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12. 燃えるガウル

 街の方から大きな爆発音が響いたのは、ダリアの言葉からすぐのことだった。それとともに、住人たちの悲鳴が上がった。数多の魔物たちが西門を突破し、街を襲撃したのだ。


「あたし、行くね。お兄ちゃん」

 ダリアは立ち上がるとそう言って、静止する俺の声も聞かずに窓を開けて指笛を鳴らした。すると数体のエンペラーガーゴイルが空から現れる。


「イーサちゃん」

「わかってます。ダリア」

「あたしは西門に向かうから、街のみんなは任せるね」

 イーサは無言で頷いた。

「お兄ちゃんは疲れてるだろうからゆっくりしていてね!」


 ダリアはそう言い残してガーゴイルの背中に飛び乗ると、行ってしまった。

 俺は正直呆気に取られていた。


「アッシュ兄さん、私も街の人たちのところに行きます」

「待て、イーサ。俺も……」

「いいえ、兄さん。まだその身体にも馴染んでいないと思います。今回は私たちを信じてここで待っていてください。ね、兄さん、信じ合うのが家族だって昔言ったでしょう!」


「アイリッシュ、兄さんを任せていいわね?」

「もちろんです」


 イーサが部屋を出て行った後で、俺は頭を抱えていた。街から聞こえてくる悲鳴の数は時を追うごとに増えた。至るところで火の手が上がり、黒い煙が、街全体を覆っていた。


(俺は何もできないのか? 何のためにこの世界に戻ってきたんだ? 誓いはどうした? 妹たちは確かに強くなったかもしれない。けれど何もせずにこうして頭を抱えていていいのか? 俺は、妹たちの言葉を信じることができないのか? でも家族を守ることが兄としての何よりの役割ではないか?)


 答えのでない焦燥が、葛藤が、頭の中をぐるぐると回り続けていた。


「魔王を名乗るものよ!」

 街の方から声が響いた。

 俺は窓辺に身を乗り出して、声の方を見た。

「我が名は、魔王国、シューベルト領の当主ベリン・ゲン・シューベルト」


(あの長い角、上級の魔族じゃないか……)


「魔王を名乗る不届きものはどこだ? 我らは魔王様の身体を返してもらうため参上した! ここには()()()()も、忌々しい()()()()もいないことはわかっておる。貴様らの抵抗する手段はないだろう。悪魔とはいえ、小賢しい()()()()しかいないのなら、臆することはない!」


(ここにイーサとダリアの他に兄妹たちがいないことが知られている。仕組まれていたことなのか。それに魔王を探している? 狙いは俺なのか? 俺はどう行動するのが正しい?)


「行け。我が配下たち!」

 上級魔族の言葉に煽られるように、空中に陣をはっていた中級、下級の魔族たちが一斉に魔法での攻撃を始めた。ガウルの街は見る見るうちに炎に包まれる。


「……アイリッシュ、俺も行くよ」

「でもお兄様はまだ!」

「ごめん。君にはまだ自信を持って名乗ることはできないけれど、それでも俺はお前たちの兄だ。俺は兄妹を守らなきゃならない。ただ黙って座っているわけにはいかないんだ」

「……わかりました。アッシュお兄様。ではせめて私も、アイリッシュ・グエン・ローリーも、お兄様にお供させてください」

 アイリッシュの言葉は力強かった。

「わかった。行くぞ、アイリッシュ」

 

 俺たちが外に出ると、街は想像以上の混乱に包まれていた。民家は燃え、魔物たちが次々に住人たちを襲っていた。街中が死臭に満ちて、大通りにも路地にも、無惨に殺された人々の亡骸が転がっていた。そして、地上に降りてきた下級魔族たちによる生き残った住民への陵辱も始まっていた。


「あの時と同じじゃないか……」

(今の俺に何ができるというんだ?)


 俺は焼けた民家から棒っきれを拾い上げ、手に握りしめた。しかし、その手は震えていた。止めることができなかった。


(イーサは、ダリアは無事だろうか? 俺は、俺は……)


 街に降りて、住民たちの悲鳴が近づけば近づくほど、俺の心は恐怖に染まっていた。俺はまた死ぬのだろうか。せっかく兄妹たちがくれた命をここで散らしてしまうのだろうか。俺はいったい何のためにこの世界に帰ってきたのだろうか。身体が震え、次第に動かなくなった。


「お兄様、危ない!」

 

 アイリッシュが身を挺して、襲いかかってきた魔物から俺を遠ざけた。


「アイリッシュ、血が……」

「私は平気です、お兄様」

「でも……」

「これでも私だって、お兄様の妹なんですよ」

 そう言うとアイリッシュは立ち上がって魔物に相対した。


(どうして、どうして彼女たちはこの恐怖に立ち向かうことができる? 兄だからと勇んで降りてきてこの様だ。俺は百年、あの日の後悔を指針に生きたんじゃなかったのか? 何を学んできた? 誰のために戻ってきた? ダリアが、イーサが、アイリッシュが、命を賭けて立ち向かっているのに。)


(恐怖? 弱さ? 臆病さ? ──ふざけるな! だったら、こんな命なんて最初から必要なかった。そうじゃない。もう、逃げる場所なんてないんだ。守るんだろ、家族を! でも、どうしてだ。どうして俺の身体はこうも動こうとしないんだ……)


 俺は叫んだ、恐怖に打ち負けて、声を上げて叫んでいた。

 

 その時だった。

「見つけましたよ、偽の魔王!」


 先ほどの上級魔族が上空から突如俺たちの前に現れたのだ。アイリッシュが咄嗟に俺の名を叫ぶ声が聞こえた。だが、もう遅かった。ああ、俺はここで死ぬのだ──。兄妹たちとの誓いも果たせぬまま、何も守れず、無様にも死んでゆくのだ。


 魔族は声を上げて笑い、その尖った爪を俺の方に向けて鋭利な斬撃を飛ばした。

「その身体は死して、ふたたび我が魔族の手に!」

 最期にはそんな声が聞こえた。

 俺は目を閉じた。生暖かい血の感触が、俺の皮膚に触れた。


(ああ、今回の死には痛みがなかった……痛みがない? 俺は生きている? それじゃあこの血の匂い、この血の感触はいったい……)


 俺は恐る恐る目を開ける。

「アッシュ兄さん、無事で良かったです……」

 イーサが穏やかな横顔を俺に向けていた。

「イーサ……?」


 次の瞬間、俺は気がつき、愕然とした。

 彼女の胴体は切り裂かれ、臓器が露出し、赤々とした血がこれでもかと噴き出していた。俺はその身に浴びたのが、彼女の、最愛の妹の血だったことにようやく気がついた。


 呼吸が激しく乱れ、心臓がどくどくと高鳴る。


 ただ絶望した。もう何もわからなかった。

 とめどなく涙がこぼれ落ちて、イーサの生暖かな血と混じり合った。愛しい妹の血と絶望の涙に濡れた顔をただただ覆って、俺は絶叫するしかなかった。

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