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13. どうやら妹たちは、魔王と呼ばれる俺よりずっと人間離れしています。

 あの日、流れたのは俺の血だけだった。

 身体が冷たくなっていくのがわかった。寂れたガウルの冷たい雨がいくらでも降り注いでいた。家族の、兄妹たちの涙だけが俺の頬に落ちて、温かく感じられた。あの日の俺の記憶は、兄妹たちの涙を除いて滲んでぼやけている。


 守ると決めたものを何ひとつ守れず、俺も殺されるのだろう。イーサ……、もっともっと話したいことがたくさんあった。お前の好きなように甘えさせてやりたかった。


 結局俺はあの日と何ひとつ変わっていない──。

「くそ、くそ、くそっ!」

 俺は地面を叩いて叫んだ。


「計画通りに銀色が哀れに散った。蒼白も尻尾を巻いて逃げた。これでもう仕事は終わりだ。人間ごときが魔族を差し置いて、その身体を弄び、魔王を名乗ったことを後悔させて殺してやろう」


 魔族の高笑いが嫌らしく響いた。


「どうしてだイーサ。何で俺じゃなくお前が死ななきゃいけない? 俺はどうせ一度死んだ人間だ。俺がまた死ねばそれで良かったのに……」

 

 俺の声はそれ以上言葉にならなかった。

 声にならずただ意味のない言葉を叫んでいた。

 

 俯いたままの俺からは、自制も効かず次々と涙が溢れた。こぼれ落ちていく涙は、虚しく光っていた。乾いた地面に落ちた涙が黒々とした跡を残す。落ちゆく涙の粒がまばゆい銀色の光を映し始めたのが見えた。あの時の光だ。俺をこの世界に導いた光。


(俺はまた、死後の世界へと逆戻りするのだろう)


 光はやがてその輝きをまして、神々しくあたりを包み始める。後悔すら残る余地のない、浅ましい時間だった。みんな、無様な兄でごめんな……。


「兄さん。アッシュ兄さん」


 どこからかイーサの優しい声が聞こえる。俺はその声に導かれるようにして顔を上げる。


(これはいったい、何が起きているのだろう?)


「安心して。私は、イーサは、大丈夫です」


 切り裂かれて、見るも絶えなかったイーサの身体が銀色の光の粒に包まれて、眩く光り輝いている。淡い光の粒は傷口に集まって、みるみる内に彼女の傷をふさいでゆく。銀色の長い髪が、空気を孕んで大きく膨らみ、イーサの身体は宙へと浮かび上がる。


「あなたはご自身が何をしたか分かっていますか」


 怒りに満ちたイーサの声が静かに、空気を震わせる。彼女を包んだ淡い光の粒は、次第にその背に集まって、まるで彼女を美しい蝶を思わせる姿へと変貌させる。


 銀色の蝶は、美しく瞬く。鱗粉はやがて空を満たし、あたりの全てを白銀に染める。


「イーサ、お前はいったい……」


 敷設された床石の隙間から、小さな芽が顔を出し、やがて青々とした葉を茂らせる。小さな花が咲き、そして散ってゆく。それが幾度も幾度も、遥かな彼方まで繰り返される。大通りに、路地に転がっていた亡骸たちが息を吹き返し、目覚め始める。その誰もが、宙に浮かぶ、銀色の蝶を目にして、涙を流して祈りを捧げる。


「ねえ、あなたはあと何度生き返りたいですか──」


「た、たしかに、殺した感触があった……」

 イーサの静かな言葉に上級魔族は震えている。身体ではない、魂がその底からの恐怖に怯えているかのような震えだ。すると突然、背後から何かが衝撃を与え、まるで蹴飛ばされた小さな石ころのように、魔族は地面に叩きつけられ、転がり、のたうちまわる。

「痛い、痛い、今度は何だ! この私が痛みなど、何が起きたんだ……」


「遅れてごめんね、アッシュお兄ちゃん」


(ダリアなのか?)


