転職したときの話(16)
企業Bでの「設計者」としての会社員生活は、戸惑いと苦しみの中でスタートした。
やはり前職とは製品の開発環境は全く違っていたし、色々な部署との人脈もゼロの中でそれらを一から作っていく必要があった。
中には、企業B独自の風習といってもいいような習慣もあって、それにも戸惑いを憶えた。
企業Bでは週に一度、設計部のメンバーが食堂に一同に介して、そこでメンバー同士で様々なことを話し合うという習慣があった。設計部の中にはいくつかの設計室もあったので、100人近い結構な人数になる。
前職の企業Aには、そのような習慣は無かった。
ただ、この習慣は2020年4月のコロナ禍以降は自然消滅することになる。
しかし、環境が大きく変わるということは、転職した時点で始めからわかっていたことだった。
私は、その「企業B」という全く新しい場所に自分から望んで進んだのだ。
企業Aでの苦しみから逃れるためという別の理由があったにせよ、その選択は誰かに強いられたものではなかった。自分で選んだ道だった。だからこそ、そのような状況にいるということは一種の自己責任なのだと考えていた。
慣れない環境での仕事の中で、私は環境や人にではなく、「問題」に焦点を合わせることに集中した。そして「製品」のことだけを考えるように自分に言い聞かせた。
担当している製品Kの試作機で行われる評価では、日々、様々な問題が挙がってくる。
その問題を技術的にいかにして解決していくのか。そのことだけを考えるようにしたのだ。
そしてその問題解決においても、「私が作りたいと思える製品になっているのか」ということにこだわるようにした。
転職理由の一つ、「一般ユーザーが使うようなコンシューマー製品を作る」ということ。その原点に立ち返った。
企業Aでは企業向けの製品を担当していたので、私自身が作りたいと思える製品を作ることができなかった。
企業Bに転職して担当した製品Kはプロ向けではあったけど、私が作りたいと思っていた、家電量販店で売られるようなコンシューマー製品でもあった。
製品開発は苦しみの連続となる。
目の前の問題をどのようにして解決していけばいいのか、いいアイデアが浮かばなくて途方に暮れることも少なくない。
苦しみだからこそ、私は「自分が作りたい製品を作る」ということにこだわりたかった。
どうせ苦しむのなら、「私がやりたいと少しでも思えるもの」のために苦しみたかった。




