一日二時間、本を読むということ(1)
一日二時間は本を読むことを自分に対して課している。
私は、世界について知る方法として「本」というものを重視していた。
確かに、実際に自分の足で行って、自分の目で見て、自分で経験してみた時の情報のリアルさには敵わないかもしれない。
だけど、本には本なりの良さがあると思っていた。
一つ目は、本は「文字」で情報や知識を得る媒体なのだということ。
それは一見すると、本の制約であり、限界のようにも見える。
だけど、私はそれこそが本の良さの一つだと考えていた。
人は物事を考える際に、「文字」を使う。
頭の中でいろいろな「文字」を並べて、その中で物事を考えていく。本を読むことで、その「文字」を使うことに慣れていく。「文字」を使うことの能力が上がっていく。そのための一つの鍛錬ツールとして「本」は非常に優秀だと思っていた。
それに、実際の映像や音というものではなく「文字」から情報を得るからこそ、その「文字」を媒体にして様々なものをイメージすることができる。そのイメージの自由さも好きだった。
二つ目は、一冊の本を読むことで、その作者が人生かけて収集し、考え抜いた情報を得ることができるということ。
実際に様々な場所に行き、そこで実際に自分で経験する。
その方法でしか情報や知識を得られないのだとしたら、得られる知識の幅は深いものかもしれないけど、ただ非常に狭いものになってしまう。
人生における時間は思ったよりも長くはなく、それほど多くの場所に実際に行くことは難しい。
だけど、本であれば、家で読める。
何冊でも簡単に読むことができる。
現在、私は市立図書館を活用している。
確かに本を買うよりは選べる本の種類に多少の制約が出てくるが、それでもある程度広範なジャンルの本から「読むべき本」を選ぶことができる。
何よりも、金銭的なコストがかからない。
私のようなFIRE生活者にとっては、このメリットは非常に大きい。




