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或る人のFIRE日記  作者: 鷺岡 拳太郎
2025年10月
315/368

ボスニア 30年前の父へ(2)


番組は、現在のアリサの様子から始まる。




民族紛争が集結して30年の月日が流れていた。




ある日、アリサは一本のビデオテープを手に入れる。


それは30年前に父親自身が自分の娘に向けて撮影したもので、自身の様子とそして自分が暮らす街の人々の様子を映し出していた。








30年前、ポシュニャク人とセルビア人の間で民族紛争が起こった際、アリサ一家はスレブレニツァという街で暮らしていた。スレブレニツァはポシュニャク人の拠点の一つとなっていた。




国内の戦闘が激化する中、両親はアリサを街の外に避難させ、自分たちの親戚に預ける。


だけど二人はスレブレニツァの街に残ることを選んだ。




とくに父親はポシュニャク人であり、同じ民族の仲間のいるその街から離れるという選択をすることがどうしてもできなかった。セルビア人の母親は、そのような父親に付き従ってスレブレニツァに残った。








民族紛争はセルビア人の大規模な軍事行動で開始される。


ポシュニャク人の勢力の装備は質で劣り、セルビア人勢力は最初の攻勢でボスニア・ヘルツェゴビナ全土の6割以上を制圧する。


ポシュニャク人勢力はサラエヴォ、スレブレニツァなど主要都市を含む国土の残り3割弱を必死に防衛するという状況になった。




アリサの父親が残したビデオテープでは、そのような状況の中でスレブレニツァに残った父親の様子が映っていた。








NATOによるサラエボ人勢力に対する空爆もあり、アメリカ元大統領のカーターによる仲介によって1995年1月1日から4ヶ月の停戦となる。




しかし停戦の期限が切れると再び戦闘が始まった。


セルビア人勢力が最後の攻勢に出る。




セルビア人勢力のムラディッチ大将率いる部隊は1995年7月6日にスレブレニツァへの侵攻を始め、7月11日には中心部を制圧した。








制圧後、街で暮らしていた女性と子供は街の外に出ることが許された。


アリサの母親もその際、命からがらスレブレニツァを脱出する。




しかし、ポシュニャク人の男性は街を出ることを許されなかった。




そして7月12日には、同地に居住していたポシュニャク人の男性すべてを絶滅の対象とし、8000人以上が組織的に殺害されるスレブレニツァの虐殺が引き起こされた。




アリサの父親も、ここで命を落とすことになる。



挿絵(By みてみん)


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