第三話:サキュバスは個人事業主です。
夢魔。最も古い魔族の一つでありながら、同時に最も人間に近いと言われている魔族。
僕ら勇者隊が『夢魔の女王』を倒したことで、 夢魔の一族もまた力の大半を失った。現在では魔王軍の残党の中でも、比較的脅威度の低い魔族であるとされている。
が、それが逆に今回のような事態を呼び込む原因となってしまった。
王都には魔族を探知する結界が張られており、厳重な警戒体制が敷かれている。だが一方で『弱すぎる』魔族はこの結界に反応し難くなっているのだ。
「私達としてはぁ……むしろ弱くなった今の方が、いろいろ活動しやすくて都合が良いんだけどね。勇者サマ。あなたも結構、気持ち良かったんじゃない?」
さして悪びれる様子も無く、 夢魔は背中でくるくると尻尾を回している。
「冷水をいきなりぶっかけるなんてひどいわあ。風邪ひいちゃうでしょ? いい子にしてくれたら、まだ許してあげるよー?」
「……何が。目的だ」
それにしては。手が込んでいる。
目の前の彼女が使った【擬態】の魔法については、鏡越しにバレてしまう程度の微弱な認識阻害に過ぎない。
店の者全員を魅了して操るような強引な手段は、そもそも使えなくて。だからこれは前々から周到に準備された、長期的な計画なのだ。
そこまでして、魔族の中でも特に刹那主義的と言われる 夢魔が狙うモノとは何なのか?
「別に。そんな変わったモノじゃないよ。勇者サマ。ただあなたの子種が欲しいだけだから」
「僕のが? どうして?」
「あなたの赤ちゃんが欲しくて?」
「…………」
「何よ。そんな顔しなくてもいいじゃない。ああ、はいはい本当のこと言いますよー。魔王でーす。魔王様でーす。『救世主』の子種ほどのエネルギーなら、魔王様復活に利用できるからでーす」
唇をとんがらせて、 夢魔はつまらなそうに白状した。
確かにそれなら、理屈は通る。
僕こと勇者は。世界を救うべく神が遣わせた救世主だ。要するにそれは、大地母神が自ら生み出した半神半人である。故にその秘めたるエネルギーは、死者をも蘇らせる力を持つと言われている。
実際は知らない。
確かに僕は孤児だったが、母親が神だったなんて荒唐無稽な話を本気で信じたりはしない。貴族が政治の道具として利用するには、丁度いいカバーストーリーだったかもしれないけど。
「ね? ね? もう一回座ってくれないかな? それとも、ベッドでする方がいい? 勇者サマの顔。結構好みだし。おとなしくしてくれるなら、こっちも優しくしてあげるからー」
じりじりと。すり足で僕に寄ってくる 夢魔。
「嫌だと言ったら?」
「それなら当然、暴力よね!」
言うが早いか、四肢を振り上げて僕に飛び掛かってくる 夢魔。
僕はその、迫りくる彼女に向かって、右手をかざす。
「来い! アンサラー!」
ごがん。
高速で飛来した『何か』が、背後から夢魔の後頭部を撃つ。その衝撃に撃ち落とされたサキュバスを、僕は左手で受け止めた。
そして右手に、飛来して回転した『何か』がすぽりと収まった。
聖剣アンサラー。
解答者の銘の通り、この剣は僕が呼べば、いつでもどこからでも僕の手に戻ってくる。様々な試練を乗り越えて手に入れた、名実ともに『勇者の剣』だ。
今回は脱衣所に置かれていたため、剣はそのまま飛んできたようだ。結果として進路上にいた夢魔の後頭部を柄頭で打ってしまったが、やむを得ない犠牲というものである。
「背中を流してくれたのは気持ち良かった。ありがとう。でもやっぱり僕は、こういうのは向いてないと思う。ごめん」
後頭部にたんこぶを作り悶絶する夢魔を、僕は転ばないようそっと床に下ろす。
「だ、ダメ! みんな来て! 勇者が逃げる!」
しかし。敵もさるもの。
夢魔は脳震盪を起こしかけながらもかろうじて意識を保ち、必死に声を張りあげて仲間を呼んで来たのだ。
「失敗? 失敗したの?」
「うっそー。10秒で終わるって賭けてたのにー」
「でもみんなでヤるのもいいよねー! 行こう行こう!」
すぐに部屋の扉が開き、部屋の中へ夢魔達がなだれ込んでくる。どうやら夢魔は一体だけではなく、この店そのものが夢魔の群れに乗っ取られていたようだ。
というかこの雰囲気だと、どこかから覗かれていたのかもしれない。
あっという間に部屋には夢魔がひしめいて、部屋の温度とか湿度が一気に上昇してしまう。
対する僕の手には、鞘に収まったままの聖剣。
防具はなく、下着すら履いていない全くの素っ裸。
そんな僕の躰を見上げて、舌なめずりしながら迫る夢魔たち。
すわ、絶体絶命か?
