ボスニア 30年前の父へ(1)
少し前に、一本のドキュメンタリー番組を見た。
番組タイトルは、「ボスニア 30年前の父へ “戦後欧州最悪の虐殺”の地をたどる」。
番組紹介には次のように書かれている。
「イスラム系の父とセルビア人の母の間に産まれたアリサ。
ビデオ撮影が趣味だった父は、民族間の対立でスレブレニツァがセルビア人武装勢力に包囲されていた間も、虐殺で命を落とすことになる人々の姿を記録。街の外に避難させていた娘にも愛情あふれる映像を残していた。
父は何を伝えようとしていたのか。」
1990年代の始めに、東欧の片隅で民族紛争と虐殺が発生した。
私自身そのことをニュース映像などで目にすることはあったのだけど、実際に何が起こっていたのか、正直言ってあまり詳しくは知らなかった。
番組では、その紛争が起こった地、ボスニア・ヘルツェゴビナで暮らしていた一組の家族の姿を描いていた。
ボスニア・ヘルツェゴビナには3つの民族が暮らしている。
ボシュニャク人(ムスリム人)、セルビア人、クロアチア人。
構成比率はポシュニャク人が44%、セルビア人が33%、クロアチア人が17%となっている。
番組の主人公アリサは、ポシュニャク人である父と、セルビア人である母の間に生まれた。
ごく普通の家族として暮らしていた3人だったが、ボスニア・ヘルツェゴビナで発生した一つの民族紛争によって家族の運命は大きく変えられることになる。
その紛争はボシュニャク人とセルビア人との間で起こった民族紛争で、両者の間で激しい戦闘が繰り広げられることになる。
つまり、ポシュニャク人である父とセルビア人である母はお互い敵対する民族となり、その子供であるアリサは、その両者の子供という立場に立たされることになった。




