軽々しく、軽々しく……
何が“いいだろ”なのですか!? お兄様の身体に、そんな不潔なものを──ッ!
(……いけない、深呼吸、深呼吸……知的なハイネ、論理のハイネ……)
私はすぐさまルーランド王国から秘密裏に禁書となっている『魂殻論』を取り寄せまして、紐解き、過去の事例、魔王の器に関する文献を片端から調べ尽くしました。
そしてわかったのです。
お兄様の今の不調は、魂と器の適合にまだ時間がかかっているため。けれど、それはやがて馴染み、お兄様は誰よりも強く、しなやかに、美しくなるのです。
──ああ……強く、美しいお兄様……。
(ごめんなさい、少しだけ時間をください。息が、苦しいのです)
というわけで、ひとつ提案を申し上げます。
お兄様、ご自身の身体と魂を調和させるために、大陸を巡る旅に出られてはいかがでしょうか? 各地の空気に触れ、人々と交わり、傷ついた世界と繋がる中で、きっと、お兄様の魂はその器と完璧に重なり合います。
ダリア姉様にはガウルの防衛を任せておりますから、どんなに(どんなに、でもです!)駄々を捏ねられても留守番をお命じください。
イーサ姉様は、きっと同行を望まれるでしょう。それは……まあ、我慢します(使い果たしてしまった精霊の力を集めなおす旅路としての同行は理に適っています)。アイリッシュちゃんについても、弱っておられるお兄様と姉様の旅路には、彼女の力はきっと役に立ちます。ええ、ええ、それは認めますとも。
でも! でも!
だれひとりとして、ハイネほどお兄様のことを想ってなどいないのです! この胸が焼けるほどに、お兄様のことを願い、焦がれ、祈り、泣いているのは、このハイネだけなのです!
(また……またやってしまいましたね。けれど仕方ないのです。だって、お兄様なのですから)
お兄様はただ、心の向くままに旅立ってくださいませ。そして、旅の途中でふと空を見上げた時、思い出してくださればそれで十分です。この世界のどこかで、ハイネがずっとお兄様のことだけを想い、考え、計画し、監視……いえ、見守っていることを。
お兄様の幸福のためなら、ハイネは何だってできます。何だって、です。例え、この命を、この世界を代償にしてでも。
無限の敬愛と、尽きぬ想慕と、終わらぬ祈りを込めて。
アッシュお兄様の、ハイネより──
PS. ガウルの復興に関わる提案書と、今後の大陸情勢について想うところを別紙にまとめ同封いたしました。愚かなハイネの推察に過ぎませんが、念には念をということで。私の方で必要な方策についてはすでに計画を進めております。お兄様は、どうか、ご安心ください。」
……読み終えると、俺はそっと手紙をたたんだ。
同封の手紙については日を改めて、じっくり目を通すことにした。それにしてもハイネは本当に変わっていないなと思った。大人びた筆跡も、文章もあの頃のままだ。
「魔王の身体に、冒険者か……」
俺は呟いた。思い当たることに考えを巡らせようと努めたが、俺の頭はそれ以上回らなかった。それほどに、あまりにも長く濃い一日だった。
かたわらでは、イーサはもちろん、ダリアとアイリッシュもいつ間にか健やかな顔で眠っている。その寝顔を見つめていると、俺も、今日だけは、何も考えずに眠りつきたいと思った。
瞼が次第に重たくなっていく。目を閉じると暗闇が訪れる。しかし、そんな暗闇の中でも、妹たちの幸せそうな寝顔の残像が、確かな温もりとなって、淡く光り続けていたのだった。




