生と死の境界線(3)
番組には四人の人物が登場する。
一人目は、アイヴァン・カントゥ本人。
アイヴァンは拘置所の接見室のような場所で、カメラを前に自分の心境を語る。
自分の死刑執行の日は決定しており、アイヴァン自身もその日付を知っている。その日が一日一日と近づいてくる中で、自分の心境をカメラに向かって喋っていた。
自分の死の日付が一歩一歩近づいてくるという究極的な状況の中でも、彼は落ち着いていて、どこか達観したような表情を浮かべていた。
彼はそのインタビューの中で「疲れた」と言った。
それが本音だったのかもしれない。
24年間冤罪を訴え続けていたのに、何一つ変わらなかった。
自分の言葉はどこにも届かなかった。
私はもちろん彼が冤罪かどうかは知らない。
ただ、もし本当に冤罪だったのだとしたら、自分の言葉が誰にも届かない24年間は、彼を心の底から絶望させていたのかもしれない。心の底から疲弊させてしまっていたのかもしれない。
そんな「諦め」にも似た表情で、アイヴァンはカメラに向かって喋り続けていた。
そして二人目は殺された女性の兄。
事件は24年前に発生している。
妹が死んでから24年という長い月日が流れていても、彼の中では事件は終わっていなかった。その24年間、「妹が殺された」という事実は彼の頭の中から離れることはなく、その記憶の中の妹の姿に苦しめられ続けていた。
彼は、アイヴァンの死刑執行を気持ちの一つの区切りにしようとしていた。そのような思いで、死刑執行日を心待ちにしていた。
犯人が捕まり死刑判決が出ていたとしても、彼の中ではアイヴァンが生き続けている限りは、事件が終わることはなかった。




