さすがに「運慶」は知っている(2)
東京国立博物館で特別展が開催されている、『運慶 祈りの空間―興福寺北円堂』。
特別展では、興福寺が保有する国宝が7躯、公開されている。
興福寺は奈良県奈良市にある。
その歴史を調べてみると、かなり古い歴史を持っている。
創建年は天智天皇8年(669年)。
藤原鎌足の妻である鏡王女が鎌足の病気平癒を願い、山科国山階で創建した山階寺を起源とする。
710年に平城京への遷都が行われると、山階寺は鎌足の子、藤原不比等によって現在地である平城京左京に移され「興福寺」と号した。
1300年近くも前の話である。
しかも出てくる人物が「藤原鎌足」であったり、「藤原不比等」であったり、誰もが歴史の教科書で一度は目にしたことがあるような人物だ。
では、運慶とはどのような人物なのか。
当然、名前は知っている。運慶、快慶といったら、鎌倉時代で一番有名な仏師といってもいいくらいだ。しかし、その経歴については正直あまり知らない。
運慶についても少し調べてみる。
運慶は、興福寺を拠点に活動していた奈良仏師、康慶の子らしい。ここでも運慶と興福寺のつながりが見られる。
生年は不詳で、没年は1224年とされている。
初期は奈良で仏師として活動する。
運慶の現存最古作は、1176年に完成した奈良、円成寺の円成寺木造大日如来坐像で、造像は運慶の20歳代とされている。もちろんこの仏像も国宝に指定されている。
1180年、平家の兵火によって奈良の東大寺、興福寺が焼亡した際は、父、康慶とともに興福寺の復興に携わった。
その後、鎌倉幕府に接近し、鎌倉幕府の庇護のもとで多くの作品を作ることになる。




