思索のために、外を歩く(2)
一日一度は外に出て、外を歩く。
そこで「何もしない」ことをする。
これからのこと、あるいは目の前のこと、様々なことをただ考えながらひたすら歩く。
それを習慣化しようと思った。
では、その「外を歩く」ということを一日のどこに組み込むのが一番効果的なのか。
例えば、午前中の始めに外を歩くということを習慣化すれば、散歩した後、一日の作業をすっきりとした状態で始められる、ということもあるのだろうか。
ただし、私自身、午前中の時間は非常に重要視していたので、外を歩くということよりももっと有意義なことに使いたいという思いもあった。
私は、夕方からの時間に「外を歩く」ということを組み込もうと考えた。
午後は昼食後なので、眠気も襲ったりして中々集中して複雑な作業に取り組むのも難しい。
なので私は午後の始めは「作業系タスク」を集めることにしている。一日の中でただ手を動かすだけ、というタスクもいくつかある。そのようなタスクを午前や夜に分散して行っていたのだけど、それを午後一の時間にすべて集めてしまうのだ。そのような作業であれば、特に高度の集中力は必要ではなかったし、逆に「作業興奮」という形でそのような作業をする中で集中力を高めていくこともできる。
そしてそのような「作業系タスク」の後に、本を読んだりといったインプットの時間を組み込むことにしている。私の生活習慣において、世界を知ること、つまり「知識のインプット」もかなり優先度の高いタスクだった。
私はそのインプットの後の時間に「外を歩く」という習慣を組み込もうと考えた。
それであれば、歩きながら様々なことを思索する中で、その直前に読んだ本の内容を想起するということもできる。
インプットした知識を、ある程度時間をかけながら自分の中で整理する。場合によっては、その知識を元にして私なりの考えというものも発展させる。
そのようにして外を歩けば、いろいろな点でメリットが有ると思った。