8. 魔都ガウル
ガウルは、これといった歴史をもたない土地だった。
というよりは、歴史が語られる以前に、荒んだ風がすべてを吹き払ってしまい、その跡には何ひとつ、物語るべきものが、残らなかった──そう言ったほうが正しいかもしれない。
「忘れ去りたいもの」は、たいてい忘れられない。
だからこそ、それは人の胸に重くのしかかり、時に苦しみを産み落とす。そうした記憶は、「忘れられないもの」と等しい意味を持ち、決して意のままにはならず、ひとたび心に根を張れば、祓い難い影となってまとわりつく。当然、その記憶に対する不安や憤りはあらゆる暴力となって現れうる。
もともとは、北西のルーランド王国がその辺境に領有していた土地だった。ペインリン山脈がそびえ立ち、天然の防壁を形成していたおかげで、東のハイランド帝国の脅威も、北海を越えてくる魔王国の侵攻も、王国の中心にまでは届かなかった。守るべきものを内に抱える王国にとって、山脈の向こうに広がるガウルの地は、もはや人の手の及ばぬ、見捨てられた死角だった。
結果として、魔王国も、帝国も、王国に倣ってその地を「ゴミ捨て場」として利用した。王国はそれを咎めるでもなく、干渉するでもなく、まるで存在そのものを忘れたかのように沈黙を貫いた。流れ着いた者たちは、名も、身分も、かつての生も失い、やがて朽ちて、塵となるだけ。荒廃した砂地と風の轟く荒原は、言葉の通り、そうした者らの成れの果てであり、何百年という時をかけて積み重ねられた「無関心の歴史」そのものだった。
王国も帝国も、ガウルに「捨てるもの」を金品と引き換えにして、引き受けては運び込み、それをただ乱雑に放置していった。それは、大陸の歴史の「見えない」外側で、延々と繰り返されてきた無言の習慣だった。
ガウルは「村」と呼ばれてはいたが、その実態は、「忘れ去られた」人々の骨と皮でもって建てられた粗末な荒屋が、烏合の衆のごとく雑然と並ぶだけの場所だった。そこに秩序も、自治もなく、ただ「まだそこに何かある」という事実だけが、その場を村と呼ばせているにすぎなかった。
七年、たったそれだけの時間が、この地にとっては、風の向きすら変えるほどの、濃密で重い歳月だった。かつての寂れた荒地は、今や〈魔都ガウル〉と呼ばれている。焼かれ、捨てられた灰のように、忘れられた者たちの記憶が地に根付き、そして、何よりある小さな家族のただ一人の兄への想いが、この都市を形づくった。
現在のガウルはペインリン山脈の裾に沿って扇形に広がる都市である。峠には砦が築かれ、鋼鉄と石の門が東西を守る。城壁沿いの外郭道路には見張り塔が点在し、旧帝国と王国の“廃棄路”だった道も整備され、交易と巡礼の通り道となっている。
都市の中心には、ひときわ異彩を放つ魔王城が聳えている。黒い石と赤い大理石を積み上げた城は、威圧と崇高を兼ね備え、塔が空を突き、魔法で強化された外壁は鉄壁の守りを誇る。夜になると刻まれた魔法陣が赤く輝き、「守りの焰」として人々の信頼を集める。
城を起点に放射状に伸びる五本の通りは、都市を機能ごとに分けている。政庁区。 工匠街。居住区。学舎と塔の区画。 衛兵と防衛の区。その全てが、ある幼き少女の緻密な計画により造形されたものだ。
ガウルには貴族はいない。何か特筆すべき階級のようなものがあるとすれば、それは「魔王アッシュ」と「悪魔」と呼ばれるその家族の「名」だけだ。種族も関係ない、人間も亜人も、魔物や魔族すらも、その境を隔てる壁は存在しない。名誉は血筋ではなく働きによって得られるもの。だからこそ、住民たちの目は強く、誇り高い。
日が沈むと、城を中心にして街中にともる灯。そこで揺れる赤い焰は、いまや大陸の向きを問う“火種”となった。
そして誰もが知っている。この都はまだ、完成していない。
そして今、この未完の都に、かの者──ある家族のただの兄にして、新たなる魔王、アッシュ・グエン・ローリーが帰還したのだ。
〈魔都ガウル〉は、ようやくその“焔”を灯し始めたばかりなのである。




