◯の書
放課後の教室。
誰もいない空間で、濱崎透は自分の机を見つめていた。
落書きだらけの机の上には
「死ね」「キモい」「消えろ」といった言葉が容赦なく刻まれている。
ため息をつきながら、透は消しゴムで必死に消そうとするが、
ボールペンの跡はなかなか消えない。
「もう、いっそのこと...」
死という言葉が頭をよぎる。
透は鞄を手に取り、誰にも見られることなく教室を後にした。
下校途中、いつもの坂道を歩いていると、
目の前を横切る白髪の老人に出会った。
透とすれ違いざまに、立ち止まる。
「おや、透くんか?
元気がなさそうだけど、大丈夫かい?」
透は顔を上げた。
見覚えのある顔だ。近所に住む人だった。
その優しい笑みに、心の壁が崩れ、
思わず毎日が辛いことを打ち明けてしまった。
すると、「ちょっと待っていなさい」と彼は言った。
老人は道沿いの家に入ると、
すぐに一冊のノートを持って戻ってきた。
「これをあげよう。」
表紙には「◯の書」と大きく文字が書かれてあった。
「タイトルの◯の部分に好きな文字を入れて、
1ページ目に使い方の説明を書くと、
その通りになる不思議なものなんだよ。
『幸』や『愛』、好きな言葉を入れて、
自由に作ってごらん。」
おじいさんの言葉に透は半信半疑でノートを受け取った。
家に戻った透は、部屋に閉じこもり、ノートを広げた。
◯の部分に何を書くべきか考える。
「幸」や「愛」という言葉は自分には縁が無い気がする。
ふと、最近読んでいた漫画を思い出し、
ペンを取り、ゆっくりと「死」の文字を書き入れた。
「死の書...」
1ページ目を開き、震える手でこう記した。
「このノートに名前を書かれた人物は、ここに書かれたとおりに死ぬ」
いじめっ子たちの顔が浮かんだ。
復讐の念が湧き上がる。
しかし、ペンを握る手は彼らの名前ではなく、
自分自身の名前をゆっくりと書き記した。
ある日、一人の少年が下校途中に足を止めた。
前方から歩いてくる二人の婦人の会話が風に乗って耳に届いた。
「ここのお子さん、亡くなったんですってね」
「可哀想に、まだ若いのに」
少年は立ち止まり、その家を見た。
玄関には「忌中」と書かれた半紙が飾られている。
漢字は読めなかったが、なぜか意味が分かった。
他人事とは思えなかった。
少年はクラスで上手く馴染めず、毎日が辛かったからだ。
俯きながら歩いていると、奥の豪邸から出てきた白髪の男性に声をかけられた。
「どうしたんだい? そんな顔をして」
近所に住むおじいさんだった。
昔から知っていて、よくお菓子をくれる優しい人だ。
「大丈夫かい?」と、穏やかな声が続いた。
少年は思わず、クラスでのいじめのことを話してしまった。
涙が止まらなかった。
「そうか...辛かったね」おじいさんは優しく少年の頭を撫でた。
「ちょっと待っていなさい」
そう言い残し、家に戻ると、彼は一冊のノートを持って出てきた。
表紙には大きな文字で「死の書」と書かれていた。
「これをあげよう」
「なにこれ...」少年は驚きながらノートを受け取った。
「ここに書かれた者は、この通りに死ぬんだ」とおじいさんは言った。
怖がる少年を見て、「変なものじゃないさ」と彼は言った。
ページをめくると、
そこには「浜崎透」という名前と、何やら一文が記されていた。
「この後、ありとあらゆる不幸が消え、大金持ちになったあと、70歳で死ぬ」
「これ…、ほんとなの?」と少年が聞くと、おじいさんは微笑んだ。
「そんなことはない。
でも、ここに名前を書いたとき、まだ死にたくないと思ったんだ。
だから、その後の文章はそんな風に変えてある。
今は確かに書かれた通りの人生を送って、来年めでたく80歳を迎えるよ。
辛いだろうけど、感情に飲み込まれちゃいけない。
君と同じように私も昔苦しんだ。
でも、そんな私でも乗り越えられたんだと、励みにしてほしくてね」
少年はおじいさんの優しさに触れ、少し涙がこぼれた。
「ありがとう、おじいさんも子どもの頃があったんだね」
「もちろんさ」
「でも、表札と少し違うね」と少年が言うと、
おじいさんはにこやかに話を続けた。
「子どもの頃は漢字が書けなくてね。
本当はこの通り、旧字体の『濱』という字を使うんだよ。
また会った日のために覚えておいてくれるかい?」
表札を指さしながらそう言うと、
おじいさんはノートの文字を書き直した。
その瞬間、
「あ...」
おじいさんは膝から崩れ落ちた。
「おじいさん!」
少年は慌てて支えようとしたが、もう遅かった。
おじいさんの呼吸は静かに止まっていた。
お読みいただきありがとうございました。
意外性を第一に考えたら、救いが無くなってしまいました。
ただ、濱崎少年は実際に自分の力だけで、
状況を打破し、望む未来を手に入れたことは事実です。
今度はもう少し、幸せな最後を書きたいですね。