僕の背中で、汗の玉が一粒滑り落ちて。
「勇者!! 無事か!?」
爆発音。
僕に迫りくる夢魔達に割り込むように、一つの影が壁を破り、飛び込んできた。
「大丈夫だよ! 騎士! キミも無事で良かった!」
そう。それは紛れもなく騎士である。
僕と同じく素っ裸であったが、その腕には大砲を抱えてる。壁を破った爆発音は、その猛烈な砲撃に違いない。
厳密には大砲ではなく、槍だけど。
豪槍ブリューナク。城攻め用の大砲の先端に刃を取り付け、無理矢理に槍としての機能を持たせた規格外兵器。
僕ら勇者隊の騎士が愛用する得物だ。
「すまん! 俺がこの店に誘ったばかりに! 業務形態が特殊だったから、いろいろ言い訳して、都市の監査を逃れ続けていたようだ! まさか夢魔が運営してるなんて!」
「いいや。僕も油断してた。旅の途中だったら【魔族探知】の魔法で必ず調べていただろうに……」
どんなに厳しい戦いを経験していても、やはり戦場から離れると人は鈍ってしまうものらしい。
宿屋や娼館に夢魔を紛れ込ませるのは、魔王軍のやり口として珍しいモノではない。むしろ常套手段とすら言える。
だから辺境の地を旅する中では【魔族探知】はもちろんのこと、人間にも魔王軍のスパイがいる可能性を考慮して『敢えて』野宿を選ぶことすらあったというのに。
少し、自分が情けない。
魔術師が聞いたら、きっと呆れてしまうことだろう。
「けれど騎士が無事なら安心だ。敵の数は多いけど所詮は下級の夢魔にすぎない。僕達二人なら切り抜けられる……」
「いいやダメだ勇者。お前はすぐに脱出しろ。ここは俺が残る!」
銃槍を構えて、ずいと騎士が夢魔の群れの前に立ちはだかる。
その勢いに。若干。夢魔達がたじろいだ。
「奴らの目的はあくまでお前だ。この場の勝利条件は夢魔退治ではなく、あくまで勇者が逃げおおせること。むしろここに留まっていれば、さらに状況が悪くなるぞ」
「しかし騎士……!」
「いつもやってることだろう? 俺が敵を全部足止めして、お前が勝負を決める。だからよ。ここは俺に任せて、お前は先に行け!」
左手で、騎士は自ら開けた壁の大穴を示した。
その大穴は十分に大きく、そしてなんと、店の外にまで繋がっていた。それは僕の救出ルートのみならず、脱出ルートでもあったのだ。
そうであるなら。僕も彼を信じるだけだ。
「すぐに応援を呼んでくる。それまでどうにか持ちこたえていて!」
「かっかっか。持ちこたえろだと? 良く見ろ。俺の槍は『二本とも』ギンギンになってるんだぜ? それを女の子が相手してくれるって言うんだ! 邪魔されちゃあ困るな!」
「……流石。百人斬り」
騎士のもう一つの名前。
彼の名誉であると同時に、近衛騎士団を一時期追い出された原因。
「覚悟しやがれ! ションベン漏らして足腰立たなくなるまで! 赦してやらねえからな!」
啖呵を切って銃槍を振り上げる騎士を背に、僕は大穴をくぐって脱出する。
振り返らない。裸のまま、ただ剣を握りしめてひた走る。
さらば友よ。どうか無事で。
「夢魔の奴らめ。あいつらはやることがいちいち回りくどい」
しかし。夢魔の手から逃れた僕を待っていたのは、また新たな地獄だった。
夢魔の巣窟となっていた『風呂屋』を抜けて、大通りに出る。衛兵にでも助けを呼べれば。そう思っていた。
「だから無理矢理捕まえてしまえば良いと言ったのだ」
「防具を外してくれたので、手間は省けたがな」
「逃すな。捕まえろ」
夜の街には。夢魔以外にも多数の魔族が紛れ込んでいたのだ。
スライムが、ローパーが、グールが、スキュラが、その他大勢の『女性型魔族』達が。一斉に【擬態】を解いて、僕に殺到してくる。
王都を揺るがす『勇者狩りの一夜』が始まった。