「本物」とは何か?(2)
贋作師、ベルトラッキ氏の描いた贋作の絵が、現在日本の美術館に三点あるらしい。
その中の一点。
ドイツの画家、ハインリヒ・カンペンドンクの描いたとされた絵、「少女と白鳥」は高知の美術館にあった。
1996年に税金1800万円で購入したという。
ベルトラッキ氏は、この贋作を描いたときのことをNHKのインタビューで語る。
彼はカンペンドンクになりきるために、カンペンドンクが暮らした場所に実際に足を運び、そこで過ごしたという。そしてカンペンドンクがそこで何を考え、何を感じたかを考えながら、自分自身がカンペンドンクになりきってその光景を見る。
「少女と白鳥」はカンペンドンクの作品目録に名称は記録されているが、「所在地は不明」となっていて、かつその絵の写真も残されていなかった。
つまり、その絵の存在そのものは分かっているが、どんな絵なのかは分かっていない。
そのような絵が、贋作のターゲットとして狙い目だという。
つまり、自分自身が「カンペンドンク」になりきって、そして「カンペンドンク」として新しい一枚の絵を描く。
ベルトラッキ氏は、その画家の絵を見ると、画家がその絵を描くためにどのように筆を運ばせていたのか、その筆使いを見抜くことができるという。彼はそれを「私の才能」だと呼んでいた。
絵の具も、古い時代の絵の具をフリーマーケットで買ってストックしておく。絵の具の成分は時代によって変わってくるので、化学分析を行うとその絵の具がどの時代のものかが分かる。それを欺くために、実際に古い時代の絵の具を使う。
またキャンパスについても、古い時代のキャンパスを使う。
古い安物の絵を購入し、下地を残した上でキャンパスの上の絵の具を剥ぎ取っていく。それを贋作用のキャンパスとして使う。
そのように様々な準備をした上で、最後にベルトラッキ氏は「カンペンドンク」になりきって、一枚の絵を描いていく。
そうして出来上がったのが「少女と白鳥」だった。
そこに多大な労力をかけていた。
そこまでするのなら、そして自分のことを「才能がある」と思っているのなら、贋作ではなく自分の名前で絵を描けばいいのに。そんなことを思った。
だけどきっと彼には、自分の名前で絵を描いても、新しいものを生み出せないという思いがどこかにはあったのかもしれない。
だから、「真似る」ということに生涯をかけて取り組んだのかもしれない。