昭和の文豪たち(6)
1937年7月7日、盧溝橋事件に端を発して日中戦争が勃発する。
戦争文学の代表作の一つである「麦と兵隊」は、1938年に発表された。
作者は火野葦平。
私はその作品を読んだことはないが、題名くらいは知っている。
火野は1937年10月、30歳のときに「糞尿譚」という短編小説を久留米の同人誌に発表する。その直前、9月10日に、日中戦争のために応召していた。「糞尿譚」は第6回芥川賞を受賞することになる。
火野は伍長として従軍していたため、芥川賞授賞式は、中国の杭州で行われた。芥川賞授賞式が中国で行われるのは異例のことだった。
中国での芥川賞の授賞式は軍部の注目を浴び、その後、火野は陸軍報道部へ配属になり、軍部との連携を深める。
そのような中、「麦と兵隊」は書かれた。
「麦と兵隊」は1938年の徐州会戦の従軍記で、日本兵の勇敢さを讃えたものだった。
火野は徐州会戦に参戦する部隊に伍長として配属され、自分が作家であることを周りに吹聴することもせず、皆に見られない場所で隠れて「麦と兵隊」の原稿を書いたという。
日本軍は、火野葦平以外の作家も戦争のために利用していく。
「従軍ペン部隊」として、多くの作家をそれぞれの戦地に送り込んだ。
その中には、火野葦平はもちろんのこと、林芙美子、井伏鱒二、海音寺潮五郎、高見順などの作家がいた。
井伏鱒二はシンガポール、海音寺潮五郎はマレー方面、高見順はビルマに派遣される。
林芙美子は1928年から1930年に雑誌で連載した自伝的小説「放浪記」でその当時一躍人気作家となっており、「放浪記」は森光子主演で舞台化されたことでも有名だ。
林芙美子は1937年の南京攻略戦には、毎日新聞の特派員として現地に赴いている。そして1938年の武漢作戦には、内閣情報部の「ペン部隊」として大陸(漢口)に向かった。
漢口への従軍記は東京毎日新聞に「美しい街・漢口に入るの記」として連載され、後日、「戦線」、「北岸部隊」という作品として出版された。
それらの作品は当然、日本軍を賛美するものでなければならなかった。




