生と死の境界線(6)
アイヴァンは死刑執行室である小さな緑色の部屋に入る。
そこで刑務所長がアイヴァンに尋ねた。
「最後に言いたいことはありますか?」
死刑囚の最後の言葉。
それは自分の死を目の前にして初めて自分の罪を認め、被害者と被害者遺族に謝罪する言葉なのか。
それとも、こんな運命を自分に背負わせた世界に対する呪いの言葉なのか。
アイヴァンは被害者の家族の居る方向を向いて、とても穏やかに次のように述べたという。
「私はジェイムスとエイミーを殺していません。
あなたが心の平安と気持ちの区切りを求めてここに来たのなら、失望すると思います」
アイヴァンの死刑執行を気持ちの区切りにしようとしていた、被害者であるエイミーの兄に対する言葉だったのかもしれない。
アイヴァンは最後まで自分の罪を認めることはなかった。
自分の死を目の前にしても、自分の冤罪を訴えていた。
被害者の兄は、死にゆくアイヴァンを見ながら、それでも心の中が晴れることは無かった。「ようやくエイミーを殺した人間に対する罰がくだされた」という思いと「本当にこれで良かったのだろうか」という思いが心のなかでせめぎ合い続けていた。
アイヴァンという一人の死刑囚の死。
その死によって、結局誰も救われなかった。
そのような思いを抱きながら、私は番組を見終えた。
アイヴァンが本当に冤罪だったのかどうかは、私にはもちろん分からない。
もしかしたら、最後の最後までアイヴァンは自分の罪を隠し続けていただけだったのかもしれない。
しかし、今までの多くの死刑囚の中で、冤罪だった人間が一人もいないとはとても思えなかった。
過去には冤罪なのに死刑を執行された人はいたのだと思う。
それが死刑制度の一つの問題点なのかもしれない。
死刑は罪人の「死」によって、その罪を贖わせるものだ。
執行してしまうと、もう元には戻せない。
「間違っていました」では決して済まされない。