 俺が見たことのないダリアがそこにはいた。

 屈託のない笑顔は消え失せて、暗く重い怒りが表情を支配している。


「みんな遊ぼう、あたしのところにおいで──」


 ダリアの声に、至る所から、黒々とした靄が現れて彼女の周囲を怪しく包みはじめる。街中の魔物たちや、魔族たちの口からも黒々とした靄が吐き出され、それを失ったものらは抜け殻のように静かに横たわる。

 

「集まってくれて嬉しいな」


 彼女の声に呼応するように、靄は漆黒の衣となってダリアの身体を包み、その背に禍々しく羽をひらく。羽ばたきは、ガウルの地を揺らし、嵐となって吹きつける。地に伏した魔族は青ざめて許しを乞う。


 あたりが銀色と漆黒とに染まる。

「俺が悪かった、俺が悪かった。違うんだ、これは命令されて……」


 言い切る前にダリアの漆黒をまとった拳が、魔族の腹を貫く。しかし、事切れる前に彼はイーサの銀色の光の粒に包まれ、蘇る。


 何度も、何度も、何度も……彼は殺され、その度に生き返り、殺される。


「お兄ちゃんがどんな思いをしたかあんたわかってる?」

「……」

「兄さんを苦しめたあなたに質問です。さあ、あと何回生き返りたいですか?」

「……」

「それにしても、あんた、ひどい匂いよ」

「ダリア、私も同感です」


 彼の言葉はすでに失われている。彼の表情は、彼の感情はすでに失われている。生きているが、死んでいる。死んでいるが、生きているのだ。ただただ漫然と生と死が繰り返される──。


 人間離れした妹たちの姿に俺は言葉を失う。ダリアとイーサがどこか遠くへと行ってしまうかのような強い不安が俺の胸を過ぎる。


(もういい、二人とも。とめないと。兄としての責任を果たすんだ。俺がやるべきことは……)


 俺は涙を拭い、震える身体を抑えて、必死に叫んだ。

「ダリア、イーサ、ありがとう! 俺はもう大丈夫だから、なっ、俺と一緒にもう帰ろう!」

 その声は魔族に負けないほどの、激しい震えを帯びていた。


「頼む! 届け……帰ってきてくれ」

 俺は心に祈り、唱えていた。


「ダリア! イーサ!」

 俺はもう一度渾身の力で叫んだ。その声にようやく二人が俺の方を振り向いた。俺の決死の叫びは彼女たちに何とか届いたようだった。

 

 銀色の光と、黒色の靄は瞬く間に霧散して、空はもとの群青を取り戻し始める。二人は俺の方に一目散に飛んでくると、俺の胸に勢いよく抱きついた。


「お兄ちゃん、あたし心配で心配で」

「兄さん、私だって不安で仕方なかったんです」

 妹たちは俺の胸の中でまるで小さかったあの頃にように泣きじゃくる。足元をふらふらとさせて、まるで全ての力を使い果たしたかのように二人は俺の身体に身を寄せた。


「ごめんな、イーサ、ダリア。俺がお前たちのことを信じきれなかったばかりに、心配をかけちゃって」

「そんなことない! そんなことないよ!」

 二人は震えた声を揃えて言う。


 そんな様子を少し離れたところで、アイリッシュが遠慮がちな表情を浮かべ見つめている。俺は、彼女にも目配せする。するとおずおずと歩み寄ってきて、彼女もまた、二人の姉たちの輪に混ざり、俺をそっと抱きしめる。

 

 俺たちはそのまま色々なことを話した。彼女たちを抱きしめた腕は痺れたが、そんなことも気にならなかった。やがて日が傾き、星々が輝き始めても、彼女たちが飽くまで俺たちはそうやったままでいたのだった。


 俺はふと、夜空を見上げる。輝く星が、これが自分の役割だとでも言うように、いつまでも優しい眼差しで俺たちを見守っている。俺には不思議とそんな風に感じられたのだった。


そうして、俺にとっては長い人生最後の日であり、新たな人生の始まりの日でもある不思議な一日がゆっくり幕を閉じようとしていた。

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